MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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2019年ビングサーフボードの60周年を記念して作られた動画です。既に鬼籍に入られたレジェンドの方々も登場しています。私は90年代のロングボードリバイバルの頃、BINGサーフボードが好きで、復刻されたノーズライダやライトウェイトモデルに乗っていました。それから、乗るボードが短くなっていったときにはマイク・イートンのボンザーです。

60年代の映像はクラシックがお好きな方にはたまらないと思います。登場するサーファーも、名前を挙げたらきりがないほど、そうそうたるメンバーです。70年代はシングルフィンのショートボードとボンザー。ロルフ・アーネスはワールドチャンピオンです。

創設者のビング・コーポランドと’インプロバイザー’リック・ストナーから始まって、ダン・ベンディクソン、マイク・イートンらのクラフトマンシップが、現在のマット・カラバーニへとしっかりと受け継がれて行く様が描かれています。

「BING SURFBOARDS」というレーベルを守り続ける職人とサーファーたちを見ていると、わずかながらも同じようなことをやっている自分自身のことを考えてしまったりもします。

私は言わば、途中参入です。会社勤めを辞めてサーフボードを販売する仕事を始めてから、サーフボードの製造やデザインなどを学んできました。そのおかげで今では知識はたっぷりとあります。でも「知識だけは」と言ったほうが良いかもしれません。

そんな入り方だったので、いろいろと見えていなかった部分も多いにあります。20数年やってきてようやく、というか20数年という時間が経ってその分歳を取ったからなのか、これまで見えていなかった部分、考えていなかった部分を考えさせられた映像でもあります。

自分以外には良く分からないことを書いてしまっています。どうもすいません。でも書いて文章にしておくことは私にとって大事なのです。思考の整理です。


マットさんが10’6”のグライダーの説明をしています。考え方とボトムのシェイプデザイン(’ぼとむこんつあー’というやつです)は、私の10’6”とほぼ同じです。一点だけ違うのはテールのVEEのコンケーブ。私が想定した10’6”を使うコンディションでは、パネルVEEにレールのハードエッジで十分なはずです。


フィンのレコメンドサイズは、10’6”に7インチ~8.5ですって。やっぱり小さいです。私は9インチで乗るつもりでしたが、もっと小さいのも試してみる価値ありですね。以前、11フィートのグライダーをクリテンソンにシェイプしてもらったとき、クリスも同じようなことを言ってました。

10’6”は出来上がりまでもう少しかな?楽しみです。




91年のハレイワ ワイランドプロ。トム・カレンとマーチン・ポッターのファイナルの映像。トム・カレンがOPのスポンサー契約を取り消されるという、ノーディケールボード事件が起こったシーズンです。私はコンペティションのことは語れませんが、バックドアでトム・カレンがモーリス・コールのリバースVEEに乗って歴史的なワンショットを残した年です。

トム・カレン、マーチン・ポッター、ジョニー・ボーイ・ゴメス、トム・キャロル、ゲイリー・コング・エルカートン。個性が強烈です。

明日、2月13日(火)はお休みいたします。

サーフィンは大いなる学びだというジェリー・ロペスの言葉です。シンプルですが改めて浸みてくる言葉です。

間違ったポジションにいたり、周囲に注意を払っていないときにセットの波が来たら、諦めたり、ビーチへと押し戻されたり、慌てふためく代わりに、サーファーはパドリングでその波に向かうことを何度も何度も繰り返し教えられる。

波に向かって行き、打ち負かされるリスクもあるけれど、パドルし続ければ正しいポジションから大きく外れることは無く、セットが過ぎ去った後の穏やかな海面へ再び戻っていくことができる。

これは人生の逆境において取るべき行動を示唆しています。人生において、へこむことはたくさんありますが、セットの後の穏やかな時間は必ずやってくるもので、その時をうまく使って建て直します。自分が居たポジションへと戻って行くのです。

