MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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お知らせ:8月17日(木)・18日(金)はお休みいたします。よろしくお願いします。

8月15日。終戦記念日。お盆。地元の長崎では精霊流し。当初は台風7号が接近する予想だったので、家で映画でも見て居るつもりだったのですが、私のところからは反れたようで、少々風が強いけどいい天気。暑い夏日が戻ってきました。

お盆は「地獄の釜の蓋が開く」と言います(正確には16日です)。私の母は子供のころから泳ぎが得意で、夏は海で何キロもの遠泳をしていたそうです。母は良く「お盆は地獄の釜の蓋が開いて、足を引っ張られるから海へは行くな」と笑いながら言っていました。

その教えに従って海はあきらめ(笑)、東京都心のグリーンショップ巡りをしてきました。

植物は大好きで、自宅ではいろいろと育てています。ここのところ雨が多いのでサボれていますが、夏場は毎朝水をあげるのが大変です。庭に昨年貼った芝はきれいに育っています。芝生は水が大好きです。周囲に植えたハーブも元気に育っています。


動かないし鳴き声も出しませんが、手をかけてあげるとしっかりと応えてくれるのが植物です。(中には手をかけられすぎるのは嫌いなのもいますが)

まず行ったのは、南青山。ソルソパークというグリーンショップです。本店は川崎の宮前区にあります。そちらは何度も訪れていますが青山は始めて。

東京メトロの乃木坂で降りて、ミッドタウンとは逆の方向へ少し歩きます。こんな東京のど真ん中にあるの?と思っていたら意外な空間が広がっていました。遠くに六本木ヒルズが見えています。左端にちょこっと見えているのが東京ミッドタウンです。(以前、活さんのボードを展示したOAKWOODラウンジもそこにあります。)


観葉植物というよりも、着生ランみたいなちょっと変わった形の植物が好きです。


コーヒー豆をローストしているカフェが併設されているので、気になった植物を買ったあとはコーヒーをいただきます。毎朝のコーヒーはハンドドリップでしっかり淹れていますが、この歳になってやっとモカの酸味のおいしさが分かってきました 笑。


広い庭を見ながら、のんびりできます。東京の真ん中にこんな広々としたスペースがあるのは驚きでした。もともとは何があった場所なんでしょう。あとで調べてみます。


コーヒーをいただいた後、乃木坂まで戻って地下鉄で今度は有楽町へ。数寄屋橋の東急プラザです。

途中、女房がカレーうどんを食べたいと言う店へ行きました。冷房がきっちり効いた店内で、熱いカレーうどんもなかなか良いか、なんて勝手に想像していたら…笑。有楽町のガード下です。


次の目的地の東急プラザは目の前。


通り過ぎる人たちが皆「このくそ暑いのに、良くそんなとこでうどん食ってるなあ」という顔で見ながら通り過ぎて行きます。

私も最初は「ここでカレーうどんかよ」と難色を示しつつも女房がどーしても食べると言うので、汗だくも面白いかなと腹を決めて暖簾をくぐったのですが、意外でした。風が抜きぬけていくのでけっこう涼しいんです。

お揚げ好きなので載せてもらいました。麺を食べ終わたら、ご飯を入れてカレーライスです。


風のおかげで汗ひとつかかず、涼しい顔で食べ終わりました。美味しかったです。有楽町の慶屋という店です。

東急プラザのグリーンショップは、ADA LABというLEDを使ったアクアリウムのお店。あまり趣味ではないのですが、面白そうなので見に行ってみました。興味がある方はどうぞ。https://ada-laboratory.com/

その次は東京駅です。丸ビルにある、GARAGE TOKYOというグリーンショップです。立川のグリーンスプリングスは好きで良く行くのですが、そこにあるRUSTというグリーンショップの系列店です。なので品ぞろえは良く似ているのですが、眺めはなかなか。目の前に東京駅です。

興味がある人はこちら。
https://garage-garden.com/

個人的には最初に行ったソルソファームが好きです。宮前区のお店は地形を上手く使っていて見ているだけでも面白いです。土日祝日だけのオープンです。https://solsofarm.com/

丸の内のラグビー神社にお参りして、リーチ・マイケル選手にタックル 笑。丸の内仲通りです。


東京グリーンショップ巡り、面白かったです。家のアデニウムが芽を出しました。育つのか?



