MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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ちょうど1年前の同じ時間、今日と同じことをやっていました。写真を撮り終えたボードをラックに戻し、画像をパソコンに取り込もうとしていると大きな揺れが始まってすぐに電気が消えました。

何をするべきかも分からないまま、周囲を見渡せる目の前の駐車場へ逃げ出すと地面は波打つように揺れ、立っていられないほどでした。

車のラジオから流れ出す耳を疑うような恐ろしいニュースを聞きながら、とにかく冷静にと自分に言い聞かせ、信号が消えて混乱する道路を何かに祈るような気持ちで自宅へと戻ったのを覚えています。


今、パソコンの右端に表示されている時間は1年前の今日と同じ時間を過ぎていっています。撮影した画像のデータはカメラからパソコンへとスムースに取り込まれ、デスクトップに新しいフォルダがひとつ作られました。

今日、皆さんは何をしていましたか?

私は気が付いてみれば、ちょうど1年前と同じことをやっていました。そしてこれからの時間が過ぎれば店を閉め、自宅へと帰っていくでしょう。

そうして明日がやってきます。いままで幾度となく繰り返してきた当たり前のことですが、1年前に起こったことを思うとそんな当たり前の毎日がいかにかけがえが無いものなのかと深く心に思わずにはいられません。

私一人は何の力もないかもしれないけれど、毎日を大切に生き、そうやって生きられることに感謝をし、お互いを思い合う気持ちを持ちたいと思います。

そして自分ができることを少しずつでもいいから実行する。皆でそんな気持ちを持って歩いていけば必ずいい方向へと進んでいけると信じています。





朝ごはんはいつもはご飯に納豆と味噌汁ですが、今朝はパンケーキを焼いてみました。砕いたナッツとドライフルーツを乗せてバナナを添えました。

パンケーキをきれいに焼くのって結構むずかしいんですね。

朝ごはんを済ませてランニングへ出発です。なんとなく春を感じさせる日差しが暖かい朝です。

水曜に降った雪がまだ残っている林の中を走っていくと怪しげ(?)な建物が…

5年くらい前のブログで少し触れた、廃プラスチックの処理施設です。あのときの大騒ぎ、今はどうなったんでしょう?

そして少し走ってから、足元を探してみると、ありました。

フキノトウが顔を出しています。近所で生えている場所はだいたい頭に入っています(食べちゃうから)。いつもなら取っていくのですが、今は冷蔵庫に余っているので取らずに写真だけ撮ってきました。

今は枯野ですが秋にはここはコスモスでいっぱいになります。春夏秋冬、その移り変わりの中で生きているんですねえ。


里山をぐるりと回って家の近くまで戻ってきました。空を撮ったわけではありません。どこかに雲雀が写っているはずです。

駅前の原っぱでマンションの造成が始まったので、春先に楽しみにしている雲雀の鳴き声をもう聞けなくなっちゃったなあと寂しく思っていたのですが、少し離れた小学校のそばの空き地の上空で今年も元気にかしましく鳴いていたので嬉しくなりました。

クロッカスも地面から顔を出しています。


君の出番はもう終わりだね。


走ったあとは近所のお気に入りのうどん屋で昼ごはん。きのこのつけうどん650円也。


月曜は春一番が吹くらしいし、もう春ですよ~。

たまにはクラシックでも。モーツアルトの春へのあこがれ。

花粉もちょっときてますね。

春です。


追記:気がつかれた方もおられると思いますが、コメント欄に昨日意味不明の英字のスパムコメントが100数十件も投稿されていました。コメント欄を閉じてしまおうかとも思いましたが、一方通行のブログもなんだか寂しいのですべて削除しました。

一応の対策を講じたのでたぶん大丈夫だと思いますが、万一再発した場合コメントにリンクされているURLは、ウィルスやスパイウェアの可能性が大ですのでクリックしないようにしてください。






最近、妙に80年代が気になっている私ですが、YOU TUBEにこんな懐かしい動画がありました。85年のソニーのカセットテープのCMで使われていた、OVERNIGHT SUCCESSという曲です。(埋め込みができないのでリンクしました)
http://youtu.be/RcX5ahXbU-M

シンプルなリズムと分かりやすくて素直に心に入ってくるメロディで、今聞くとなんだか照れくさくなってしまうくらいにストレートなのですが、頑張れば本当に一夜にして成功して大スターになれる、というたぐいの野心や夢、希望なんかを持たせてくれたものです(映像の中で、おそらくまだ全く無名だったパトリック・デンプシーがジャグリングを見せているのは感慨深いものがあります)

80年代を思い返してみると、芸能界は空前の漫才ブームとアイドルブーム、音楽はMTVの登場でラジオに加えてテレビというメディアで映像と音を流しはじめ、ファッションはDCブランドが社会現象になるくらい大流行、ビデオはベータとVHSがバトルを繰り広げ(ソニーのベータHiFiのビデオデッキなんて、最初の頃は40万ちょっとしてました)CDがレコードに取って代わり始め、グルメブームが始まり、居酒屋チェーンが大ブーム、などなどもっといろいろあったと思いますがとにかく新しい時代なんだ、というような感覚とともに、製造業や産業は「ジャパンアズナンバーワン」など評されて日本人としての自信と自覚が出来上がっていった時代だったと思います(後半はバブル経済です)

