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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
アーカイブ
カウンター
きっかけが何かは分かりませんが、ロン・ストナーの写真を見たくなって、古い雑誌と写真集を引っ張り出してきました。もしかすると、最近の方はもうロン・ストナーって誰?となるのかもしれません。
ロン・ストナーは主に1960年代に活躍した、サーフィンフォトグラファーです。ジョン・セバーソンが創刊したSURFERマガジンのフォトグラファーの一人だった人です。私もリアルタイムで知っていたわけではありませんが、彼の写真がサーフカルチャーに興味を持つきっかけになっています。
初めて知ったのは、1995年のサーファーズ・ジャーナル。その約10年後に未発表だったフィルムが発見されて、再びサーファーズ・ジャーナル誌で特集が組まれ、写真集も出版されました。
「Rights and Lefts」トロリと溶けだしそうな海面。手前の暗さと陽光で煌めくうねりの対比。そこをニーパドルで越えていくサーファー。こんな雰囲気の写真をそれまで見たことがありませんでした。
有名な写真です。ニーパドルしているのは、スキップ・フライ。
こちらも、スキップ・フライ。車はストナーのフォードコメットワゴン。

マリブ。

BK、ハービー・フレッチャー、ジャッキー・バクスター、ビル・ハミルトン。

どの写真もそうですが、波乗りのこんな表現の仕方があるんだと衝撃を受けました。

思うのですが、現代のインターネットを主流としたメディアでは、こういった情報を伝え、何かの形にして残していくことって難しいんじゃないでしょうか?ネットの情報は、見る人に合わせてその人が興味を持ちそうな情報をアルゴリズムが表示してきます。便利ですが、自分の興味の範疇の外にあるものは得難い。
そんなネット上においては、このロン・ストナーの写真のように波乗りを文化として伝え、残していく土壌は育ちません。でも、波乗りをする人たちとってこういった過去を記した文章や写真は、残し伝えていくべき財産です。
最初は1995年。インターネットはまだ始まったばかりです。31年前に抱いた感情を残しておくことが出来たのは、雑誌と写真集のおかげです。ストナーの写真に影響を受けたその後の31年間に、何かを自分の中に育ててくれたのは事実だと思います。
まさにオールドメディアですが、豊かなメディアです。
ちょっと前にサーフマガジンのことについて書いた記事です。お時間あれば、併せて読み返してみてください。
ロン・ストナーの写真集は中古ですが、まだ買えるみたいです。興味ある方はどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/0811855333?ie=UTF8&tag=menehunebeach-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=0811855333
ロン・ストナーは主に1960年代に活躍した、サーフィンフォトグラファーです。ジョン・セバーソンが創刊したSURFERマガジンのフォトグラファーの一人だった人です。私もリアルタイムで知っていたわけではありませんが、彼の写真がサーフカルチャーに興味を持つきっかけになっています。
初めて知ったのは、1995年のサーファーズ・ジャーナル。その約10年後に未発表だったフィルムが発見されて、再びサーファーズ・ジャーナル誌で特集が組まれ、写真集も出版されました。
「Rights and Lefts」トロリと溶けだしそうな海面。手前の暗さと陽光で煌めくうねりの対比。そこをニーパドルで越えていくサーファー。こんな雰囲気の写真をそれまで見たことがありませんでした。
有名な写真です。ニーパドルしているのは、スキップ・フライ。
こちらも、スキップ・フライ。車はストナーのフォードコメットワゴン。
マリブ。
BK、ハービー・フレッチャー、ジャッキー・バクスター、ビル・ハミルトン。
どの写真もそうですが、波乗りのこんな表現の仕方があるんだと衝撃を受けました。
思うのですが、現代のインターネットを主流としたメディアでは、こういった情報を伝え、何かの形にして残していくことって難しいんじゃないでしょうか?ネットの情報は、見る人に合わせてその人が興味を持ちそうな情報をアルゴリズムが表示してきます。便利ですが、自分の興味の範疇の外にあるものは得難い。
そんなネット上においては、このロン・ストナーの写真のように波乗りを文化として伝え、残していく土壌は育ちません。でも、波乗りをする人たちとってこういった過去を記した文章や写真は、残し伝えていくべき財産です。
最初は1995年。インターネットはまだ始まったばかりです。31年前に抱いた感情を残しておくことが出来たのは、雑誌と写真集のおかげです。ストナーの写真に影響を受けたその後の31年間に、何かを自分の中に育ててくれたのは事実だと思います。
まさにオールドメディアですが、豊かなメディアです。
ちょっと前にサーフマガジンのことについて書いた記事です。お時間あれば、併せて読み返してみてください。
ロン・ストナーの写真集は中古ですが、まだ買えるみたいです。興味ある方はどうぞ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/0811855333?ie=UTF8&tag=menehunebeach-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=0811855333
1971年 全日本サーフィン選手権大会のパンフレットです。すでに第6回目です。最近、いろんなものが発掘されてきます。
場所は伊良湖 赤羽根サーフィンビーチ。日程は、8月15日、16日の2日間となっています。私は小学2年生。子供の頃、お盆は海に入っちゃいけませんと母親からよく言われたものですが、お兄さんたちはサーフィンだからOK。
裏表紙は米澤プラスチック「MALIBU」です。表紙、裏表紙ともにかっこいいグラフィックです。
中をちょっと覗いてみましょう。
TED SURFBOARDSはTEDさんとグレッグ・ハグリンというサーファー/ムービーメーカーです。KATU(活さん)タチハドコイッタ?と訊いているのに、TEDさんがニイジマイッテルヨと答えてます。カタカナなのは英語だから(この時代、そんな感じです)
グレッグ・ハグリン氏はFANTASEAという作品を作っています。YOUTUBEで見られます。リンク貼っときますのでご興味ある方はご覧ください。
https://youtu.be/L6O5m1A93Gw?si=rJXfbmGxgwC1yfKi
皆さん、ご存知の
当時のサーフカー。ルーフキャリアにサーフボードを積むのは違法か?という内容です。
このクルマの写真を見ていて思い出した話があります。このパンフレットの大会かどうかは定かではありませんが、活さんのお話です。
活さんは仲間たちと、伊良湖の大会へ行くぞ~!となったものの、たまたま出払ってしまってクルマが無い。「これならあるぞ」と見つけてきた車は、事故で一回転してルーフがつぶれたクルマ。仕方無いからこれで行っちゃえと割れてフロントグラスも無いクルマにみんなで水中眼鏡をゴーグル替わりに装着し、つぶれたルーフに頭を低くしながら東名を走って、なんとか伊良湖にたどりついたら自分のヒートは終わってた、というハチャメチャなコメディ映画みたいな話です。
こうやって日本のサーフィンは作られてきたのです 笑。サーファーはこのくらいワイルドじゃなくちゃいけません(今はムリ)。
第5回目までの結果です。69年から活さんの名前が登場してますね(ジュニア!)。
活さんはこの後は「国外脱出して日本にはいなかったので出場してません」ということでした。
1971年 ビルボード No.1はこの曲です。
ちょっと前にバド・ブラウンのYOUTUBEをご紹介しましたが、昔を振り返りつついろいろと思い出していて思ったことがあります。
