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MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
52
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば50歳を越えてしまいましたが、浮力を頼りにしながらもカラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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最近読んだ二冊の本。

ひとつは最近何かと話題にのぼることが多い元東京都知事が著した「太陽の季節」、もうひとつは大正、昭和の小説家で太宰治の師匠ということでも知られる井伏鱒二の「駅前旅館」

「太陽の季節」はいわゆる「時代に逆らう」若者の無軌道な暴力や性を描いた、(出版当時に)新しいというよりはどちらかというと異質な感が強い挑戦的な作品であり、もう一方の「駅前旅館」は、前述の「無軌道な若者」とは正反対で、酸いも甘いもかみ分けた旅館の番頭さんたちが繰り広げる、ちょっと可笑しく哀しい人間模様を描いた小説です。

何気なく読んだ二冊の本ですが、読み終わって面白いことに気が付きました。

それはこの二冊が出版された年代と、そのときの著者の年齢です。「太陽の季節」は昭和30年(1955)で著者の石原慎太郎氏はかぞえで23歳、そして「駅前旅館」は昭和32年(1957)、井伏鱒二氏は59歳。36年ほども歳のはなれた二人の作家が、ほぼ同時代に書いた小説です。

二作品とも出版の翌年に映画化もされているところも共通しています。どちらも当時ウケた物語だったということだと思います。

そして、これら二作品の出版から約60年後の2017年に、今年で53歳になる私が読んだわけです。無軌道な若者も、旅館の番頭さんも、どちらもすでに60年も昔のことです 笑。

読んで面白かったのは「駅前旅館」でした。「太陽の季節」は正直なところ、途中で読むのが面倒くさくなりながら最後まで読みました。

番頭さんたちは、会話にも行動にも含みがあって面白く、想像が膨らみますが、若者の方は会話や行動が、衝動的でストレートすぎて面白みがありません。過激だけど退屈なんです。

逆の見方をすれば、それだけはっきりと印象が分かれるのは、どちらも優れた作品だからだと思います。そして、読む年齢が違っていれば感じ方も変わっていたでしょう。

10~20代の頃に読んでいれば、「太陽の季節」の方への共感が強かったはずです。おそらく「駅前旅館」の面白さは分からなかったのではないかと思います。

これもひとつのジェネレーションギャップというやつだと思いますが、自分自身の中でギャップが生まれているのが何やら面白いところです。

もちろん「駅前旅館」も文中には、当時の着物や街中の風俗など自分が知らない時代のものもたくさん出てきます。それでも登場してくる人たちの気持ちの動きや情景を思い浮かべながら面白く読むことができるのは、この本を書いたときの作者の年代の方が、今の自分の年齢に近いからじゃないかと思います。

「太陽の季節」を読んでいると、そういえば、若い頃は自分の行動にいちいち理屈をつけていたこともあったと思い出しました。若いということはいろいろ面倒くさいことだなあと改めて気が付きました。

そんなことを感じるのは、そうやって少しずつ年齢を重ねている証拠です。自分が生まれる前のカルチャーに対しても、ジェネレーションギャップ的なものを感じるのはいつの時代でもそれぞれの世代に普遍的な変わらないものが存在しているからだと思います。

いつの時代も若いこと、歳を取るということは同じこと。同じ道をたどってくるものなのでしょうね。


AXXE CLASSICに引き続き、AIDENTIFYのカタログも出来上がりました。今週末に到着予定です。



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今日は本のお話し。たまにですが、そういうカテゴリーもあるのです(左下カテゴリー欄をご参照)いま読んでいるのはこの2冊。2~3冊を同時に読むというのは、普通にやっています。


一冊は「一外交官のみた明治維新 上下」。幕末から明治維新にかけての歴史小説にたびたび登場してくる、イギリス外交官のアーネスト・サトウの日本滞在中の回想録です。日本の言葉と文化を良く理解している彼が書く当時の日本のようすは、リアリティがあって物語としてもとても面白い一冊です。幕末史が好きな人はぜひ読んでみてください。

今日書きたいのはもう一冊のほう。ドイツのエーリヒ・ケストナーという児童文学者が書いた「点子ちゃんとアントン」という題名の子供向けの小説。

文章は分かりやすく子供向けに書かれているのですが、大人も素直な気持ちになって読んでみてほしい内容です。

舞台は第二次大戦前のベルリン。裕福な家の娘の点子ちゃんと貧しいけれど懸命に生きている男の子、アントンとの友情のお話し。ちょっとした事件を通して子供たちが大人を変えていく、というようなお話です。

全部で16の章で構成されていて、それぞれの章が終わったあとに「たちどまって考えたこと」として、その章の反省のようなものが書かれています。

そのうちのある一節。アントンは点子ちゃんにイジワルをする門番の男の子を、パンチ二発でやっつけてしまいます。ケストナーはその章の終わりの「たちどまって考えたこと」にこう書いています。