とにかく熱気と勢いがある時代で、根拠は全くありませんでしたが、夢はかなうと信じて疑わずに生きていた時代でした。

そんな懐かしい時代ではありますが、あの頃は良かったなどというつもりではありません。ただ、今の世の中には無くなってしまったものがたくさんあったのは確かだと思います。

ジャパンアズナンバーワンと本に書かれるほどひたむきに頑張ってきた自信が今の日本には無くなってしまったように思えて仕方ありません。

世の中の動きを活発にするには経済を含めていろいろな要因が必要ですが、重要なのは人の気持ちです。人の気持ちが落ち込めば世の中の動きにも元気が無くなります。

同じ道を繰り返す必要はありませんが、80年代を見直して学ぶべき部分はいろいろとあるように思います。今の世の中はどこか息が詰まるように感じます。ちょっとお行儀が悪いくらいでいいんじゃない?


RUN DMC アディダスですねえ~。













タイミング悪く焚きつけの細い薪が無くなってしまったので雪がちらつく中を裏山へ当面使う分を拾いにいってきました。濡れた落ち葉がきれいです。ずっと乾いていたので、空気がしっとりして気持ちいいです。

皮の手袋は穴だらけ。なんだかジェイソンみたい、と手の平を見ながらひとり山へ入っていきます。


とりあえずこのくらい。乾かさなくちゃいけません。


ポキポキと折って、ストーブの火の前に並べて乾かします。濡れているせいか、土と森の匂いがします。


こんな日は、ストーブの火の暖かさがありがたいです。


予想してはいましたがこんなニュースが流れていました。

原発事故で飛散した放射性物質が屋外に積み上げて乾燥していた薪に付着し、その薪を燃やした灰に濃縮されてしまったわけです。同じニュースの他社の記事では煙突からの飛散はほとんど無いと書かれていたので、薪を燃やすことが問題なのではなく、ストーブの灰を肥料として使うことが問題だというニュースです。

薪の灰は土壌をアルカリ性にする土質改良材として使用されます。我が家でも畑に撒いていましたが、いいのか悪いのか判断できないので今年は撒いていません。薪の灰に限らず、枯れ葉を集めて堆肥をつくるコンポストや籾殻薫炭を作ることができない地域もあります。

自然をうまく利用した伝統的な暮らしの持続可能なしくみの輪が壊されて、残るのは放射性廃棄物という名前のゴミだけ…。

自ら作り出したもの(放射性物質)が原因で、自然のサイクルからはじき出されていく私たちは、いったいどこへ行けばいいんでしょうか?











ネット上には変わらず原発事故と放射能に関する情報がたくさん流れています。ブログやツィッターを見ていると放射能への潜在的な恐怖心を煽るような根拠のない、デマとしか思えない情報などもたくさん拡散しています。放射能は目に見えないものだけに、そういった形になりやすいのかもしれません。

放射能の影響は確かに恐ろしいです。けれどもいくら何を言っても放射能は消えずにそこにあるというのは事実です。脱原発を考えると同時に、その事実に対してどう向き合っていくのかを考えるのが正しい姿勢ではないかと思います。

この動画は福島で放射能と戦いながら米を作っている農家のお話です。長いですが、ぜひ見てください。

20111204 原発事故に立ち向かうコメ農家 投稿者 PMG5
動画が途中で止まってしまって、私もまだ半分くらいしか見れていませんが、私たちがどのように考え、向き合っていくべきなのかこの農家の方たちが教えてくれているように思います。

セシウムが検出された米を作った福島の農家を、かつて地下鉄でサリンを撒いた教団と同じだとある大学教授が暴言を吐きました。

米を作った農家の人は放射能が検出される可能性も考えていたと思います。それでも米を作った。結果として、作ったことによって放射能の影響が分かってしまうことになったのかもしれません。でも作らなければそれも分からなかったことだと思います。農家の人たちにとって、米を作ることが自分たちの仕事です。簡単にあきらめて辞められはずありません。

放射能が検出されたから、その作物をただ危険だと捕らえるのではなく、それと戦っている人たちのことがいるということを認識して、私たち全員で取り組んでいかなければいけないことなのだと思います。
最近あまりブログでは触れていませんが、忘れていたり関心が薄くなっている訳ではありません。

ただ反原発を唱えるのではなく、事実を知ってさまざまな人のことを思い、これからのことを考えていく必要があると思っています。

少しずつでも書いていけるように、自分も方向をしっかりと定められるようにしたいと思っています。

まだ何一つとして解決してはいません。そこで起こっていることに思いと目を向け続けることを忘れてはいけないと思います。
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/cd93c2800314f2a7211f99ef5fcd2f81

人間も自然の一部だということ。私も静かな山の中のシングルトラックを黙々と走っていると身体も心も森の中に溶けていくように感じることがあります。
http://blog.goo.ne.jp/daizusensei/e/c89540c8c39810c7456c3ee2f33dfc43