ロングボードのリバイバル期に私は波乗りを始めました。その当時は雑誌や映像を通して、60年代のサーファーやサーフボード、サーフィンの歴史などを知る機会がありました。
それが今では60年代のサーファーはおろか、ジェリー・ロペスの名前も知らないサーファーもいるらしいです。それならおそらく、フィル・エドワーズを知らないロングボーダーもいるんじゃないでしょうか。
もちろん、そんなこと知らなくたって波乗りはできますが、受け継ぐべきものもあって良いのではないかと思います。文化というのはそういうものです。
まだ漠然とした考えが浮かんできたばかりで上手く表現できないのですが、波乗りがこれまで辿ってきた道筋とそれに関わってきた人たち、そういうものを残して次へ伝えて行くことが必要だと思うようになってきたのです。
ロングボードとフィッシュやミッドレングスなどのオルタナティブボードが今の時代の流れは突然生まれてきたものではありません。それらは活さんたちの時代もルーツのひとつになっているのです。「生物は生物からしか生まれない」とパスツールが否定した自然発生説と同様に、サーフボードのデザインは自然発生しないのです。
過去から学ぶことはたくさんあります。過去を知り、それを自分のことに活かしていくことは、未来を作っていくことにつながるのだと思います。
久しぶりにアメリカのE-BAYで買い物をしました。ご存知かと思いますが、E-BAYはアメリカのオークションサイトです。90年代の終わりから2000年代の初めごろ、良く買い物をしていました。
わざわざ現地へ行かなくてもいろんなものが手に入るようになったんです。いろんなモノを買いました。サーフィンにまつわるヴィンテージアイテムなんて、現地に行って探すのは大変でしたが、それがパソコンの前に座ったままで買えちゃうのです。ヴィンテージボードも何本か手に入れました。オークションなので落札しなくちゃいけないのですが、レアなものを予算ギリギリで競り落としたときなどは嬉しかったものです。
競り落としてからもひと仕事です。支払いです。クレジットカードではなく、郵便局に行ってマネーオーダーを作ってもらい、相手に郵送していたんです。ちなみにヤフオクは口座番号を直接メールで連絡して振り込んでもらってたなんて今の人が聞いたらどう思うでしょうね 笑。
そんなことをやっていたのですが、今回はショップだったのでオークションは無し。「buyitnow」をポチり、クレジットカードの番号を入力して終了です。簡単です。
簡単なのですが、ドルが高い 笑。今回、購入したのは雑誌ですが、お高い買い物になってしまいました。
購入した雑誌は、1980年1月の「SURFING MAGAZINE」。欲しいのはこのページです。

切り抜かれたところに活さんが写っているのです。画像をタップして拡大してみてください。左上に「KATU/SATO」とキャプションが入っているのが読めると思います。
四国の河口ポイントで、ショルダーにいる方は今も地元でシェイパーとして活躍されている方だそうです。撮影は佐藤傳次郎さん。
ところがなんということでしょう(笑)、活さんはこのページの裏の写真を気に入って、ご自分が裏にいるのを知ってか知らずか切り抜いてしまったそうです。そしてご覧の通り、白いしぶきだけが残ったのです。
1980年、46年前の活さんがもうじき届きます(撮影されたのは、もう少し前だということです)。到着したらご紹介しますので、皆さんも楽しみにしていてください。
1980年 No.1はこの曲だったんですね。
この曲も1980年。
日本のオリコンチャートNo.1はモンタさん。
2位 久保田早紀『異邦人』、3位 クリスタルキング『大都会』、 4位 シャネルズ『ランナウェイ』だそうです。ご視聴はYOUTUBEでどうぞ。
明日は波乗りできるかな?
MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト
カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
AXXE CLASSIC、ZERO、STEAMER、AIDENTIFYウェットスーツ
わざわざ現地へ行かなくてもいろんなものが手に入るようになったんです。いろんなモノを買いました。サーフィンにまつわるヴィンテージアイテムなんて、現地に行って探すのは大変でしたが、それがパソコンの前に座ったままで買えちゃうのです。ヴィンテージボードも何本か手に入れました。オークションなので落札しなくちゃいけないのですが、レアなものを予算ギリギリで競り落としたときなどは嬉しかったものです。
競り落としてからもひと仕事です。支払いです。クレジットカードではなく、郵便局に行ってマネーオーダーを作ってもらい、相手に郵送していたんです。ちなみにヤフオクは口座番号を直接メールで連絡して振り込んでもらってたなんて今の人が聞いたらどう思うでしょうね 笑。
そんなことをやっていたのですが、今回はショップだったのでオークションは無し。「buyitnow」をポチり、クレジットカードの番号を入力して終了です。簡単です。
簡単なのですが、ドルが高い 笑。今回、購入したのは雑誌ですが、お高い買い物になってしまいました。
購入した雑誌は、1980年1月の「SURFING MAGAZINE」。欲しいのはこのページです。
切り抜かれたところに活さんが写っているのです。画像をタップして拡大してみてください。左上に「KATU/SATO」とキャプションが入っているのが読めると思います。
四国の河口ポイントで、ショルダーにいる方は今も地元でシェイパーとして活躍されている方だそうです。撮影は佐藤傳次郎さん。
ところがなんということでしょう(笑)、活さんはこのページの裏の写真を気に入って、ご自分が裏にいるのを知ってか知らずか切り抜いてしまったそうです。そしてご覧の通り、白いしぶきだけが残ったのです。
1980年、46年前の活さんがもうじき届きます(撮影されたのは、もう少し前だということです)。到着したらご紹介しますので、皆さんも楽しみにしていてください。
1980年 No.1はこの曲だったんですね。
この曲も1980年。
日本のオリコンチャートNo.1はモンタさん。
2位 久保田早紀『異邦人』、3位 クリスタルキング『大都会』、 4位 シャネルズ『ランナウェイ』だそうです。ご視聴はYOUTUBEでどうぞ。
明日は波乗りできるかな?
MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト
カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
AXXE CLASSIC、ZERO、STEAMER、AIDENTIFYウェットスーツ
バド・ブラウンの映像を再編集した動画です。私が波乗りを始めたころにはリビング・レジェンドで、今ではその多くが神話になってしまったサーファーたちが登場します。
若い頃にビデオで何度も見た映像も含まれていますが、今あらためて見ると当時の波乗りへの情熱が思い出されてきて、何かロマンチックな感情さえ湧いてくるのが不思議です。
会社で夜遅くまで仕事をしていても、いつも頭の中には海がありました。頭の上から落ちてくる透明なリップ、滑り出したボードから見下ろす波のボトム、滑らかな波のフェイスを滑るボードの感触、スピード感、オフショアの風と太陽の光。心の中にそんなものを持っていられたのはサーファーだったから。
この映像を見てたら、そんなことを思い出させてくれて、何か新しいエネルギーを与えられたような気持ちになってきました。
キモ・ホリンジャーが「人生は奇跡だ。そしてもう一つの奇跡は私がサーファーであり続けたことだ」と言っています。
この映像を教えてくれたのは活さんです。活さんは「基本はボディサーフィンです」と言っておられましたが、その通りだと思いました。
リーシュが無い時代のサーファーは全員が皆、グッド・スウィマーです。泳いで身体ひとつで波に乗る。全てはそこから始まっているのです。
そしてそこにボードが加わっただけ。
難しいテクニックは必要ありません。技術の優劣なんて関係ありません。海へ飛び込んで、波に乗る。それだけです。とてもシンプルなのです。
波乗りしましょ!