アントンは自分よりも身体が大きな男の子にパンチを二発くらわした。勇気のあるところを見せた、と考える人もいるかもしれない。でもこれは勇気ではない。蛮勇だ。このふたつはひと文字ちがうだけでなく、別の物だ。

勇気は冷静であってこそ持てる。無鉄砲でもなく、頭に血がのぼっていてもだめだ。勇気はげんこつだけでは証明されない。


もうひとつ、最終章で物語の最後に「ハッピーエンドについて」としてこう書いています。ちょっと長いですが、文意でまとめてみます。

この本の登場人物がみんな、それぞれにあっている場所に落ち着いたということで、じっさいの人生でも同じように、ものごとはこうあるべきだというふうに運び、こうあるべきだというふうに終わると思ったかもしれない。

でもいまはそうはなっていない。正しいことが正しく評価されないことだってあるのだ。だからみんなが大きくなったとき、世界がましになっているようにがんばってほしい。ぼくたちは充分にうまくいかなかった。

みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい。

この地上はかつては天国だったこともあるそうだ。なんでもできないことはないんだ。この地上はもう一度、天国になれるはずだ。できないことなんて、ないんだ。



どちらもただの訓話のように聞こえますが、本が書かれた時代を考えてみると、もっと重大なことを言おうとしていることが見えてきます。

この小説が出版されたのは、1931年です。その前の年の選挙では、ナチ党がたくさんの議員を議会に送りこんで第二党の位置を獲得しています。

ベルリンに住むこの子供たちとその親たちは、その後どうなってしまったのか?点子ちゃんとアントンがもしユダヤ人だったら…と歴史の歩みを考えると、そういう時代を作り出してしまった自分たち大人を痛烈に批判しているようにも聞こえてきます。

訳者のあとがきには、ケストナーは地味で時間がかかる方法ではあるが、やがて大人になる子供たちに、正しい判断で正しい世の中を作ることできる、そんな大人になって欲しいとの思いをこの物語で伝えたかったのではないか、と書かれています。


子供のために書かれた、子供のための小説ですが、大人も一緒に読んで、一緒に考えることで素晴らしい未来が訪れることをケストナーは期待したのではないかと思います。

二度映画化もされているようなので、そちらも見てみたいです。







今日は本のお話し。波乗りは全くでてきませんので、興味ない方は閉じるボタンをぽちっとするか、左の検索窓で気になるキーワードを入れて過去記事でも読んでください。

こんな本を読みました。坪内祐三の「靖国」です。


靖国というと、A級戦犯合祀の問題や毎年夏になるとニュースに登場する政治家の参拝など、ちょっと引いてしまう人もいると思います。でもこの本は、そういうイデオロギー的な話ではありません。

明治初頭に大村益次郎が靖国神社の前進である、招魂社を作ってから明治、大正、昭和初期、戦中、戦後から現代へと、靖国神社に対して国民が持っていたイメージと周囲の環境の変遷などを、当時の文献や靖国が登場する文学作品などを通して分析した本です。

そもそも靖国神社は、明治維新で「官軍として」戦って命を落とした人を祀る目的で作られました。その後は、西南の役や日清・日露戦争ということになる訳ですが、その時代の靖国はどちらかというと、市民の娯楽や憩いの場という雰囲気が強かったのです。

神社の境内で競馬やサーカスが行われたり(昔、国語の教科書で読んだ安岡章太郎の「サーカスの馬」は靖国神社の境内での出来事を描いたものです)観行場という見世物小屋や商店が集まった、今でいえばデパートやショッピングモールに遊園地を足したような施設があって、九段坂界隈は一日遊べる場所だったのです。

靖国に遊就館という建物がありますが、最初に建てられた建物をデザインしたのはイタリア人の建築家で、レンガ作りの洋館でした。ハイカラです。

また、そんな「靖国という場」を舞台にした小説、二葉亭四迷らの作品の描写を通し、その時代の靖国に漂う空気感を探ったりもしています。

戦後にやはり神社の境内で行われた奉納プロレスや、占領下で考えられた靖国の娯楽場化計画などを通して、最後にはディズニーランドを持ち出してきて締めくくっています。

靖国というと厳粛で古式蒼然とした日本精神のようなものを想像してしまいますが、今とは違った場であった時代も長くあったということです。

けれども、将来の日本を思って亡くなったたくさんの人が祀られている場であるのは事実だと思います。少々斜めから見て、書かれているようにも思えてしまう内容ですが、軍国主義に利用されていたことに対する痛烈な批判と皮肉であるとも読み取れます。

