MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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午後二時半。店の中に日差しが一番入ってくる時間です。外気温は34℃。のれんとよしずみたいなもので日差しをさえぎって、エアコンの設定温度は28℃。十分快適です。

一人で店にいるだけなら入り口の扉を開けて、網戸を貼り付けた反対側の窓を開けておけばエアコンは使わなくても平気なのですが、お客さんが来ると汗だくになってしまって申し訳無い。だからエアコンは使っています。(これを書いている午後5時半、エアコンは送風、ドアと窓を開けて快適です。)

昔はエアコンはありませんでした。自分の記憶で言えることなので、そんなに大昔のことではありません。エアコンが無くても、窓を開け風通しを良くした家の中にはとても涼しくて気持ちが良い場所がありました。

風呂上りにはそんな場所に座って、夕涼みしたものです。扇風機かうちわがあれば十分でした。

深い軒やヨシズやすだれを使い日差しをさえぎって、風を通し、風鈴やガラスの金魚蜂など視覚、聴覚的に涼しさを感じさせるものを置き、日が傾いてくれば水を撒いて温度を下げる。昔からさまざまな暮らしの知恵を使って、暑い夏を乗り切ってきたのです。

けれども都会ではそんな暮らし方は難しいのが現実です。都会はコンクリートの塊で太陽の熱をたっぷりと蓄えて夜になってもなかなか気温は下がらず暑いままで、涼しい夕方の風なんてどこからも吹いてきません。夕涼みなんてやろうものなら吹いてくるのは隣の家のエアコンの熱い風かもしれません。

だから仕方がなく窓を閉めて電気を使ってエアコンで温度を下げる。夜でも明るく、いつでも買い物ができて、電車も夜遅くまで動いている。便利でわがままな都会で使う電気を作るために、都会から離れた場所に原子力発電所がたくさん作られました。

その原子力発電所が地震と津波で爆発して使えなくなってしまったので、今年は節電の夏です。

原発の事故当時には、暑くなったら冷房を使わないわけにはいかないし、世の中大変なことになるぞと私同様、皆さんも多いに心配したに違いありません。でもすでに気温が35℃を越す猛暑日もありましたが、計画停電もいまのところ無いしなんとかなっています。電力をたくさん使う企業の努力と一人一人が協力して乗り切ろうという気持ちの成果だと思います。

このまま夏を乗り切ることができれば、現在多くが停止した状態にある原発は無くてもいいという証明にもなると思います。そうしたら段階的に原子力エネルギーから自然エネルギーに変えていくというのではなく、現在止まっている原発はそのまま廃炉にして、今の原子力以外の発電方法を維持した状態で、自然エネルギー利用の電力を増やしていくというやり方が理想的だと思います。

日本は間接民主主義の国だから、原発の是非を問う国民の直接投票は合わないと言った政治家がいましたが、この夏を皆で力を合わせて停電させることなく乗り切ることができれば、それは原発は無くてもOKという理論形成になりますし、国民の意思表示にもなり得るのではないかと思います。(いままでのエネルギーを使い放題の暮らしを見直す機会にも…)

震災以来、愛読している大学教授のブログです。データを挙げて原発は無くても大丈夫ということを書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/5d6a77320c641c30b6ed32cf97bde105

梅雨明けです。頑張って夏を乗り切りましょう。
7月9日に放送予定のNHKスペシャル「”フクシマ後”の世界~私たちは原発とどう向き合うのか~」という番組のために、「あなたは、今後、原発をどうすべきだと思いますか?」というアンケートを行っています。

1.増やすべきだ
2.現状を維持すべきだ
3.減らすべきだ
4.すべて廃止すべきだ
5.その他

という選択肢から自分の考えに近いものを選んで答える方式です。

ひとりの意見としては小さいけれど、みんなで答えれば大きな力です。

アンケートはこちらから(NHKホームページ)