懐かしいフィッシュがやってきました。ユーズドボードです。20年以上前に自分で乗っていたクリステンソンのフィッシュです。グラッシングはジャック・リーブス。

2004年9月にカリフォルニアに持って行ってますから、2003年の終わりから2004年の初めごろにかけてオーダーしたものだと思います。それまでは、同じくクリステンソンの6’0のフィッシュに乗っていました。写真は2002年末のハレイワです。フィッシュ初乗りで全然乗れなかった 笑。

それから、二本目のフィッシュがこのイエローの5’10”です。ハワイでクリステンソンがシェイプして、ジャック・リーブスがラミネートするけど何か頼む?と連絡をもらい、それじゃあとオーダーした記憶があります。スキップ・フライがレイカーズファンだと聞いたので、イエローとパープルのレイカーズカラーにしてもらいました。
カーディフのクリス邸前です。
この時はスキップ・フライ氏と会うこともできました。当時はシェイプルームが隣同士だったんです。

2004年というと、私は40歳です。まだまだ若い 笑。サーフィンは全然ダメでした。2001年にショップを立ち上げたのですが、まずは経営を軌道に乗せようと3年間は無休で頑張ろうと決めておりました(昭和バブル世代なもので…)。結果、波乗りにはあまり行けず、3年後にさあ波乗りやるぞと海へ行ったら、ボトムターンで脚が耐えられずひっくり返りました 笑。
ショートボードとロングボードの二極化だったところにフィッシュの人気が芽生え始めた時代です。このトリップの紀行文を某サーフィン誌に載せていただいたりと、いろんなことが始まりつつありました。活さんのボードも取り扱いを始めておりました。(振り返ってみるとずいぶん長くお付き合いさせていただいております)
クリステンソンのボードは今やライセンス生産でいろいろな場所で作られている時代ですが(凄い事だと思います)、この頃はあのサンディエゴのシェイプルームで作られていたのです。ラミネートルームがすぐ横にあって、マイケル・ミラー氏がラミネートしていました。
当時フルハンドシェイプされたボードには、シェイプサインに加えて*100%HAND SHAPED*の文字がストリンガーに書かれていました。KUSTOM FOR MENEHUNEの文字も見えます。
クリステンソンのサンディエゴフィッシュはサイトにアップしています。
MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト
当時のクリステンソン関連の画像や記録を掘り起こしていたら、サーフィン誌に寄稿した2004年のカリフォルニアトリップの原稿が残っていました。読み返してみたら結構面白いので、お暇なときにでも読んでみてください。(個人名が出てくるところは一部削除かイニシャルにいたしました)
南カリフォルニア サンディエゴカウンティ カーディフリーフ。無風のヌメッとした海面に幾本もの筋がはいり、青みがかった灰色のうねりがゆっくりと近づいてくる。ラインナップにはイルカのヒレが幾つも見え隠れし、岸に見えるキャンプ場と橋の向こうを南へ向かうアムトラックが大きな警笛を鳴らし、通り過ぎて行く。
テイクオフからフェイド気味にターンを決め、ノーズに足先を掛けながらクリーンなフェイスをスライドしてくるのはチームクリステンソン、ジャパニーズスライダーの吉川祐二プロ。クリスから受け取ったばかりのユウジモデルのプロトタイプは調子が良さそうだ。そして、クラシカルなノーズライダー、CCスライダーに乗っているのは、日本でのクリステンソンサーフボードのディストリビューター、T・K氏。
今回の旅の発案者は吉川祐二プロ。クリスが継承するサンディエゴスタイルのボードデザインとそのオリジンを訪ねて、ここ南カリフォルニアまでやってきたのだ。幸いここに来てから、手ごろなサイズのうねりがコンスタントに入ってきている。いろいろなデザインのボードを試すにはとても良いコンディションだ。
5フィート8インチのフィッシュでクリスがテイクオフする。彼が乗るダークブルーのフィッシュは、4フィンだ。センターフィンが無いボード特有の、ルースだがスムースな動き。大きなキールフィンが付いているクラシックなフィッシュとはまた違った感触なのだろう。ユウジモデルは、シンプルなクリアカラーの9フィート、トライフィン。ボトムはノーズからテールまで、ミックスされたコンケーブが入り、安定したノーズライドとマニューバにスピード性能がプラスされた、クリスのお家芸的シェイプである。
気がつくと、クリスがフィッシュを抱えて岸を歩いている。波の誘惑を振り切って、ファクトリーへ出勤だ。真面目で几帳面、気さくな人柄の中に職人気質、私がシェイパーとしてのクリスに対して持つイメージはこんな感じだ。彼には申し訳ないが、私たちはもう少しだけ波を楽しんでから、彼のファクトリーを訪ねてみることにした。
クリスのファクトリーは、サンディエゴのミッションビーチから少し内陸に入ったところにある。ファクトリーへ着いてみるとクリスの姿は無く、グラッサーが一人、グリーンのフィッシュのトリムラインをサンディングしている。
クリスはランチに出ているようだ。だれもいないシェイプルームに入ってみると、11フィートは楽にありそうな3本ストリンガーのブランクスがテイクダウンされた状態で置かれている。壁のラックにも同様の長さのフォームが数本。サンディエゴスタイルの一つ、トリムサーフィンのためのウルトラグライダーが、今まさに削りだされようとしているところだ。古いサーフムービーのポスターや、プレーナーで有名なSKILのアンティーク風の壁掛け時計が飾られ、整然とした雰囲気を保っているのはクリスの性格の現われであろう。
ファクトリーの外に出て、向かいの建物を見に行く。実はそこは、あのスキップ・フライのファクトリーなのだ。ドアにはスキップの小さなディケールが貼られている。クリスは十数歩の距離を隔てたドアを開けるだけで、レジェンドからインスピレーションを貰えるとてもラッキーなシェイパーだ。今日は不在のようだが、スキップとの約束の日が楽しみだ。
午後三時過ぎ。午前中のサーフィンと昼食のあと、カーディフの丘の上にあるクリスの家のカウチでとりとめのない話をしていると、見覚えのある車が家の前に停まった。64年型フォードランチェロ。ミッチ・アブシャーの愛車だ。普段は夕方までみっちりシェイプをするクリスであるが、私たちのために早めに切り上げ、ミッチを誘って夕方のカーディフリーフへ出かけようというのだ。ミッチのランチェロにクリスが乗り、私たちはその後を付いていく。傾きかけた光の中を走る古いランチェロ、荷台に無造作に積まれたサーフボードがいい味を出している。
ミッチのサーフィンは、スムースなカリフォルニアスタイルのお手本のようだ。膝を落としたファーストターンから、するするとノーズへ出て行き、巧みなノーズワークを見せてくれる。気を付けて見ていないと、彼がやっていることがいかに難しいか、見過ごしてしまいそうだ。吉川祐二プロはクリスに借りたCCスライダーに乗ってノーズライドを楽しんでいる。彼がプロ入り初優勝を果たしたときに使っていたのが、このCCスライダーだ。エッジのないテーパードソフトレール。ワイドなアウトライン。マッシーなブレイクからもスピードを引き出す、ヘヴィーウェイトのノーズライダーである。