8月9日。長崎で育ち、そして被爆二世の私はどうしてもこの日を避けて通ることができません。幼いころから原子爆弾についての教育を受け、実際の体験者である母から何度もその日の話を聞いて育ったせいだと思います。

ときどき長崎、広島以外の人と話をすると、原爆に対しての認識の差に驚くことがあります。育ってきた環境の差なのでしょうけれど、同じ日本で同じ教育を受けているはずなのにほとんど何も知らない。原子力政策と何か関係があるのかしらん?などと、妙な疑いもわいたりしてしまうのです。

戦後、原爆を生き残った人は差別を受けることも少なからずあったそうです。ピカとかピカドンと言われ、仕事に就けなかったり縁談が破談になってしまうことがあったそうです。

福島の原発事故でも同じようなことが起こっています。福島ナンバーの車が給油を断られたり、避難先の学校で「うつる」と言われたり、一番直近の出来事では陸前高田市の松薪が京都の迎火で燃やすことを拒否されてしまいました(これは人の心を踏みにじる本当にひどい行為だと思いました)

原爆と原発事故を直接比べることはもちろんできないと思います。でもせめて原爆と放射能で何が起こったのかを知っていれば、怪しいお米、セシウムさんなどという言葉は冗談でも出てこないと思います。

長崎と広島の原爆の手記を幾つかリンクしてみました。

長崎東高在京同窓会 原爆被爆証言のページ
http://www19.big.or.jp/~higashi/hibaku/index.html

長崎原爆 キリスト者体験記
http://www.being-nagasaki.jp/genbakutaikenki/genbakuheiwa.htm#top

被爆者・ヒロシマからのメッセージ(放射線の影響についても書かれています)
http://www.geocities.jp/mk32924/


先日、気仙沼のお客さまから豊田さんのアートのご注文をいただきました。

10年間ネットショップをやっていると、日本のいろいろなところにお得意さまがいらっしゃいます。

その方たちの中には被害が深刻だった地域の方も何人かいらっしゃいます。震災のときにはテレビのニュースから覚えがある地名が聞こえてくる度に胸が締めつけられるようでした。

その中のお一人の方からのご注文でしたので、とても嬉しかった。しかも豊田さんの絵を毎日見て元気をもらいますと電話までいただいて、私はなんと言っていいのか分かりませんでしたが、涙が出るほど嬉しかったです。逆に元気をいただきました。

小さなサーフショップを営んでいるだけの私には資金力も組織の力も何もありません。被災地の方たちに対して出来ることは微々たるものですが今はお互いの未来を信じて頑張ろうと強く思いました。

2011年8月9日
夏は大好きな季節です。

暑くて、海に行くのも山に行くのも楽しい季節です。

でも夏の暑さは私にもうひとつのことを思い出させます。

8月6日 ヒロシマ

8月9日 ナガサキ

66年前も同じように暑かったでしょう。

広島市長の平和宣言の中の「核と人類は共存できない」という言葉が心に残りました。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110806dde007040053000c.html

独立行政法人 原子力安全基盤機構が原子力防災専門官向けの資料として事故が起こる以前に作られていた炉心溶融のシュミレーション映像だそうです。

動画資料によると冷却水が停止して、1時間でメルトダウン、3時間後にはメルトスルーが起こると説明されています。メルトスルーの可能性があると東電が発表したのは事故から約3ヵ月経った6月だったはずです。

自己解析で事前にこんな予測データを持っていたにも関わらず、このことは全く報道されていませんでした。この動画の存在が事実だとすると事故後テレビで解説者や専門家が説明していたことは間違っていたことになります。こんな映像があると報道したメディアは(私の知る限り)ありませんでした。

最近、マスコミは中国の高速鉄道事故の報道をこぞって流しています。かねてから安全性が疑問視されていたので、それ見たことかとばかりに報道されています。安全性の問題、事故を隠蔽しようとしている当局、マスコミへの報道規制などを報道し批判するような内容がほとんどです。

それを見るたびに思うのは、日本の原発事故とその後の事故対応と同じじゃないかということです。自国ではさらに深刻な事故が起こっているのに、きちんと取材して事実を国民に伝えたメディアがあったでしょうか?他国の批判をする資格は無いと思います。

事故は続いています。野菜、魚の次は牛肉でした。秋になって収穫されるお米は大丈夫なのでしょうか。そんなことが起こらないことを祈るばかりです。

電力会社は「やらせ」までして原発を再稼動させたいようですが、住む土地を奪い、食べ物を汚染し、人の健康を脅かす核エネルギー、まだいりますか?

今が電気に依存し過ぎだった生活を変えるターニングポイントだと思いませんか?

石油も核エネルギーもいずれかは使い切ってしまいます。そうなれば頼りになるのは持続可能な発電方法だけです。

子供たちの子供、そのまた子供たちの世代へ残すのが放射性廃棄物や放射能汚染された土地であってはいけません。そのためには今から変わっていかなければいけないと思います。
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