さて久々の密かな人気シリーズ「今日の弁当」です。たまにうどんも食いますが基本的には弁当続けております。

今日は鶏肉と野菜の焼いたのに玄米ごはん。シンプルです。

レストラン風に言うと、

鶏セセリの塩焼きと夏野菜のスパイシーマリネグリル 特別栽培米の玄米ご飯弁当 こんな感じ? 笑。

ごちそうさまでした。
「In Japan, a Culture That Promotes Nuclear Dependency」これはニューヨーク・タイムズに出ていた日本の原発をめぐる社会環境について書かれた記事のタイトルです。

これを日本語訳してくれている人がいて、それを読んで私は背筋が寒くなりました。
和訳「原発依存症を推進してしまう日本の文化」

この記事に書かれているような原発から抜け出せなくなる構造が法律によって作られていることは全く知りませんでした。

「電源三法」について書かれた記事ですが、こういう記事は日本のマスコミからはあまり出てこないように思います(それとも私が知らなかっただけか)

原発事故には皆が大きな関心を寄せていると思います。自分たちの生活や健康に直接関わってくることだからです。でも、最近の政治の動きを見ていると原発や震災のことさえも政争の具に使われているようで、政治が現実の問題や国民生活からどんどん乖離していくように思われて、ここ最近はなにか強い違和感のようなものを感じはじめていました。

政治が混乱して、私たち国民にはきわめて方向性が見えにくい状況です。そんな中で脱原発へと舳先を向けるにはまず、この国がどうやって原子力政策を進めてきたのかを知らねばならないと思います。

デモやネット上で原発反対の声を上げるのも大切だと思います。でもそんな動きををより効果的にするのは「私たちは知っている」とアピールすることだと思います。

この記事に書かれている「電源三法」が無くなれば少なくとも原発を受け入れる地方自治体は無くなるはずです。

原発は事故を起こさなくても私たちの国を蝕んでいくものだと考えるようになりました(記事を読めばこの意味は分かると思います)

私たちは知っているんだぞ!とアピールすることは脱原発への大きな影響力になると思います。
先日自分よりも年下の人と話をしていたら、過去の核実験のことをあまり知らないと言っていました。もし知らない人がおられたらこれを見てみてください。人類が(というよりはある特定の国が)どれだけ地球上で核爆発を起こしてきたのかよく分かります。

でも改めて驚きました。私が生まれた1964年までにすでに600個以上の核爆弾が爆発しています。1つの光が意味していることを考えながら見ていると途中で「もうやめてくれ」と叫びたくなります。狂気の沙汰とはこんなことを言うのでしょう。


昨日、浜岡原発が止まりました。

世の中はこれからやってくる暑い夏にむけて節電ムードが高まっています。

工場で物を作るのに使う電気。オフィスや家庭の温度を下げる空調に使う電気。それらが制限されてしまうのですから大変です。仕事や暮らしに欠かすことができない電気。そしてその電気は原発に依存していたところが大きかったということが自身の身をもって実感していると思います。

福島原発の避難区域内に住んでいる人たちがようやく一時的に帰宅することができました。けれどもそれはほんの短い時間で人数も限られ、白い防護服を着なくてはいけませんでした。

自分がその立場だったらどう思いますか?立ち入ることを許されず、二ヶ月も放置された自分の家。そこへ全身を防護服に包み戻っていくのです。

こんなこと、あっていいはずありません。

福島原発の電気を使っていたのは東京電力管内の関東圏です。おかげで暑い夏も寒い冬も快適で、24時間便利な生活ができていました。でもそれは原発がある福島の人たち生活の上に成り立っていたことだと思います。

電気が無ければ暑い夏はつらい、物を作ることができず産業も経済も滞ります。電力は確かに必要です。でも他の人になにか犠牲をしいることで成り立っている幸せは間違っていると思うし、そんな幸せを私は欲しくありません。