私たちがいつも心に留め置いておくべきことは、サーファーはパドリングし続けることができるということです。漕ぎ続けていれば、また元の場所へと戻ることができます。

サーファーなら皆が知っていることですが、忘れがちでもあることです。それを思い出させるためには波乗りを続けることです。波をくぐり抜けて何度もパドルアウトしていると、自分がそうやって人生を生きていることを思い出すことができるのです。

そしてその知恵を使うためには、起こっていることをあるがままにとらえること。続いていく人生には波が必ずあるものです。それは大きい時も小さい時もあるし、どんなに注意をしていても起こるものです。

それを乗り越えて、元の場所へと戻っていくためにはサーフィンが何度も繰り返し教えてくれたことを使うのです。

Keep paddling. パドリングを続けることです。



こんな感じじゃないかと思いますが、ぜんぶ信用しちゃダメです 笑。でも、伝えたいことは伝わってきます。

動画を見て声を聞いているだけで、落ち着いた気持ちになってくるのは、やっぱり私たちサーファーの偉大なるメンターのひとりだからなのでしょうね。

11月8日(火)はお休みいたします。よろしくお願いします。




昨日は久しぶりに何もない休みでした。午前中の風が弱い時間帯は楽しめたと思います。海へ行こうかとも考えましたが、二日続けての早朝波乗りはさすがにエンジンかからなくなってきた還暦近くのおっさんです。なので前日の波乗りを反芻しながらのカラダ弛めランニング。ゆっくりゆっくり5キロほど走って念入りにストレッチ。

掃除洗濯に遅めの昼食をとって、もうひと仕事済ませ(いろいろあるんですよ 笑)、やっと手が空いたのでかねてから見たいと思っていた、SUMMER OF ’66を見ました。



内容は以前にもブログでご紹介したと思いますが、1966年に作られたビンテージのノーズライダー10本を現代のロンガー、男女6人(たぶん)で乗ってしまおうという企画です。

登場するノーズライダーは、YATER SPOON、BING D・ヌヒワ、CON WING NOSE、GORDIE ノーズライダー、G&S ストレッチノーズ、GREEK ELMINATOR、HORBOUR CHEATER、MOREY POPE SNUB、CON THE UGLY、RICK UFO、こんな感じ。全部あるかな?

ノーズでの滞留時間をできるだけ長くするためにいろんな工夫がされているのですが、ノーズライダーのシェイプ理論は60年代にほぼ完成されていたのがよく分かります。

フラットなノーズボトム、ノーズコンケーブ、ステップデッキ、テールキック、ピボットフィンなどノーズライドのためのデザインがよーく分かります。

それぞれのボードを一本ずつ説明してくれるので、ロングボードが好きな人は楽しめると思います。

しかしこのムービー、懐かしい雰囲気はそのまんま90年代です 笑。

ムービーは、ここで見ることができます。www.TheSurfNetwork.com 有料サイトですが、30日間無料お試しというので見られます。その他にもいくつか興味をそそるムービーがあったので、見てみようと思います。

おとといのブログで書いたシングルフィンの最初の一本。YOUTUBEに出てました 笑。


明日は定休日です。シェイプルームへ行ってきます。






ランディ・ラリックによる、Summer of '66のプロモーション映像。60年代に作られた10本のノーズライダーをテーマにしたサーフムービーです。(https://www.thesurfnetwork.com/で、8月23日にプレミアショーが開催予定)

ノーズライドというマニューバがいつごろから行われていたのかは定かではありませんが、1960年代の中ごろから、ノーズライダーと呼ばれるデザインのボードがそれぞれのボードメーカーから発売されるようになります。

ざっと挙げて見るとこんな感じです。「*」マークは映像中に登場するボードです。

1965年 HOBIE ノーズライダー、YATER SPOON*、DAVE SWEET ノーズライダー、

1966年 BING D・ヌヒワ*、CON WING NOSE*、GORDIE ノーズライダー、G&S ストレッチノーズ*、GREEK ELMINATOR*、HORBOUR CHEATER*、MOREY POPE SNUB*、