台湾、行ってきました。羽田から3時間ちょっとです(帰りは2時間半)。早朝出発すれば昼飯の前に着くし、夕方まで遊んで飛行機に乗っても終電の前に帰ってくることができます。海外っぽくない海外ですが、食べ物は美味しいし、台湾の人は親切でなにやら楽しいしで、台湾大好きになっちゃいました。

4日間で20食近く食べました。野菜、果物、牛、豚、鶏、アヒル、とにかくたくさんの食材をいろいろな方法で料理するので、食べ物に関しては枚挙にいとまがありません。

ニワトリはトサカから足の先まで、食材の状態でも、調理されてすぐにパクつける状態でも売ってます。

トサカついてます。もちろん食べます。旨いですが気に入ったのは「舌」。つまりベロ。見た目はかなりアレなので画像は無し。最初は昆虫かと思いましたが、ベロから気管にかけて、コリリとして旨いのです。

これは屋台の料理。鶏肉と調味料(日本でいえば漢方)を器ごと蒸した澄んだスープが美味しいのです。


朝は粥よりも豆乳がポピュラーみたいです。左のは豆漿という豆乳を軽く凝固させたものです。豆腐好き(私)にたまらないのは言うまでもありません。


さっぱり系ばかり紹介してますが、小籠包に蒸餃子、ごはんにひき肉や鶏肉を炒めたのをぶっかけたのや台湾風おにぎり、粽、肉、野菜炒め、高級レストランから屋台まで、もう何でもあって食道楽にとっては楽しいやら、食べ過ぎで苦しいやらでもう大変なのです。


でもね、今回の旅行で一番だったのはこれ。


お茶です。


初日から歩き疲れて、ひと休みしようと何気なく入ったお茶屋さん、茶芸館というらしいですが、そこで淹れ方を教えてもらって飲んだ烏龍茶の美味いこと。


ひとくちで飲み干してしまうくらいの小さな茶碗から口に入れたとたんに、鼻へひろがる花のような香りと舌に残る柔らかいお茶のコク。これまでもそれなりの値段がする烏龍茶を買って飲んだことはありましたが、それらとはまったく別物。

ほんとうに突然のごとく、お茶好きになってしまいました。

有名な観光地。外は竹下通りもびっくりのすごい人。


そんな中にあった茶芸館。外の雑踏がうそのような静けさです。



開いた窓からは冷たい風が入ってきますが、すぐ脇で鉄瓶の湯が沸く幽かな音と湯気、そして炭火のほのかな暖かさが柔らかく伝わってくるのが心地よく感じられます。



窓の外はこんな景色。遠くに海を見下ろして、故郷の長崎にもなんとなく似ています。


台湾といえども1月は寒いのですが、そんな中で炭火のわずかな暖かさだけを頼りに過ごす時間が豊かに感じられるのは、香りがいいお茶のおかげだと思います。

台湾のお茶がこんなに素晴らしいものだとは知りませんでした。忙しい日常ではなかなかこんなゆったり時間を過ごすのは難しいと思いますが、少しでもこういう時間を持てたら幸せです。

今回の旅行の一番の収穫は、そんなことを教えてくれた「台湾茶」でした。この次はぜひ波乗りとお茶を楽しむ台湾旅行を計画してみようと思います。

もちろんお茶、買ってきました。茶器を手に入れて楽しもうと思います。

先週末、富士山のふもとにある忍野村(おしのむら)というところへ行ってきました。忍野村は富士山の北東部に位置していて、富士山の伏流水が湧き出す忍野八海という湧水池群とかやぶき屋根の古い民家が点在する静かな村です。

行動を起こしてみれば近いもので、自宅から中央道に乗って法定速度+10㎞でのんびり走って1時間半で到着してしまいます。早朝に下道で海へ行くのと変わりません(走行距離は長いですが)

それでも、いつも走っている裏山トレイルからあ山頂付近しか見えない富士山が目の前に。


手前の街並みは、白くて細長いもので有名な富士吉田市。少し高いところから見下ろすと、どこか懐かしい雰囲気です。すぐ下は駅。列車が近づいてくると踏切が鳴り始め、ホームに着いた列車から降りた人が街の中へ散って行きます。