風力や太陽光、地熱での発電に頼ることに懐疑的な意見もたくさんあります。日本人は真面目ですから、風次第、お日さま次第という不安定なものに頼ることには不安を感じるのだと思います。でも原発の電力に頼るのはもうごめんです。

原発の時代はもう終わりにしましょう。みんなの力で、みんなの幸せのために。


近所の麦畑の前を通りかかると麦の穂が空にむかってすっきりと伸びていました。

もうすぐ収穫の時期です。金色に熟して風になびく麦畑は本当に美しいです。

麦畑の直ぐ横で小麦粉を売っていたのでひとつ買いました。農家の人に「毎年、麦畑が金色になるの楽しみに見てるんです。きれいですよねー」と言うと嬉しそうに笑ってくれました。

今晩はこれでうどんを打ってみようと思ってます。
昨夜の風雨になにもかも洗われて気持ちがいい朝。低気圧が抜けたので波が上がっています。海の写真を毎日アップロードしてくれるサイトを見ていましたが、胸くらいの波できれいにカットバックしている人がうらやましい。あの動きはまだちょっと無理。

外はいい天気です。ここのところ毎週末は女房と一緒にウォーキングが我が家のブームです。自宅は私鉄の本線から支線に乗り換えて10分ほどのところにありますが、本線の駅まで歩いて気持ちが良いルートをたくさん開拓しました。

先週とはまた違うルートを歩きます。

ここは家の直ぐ近く。雪景色の写真もよく登場するところ。手前の湿地のようなところには夏になるとホタルがいます。古い航空写真を見てみると湿地のところは昔田んぼだったようです。

水が豊かなところで小さな小さな水力発電所があります。12メートルの落差を利用して、1300世帯分の電力を発電しています。これのおかげで我が家は計画停電のエリアになっていなかったのか?こんな小さな発電所をあちこちに作るのもいいのかもしれませんね。(ちなみに最寄駅は風力と太陽光で発電した電気を使っています)

気温も湿度も低めで外を歩くには一番いい季節。木陰が快適です。


手入れのいきとどいた竹林がありました。


竹林といえば今の季節タケノコがあちらこちらから顔を出しています。これは伸びすぎ。


わかりにくいかもしれませんが、いちめんにタンポポが咲いています。


60年代後半、70年代、80年代の航空写真を手に入れて家の回りの移り変わりを見てみると、ほんの20年前の我が家の回りは林と畑と田んぼばかりです。自宅が建っているところは森に囲まれた畑でした。

宅地開発で緑は減ってしまいましたが、それでもつかのまでも自分がどこにいるのか忘れてしまうほど緑が残っているのをありがたく思います。



半農、半サーフショップの暮らしも夢じゃないかも?と思わせてくれたウォーキングでした。
原子力発電が電力の総発電量に占めていた割合は2009年度で全体の約30パーセント。この原発分の発電量を差し引いた残りの電力量は、1985年度のピーク時の消費電力量を少しだけ上回っているそうです。つまり1985年当時の生活をすれば電力は足りるということです。

ちょっと思い出してみましょう。1985年、私は21歳。大学生でした。目黒区碑文谷で一人暮らしのアパートにはクーラーのみのエアコンがついていました。エアコンは普及していましたが、電車にはまだそれほどついていなかったと思います。夏は扇風機でたまに冷房がついた車両に乗るとラッキーという感じでした。自動改札は少なくて、駅員さんがハサミをカチャカチャと言わせながら凄い勢いで改札していました。ゲームはファミコンでスーパーマリオ。音楽メディアはカセットテープとレコードからCDへとちょうど移行している時期でした。持ち歩く音楽はウォークマン。充電式ではなく乾電池を使っていました。