翌朝、私たちはオーシャンサイドの少し南に位置するカールスバッドへ向かった。路肩に車を停め、崖の下に広がる海をみていると、波がいたるところでピークを作りブレイクしている。広い海岸線に見えているサーファーはほんの数人だ。待ち合わせの場所へ来ていたのは、ロングボード雑誌の編集部で働くイアン・ギブソン。もう一人は、ウィンダンシーローカルのマーク・エッチングス。マークは雑誌に見開きでライディングの写真が載ってしまうようなサーファーだ。先週もオーシャンサイドの大きな大会で優勝したらしい。
マークはCCスライダーとコンプノーズモデルを両腕に軽々と抱え、海へと続く崖を降りていく。イアンはクリスの新しいモデル、アグリースティックを抱えている。アグリースティックは、ノーズからセンターにかけては幅広いノーズライダーのアウトラインだが、絞り込まれた独特のテール形状をしている。イアンは、かなりこのモデルが気に入っているらしく、ノーズライド性能とテールのラインの効果について詳しく説明してくれた。吉川祐二プロは、フィッシュに乗ってテイクオフを繰り返している。ロングとはかなり感覚が違うボードだが、器用に乗りこなしているのはさすがである。
もともとフィッシュは、ここサンディエゴで生み出されたボードデザインだ。その源流は古くウッドボードの時代、ラ・ホヤのボブ・シモンズの時代までさかのぼることができる。当時シモンズが考案したツィンピンテールというテール形状は、ツィンフィンと相性が良く、そのスピード特性に目を付けたのはスティーブ・リズというニーボーダーであった。1967年リズは現在のフィッシュの原型となるニーボードを作り出し、スキップ・フライらがそれをスタンディングサーフィンに応用することによって、その時代で最も速いと言われたサーフボードが作り出されたのだ。
フィッシュは後にツィンフィンの原型にもなったが、オーストラリアやハワイのサーファーがメディアの注目を浴びていた時代の中でいつのまにか忘れ去られ、一部のシェイパーたちの間だけで作られるだけの存在になってしまった。しかし90年代に入り、スキップ・フライはこの素晴らしいボードデザインを再び蘇らせた。そのスキップのフィッシュを使ったショートボードのヒーローが、南アフリカのスーパーブレイクを滑って見せたのをきっかけに、フィッシュは再び時代の表舞台へと戻ってきたのだった。
約束の時間の5分前、クリスのファクトリーのパーキングへと車を滑り込ませる。ほどなくして一台の白いエクスプローラーがゆっくりと近づき、スキップのファクトリーの前に停まった。少し照れたような、まぶしそうな表情で降りてくるのはスキップ・フライだ。
トレードマークの白いチャックテイラーのローカットにスウェットパンツ姿。フィッシュやグライダー、スピードシェイプのサーフボード。トリムとスピード、サンディエゴのサーフスタイルを作り出してきた偉大なサーファーの一人である。ドアの鍵を空け中へ入る。壁にはボードのコレクションが並べられ、その膨大な量に驚く。
その中から目を引くボードを順番に取り出して、説明をしながら見せてくれる。何フィートあるのかわからないグライダー、シングル、トライ、ツィンと様々なフィンのバリエーションを持ったフィッシュ、サーフボードレボリューションに大きな影響を与えた、ジョージ・グリノーのニーボードまで並べられている。一般のオーダーは受けていないようだが、シェイプルームには削りかけのグライダーが置かれていた。
短い時間であったが南カリフォルニアのサーフィンを、60年代から現代まで早回しで見たような気分だった。時代は廻る。優れたものは、少しの間忘れられたとしても必ずまた見直され蘇ってくる。そうやって偉大な先人たちのスピリットは受け継がれていくのだろう。
どうやら日本へ戻らなければいけない時が近づいてきたようだ。最後に夕刻のカーディフリーフへ行ってみた。日は海へ沈みかけているが、海の中にはまだたくさんのサーファーが波待ちをしている。使われているボードのデザインも本当に様々だ。ロングボード、ショートボード、古くさいイーグルノーズのシングルフィンにフィッシュ。皆それぞれ好きなデザインを選び、それぞれのラインを描いてライディングしている。フィッシュが気に入った様子の吉川祐二プロは、クリスのガレージに置いてあったスキップ・フライのフィッシュを持ち出してきたようだ。
しばらく夕日を眺めて波間に浮かんでいた私は沖からやってくる波をつかまえ、かつてフィッシュを作り出したニーボーダー、スティーブ・リズを真似てニーライドをしてみた。
MENEHUNE BEACH STORE
宮嶋憲士
2004年9月にカリフォルニアに持って行ってますから、2003年の終わりから2004年の初めごろにかけてオーダーしたものだと思います。それまでは、同じくクリステンソンの6’0のフィッシュに乗っていました。写真は2002年末のハレイワです。フィッシュ初乗りで全然乗れなかった 笑。
それから、二本目のフィッシュがこのイエローの5’10”です。ハワイでクリステンソンがシェイプして、ジャック・リーブスがラミネートするけど何か頼む?と連絡をもらい、それじゃあとオーダーした記憶があります。スキップ・フライがレイカーズファンだと聞いたので、イエローとパープルのレイカーズカラーにしてもらいました。
カーディフのクリス邸前です。
この時はスキップ・フライ氏と会うこともできました。当時はシェイプルームが隣同士だったんです。
2004年というと、私は40歳です。まだまだ若い 笑。サーフィンは全然ダメでした。2001年にショップを立ち上げたのですが、まずは経営を軌道に乗せようと3年間は無休で頑張ろうと決めておりました(昭和バブル世代なもので…)。結果、波乗りにはあまり行けず、3年後にさあ波乗りやるぞと海へ行ったら、ボトムターンで脚が耐えられずひっくり返りました 笑。
ショートボードとロングボードの二極化だったところにフィッシュの人気が芽生え始めた時代です。このトリップの紀行文を某サーフィン誌に載せていただいたりと、いろんなことが始まりつつありました。活さんのボードも取り扱いを始めておりました。(振り返ってみるとずいぶん長くお付き合いさせていただいております)
クリステンソンのボードは今やライセンス生産でいろいろな場所で作られている時代ですが(凄い事だと思います)、この頃はあのサンディエゴのシェイプルームで作られていたのです。ラミネートルームがすぐ横にあって、マイケル・ミラー氏がラミネートしていました。
当時フルハンドシェイプされたボードには、シェイプサインに加えて*100%HAND SHAPED*の文字がストリンガーに書かれていました。KUSTOM FOR MENEHUNEの文字も見えます。
クリステンソンのサンディエゴフィッシュはサイトにアップしています。
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当時のクリステンソン関連の画像や記録を掘り起こしていたら、サーフィン誌に寄稿した2004年のカリフォルニアトリップの原稿が残っていました。読み返してみたら結構面白いので、お暇なときにでも読んでみてください。(個人名が出てくるところは一部削除かイニシャルにいたしました)