しばらく見ていて気が付きました。懐かしさを感じるのは高い建物、高層マンションが無いせいです。

忍野村はこの景色の向こう側。正面に見える山を越えたところです。

そういうところだと聞いて行ったのですが、想像以上に透き通った水に驚きました。


底が見えていますが、水深4mあるそうです。どこまでも透明な水に晩御飯のおかずが泳いでいます。


試みに水の中へカメラを入れてシャッターを押してみました。梅花藻です。子供のころから川、海と水に親しんでいましたが、これほど透き通った水は初めてです。


いくつかある池を見て歩いていると、冬の早い夕暮れに富士山が。

きれいです。

これが宿。茅葺屋根も初めてです。


食事はマス料理。きれいな水で育ったせいか美味しいです。

刺身に。


塩焼き。


稚マスの天ぷらなどマスづくしです。

朝食はマスの粕漬。ふわふわのトロロに卵焼き。


素朴ですがそれぞれに手がかかっていて、美味しい。作ってくれた人に感謝したくなるような料理。久しぶりにそんなことを感じてしまいました(安いんです)。

朝食の前に散歩しようと思っていましたが、外は霜で真っ白。寒いです。迷わず朝風呂へ直行でした。


あとで調べたら、標高930mでした。暖冬で昼間はそれほどでもありませんでしたが、朝晩は気温が下がっていたみたいです。

太陽が昇れば大丈夫。川から湯気が立ち上っています。どこを取ってもきれいなところです。


そして、やっぱり富士山がどーんと。存在感が凄いです。やっぱり日本一の山です。


波乗りしているときに、いつも見ている富士山ですが次からは手を合わせてから海に入ろうと思います。


白くて細長いものも、もちろんいただきました。肉は馬肉です。


自宅から1時間ちょっとのところです。これからは富士山を見に、ちょくちょく行かせていただこうと思います。

あ、お蕎麦も美味しいですので。


8月15日、夕刻の長崎市。街のあちらこちらから聞こえはじめるのは、爆竹が破裂する音とカーン、カーンという独特の響きの鉦(かね)の音。お盆の長崎と花火は切っても切れない関係です。

長崎ではご先祖さまの御霊を迎える迎え火として、自宅とお墓に提灯を立てます。文字が金色なのも長崎です。うちは違いますが、墓石の上に十字架がついたカソリックのお墓が多いのも長崎ならではかと。


墓に提灯を立て、花火をやります。爆竹、ロケット花火、打ち上げ花火、なんでもありで、とにかく賑やかです。私も子供の頃よくやりました。お盆の楽しみでした。

コンビニのレジ横の墓参りグッズコーナーはこんな感じ。線香にろうそく、ライター、それに爆竹です。長崎に住んでいるあいだは、墓で花火をするのは当たり前だと思ってましたが、どうやら長崎だけみたいですね 笑。

精霊流しでは爆竹は箱ごと、赤い小箱はまだかわいいもので段ボールの方を一気にいっちゃいます。

昔よりも少なくはなりましたが、花火専門店も店を出します。何十万分も買っていく方もいます。花火屋さんは大賑わいです。


それが一番盛り上がるのが、15日の夜に行われる「精霊流し(しょうろうながし)」です。明るいうちから、バリバリ、カンカンとにぎやかに始まります。


「にぎやかに」なんて書いていますが、爆竹の音はおそらくみなさんの想像のはるか上を行っていると思います。

たとえて言うなら、どしゃぶりの雨がトタン張りの屋根に当たる音です。どしゃぶりが少しおさまって小降りになったかと思うと、またすぐにどしゃぶりです。それが、夕方から夜中までずーっとです。半端でない消費量です。

長崎では、そうやって初盆で戻ってきた御霊(みたま)を盆送りします。

母も今年が初盆でした。原爆死没者の名簿が一番奥の棚に収められています。母の名前もここに入りました。


54年生きて来て思うのは、物事は常に流れていて、一刻たりとも止まらず変化し続けているんだなあということ。当たり前のことですが、そういう思いが強くなったと思います。54年間って結構長いんだと思いました。

という訳で、今日からいつもどおりに営業してます。よろしくお願いします。


空港の到着出口を出たとたんに包まれたのは、通路の両側に群がる人たちの人いきれとその視線、ざわめき、それにその先の道路を走るクルマとバイクのエンジンとクラクションの音と、それらが吐き出す排気ガスの匂い。