ライトアップなどという考えはなくて、夜はそれなりに暗かったと思います。渋谷の交差点にあるような大画面のスクリーンは新宿のアルタくらいだったかな?デパートの営業時間は夕方の5時か6時まで。コンビニはまだまだ少なくて、夜中にいなり寿司が食べたくなるケイコさんがおしゃれだったりしたのです。
当時なかったものをざっと考えると、携帯電話、PC、デジカメ、オール電化住宅、交通機関の空調、駅のエスカレーターやエレベーター、街中の明かり、ありすぎるくらいにあるコンビニ。その他の商店の数は比較にならないくらい増えているし、営業時間も長時間になっています。小家族化がすすんで世帯数が増えているのも電力消費のベースアップに貢献しています。

電気製品の省電力化は昔よりも比べ物にならないくらいすすんでいるはずなので、1985年と同じ電力量でできることは違ってくると思いますが、それにしても現在身の回りで電気を使うモノ、使わなければ動かないものがなんと多いことか。それらが無かった1985年の暮らしが不便だったかというと全くそんな記憶はありません。経済活動の面で見れば、世の中はむしろ今よりもずっと元気だったと思います(バブル初期だったこともありますが…)

でもきっと1985年の暮らしはもう出来ない。一度味わってしまった便利さは捨てることができないのが人間の欲というものです。原発は嫌だけど、不便になるのも嫌なのです。(進歩の原動力もまた欲か)

地震と津波は天災ですが、原発事故は人災です(地震がすべて悪いと言う呆れた政治家もいますが…こういうときにこそ誰が何を言ったかちゃんと覚えておきましょう)人災はその言葉どおり、人間が原因で引き起こされた災いのことです。その「人間」はイコール「自分」だと私は考えます。自分が変わらなければ何も変わらない。

不便になるのは確かに嫌なことですが、それが自分の大切な人を守るためならそんなに嫌なことじゃないと思うのです。



私自身はそんなに好きというわけではありませんでしたが、小中高と仲が良かった友達が好きだったので、なんとなく聞いていた浜田省吾さん。今改めてこの曲を聴いてみてはじめて曲の歌詞が理解できました。



人を変える一番大きな力は「知ること」です。

波はあるけど股関節の痛みがまだあるので波乗りはもう少しだけ我慢、あせる必要はないと自分に言い聞かせつつ、今日も軽いジョグ。4キロくらいの距離を歩くより少しだけ早いくらいのスピードで(ほとんど足踏み)ジョギングしてきました。

裏山の桜広場は、ソメイヨシノが終わって次のサクラが満開(上の写真。種類は不明です)いろんな種類のサクラが順番にさいて長い間楽しませてくれます。木の下にはノビルがたくさんあるのもうれしい季節。

この時期、山には本当にたくさんの色があります。芽を出したばかりの若葉の緑、若葉の萌黄色、いろいろな緑が太陽の光に透明に輝いています。山の木々の間に咲くサクラの花の色は周囲の緑の中でひときわ際立っているものですが、花が終わったあとのサクラもまた鮮やかな紅色の新芽を出して木々の間に彩りを添えています。


太陽があるあいだには自然の光と色、季節の風を感じ、太陽の光がなくなれば窓の外の闇と部屋の明かりが作り出す陰影を楽しむ。明るすぎる照明は本来あるべき影の形も消してしまいます。節電もそんな感じで季節と一緒に楽しんでみるのもいいものです。

原子力発電所の事故は私たちにたくさんのことを考えさせています。

電力に依存して消費することばかり考えていた私たちの生活。子供たちの世代へと受け渡していく社会を支えるエネルギーは、本当に原発でいいのだろうか?他の発電方法の技術を掘り下げることもせずに目先の利益だけを見て原発を選択することは本当に正しいのだろうか?そして原発で発生する放射性廃棄物を未来の世代に残してしまうことの責任は誰が負うのだろうか?