作者は明治時代の研究で著名な方であるので、靖国神社を通してみた明治、大正、昭和の東京の雰囲気を著した書物と考えた方がいいのかもしれません。昔の東京に興味がある方は読んでみてください。

私はこの本を読んでいて、明治から昭和初期にかけての洋画や浮世絵を見に行きたくなりました。


さて、前線が抜けるので明日はすこーしだけ期待していたのですが、それほど影響は無さそう…明日もどうやら厳しそうな気配です。

明日もランニングと体幹です。

減量作戦は継続中。スタートして約7週間が経過しましたが、現在体重はマイナス4㎏、ウェスト82センチ→77センチ。

バードウェルのショーツ、30インチ(28サイズ)が普通に履けるようになりました(以前は32インチ)。ウェスト82センチ時代に作ったウェットは、腹回りが緩くなりました。使用には問題ありませんが…。

もう、このくらいでいいかな~。そろそろ糖質ゼロじゃないビール飲みたいです。





太宰治。中学生のときは、いまひとつ分からず、20代になってもういちど読んでみたら、今度は全く受け付けることができず、嫌いな作家でした。

50を過ぎて、どれ、もう一度試してみようかと手にとってみたら、以前の嫌な感じは薄れて(残ってますが)結構面白い。

「人間失格」、「斜陽」と読んでみて、最初から時代を追って読んで見ることにしました。

26歳で第一回芥川賞を次席で逃した「逆行」が入っている最初の短編集がこの「晩年」。処女短編集の題名が「晩年」というくらいですから、ふざけたものです。最初から希望も何もあったものじゃありません。


麻薬中毒、自殺未遂を繰り返しながら(私がいつも遊ばせてもらっている七里が浜でも未遂)滅びの中に自らの文学を昇華させていった移り変わりが作品から読み取れるでしょうか。純粋で豊かな感性を持っている若者は、歳を重ねて、ある種の免疫ができるまで読まない方がいいかもしれません。

さて、活さんのシェイプの本格始動は来週からのようで、定休日はひさしぶりにゆっくりできました。

午前中は、10キロちょっとのゆっくりランニング。ふくらはぎのヒラメはすっかり復活したようで、年明けからベアフット再開しています。ムリしないように取り混ぜていくことにします。

走ったあとは体幹をしっかりとやります。これらをやっておけば海から少しのあいだ遠ざかってもすぐに復活できます。

しかし、年末からタイミングが合わない…。

それで昼飯は歳越しそばの残りで年明けそばと洒落込んでみました。とりせいろです。


夜は恒例、七草粥。今年は玄米粥にしてみました。カレイの煮付けと佃煮がおかずです。


サーフショップより食べ物屋の方が向いてたりして…笑。

ああ、腹が減った(現在、午後6時半)

それではまた明日。




昨日のブログは一言抜けていました。ボンザーのニーボードは「動きはトライフィンのニーボードよりも鈍くなるかもしれませんが、大事なところはそこじゃない」と言いたかったのですが、肝心な書き忘れていた部分を付け加えました。

さて、今こんな本を読んでいます。著者はアイビーボーイのイラストで有名な穂積和夫さんのお姉さまです。

関東大震災から太平洋戦争に入る前までの時代、昭和初期の東京下町の暮らしをつづったお話です。震災、戦争、前後のことを考えると大変な時代ではあるのですが、この当時の人々の暮らしぶりは今よりも経済的、物質的なものを超えて人間的な豊かさを感じます。

人の暮らしの基本は、衣食住です。それに仕事、遊び、趣味などが加わって生活に彩りが生まれてきます。

使うものは今よりも人の手によって作られたことが強く感じられたと思います。プラスチック製品はありません。食品には化学添加物は使われていません。流通手段は未発達で冷蔵輸送なんかありませんから、ほぼ地産地消です。

着るものは古くなれば仕立て直して再利用する知恵があったと思います。建物の建材も同様です。鉄道はありますが、人の移動の基本は自分の足です。

人の力で制御できる範囲の文明の中で、今よりもずっと地に足が着いた生活をしていたように思えてなりません。今様に言うならエコな暮らしかもです。

インターネットは便利ですが、人の処理能力を超えた情報をもたらします。情報の内容は玉石混交。選んでいると寝る時間がどんどん無くなります。

移動も便利で速い。でも、もうこれ以上は必要無いと思います。地下のトンネルを時速500キロで走る超伝導リニアは想像しただけでぞっとします。

食べ物は添加物だらけ。

今の世、便利でモノはあふれていますが豊かさは感じません。無いものねだりで良くみえてしまうのかもしれません。どの時代もそこで生きていくのが大変なのは同じですが…やっぱり古き良き時代だったと思います。

それだけに、その後の戦争のことを考えると複雑なものがあります。





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