いきなりのアジアの混沌の洗礼に思わずたじろいでしまったヴェトナムはホーチミンシティのタンソンニャット国際空港でしたが、どこか懐かしさを感じる光景でもあったのは、若さと勢いにまかせて旅していた、20代のころがよみがえってきたからでしょう。

ホテルへ向かうタクシーは常に10数台のバイクの群れの中。いつぶつかってしまうかとハラハラ、ドキドキしっぱなし。でも昔はあっちの方だったなあと思い出します。タイのトゥクトゥクやバイクタクシーでクルマのあいだをすごい勢いで走り抜けるのが面白くて大喜びしながら乗っていたものですが、もうダメ。見ているだけで怖くなってしまいます。


バイクの間をすり抜けてようやくホテルに着いて部屋から見下ろせば…。ものすごいバイクの数。


文字はほとんど読めず、言葉は全く分からないままローカルのバスで移動するドキドキ。バス停ではおばあちゃんが、笑顔で話しかけてきても全く何を言っているのか分からない。ニコニコずっとひとりでしゃべっているかと思うと、自分が乗るバスが来たらさっさと乗っていってしまう。


通路の向かいのおじさんはこっちを見てニコニコしながら、何かを指さして何かを教えてくれようとしているような雰囲気。でも分からないのでこっちも首をかしげて笑うだけ。

バスの運転手さんも車掌さんもニコニコ。どのバスに乗ればいいんだろうと不安になっていると、運転席からこっちこっちと手招きしてくれて無事帰還。よく分からないけれど、何か楽しい 笑。

道路は食べのこしや容器のゴミ、それに降った雨がまじった泥の水たまり。それでもその上で売られている果物や野菜はどれも美味しそう。


カフェだって道の上。スタバとは違う美味しさがあります。


道を渡るのも最初は一苦労、というより命がけ。信号なんか守ってくれない。青信号を渡っている目の前を、信号って何?とばかりに走り抜けるバイク。向こうがその気ならこっちだってと、いつのまにかうまくバイクとクルマのあいだをすり抜けて道路を横断できるようになっていたりするから面白いもの。


美味しいものもたくさんあるし。

チェー、という飲み物。マメ、タピオカ、なんかの実、ハーブ、はては昆布までいろんな種類があるのですが、どれもこれも美味しい。これは昆布とハトムギが入ってます。


おなじみフォー。食べ飽きない味です。


気に入ってしまったのはこれ。これは何?と英語が通じるところで聞いてみたら、ローカルチェリーだと。それでよく調べてみたら、アセロラでした。アセロラというと反射的に浮かんでくるのはあの女子プロですが、元の実はこんなだとは知りませんでした。

これにピンク色のチリソルトをつけて、が美味しいのです。

クルマやバイクのクラクションはうるさいし、排気ガスでのどは痛いし、なんでこんなとこ来ちまったのかと思ったのが正直なはじめの感想。

でも慣れというものは恐ろしいもので(笑)一日歩き回ってみればもう平気。交通ルールもへったくれも無くて良く事故が起きないなと思っていたのも、バイクとクルマ、そして歩行者の動きを良くみていると、隙間があれば入ってくるバイクも、我先に進もうとするクルマも微妙な間があって、その呼吸の兼ね合いでぶつからず(ぶつかっているのかもしれませんが)前へ進んでいるのに気が付きました。

しかし、バイクがバンバン横切っている交差点に、路線バスがクラクションを鳴らしながら突っ込んでいくと自然と通り道ができているのは不思議…。思わず目覆いましたから。

あの柔軟さというのか、何と言えばいいのか、独特の柔らかさと強さで国の独立を勝ち取ったんだろうなあと思いました。

やっぱり旅はドキドキする方が面白いですね。









お知らせ:11月5日(日)から、11月9日(木)はお休みいたします。急で申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。

お知らせのとおり明日から木曜まで、お休みをいただきます。またまた長崎へ里帰りです。二週間前にも帰ったばかりなのですが、7月から入院している母の顔を見に行ってきます。

病院へは海沿いの道路を路線バスに乗って行きます。子供の頃から大好きだった通りなのです。小さい頃には父母に連れられ、中高生のころには友達と、半島の先にある海水浴場へバスに揺られてよく通っていた道です。