1967年 CON THE UGLY*、RICK UFO*

65年から67年にかけての、ロングボードの時代の最後を、ノーズライドという優雅なマニューバで彩ったのがこれらのノーズライダーモデルです。

三年後、1969年はもうこんなです。


マット・ジョンソンの優雅なトリミングは見向きもされず、ジェリー・ロペスのマニューバに歓声が上がる、ロングボードにとっては受難の時代の始まりです。リアルタイムで当時を知っているサーファーにとっては、66年というのは特別な年だったのかもしれません。




ショップには昔のサーフムービーのポスターや、サーフィンにまつわる諸々古いものがいろいろとあります。ちょっと前まではヴィンテージボードもありました。古いものが好きなのは、サーフィン以外の分野にも興味が広がりますが、それらをコレクションしようという発想はこれっぽっちもありません。

どちらかと言うと断捨離タイプで、物がたくさんあるのは嫌い 笑。自分自身の生活はできるだけシンプルに持ち物は少ない方がいいのですが、それでも古いものは好きでいろいろと見てみたい。

それで最近思いついたのがデータだけの「E-コレクション」。これなら物は増えないし、保管場所も不要だしコストもかかりません。画像データだけでもインスピレーション湧いてきます。

そんなコレクションがこれです。世界のヴィンテージサーフボード。


こんなん凄いでしょ。WAVE SETのフィンシステムを使った、おそらく60年代の終わりごろのボードです。シェイプはハル。グラフィックもイケてます。


こっちは、世界のヴィンテージニーボード 笑。


70年代のCROZIER ニーボード フレックステイル。私のシングルフィンニーと似てます。


整理はマウスの指先ひとつでOK。ホコリもつきません。皆さんからいただいたオーダーのボードも最初の頃からほとんど全部、こんな感じでコレクションしています。

明日の朝は風が弱まります。早朝はオフへ回っている可能性もありますので、海水浴場の規制が入る前に楽しんじゃいましょう。






カツさんからいただいた映像です。年代は70年代初期。今から50年前です。フィルムケースには、「台風20号 七里ガ浜&稲村 ソエダ アオタ カツ ターチャン」と書かれています(メモ書きそのままで敬称は省略させていただいてます)

冒頭のイナムラアウトサイドは川南正さん。ニーボードなので正さんだけアイデンティファイできます。70年代の初め頃ということなので、あのボードです。


スピードとドライブ。まるでグリノウじゃないですか。カッコ良すぎで何度も見てしまいます。リーシュなんて無い時代です。


そして昨日、2022年7月7日。まだまだ進化し続けてます。





RAOラジオ小笠原。グライダーに乗るお話と、「ビーチカルチャージャーナリスト」池田潤さんのお話はサーフィンのスタンスのお話。かなり面白いです。ちなみに私はレギュラースタンスですが、ニーボードではレフトが得意です。2020年12月19日をクリックしてください。
www.radio-rao.com

暖かい部屋で、お茶でも飲みながらのんびり聞いてください。




カツカワミナミサーフボード BONITAフィッシュのユーズドが入荷しました。グッドコンディションの5’6”です。サイトチェックしてください。

さて、時代が変わったなあと改めて感じさせるニュースがありました。アメリカの一番古いサーフィン雑誌のサーファーマガジンが廃刊になったそうです。インターネットというツールの進化と普及で、紙に印刷された媒体が利益を上げつつ存続していくことが大変になっている世の中では仕方が無いことかもしれません。時代の流れとは言え、やっぱり寂しいものはあります。

サーファーマガジンを1960年に創刊したジョン・セバーソンは2017年に亡くなりました。彼のアートを扱っていたこともあって、メールのやりとりをしていた時期もあります。サーファーマガジンはそもそも、ジョン・セバーソンの「SURF FEVER」という映画の宣伝のために作られた、映画に登場するサーファーたちの写真とボードメーカーの広告を載せた30ページちょっとのフォトブックからスタートしました。