みんなで真剣に考えるべきときだと思います。

原発は安全。そう信じて(信じさせられて)いたのかもしれませんが、原発が壊れてしまった今、その被害はとてつもなく大きいものとして現在も続いています。直したくても近づきすぎると病気になって死んでしまいます。見えない放射線は人の身体を突き抜け、身体の中の大切な遺伝子情報を狂わせます。

本当は安全なものではなかったのです。

原発の近くから逃げて来た人たちが差別的な扱いを受けたり、福島県の被災地の瓦礫は放射能が付いているから自分たちのところへ持ってくるなと文句を言う人がたくさんいる事実(どれも「無知」と「偏見」が生み出していること。今まで自分たちはその原発の恩恵を受けていたというのに)原発は人の身体だけではなくて、心までおかしくしてしまいます。

たくさんの食べ物も私たちから奪いました。放射能が降った畑の土はどうなるの?汚された海はどうなってしまうのですか?そんなこと、偉い先生たちにだって確かなことはわからないと思います。

原発の電気を使っていたのは東京で暮らす私たちです。そのために美しい故郷の土地を離れなければいけないたくさんの人たちがいます。

どんなに気をつけていても事故は起こります。どんなに準備をしていても、起こりうるすべてのことを予想することはできません。その原因が1000年に一度の大津波だったとしても原発の事故は起こってはいけないことです。被害は広範囲に広がり、時間的には長期に及ぶ大きなものです。

原発の電力が無くなって世の中はとても混乱しています。今まで電気に頼っていた社会が、その頼っていた電気の量が突然減ってしまったためにどうしていいのかと困惑している状況です。

文明を維持、発展させていくには電力エネルギーは不可欠です。

今の状況においてもなお原発は必要だと容認する意見が多数派です。けれども安全性や原子炉の老朽化の問題など大きな問題を考慮した上での意見なのかは不明です。便利な生活は捨てられない、文明の発展にはより技術を高め安全性を高めながら原発エネルギーを増やしていくことが必要だと考えているのかもしれません。

安全対策をより強く取りながら原発を推進していくというのは、リスクを理解し、リスクを減らすことをしながら推進するという考え方ですが、負わなければならないリスクが大きすぎるのです。人知で克服できるリスクではありません。高度な文明を築いてきた人類ですが、自分たちの手に負えないものもあるのだと気が付かなければいけないときだと思います。

地球という大いなる自然の存在の前では、ほんの小さな存在だということを謙虚な気持ちで考えなければいけない時なのだと思います。

今すぐにすべての原発をなくすことは難しいと思います。けれども新しい原発は作らず、他の発電方法を増やしながら老朽化した原子炉を段階的に廃炉にしていくことは可能だと思います。

まずは私たちのいままでの暮らし方に疑問を持つことが大事だと思います。電気を使うのが当たり前だと思っていた暮らしを見つめなおし、人間にとって本当に豊かな生活はどんなものなのかを考えるときなのだと思います。

我が家のジューンベリーの花が満開です。白い繊細な花びらで、さくらのようにパッと咲いてパッと散っていきます。6月ごろには赤い美味しい実をたくさんつけてくれます。


青い花はローズマリーの花。小さな花です。


白い小さな花はハナニラ。すっと伸びた細い茎の先にきれいな形の白い花を咲かせます。控えめですが、素朴でとても美しい花です。脇に見えている青い花はムスカリ。


この季節になるといろいろなところで咲いている野草。名前は知らない。

山の木々は新芽を出し始めて、全体が淡い萌黄色になってきました。いまはウグイス、もうすこしするとホトトギスが鳴き始めます。


畑の脇のピンクの花は野生ツツジかな?その向こうには葉がではじめた桜の木。空がきれいです。


散る桜、散った桜もきれいなものです。薄いピンク色の雪が積もったようにあちこちで地面を覆っています。


こんな仏さまを見つけました。享保17年壬子11月とあります。調べてみると享保17年は1732年、279年前に作られた念仏供養の仏さまです。

300年近くも昔の人はここでどんな暮らしをして、どんな思いでの供養塔を作ったのでしょう。私はそんなことを考えるのが好きなのです。

青空と花と緑と仏さまに元気をもらって、さて仕事へ行くぞと思っていたところへ、携帯の緊急地震速報が。

電柱や看板が結構揺れて、外にいても結構強く感じる揺れでした。

緊急地震速報のあの音は毎度ドキッとしてしまいますが、素晴らしいシステムですね。揺れが始まるまでに火を消して、安全な場所へ移動してと考えていると落ち着けてパニックになりにくいのではないかと思います。