海沿いには大小たくさんの工場が立ち並んで、船を作っています。私の父も船を作る仕事をしていました。


地図で長崎の地形を見ると、私は昔から見慣れているのですが、とてもユニークな地形をしていると思います。陸地と海が入り組んでいて、海はとても身近な存在です。

今は高い建物が建ってしまいましたが、私がいた頃は国鉄(当時)の長崎駅から海が見えていました。終着駅の線路が途切れたその向こうは港でした。


私の実家は海から少し離れていますが、東西南北どの方向へ行っても海に出てしまいます。言葉だけで想像すると島みたいですが、島じゃありません 笑。北へ少し行くと大きな湾に出ます。大きな湾になっていて、穏やかできれいな海は子供の頃の磯遊びには最適な海でした。いろんな生き物がいました。

こんなことを書いていたら、母が作ってくれた、とろろ昆布の握り飯の味を思い出してしまいました。海水でしょっぱくなった口に美味しかったものです。具は梅干しで、のりで巻いたシャケにぎりよりもとろろ昆布と梅が好きで…。

みなさんもそれぞれに、いろんな海の思い出があると思います。時間が経っておっさんになっても海は海で、変わらずそこにある海がやっぱり大好きです。


今日の懐メロはこれ。ハイファイセット。山本潤子さんが大好きで。

知らない若人は、検索して「赤い鳥」から聴いてみてください。

それでは、ちょっくら行ってきます。







お休み中は、ずっと海の上におりました。

台風5号が通過中。夜の晴海ふ頭から乗船。全長250メートルの大きな船です。


レインボーブリッジをくぐりぬけ出航。東京の夜景、結構好きだったりします。夜間発着の旅客機を眺めながら羽田沖から海ほたるの横を通り抜けていきます。船ならではのスピードが気持ちいいです。


浦賀水道を抜け外洋へ出ると、250メートルの大型船でもピッチングを感じます。台風の吹き戻しの風と周期が長いうねりのせいです。

周期的にやってくるフウッと身体が浮かぶような感覚の中、胃のあたりになんとなく気持ち悪さを感じつつも寝床に入るといつのまにか朝になっていました。

びっくりするくらいの天気と日差し。風とピッチングはまだ収まっていません。後方に富士山がぼんやりと見えていましたが、じきに見えなくなりました。


海はこの色。やっぱりちょっと気持ち悪いですが、気分は盛り上がります。


この日は一日ずっとクルージング。最初の目的地の佐世保へは、次の日の午後遅く到着の予定です。こういう時間の感覚、大好きです 笑。

1時間ほどジョギングとダンベルで身体を動かして、朝食を取ったあとは、居心地が良さそうな場所を見つけてのんびりタイム。本を読むか、アタマをからっぽにしてのんびりするか、さもなければ昼寝です。


私のお気に入りの場所はここ。日陰で風が抜けて涼しく、海が良く見えます。気持ちいい場所を見つけるの得意です。


朝、昼、午後、夕方。雲や雨や風で刻々と変わっていく海の表情は見ていて飽きません。


たまに船に驚いたトビウオが飛び出して、海面をなめらかに滑空していきます。


驟雨と雲の合い間からの日差しが遠くに見えると思っていると…


雲がどんどん消えていって、水平線と遠くを滑る船がくっきりと見えてきます。自分のまわりがすべて海だと、遠くに船を見つけただけでなんとなく嬉しくなります。

こんな海の表情を見ていたら、若い頃から愛読しているサマセット・モームの南洋小説の一節を思い出しました。

翌日の午後4時、佐世保港へ入港。久しぶりの佐世保。しかも海から近づいて行きます。SSKの造船所のクレーンがなんだか懐かしい。佐世保は日本の西の端の軍港の街。かつて祖父母が住んでいたので何度も遊びに来ました。


昔は佐世保駅を出るとまず目についていた駅前の教会ですが、林立するビルにすっかり埋もれてしまって景観が変ってしまっていたのは、長崎の街でも同じように起きていること。ちょっと寂しいけど、そういうことにも慣れてきました。