南カリフォルニア サンディエゴカウンティ カーディフリーフ。無風のヌメッとした海面に幾本もの筋がはいり、青みがかった灰色のうねりがゆっくりと近づいてくる。ラインナップにはイルカのヒレが幾つも見え隠れし、岸に見えるキャンプ場と橋の向こうを南へ向かうアムトラックが大きな警笛を鳴らし、通り過ぎて行く。
テイクオフからフェイド気味にターンを決め、ノーズに足先を掛けながらクリーンなフェイスをスライドしてくるのはチームクリステンソン、ジャパニーズスライダーの吉川祐二プロ。クリスから受け取ったばかりのユウジモデルのプロトタイプは調子が良さそうだ。そして、クラシカルなノーズライダー、CCスライダーに乗っているのは、日本でのクリステンソンサーフボードのディストリビューター、T・K氏。
今回の旅の発案者は吉川祐二プロ。クリスが継承するサンディエゴスタイルのボードデザインとそのオリジンを訪ねて、ここ南カリフォルニアまでやってきたのだ。幸いここに来てから、手ごろなサイズのうねりがコンスタントに入ってきている。いろいろなデザインのボードを試すにはとても良いコンディションだ。
5フィート8インチのフィッシュでクリスがテイクオフする。彼が乗るダークブルーのフィッシュは、4フィンだ。センターフィンが無いボード特有の、ルースだがスムースな動き。大きなキールフィンが付いているクラシックなフィッシュとはまた違った感触なのだろう。ユウジモデルは、シンプルなクリアカラーの9フィート、トライフィン。ボトムはノーズからテールまで、ミックスされたコンケーブが入り、安定したノーズライドとマニューバにスピード性能がプラスされた、クリスのお家芸的シェイプである。
気がつくと、クリスがフィッシュを抱えて岸を歩いている。波の誘惑を振り切って、ファクトリーへ出勤だ。真面目で几帳面、気さくな人柄の中に職人気質、私がシェイパーとしてのクリスに対して持つイメージはこんな感じだ。彼には申し訳ないが、私たちはもう少しだけ波を楽しんでから、彼のファクトリーを訪ねてみることにした。
クリスのファクトリーは、サンディエゴのミッションビーチから少し内陸に入ったところにある。ファクトリーへ着いてみるとクリスの姿は無く、グラッサーが一人、グリーンのフィッシュのトリムラインをサンディングしている。
クリスはランチに出ているようだ。だれもいないシェイプルームに入ってみると、11フィートは楽にありそうな3本ストリンガーのブランクスがテイクダウンされた状態で置かれている。壁のラックにも同様の長さのフォームが数本。サンディエゴスタイルの一つ、トリムサーフィンのためのウルトラグライダーが、今まさに削りだされようとしているところだ。古いサーフムービーのポスターや、プレーナーで有名なSKILのアンティーク風の壁掛け時計が飾られ、整然とした雰囲気を保っているのはクリスの性格の現われであろう。
ファクトリーの外に出て、向かいの建物を見に行く。実はそこは、あのスキップ・フライのファクトリーなのだ。ドアにはスキップの小さなディケールが貼られている。クリスは十数歩の距離を隔てたドアを開けるだけで、レジェンドからインスピレーションを貰えるとてもラッキーなシェイパーだ。今日は不在のようだが、スキップとの約束の日が楽しみだ。
午後三時過ぎ。午前中のサーフィンと昼食のあと、カーディフの丘の上にあるクリスの家のカウチでとりとめのない話をしていると、見覚えのある車が家の前に停まった。64年型フォードランチェロ。ミッチ・アブシャーの愛車だ。普段は夕方までみっちりシェイプをするクリスであるが、私たちのために早めに切り上げ、ミッチを誘って夕方のカーディフリーフへ出かけようというのだ。ミッチのランチェロにクリスが乗り、私たちはその後を付いていく。傾きかけた光の中を走る古いランチェロ、荷台に無造作に積まれたサーフボードがいい味を出している。
ミッチのサーフィンは、スムースなカリフォルニアスタイルのお手本のようだ。膝を落としたファーストターンから、するするとノーズへ出て行き、巧みなノーズワークを見せてくれる。気を付けて見ていないと、彼がやっていることがいかに難しいか、見過ごしてしまいそうだ。吉川祐二プロはクリスに借りたCCスライダーに乗ってノーズライドを楽しんでいる。彼がプロ入り初優勝を果たしたときに使っていたのが、このCCスライダーだ。エッジのないテーパードソフトレール。ワイドなアウトライン。マッシーなブレイクからもスピードを引き出す、ヘヴィーウェイトのノーズライダーである。
翌朝、私たちはオーシャンサイドの少し南に位置するカールスバッドへ向かった。路肩に車を停め、崖の下に広がる海をみていると、波がいたるところでピークを作りブレイクしている。広い海岸線に見えているサーファーはほんの数人だ。待ち合わせの場所へ来ていたのは、ロングボード雑誌の編集部で働くイアン・ギブソン。もう一人は、ウィンダンシーローカルのマーク・エッチングス。マークは雑誌に見開きでライディングの写真が載ってしまうようなサーファーだ。先週もオーシャンサイドの大きな大会で優勝したらしい。
マークはCCスライダーとコンプノーズモデルを両腕に軽々と抱え、海へと続く崖を降りていく。イアンはクリスの新しいモデル、アグリースティックを抱えている。アグリースティックは、ノーズからセンターにかけては幅広いノーズライダーのアウトラインだが、絞り込まれた独特のテール形状をしている。イアンは、かなりこのモデルが気に入っているらしく、ノーズライド性能とテールのラインの効果について詳しく説明してくれた。吉川祐二プロは、フィッシュに乗ってテイクオフを繰り返している。ロングとはかなり感覚が違うボードだが、器用に乗りこなしているのはさすがである。
もともとフィッシュは、ここサンディエゴで生み出されたボードデザインだ。その源流は古くウッドボードの時代、ラ・ホヤのボブ・シモンズの時代までさかのぼることができる。当時シモンズが考案したツィンピンテールというテール形状は、ツィンフィンと相性が良く、そのスピード特性に目を付けたのはスティーブ・リズというニーボーダーであった。1967年リズは現在のフィッシュの原型となるニーボードを作り出し、スキップ・フライらがそれをスタンディングサーフィンに応用することによって、その時代で最も速いと言われたサーフボードが作り出されたのだ。
フィッシュは後にツィンフィンの原型にもなったが、オーストラリアやハワイのサーファーがメディアの注目を浴びていた時代の中でいつのまにか忘れ去られ、一部のシェイパーたちの間だけで作られるだけの存在になってしまった。しかし90年代に入り、スキップ・フライはこの素晴らしいボードデザインを再び蘇らせた。そのスキップのフィッシュを使ったショートボードのヒーローが、南アフリカのスーパーブレイクを滑って見せたのをきっかけに、フィッシュは再び時代の表舞台へと戻ってきたのだった。
約束の時間の5分前、クリスのファクトリーのパーキングへと車を滑り込ませる。ほどなくして一台の白いエクスプローラーがゆっくりと近づき、スキップのファクトリーの前に停まった。少し照れたような、まぶしそうな表情で降りてくるのはスキップ・フライだ。