震災の日には、地震の早期予知システムが働いて、東北地方を走っていた新幹線は揺れがもっとも強かった二度目の揺れのときには全車両が安全に停止していたそうです。そんなことを聞くとあらためて日本ってすごい国なんだなあと思ってしまいます。

最後はまた地震の話になってしまいましたが、最後の写真は「御礼」の一枚です。

KIYOSHIさんにいただいたコシヒカリ、もっちりふっくらすごい美味しいです。美味しくて美味しくておかず無しでゴハンだけで何杯もいけちゃいます。ありがとうございました。
CALIFORINIA/LIFE IS GOOD 写真集&DVDが入荷しました。

JAPAN/STYLE IS EVERYTHINGやCALIFORINIA STYLEBOOKなどの作品で知られる、糸井義孝さん撮り下ろしの128ページのハードカバー写真集 + DVD(55分)。カリフォルニアの今を彩るサーファーたちが総出演。写真と映像がセットになって、たっぷりとカリフォルニアを楽しめます。価格は3.990円です(売り上げ金の一部はSFJを通じて被災地支援にあてられます)

CALIFORINA/LIFE IS GOOD、ホームページからどうぞ。


いい感じの映像です。


昨日のお休みは一日薪割りやってました。丸太を運んでは割って、割っては順序良く積み上げて一年半あまりの乾燥に入ります。1トンちょっとあった丸太もだいぶ片付いてあと一息です。

冬の間は隣家の日陰になっていた薪割りスペースにも日が当たるようになって、季節が変わっているのを感じます。弱々しかった冬の太陽はいつのまにかまぶしく強い光を発散させるようになっていて、あたりはすっかり初夏の匂いです。

もう少しすれば、また暑い夏がやってきます。

いつもと同じ夏がやってきますが、いつもと違うのは今年の夏はいままでと同じように贅沢に電気を使うことができないということ。

計画停電は3月よりもきっちりと行われると思います。停電していない地域でも電気を使いすぎれば大規模な停電を引き起こしてしまうのは3月と同じです。

気温が低い時期は暖かい服装でなんとか乗り切りましたが、夏は厳しそうです。暑さは命に関わります。

電力会社には今のうちに発電量をできるだけ増やしていただくとして、私たちも今のうちに準備が必要だと思います。

夏場の暑さをしのぐのには、日差しを除けることと風通しを確保することです。

風通しを良くするには、風の通り道を考えることです。窓を開けるだけでは風は入ってきません。窓が片面にしかない部屋なら部屋のドアをあけて他の部屋の窓からの風の通り道を作ってあげることです。ワンルームだったら、窓を開けて入り口のドアはドアチェーンをかけ、ドアになにかを挟んで空気の通り道を確保します。

プライバシーは少々損なわれますが、あきらめてお互いにニッコリと顔を見合わせながら生活しましょう。

それから日差しを遮ること。最近は夏の日差しを遮るような深い軒がある家というのはほとんどみかけなくなりました。二重ガラスとカーテンで日差しの熱を遮って、家の中は冷房で冷やす家には必要ないからです。

冷房が無い時代の家屋は分厚い屋根で熱を遮り、軒を深くして日差しが直接入らない作りになっていましたが、いつのまにか家屋も電気を使って冷房で温度を下げるという前提にその作りが変わっています。

電気に頼りっぱなしなんです。

でも日差しを遮らなければいけません。

日差しを遮るには、すだれやよしず、テントなどさまざまな方法がありますが、植物を植えるのも方法のひとつです。アサガオ、ゴーヤ、ヘチマ、キュウリなどツル性で生長力が旺盛な植物を窓辺に植えて日差しを遮るのです。