佐世保は夜10時すぎに出航。翌朝起きて、ゆっくり朝食をとってデッキに出てみると、朝霧に済州島がぼんやりと見えています。


長崎にいると、済州島は天気予報で出てくるので韓流以前からおなじみです。イメージよりもずっと大きな島でした。

済州島で半日遊んだ後、再び船上の人になります。戻るのは晴海ではなく横浜。到着は翌々日の昼。翌日はまたお気に入りの場所でのんびりです。





そして、さらに次の朝。デッキへ出てみると見覚えのある島影が見えています。伊豆大島。波待ちしている沖にいつも見えている島です。


ちょっと悲しかったのは、このあたりの海域にくると海のゴミが目立つようになってきたこと。世界有数の都市の近くで多くの人口が集まっていることを考えると仕方がないことかもしれませんが、ゴミは捨てない、ゴミを見かけたら拾うというのは大切なことだと思います。みんなでできればきれいになるはず。

浦賀水道を抜けると回りに船がたくさん見えます。タグボートが近づいて、船の舷側に着いたと思うと数人の人が乗り込んで、しばらくするとこんな旗が上がりました。

黄色の旗は「乗員、乗客の健康状態には問題ない」というような意味で、もうひとつの赤と白の旗は「水先案内人が乗船している」ということを表す信号旗。


ベイブリッジの下を通過。結構、すれすれ。


気が付くと、信号旗が変っています。

赤白の旗は水先案内人で同じ。真ん中の列は青と白の三角形の旗の下に続くことで、アルファベットを意味するようになると思われます。

赤と黄色は「O」、白地に青の四角は「S」で、「OS」です。OS、これは大桟橋を表していて、この船は大桟橋へ向かっていますということ。

ほどなくして、みなさんグリーンルームでおなじみの大さん橋へ着岸です。



今の時代、旗を使って周囲に信号を送るのはとてもアナログなことのように思えますが、私にはとてもドラマチックに感じられて、(千数百人いる乗客の中でおそらく)ひとりで感動していました 笑。

船はいいですね。また船で旅してみたいと思います。

やっぱり海が好きです。










ナルトトランクス、工場見学行ってきました。ナルトトランクスはその名前のとおり、四国は徳島県のうずしおで有名な鳴門市にあります。もちろん工場見学にかこつけて徳島、淡路、明石、神戸とたっぷり遊んできましたよ。

徳島へは、新宿バスタから夜行バスで。徳島駅まで、8時間のバス旅です。

夜行バスは初めて。海外への飛行機ではほぼ寝られない人なので、8時間は大変かなあと少々不安だったのですが、いつのまにか眠ってしまって気が付けば徳島へ到着していました。

夜行バス、意外と快適でした。今回は空いていたので問題ありませんでしたが、コツとしては車内への持ち込み荷物はできるだけ少なく、楽な服装でが良いみたい。

それで、到着したのは、アワ・カリフォルニア。ヤシの木がラ・シェネガみたいでしょ 笑。


すぐ横では、阿波踊り。徳島駅前です。


時間は朝の七時。早起きのうどん屋さんをみつけて朝ごはんです。

久しぶりの関西圏のうどんにテンションあがりますが、今回の最大の出会いはこのおつゆ。一見、けんちん汁のようですが、そば米汁といって、野菜や鶏肉と一緒に炊いたそばの実の雑炊です。徳島の郷土料理だということですが、これが旨いのです。

すっかり気に入ってしまって、そば米探して買い込んできました。

そして、徳島駅から鳴門行きのディーゼル列車に乗ってナルトトランクスへ。


ここで下車。右へ行くと鳴門海峡、左へいくと高松です。


駅まで、ナルトのキヨシくんが迎えにきてくれました。ナルトトランクスの工場は駅のすぐ近く。おしゃれな建物です。


さっそく工場見学。陽当たりの良い工場では、職人さんがトランクスを縫っています。暖かい日差しの下、ミシンの音が柔らかく響いているのが心地よい空間です。ここでみなさんのトランクスが縫われているのです。

履かれている方ならわかると思いますが、ナルトトランクスは細部まで細かく作りこまれています。けれども職人さんたちの手先を見ていると、とても慣れた手つきで難しさを感じさせません。リラックスした、熟練の手つきだと思いました。

色を迷っていましたが、結局ネイビーでお願いしました。60年代を真似た、かなりクラシックなデザインです。来年の夏が楽しみです。


午前中たっぷり見学させていただいた後は徳島市内観光。夜はナルトのキヨシくんに、阿波尾鶏の焼き鳥と鳴門金時の焼酎をたっぷりごちそうになって、翌日は淡路島へ。

午後から強くなった雨風が通り過ぎたあとは、素敵な景色が広がっていました。

対岸の神戸・三宮から大阪、岸和田まで見渡す絶景です。

淡路島は鳴門大橋、明石大橋と道路でつながっているので、いまひとつ島という感じがしないのですが、船で明石まで行ってみるとやっぱり島です。南風の吹き戻しで強くなった冷たい北風で荒れた海面からのしぶきを浴びながら対岸へ向かいます(そんな日にわざわざデッキに出ているのは、私たちと子供だけ 笑)