トレードマークの白いチャックテイラーのローカットにスウェットパンツ姿。フィッシュやグライダー、スピードシェイプのサーフボード。トリムとスピード、サンディエゴのサーフスタイルを作り出してきた偉大なサーファーの一人である。ドアの鍵を空け中へ入る。壁にはボードのコレクションが並べられ、その膨大な量に驚く。
その中から目を引くボードを順番に取り出して、説明をしながら見せてくれる。何フィートあるのかわからないグライダー、シングル、トライ、ツィンと様々なフィンのバリエーションを持ったフィッシュ、サーフボードレボリューションに大きな影響を与えた、ジョージ・グリノーのニーボードまで並べられている。一般のオーダーは受けていないようだが、シェイプルームには削りかけのグライダーが置かれていた。
短い時間であったが南カリフォルニアのサーフィンを、60年代から現代まで早回しで見たような気分だった。時代は廻る。優れたものは、少しの間忘れられたとしても必ずまた見直され蘇ってくる。そうやって偉大な先人たちのスピリットは受け継がれていくのだろう。
どうやら日本へ戻らなければいけない時が近づいてきたようだ。最後に夕刻のカーディフリーフへ行ってみた。日は海へ沈みかけているが、海の中にはまだたくさんのサーファーが波待ちをしている。使われているボードのデザインも本当に様々だ。ロングボード、ショートボード、古くさいイーグルノーズのシングルフィンにフィッシュ。皆それぞれ好きなデザインを選び、それぞれのラインを描いてライディングしている。フィッシュが気に入った様子の吉川祐二プロは、クリスのガレージに置いてあったスキップ・フライのフィッシュを持ち出してきたようだ。
しばらく夕日を眺めて波間に浮かんでいた私は沖からやってくる波をつかまえ、かつてフィッシュを作り出したニーボーダー、スティーブ・リズを真似てニーライドをしてみた。
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宮嶋憲士
活さんからお借りしてきました。1973~74年の「オーシャンライフ」と「海の世界」という雑誌です。
開いてみると、そこには活さんが。1973年なので21~22歳のころです。ちなみに私は9歳。小学3年生です。東京から長崎へ引っ越して、海、山、川での遊びが楽しくてたまらない子供でした。

オーシャンライフというタイトルですから、波乗りばかりじゃありません。こんな感じです。航海に欠かせないコンパスの誕生のお話。
南の島への旅行、滞在記。
海底で暮らす、海洋実験。この雑誌の所有者は、この実験に参加された方だそうです。もちろんダイビングの記事もたくさんです。

今とは違うこの時代の文体を懐かしく、少々可笑しく思いながらパラパラと読んでいると、この頃のことが少しずつ思い出されてきます。読書が好きで、子供向けの本に飽き足らず、文字小ちゃいと思いながら文庫本を読んでいた子供時代の私でした。
タイトルはすぐには出てこないものの、ヨットでの冒険記や航海記、南の島の話、海底実験の話、さらには幽霊船が出てくるちょっと怖い話など、海に関する物語をたくさん読んでいた記憶があります。
当時、身近にそういった内容の本がたくさんあったと思います。この雑誌にも、ヨットで世界一周、日本一周の話など冒険談がいろいろと出てきます。
子供だった私でさえそんな感じでしたから、当時の人たちの海へのあこがれみたいなものは今よりも強かったんじゃないでしょうか?情報は今のようにはありませんし、海外へ行く人も今のようにたくさんいた時代ではありませんでしたから、南の島、冒険、海の中など未知なるものへのあこがれとして、海という存在があったのではないかと思いました。
その中で波乗りが取り上げられ、こうやって記事になっていることにもうなづけるような気がします。いまでは衣食住にわたってサーファー独自のスタイルのイメージが形成されていますが、すべては海への大いなるあこがれから始っているのです。波乗りも海の冒険ひとつ。それは時代が大きく変わった現代も同じです。
サーフィンワールド誌はこのオーシャンライフ誌の臨時増刊号として、1976年にスタートしています。
当時のサーフショップガイドです。拡大すると読めます。
そして、ときどき出てくる、こんな広告も懐かしかったりします。
MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト
カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
AXXE CLASSIC、ZERO、STEAMER、AIDENTIFYウェットスーツ
気が付けば、明日はイブ! 1984年。みなさん若いです。私はハタチ。
開いてみると、そこには活さんが。1973年なので21~22歳のころです。ちなみに私は9歳。小学3年生です。東京から長崎へ引っ越して、海、山、川での遊びが楽しくてたまらない子供でした。
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南の島への旅行、滞在記。
海底で暮らす、海洋実験。この雑誌の所有者は、この実験に参加された方だそうです。もちろんダイビングの記事もたくさんです。
今とは違うこの時代の文体を懐かしく、少々可笑しく思いながらパラパラと読んでいると、この頃のことが少しずつ思い出されてきます。読書が好きで、子供向けの本に飽き足らず、文字小ちゃいと思いながら文庫本を読んでいた子供時代の私でした。
タイトルはすぐには出てこないものの、ヨットでの冒険記や航海記、南の島の話、海底実験の話、さらには幽霊船が出てくるちょっと怖い話など、海に関する物語をたくさん読んでいた記憶があります。
当時、身近にそういった内容の本がたくさんあったと思います。この雑誌にも、ヨットで世界一周、日本一周の話など冒険談がいろいろと出てきます。
子供だった私でさえそんな感じでしたから、当時の人たちの海へのあこがれみたいなものは今よりも強かったんじゃないでしょうか?情報は今のようにはありませんし、海外へ行く人も今のようにたくさんいた時代ではありませんでしたから、南の島、冒険、海の中など未知なるものへのあこがれとして、海という存在があったのではないかと思いました。
その中で波乗りが取り上げられ、こうやって記事になっていることにもうなづけるような気がします。いまでは衣食住にわたってサーファー独自のスタイルのイメージが形成されていますが、すべては海への大いなるあこがれから始っているのです。波乗りも海の冒険ひとつ。それは時代が大きく変わった現代も同じです。
サーフィンワールド誌はこのオーシャンライフ誌の臨時増刊号として、1976年にスタートしています。
当時のサーフショップガイドです。拡大すると読めます。
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カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
AXXE CLASSIC、ZERO、STEAMER、AIDENTIFYウェットスーツ
気が付けば、明日はイブ! 1984年。みなさん若いです。私はハタチ。
サーファーズジャーナル日本語版の最新号が届きました。今回も濃い内容で、じっくりと読ませてもらっております。皆さん、読んでますか?