店の壁に何気なくぶら下がっていますが、これがそのTHE SURFERを宣伝するための当時のポスターです。1ドル50セントとあります。


上のポスターはオリジナルですが、これはサーファーマガジンの25周年号(85年ですね)の誌上で復刻された創刊号の表紙の部分です。


上のページには、当時の編集長のスティーブ・ペズマンの文章が載っています。創刊号が発売された当時のことをコーキー・キャロルに聞いているという内容です。

当時、まだ学生だったコーキーは母親から1ドル50セントをもらって、ハンティントンのロバートオーガストのショップに本が無くならないうちに急いで買いに行ったと書かれています。

そして本の中の、ランスカーソンのノーズライド、リンコンのケンプ・オバーグとイエイター、ハワイの大波のパット・カレンの写真を何時間もずっと見て、それの真似をしたと言っています。



1960年にわずかなページでスタートしたサーファーマガジンですが、写真、文章、アートなどでサーフィンを表現するいわゆるサーフカルチャーはそこから生まれてきたものです。

写真では、リロイ・グラニス、ロン・ストナー、ジェフ・ディバイン、アート・ブリューワー、ウォーレン・ボルスター。アートはリック・グリフィンやジョン・ハマースフェルド(エンドレス・サマーのポスターのデザイナー)

私の知識が60年代、70年代に偏っているので人名もその時代に偏っていますが、その後もサーフィンに関する文化を生み出してきたのがサーファーマガジンでした。


70年代に入ってジョン・セバーソンからスティーブ・ペズマンへと編集長は変わりましたが、そのスティーブ・ペズマンは、今はサーファーズ・ジャーナルの発行人です。

有名フォトグラファーによる有名サーファーの写真、文章を書くライター、デザイナー、広告といったサーフメディアのあり方だけでなく、サーフィン業界そのものがこの1960年のTHE SURFERから始まったサーファーマガジンによって作られてきたのですが、創刊から60年が経った2020年にその役目を終えたのです。

おそらくネット上でサーフメディアとして残っていくとは思います。(プリントされた文字という意味での)活字中毒の私としては、ネットのメディアは一過性に過ぎない軽いものに思えて仕方が無いのですが(文章も書いた人が明らかに読書をしていないと思われるような作文的なものも多いです)、時代はそちらへ流れていることを受け入れざるを得ないことを改めて認識させられた、サーファーマガジン廃刊のニュースでした。




ブルース・ブラウンのエンドレスサマーを見て、ロングボードをチョイスしたということは以前にも何度か書いていますので、みなさん既にご承知のことだと思います。

それのベースになっているのは、それより先に見たこの映画かもしれません。ご存知、ビッグウェンズデーです。


これを見たのは高校生だったと思います。確か、テレビの水曜ロードショーみたいな番組でのことです。中学生の頃に雑誌のポパイでサーフィンというものを知り、海で遊ぶのが好きだった少年はサーフィンに多いに興味を持っていました。

それで、サーフィンの映画をやるらしいぞと見たのがビッグウェンズデーでした。

そのときにいちばん強烈に印象に残ったのは、波を滑っているサーフボードの上をジャン・マイケル・ビンセントが歩いているシーンでした(実際には、イアン・カーンズかもですが)。

そのスタイルを見てすげーかっこいいと夢中になってしまいました。ウォーキングだけでなく、おそらくロングボードを操っているスタイル全般だったと思いますが、足をスッスッと前に出す動きが特に衝撃的だったのです。

歩いているだけですが、背筋を伸ばしてボードの上を歩くウォーキングのスタイルは他には無いものだったからかもしれません。それがめちゃくちゃカッコよく少年の眼に映ったのです 笑。

きっとそれがサーフィンに対するイメージとして強く残っていたんだと思います。だから、それから10年近く経って、エンドレスサマーを見たときに「これだー!」って、なったに違いありません。

今でもビッグウェンズデーのこの夏のシーンが好きです。人生、楽しかったことしか記憶に残っていない私ですが(笑)そういうのを象徴しているようなシーンです。

最近はあんまり聞かなくなってしまったハワイアンですが、このシーンでスラックキーの曲にもはまりました。そろそろ夏だし、久しぶりにハワイアンのCDを引っ張り出して聞いてみるのもいいかな。

このシーンで使われている曲です。




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