明石大橋がきれいです。

楽しみにしていた、明石の魚の棚(うおんたな)。

昼網と呼ばれる、昼近くにセリ落とされた活きのいいサカナが並ぶ商店街は、子供のころの長崎の市場と同じ雰囲気です。

サカナの活きがいいとこは人間の活きもいいのです。鯛が飛び跳ねてました 笑。


干しダコに煮ダコに煮貝を買って、店先に並んでいる旨そうな刺身がどうしても食べたくなったのでお作りにしてもらい、市場内の立ち飲み屋に鯛とアワビの刺身を持ち込ませてもらって、至福の一杯の昼飯です。本物の鯛、久しぶりに食べさせていただきました(ちなみに、鯛半身とアワビ1個で税込み(笑)2.100円也)


明石の鯛とタコをたっぷり堪能し、夕刻の三宮を散策して、新幹線で自宅へ帰ってきました。

ここでは書ききれない、たっぷり濃密な三日間でした。ナルトトランクスのことも改めてまた書かせてもらおうと思っております。

徳島で聴いたこの曲、徳島を歌った歌ですがふるさとを持つ人みんなの心に響いてくるように思いました。きっとそういう土地なんでしょうね、徳島は。


徳島、淡路、明石、神戸、ぜひまた時間を作って行ってみたいと思います。






お休みいただいて、島へ行ってきました。「島」というと、南の島を思い浮かべるかもしれません。

行ったのは日本海に浮かぶ、新潟県の佐渡島。佐渡行きのジェットフォイル乗り場で買ったキャンバストート。おしゃれでしょ。


ジェットフォイル(ハイドロフォイル)はすごいです。船窓からみていると、結構な大きさのうねりがある、風でガタガタの海面をさほどの揺れもなく、時速80キロを越えてスムースに走っていきます。ハイドロフォイルをサーフィンに応用した、スタンレー・プレスクナス(レアード・ハミルトンがやってるやつです)は天才ですね。

フェリーなら二時間半かかるらしいですが、1時間もかからずに、佐渡が近づいてきます。あっと言う間です。


黒い光沢がある能登瓦の屋根が並ぶ家並みは、イメージどおりの北国の海辺の街の雰囲気です。美味しいお米がとれる広い田んぼと板張りの家、そして海。南島とは違う景色を見たくて、やってきました。


江戸から平成まで続いていた金山の遺構、明治以前の姿を残す北前船の街、紅葉が見事な山、美味しい魚とお米。

日本の伝統色にもあるトキ色(検索してみて)の羽をひろげて飛ぶ、野生のトキを見たときには本当に感動しました。美しいと思いました。伝統色になるくらい、昔は普通にいた鳥だったんです。

観光しながら回った、280キロあるという海岸線は美しく、波乗りできそうなところもたくさんありました。

外海府と呼ばれる北側の海岸はリアス式海岸で、切り立った地形の岩場です。西~北西の風が強く吹いていて、そちらの方角に向いた海岸にはうねりになった波が打ち寄せていました。


夏の穏やかなときは、さぞきれいでしょうね。


レフトのポイントかな。決まったときには長く乗れそうです。


漁村のテトラの横のレフト。いったん崩れてリフォームした波が、テトラのインサイドでこんどはレギュラーにブレイクしていました。


雄大なロケーションにブレイクするレギュラーの波。こんなところで波乗りしてみたい。


波乗りで行ったわけではないのですが、どうしてもこういうのが気になってしまいます。機会があればやってみたいですが、新潟からも時間かかるし、いい波を当てるのはかなり難しそうです。よほど運がいいか、地元ならではの波だと思います。