雑誌が売れないと聞くようになって、久しくなります。現在、国内のサーフィン専門誌はSURFIN' LIFEの一誌のみです。タイトルのロゴデザインは昔のままで懐かしい雰囲気もあります。
雑誌ならずとも、テレビもオールドメディアと呼ばれています。逆に「ニューメディア」と言ってしまうと、昔に逆戻りした雰囲気を感じるのは高齢者の戯言か 笑(その言葉が1980~90年代に頻繁に使われていた)。
ざっと思い出してみると、サーフィンライフ、サーフィンワールドを代表に、ロングボード専門誌が二誌、サーフトリップに特化した雑誌、インディ系の匂いがする雑誌、ライフスタイル誌の別冊でサーフィン特集なんていうのもあったと思います。
本屋の店先で見つけると、嬉しくなってつい買ったものです(その本屋も減りました)。隅から隅までしっかり読んで、読み終わったあとは本棚か部屋の隅に積んでおいて、思い出すと引っ張り出してよみ直したものです。
そのせいなのか、いろいろと覚えています。台風のときの日本のどこかの凄い波の写真とその記事、エディ・アイカウの大波とそこに写っているサーファー、その他、世界中の波とサーファーの写真。当時の写真を見せられれば、大抵は見覚えがあるのものばかりじゃないでしょうか。
フィッシュというサーフボードのことは、90年代にデレク・ハインドが書いた記事を読み興味を持ちました。ニーボードだって同じ様にして認知しました。誌面に掲載されている大きな写真を見て、それについて書かれた記事(文字)を読むと記憶にしっかりと刻みこまれます。(私は今でもこれらの雑誌を保存しています)
「サーフカルチャー」という言葉があります。波乗りの文化です。文化というのはそれが持つ歴史、それに関わる人たちの価値観や考え方、地理・環境的要因などが言語や視覚表現(写真や映像、絵画など)によって可視化され、世の中に広まり、後世に残されていくものです。
サーフィン、波乗りにこれを当てはめてみるとこんな感じです。
サーフカルチャーの「核」になるものは。サーファー特有の価値観、哲学(考え方)
波乗りをする人のコミュニティが存在する
特有のスタイルやシンボルが生まれる。【道具(サーフボードとウェットスーツ)、特定のファッション、言葉遣い、音楽など。】
これらの中で、個々のサーファーが自分に合っていると感じるもの、好きなものをセレクトし、組み合わせていくことで、様々なスタイルが生まれ、それが流れの軸となって文化が作られて行きます。
文化は時代とともに変わっていくものです。紙に印刷された雑誌メディアから、SNSや動画のネットメディアへと移り変わってきたのは自然な流れだと思います。
ネットで見たものは記憶に残りにくいと言われます。情報のアップデイトのスピードは凄いものがあります。スマホで撮影した画像をその場でアップロード出来てしまいます。情報の新鮮さにおいてはネットにかなうものはありません。一方で情報の真偽の判断や、多すぎる情報の中から必要な情報の取捨選択など、受け手側への負担になってしまうこともあります。
それに比べると、オールドメディアである紙媒体の情報はどうしても遅いものになってしまいます。それでもそこにあるのは、多くの時間を費やし醸成された末に生まれて来た記事です。吟味され、選ばれた画像と選ばれた言葉で編まれた文章からは想像が膨らみます。
それをゆっくり楽しむ時間というのは、豊かで贅沢な時間です。書かれていることと、そこにある写真は心に残り、カルチャーとして形作られていくのです。サーフマガジンの役割は決して終わっていないと思うのです。
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カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
AXXE CLASSIC、ZERO、STEAMER、AIDENTIFYウェットスーツ
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雑誌ならずとも、テレビもオールドメディアと呼ばれています。逆に「ニューメディア」と言ってしまうと、昔に逆戻りした雰囲気を感じるのは高齢者の戯言か 笑(その言葉が1980~90年代に頻繁に使われていた)。
ざっと思い出してみると、サーフィンライフ、サーフィンワールドを代表に、ロングボード専門誌が二誌、サーフトリップに特化した雑誌、インディ系の匂いがする雑誌、ライフスタイル誌の別冊でサーフィン特集なんていうのもあったと思います。
本屋の店先で見つけると、嬉しくなってつい買ったものです(その本屋も減りました)。隅から隅までしっかり読んで、読み終わったあとは本棚か部屋の隅に積んでおいて、思い出すと引っ張り出してよみ直したものです。
そのせいなのか、いろいろと覚えています。台風のときの日本のどこかの凄い波の写真とその記事、エディ・アイカウの大波とそこに写っているサーファー、その他、世界中の波とサーファーの写真。当時の写真を見せられれば、大抵は見覚えがあるのものばかりじゃないでしょうか。
フィッシュというサーフボードのことは、90年代にデレク・ハインドが書いた記事を読み興味を持ちました。ニーボードだって同じ様にして認知しました。誌面に掲載されている大きな写真を見て、それについて書かれた記事(文字)を読むと記憶にしっかりと刻みこまれます。(私は今でもこれらの雑誌を保存しています)
「サーフカルチャー」という言葉があります。波乗りの文化です。文化というのはそれが持つ歴史、それに関わる人たちの価値観や考え方、地理・環境的要因などが言語や視覚表現(写真や映像、絵画など)によって可視化され、世の中に広まり、後世に残されていくものです。
サーフィン、波乗りにこれを当てはめてみるとこんな感じです。
サーフカルチャーの「核」になるものは。サーファー特有の価値観、哲学(考え方)
波乗りをする人のコミュニティが存在する
特有のスタイルやシンボルが生まれる。【道具(サーフボードとウェットスーツ)、特定のファッション、言葉遣い、音楽など。】
これらの中で、個々のサーファーが自分に合っていると感じるもの、好きなものをセレクトし、組み合わせていくことで、様々なスタイルが生まれ、それが流れの軸となって文化が作られて行きます。
文化は時代とともに変わっていくものです。紙に印刷された雑誌メディアから、SNSや動画のネットメディアへと移り変わってきたのは自然な流れだと思います。
ネットで見たものは記憶に残りにくいと言われます。情報のアップデイトのスピードは凄いものがあります。スマホで撮影した画像をその場でアップロード出来てしまいます。情報の新鮮さにおいてはネットにかなうものはありません。一方で情報の真偽の判断や、多すぎる情報の中から必要な情報の取捨選択など、受け手側への負担になってしまうこともあります。
それに比べると、オールドメディアである紙媒体の情報はどうしても遅いものになってしまいます。それでもそこにあるのは、多くの時間を費やし醸成された末に生まれて来た記事です。吟味され、選ばれた画像と選ばれた言葉で編まれた文章からは想像が膨らみます。
それをゆっくり楽しむ時間というのは、豊かで贅沢な時間です。書かれていることと、そこにある写真は心に残り、カルチャーとして形作られていくのです。サーフマガジンの役割は決して終わっていないと思うのです。
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カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE
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インスタグラムで見つけた動画です。90年代のスキップ・フライのサーフィン。マリブとフィッシュシモンズでのライディングです。貴重な映像だと思います。リンク先で見て下さい。
https://www.instagram.com/reel/DOOgmQ2kc4-/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=NTc4MTIwNjQ2YQ==
https://www.instagram.com/reel/DN9ONVmkqeZ/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=NTc4MTIwNjQ2YQ==
93~4年と言うと、ロングボードリバイバルの全盛期です。今からは想像できないほど海の中はロングボードで溢れていました。ショートボード乗っていた人たちも、ロングおもしれ―って乗ってたんです。
そんな中で11フィートなんていう長さのボードに乗った、この方のスタイルは際立っていました。レアード・ハミルトンやデイブ・カラマも、大波に乗るトレーニングになると言って、13~14フィートなんていう長ーいボードに乗っていたと思います。
ロングボードを超えた長さのボードをコントロールするには、それなりのパワーと長さがあるボードをきちんと制御する技術が必要です。
私は「ボードを動かさない」と言いますが、それは波の上でのポジションと、そのポジションで自分がボードのどこに(どんな姿勢で)体重を預けているかということを一致させた上で、不動の姿勢を取ることを目指しています。
そこへ戻るときには、上のスキップさんみたいにボードを大きく切り返して行きます。ボードが思う通りにカーブしてくれたときの気持ち良さはこの大きさがあるからだと思います。
ボードを8’4”のプリモに乗り換えても、やることは基本的には同じです。8フィート9インチのニーボードは、ニーボードのサイズとしては規格外です。そんなことをやっているのも、もしかするとニースタイルにも同じ感覚を求めているのかもしれません 笑。
動きは大きくゆっくりなビッグボードですが、とてもテクニカルな乗り物だと思います。人が多いラインアップで乗るのはなかなか難しいかもしれませんが、使える場所とコンディションを見つけられる方なら、かなり楽しめると思います。
明日はシェイプルームへ行ってきます。活さんからの情報によると、いろいろと面白いことが盛りだくさんにありそうなので、かなり楽しみです。
カツカワミナミサーフボード、AC SHAPE ユーズドボード入荷中です!