緑のカーテンです。

このカーテンは生き物ですから水や肥料をあげたり、世話をしなくてはいけませんが、植物が日除けとして優れている点は温度が上がらないこと。よしずやテントは日差しが照りつければ温度がどんどん上昇しますが、植物は葉からの蒸散作用があるので人工的な日除けよりも温度が低くなります。

木陰にいるのと同じように涼しいのです。ある小学校の教室での実験では窓辺の温度が31度で日除けが無い窓辺よりも10度低くなったそうです。31度なら私はまったく平気です。

アサガオは毎朝涼しげな花を咲かせてくれたり、ゴーヤがたくさんぶら下がったりと副次的な良いことがあったりもします。

そんな緑のカーテンをやろうと思ったら、そろそろ種まきに取り掛からなければいけません。こまめに水やりをして育てなければいけませんがきっとやっただけの涼しさをくれると思います。

おじいちゃんおばあちゃんの家にもお孫さんを連れて緑のカーテン作りに行きましょう。

緑のカーテン、参考サイト 被災地の仮設住宅にも設置に行くようです。すばらしいです。)

いろいろと考えているとあらためて電気のありがたさを実感するのですが、それと同時に頼りすぎ、依存しすぎだったのではないかとも思います。(ちゃんと説明していませんでしたが、以前のブログで書いたことはそんな意味です。)

今回の事故で原発は危険なものだと多くの人が実感していると思います。

でも危険だから使わないのではなく、限りある資源だから「無駄に使わないで大切に使う」というのが本来考えるべきことだったのだと思います。

原発が危険だから他の発電方法にシフトして電気(資源)を大量に使っていたら、結局は行き着くところは同じなんじゃないかと思います。

お忘れかもしれませんが、尻切れトンボになっているメルマガ小説「桃源郷」はそんな脱エネルギーの世界に変わっていくところを書きたかったのです。でも、先のストーリーは新しい世界に変わるきっかけとして今回の震災のような災厄を考えていたので、続きを書けなくなってしまいました。

何はともあれ、まずは夏の暑さに備えましょう。
福島第一原発 20キロ圏内(避難区域)の人口 約78.000人

福島第一原発 30キロ圏内(屋内退避もしくは自主避難区域)の人口 約141.000人
(2005年度 地域統計メッシュデータより)

海に廃棄された低レベル放射能汚染水(汚染度合いは不明) 11.500トン

漏れ出していた高濃度の放射能汚染水(流出量不明)

土壌と農産物への放射能汚染 農産物の出荷制限 風評被害

海洋の放射能汚染 海産物の出荷制限 風評被害

水道水汚染による摂取制限

事故レベルを最も深刻なレベルの「レベル7」へ引き上げ認定

目に見えない放射能への不安

いままで私たちが、まるで「空気のように」使ってきた電力を生み出していた原子力発電所の事故によって引き起こされていること。ざっと考えてみただけでもとんでもない規模と量の被害です。農作物、海産物、水を汚して、本当にたくさんの人たちの生活をめちゃくちゃにしています。

86年、チェルノブイリの事故が起こったときにはとんでもないことが起こったと驚いたのですが、それと同じレベルの大事故がまさか日本で起こるとは考えもしませんでした。

いままでの生活を振り返ってみると、どれだけ電気を使い放題に使い、どれだけ電気に依存した生活をしていたのかとあらためて考えさせられます。

そして、こんなものに支えられて生活しながら、地球にやさしくだとかエコだとか言っていたのかと思うと私は恥ずかしいです。

原子力を抜け出して新しいエネルギーに日本のテクノロジーをそそぐべきだと思います。日本が先頭に立って、未来の社会の姿を世界に見せていけたら素晴らしいと思います。

原発はいらない。



勉強も必要です。

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