サカナは普通に美味しかったです。何気なく頼んだ刺身定食が旨いこと。

長崎で育ったので美味しいサカナの味は知っているつもりですが、これは美味しい。やっぱり島は違います。佐渡産のコシヒカリも、これまた美味しいのです。

お米も魚も美味しいのですが、これは美味しいと感動したのがこれです。


おけさ柿です。地味ですが、柿です。これがとにかく美味しくて、重たいのを頑張ってたくさん担いで帰ってきました。

佐渡、夏の穏やかな海はさぞきれいなんでしょうね。冬の雪景色も見てみたいですが、雪慣れしていない私には危ないか…。

海外もいいですが、自分が住んでいる日本も素晴らしいのです。国内を旅するといつもそう思います。

また行きたいな~。

いいお休みでした。今日からいつもどおりに営業しております。





飛行機を降りるとそこは南国だった。雨で肌寒い東京から履いてきたデニムのパンツは重く、少し歩くだけで汗が吹きだしてくる。空港と対岸をつなぐ橋から見える海と空と雲はまだ真夏のコントラストであった。



というわけで行ってきました、長崎へ。

ここが自分にとっての故郷か?と自らに問うてみますが、だんだんとその意識は薄らいできているように思います。長崎を離れてからもう30年以上経ちます。

移り住んだものにとって、離れてしまった土地はその時で時間が止まっているのです。そして、たまに戻って来てはその変化に驚き、自分がそこにいた時代を懐かしむことしかできません。よく知っているだけに時間に取り残されてしまうことになります。

それでも、長崎名物の坂と階段を登り、高いところから見下ろすと細部はぼやけ、自分が知っている長崎の景色へと時間が戻ったような気がして、少しだけほっとするのです。

階段を登りつめた先にあった青い街区表示板。昔と変わらない町名とそこから見える景色に、ふと昔の残り香のようなものを感じて振り返ります。


坂本龍馬の亀山社中も高台にありましたが、ここも街区表示板と一緒だと、どことなく懐かしい雰囲気。町名と同じ名前の小学校へ小3まで通っていました。


その小3まで住んでいた場所は、ものの見事に様変わり。昔は酒屋さん。今はきれいさっぱり建て替わって、7-11です。脇を流れる川と橋の欄干は昔のままです。


私の母は通りの左側、軽トラの上にあるオレンジ色の看板の先の建物で洋品店を営んでいました。

市場通りに昔の賑わいはありません。お好み焼屋、包装紙屋、貸衣装屋、うどん屋、書店、八百屋に魚屋、個人商店が元気だったころの残り香はほとんどありません。

この商店街の中心に立つデパートは、今年の8月いっぱいで営業をやめてしまったようです。今年はそういう出来事が多く、そのたびに自分の中で火がひとつずつ消えていくような気がしていました。


時間の流れが残酷なものだと感じるようになったのは、それだけの年月を生きてきた証拠かもしれません。

かろうじて営業しているデパートの1階にある市場。市場に漂っている匂いは昔と変わりません。揚げカマボコの油の匂い、うどん屋のつゆの匂い、焼き鳥屋(昔は鰻屋)のタレが焼ける匂い。そんなのが交じり合い、ほんの一瞬だけ市場で遊んでいた子供のころに戻ったような気がしました。匂いの記憶です。


もう少しだけ、街区表示板にお付き合いください。

お寺さんがたくさん集まっているので、寺町。小学校低学年の頃はこの石段を走り回って遊んでいました。


昔は味噌や醤油作りなどに使う麹を作っていたんでしょうね。


どれも長崎に住んでいた私にとっては、なじみ深い町名です。町名を聞くと細部ははっきりとはしないままにも、その場所のイメージがおぼろげに意識の中に浮かんできます。

最後は実家の近く。

中学へ通っていた通学路の、川沿いの細い道。昔と何も変わりません。長崎で街に金木犀の香りが漂うのはちょうど今の季節で、東京よりもひと月遅れ。

文化祭の準備で遅い時間まで学校に残り、すっかり暗くなった道をその日がんばった充実感を余韻に、友達と一緒に帰る道すがらに漂っていたのが金木犀でした。いまでも金木犀の香りをかぐと、あのころの記憶が蘇ってきます。

これだけはいまだ東京の方に違和感を感じる、季節の香りの記憶です。


私はここのちゃんぽんが好きです。味はさっぱりめ。ちゃんぽん麺の唐灰汁の匂いもやっぱり長崎です。


あいまいなもの、あざやかなもの、記憶というものは自分のこころの中から漂ってくる香りのようなものなのかもしれません。

また長崎行きます。




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