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93~4年と言うと、ロングボードリバイバルの全盛期です。今からは想像できないほど海の中はロングボードで溢れていました。ショートボード乗っていた人たちも、ロングおもしれ―って乗ってたんです。
そんな中で11フィートなんていう長さのボードに乗った、この方のスタイルは際立っていました。レアード・ハミルトンやデイブ・カラマも、大波に乗るトレーニングになると言って、13~14フィートなんていう長ーいボードに乗っていたと思います。
ロングボードを超えた長さのボードをコントロールするには、それなりのパワーと長さがあるボードをきちんと制御する技術が必要です。
私は「ボードを動かさない」と言いますが、それは波の上でのポジションと、そのポジションで自分がボードのどこに(どんな姿勢で)体重を預けているかということを一致させた上で、不動の姿勢を取ることを目指しています。
そこへ戻るときには、上のスキップさんみたいにボードを大きく切り返して行きます。ボードが思う通りにカーブしてくれたときの気持ち良さはこの大きさがあるからだと思います。
ボードを8’4”のプリモに乗り換えても、やることは基本的には同じです。8フィート9インチのニーボードは、ニーボードのサイズとしては規格外です。そんなことをやっているのも、もしかするとニースタイルにも同じ感覚を求めているのかもしれません 笑。
動きは大きくゆっくりなビッグボードですが、とてもテクニカルな乗り物だと思います。人が多いラインアップで乗るのはなかなか難しいかもしれませんが、使える場所とコンディションを見つけられる方なら、かなり楽しめると思います。
明日はシェイプルームへ行ってきます。活さんからの情報によると、いろいろと面白いことが盛りだくさんにありそうなので、かなり楽しみです。
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ふと思い立って、このフィッシュにもパッドを貼ってみました。シングルフィンのニーボードで作った型紙を元に、幅と長さを調整してアウトラインを作ってみました。
やり方は活さんがテンプレットを使い、ボードのアウトラインを引くときのやり方を真似してみました。いつもただ見ているだけですが、見よう見まねで同じように出来ました。私の目は節穴では無かったようです 笑。
ZERO ウェットスーツとニーボードはどちらも活さんのお兄さん、川南正さんの作品です。うまく言い表すことができませんが、両者を並べると歴史の香りが漂ってくるような気がすると言ったら可笑しいでしょうか?
このウェットを着てこのボードに乗れるなんて、自分にはもったいない気がします。でも、誇りに思います。
1972年 最初のニーボーダーが川南正さんです。
来月のフィッシュフライに向けて、フィッシュのニーボードの参考になる資料を探すために過去の画像やメモをチェックしていたら、アタマの中だけ20数年前にタイムトラベルしておりました。
使えそうな資料を引っ張り出し、現実世界に戻ってきたら、ついさっきのお客さんが来られたのは昨日で、今は月曜日…とアインシュタインの相対性理論よろしく脳内で現実とのタイムラグが生まれていました。記憶というのは光速に近い速さで呼び覚まされるようです。
今日は日曜日ですよね 笑。
こんなのを掘り出していました。今ではみんな知っているキールフィンですが当時はまだまだ、だったのです。
フィッシュがリバイバルしてきたのは、まだ海の中はショートボードとロングボードという二つのカテゴリーがほとんどを占めていた20数年前のことです。
そんな中に突然のように登場してきたフィッシュというデザインは、その後の流れを作り出すきっかけになりました。
その新しい流れが生まれてくるほんの少し前、某サーフィン誌に8ページにわたってフィッシュに関する記事を書いたことがあります。
そのときの原稿を読み返してみると、最後をこんな言葉で締めくくっていました。
「復活したフィッシュデザインは、新しい時代への可能性を予感させるものであり、さまざまな変遷を経て来たサーフシーンの過去を現代をつなぐミッシングリンクでもあると言えるだろう」
ロングボードとショートボードしか無かったところに、ロングボードがショートボードへと変わっていく過程で生み出されたデザインが見直されリバイバルしてくるのがおそらくこれからの時代で、その失われた時代のデザインが見直されるきっかけを作ったのがフィッシュという存在だと言っております。
我ながら良く出来たかっこいい締めくくりだなあと感心してしまいました 笑。
50数年前には、オーストラリアでサーフボードが変わるきっかけのひとつになり、サンディエゴで生まれたフィッシュは、21世紀になって時代を換えるきっかけを作り出したんです。それはどちらもニーボードです。
この20年間って、もしかしたらサーフボードのデザイン史の中で一番面白かった時代だったかもしれないなあなどと独り感慨にふけっている月曜…じゃなくて日曜日の夕刻なのでした。
どんなフィッシュニーが出来上がるのか楽しみです。
日曜日の夜、こんなんどうですか?1979年です。個人的には桑名晴子さんの日本語バージョンが好きなんですが貼り付けできず。気になる方はググってみて下さい。
AXXE CLASSIC オーダーフェア開催中 9月30日(火)まで
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今日は日曜日ですよね 笑。
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そのときの原稿を読み返してみると、最後をこんな言葉で締めくくっていました。
「復活したフィッシュデザインは、新しい時代への可能性を予感させるものであり、さまざまな変遷を経て来たサーフシーンの過去を現代をつなぐミッシングリンクでもあると言えるだろう」
ロングボードとショートボードしか無かったところに、ロングボードがショートボードへと変わっていく過程で生み出されたデザインが見直されリバイバルしてくるのがおそらくこれからの時代で、その失われた時代のデザインが見直されるきっかけを作ったのがフィッシュという存在だと言っております。
我ながら良く出来たかっこいい締めくくりだなあと感心してしまいました 笑。
50数年前には、オーストラリアでサーフボードが変わるきっかけのひとつになり、サンディエゴで生まれたフィッシュは、21世紀になって時代を換えるきっかけを作り出したんです。それはどちらもニーボードです。
この20年間って、もしかしたらサーフボードのデザイン史の中で一番面白かった時代だったかもしれないなあなどと独り感慨にふけっている月曜…じゃなくて日曜日の夕刻なのでした。
どんなフィッシュニーが出来上がるのか楽しみです。
日曜日の夜、こんなんどうですか?1979年です。個人的には桑名晴子さんの日本語バージョンが好きなんですが貼り付けできず。気になる方はググってみて下さい。
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