MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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ジョン・セバーソンの1970年のサーフフィルム、パシフィック・バイブレーション。おすすめしたい映画(VHSで持ってます)なんですが、現在では著作権などの事情で販売できないようです。
リック・グリフィン、マイク・テイバリング、アンジー・リノのRANCHでのサーフィンです。
スクープノーズのシングルフィンがクラシック、というより古臭いですがシングルフィンらしい動きがかっこいいです。
やっぱり短いボードでもこういうサーフィンが好きなんです。まだロングボードが残っている身体の使い方で、ボードがすこし短く軽くなっただけ、のようなイメージです。なのでフィンは必然的に、シングルフィン。
シングルフィンにあってトライフィンに無いものがあると以前書きました。このブログです。それが何かは自分ではっきり分かっているのですが、まだ書きません。
もうちょっと考えて、実践してからにしようと思ってます。
フィッシュ、ハル、ミッドレングス、ミニシモンズ、シングルフィン、ツインフィン、クアッドなどなど、海の中では本当にいろんな種類のサーフボードが使われています。
そのきっかけを作ったのが、ニーボードから生まれたフィッシュという独特の形をしたサーフボードです。
そしてさらに、そのフィッシュが注目を集めるようになったきっかけのひとつがこの映像だと言われています。
1997年の「SEARCHING FOR TOM CURREN」の中のひとつのチャプターです。
トム・カレンのベストビデオのうちのひとつと言われている作品ですが、残念ながらDVD化はされていません(上の映像へのコンメント欄で、リップ・カールが2004年に発売したクラシックシリーズの中に入っているとのですが、それも今では入手困難のようです)
そしてもうひとつ、フィッシュのリバイバルに影響を多いに与えた映像があります。
ご存知、アンドリュー・キッドマンの「LITMUS」です。
残念ながらそのシーン、デレク・ハインドがスキップ・フライのフィッシュでJ BAYを滑るシーンはネット上にはありませんでしたが、このブログを読んでいただいている方はDVDお持ちなんじゃないかと思います。
知らない方のために…こんな感じの映像です。DVDは覚悟の上見てください。変にハマリますので。
それじゃあ、フィッシュ登場以前の海はどうだったのか?というと、ほぼショートボードとロングボードの二種類のみでした。
ロングボードブームということもあって、ショートボーダーには目の敵にされていたような記憶もありますが、今となってはもうそんなことは遠い昔のような気がします。
オルタナティブボードには、ロングボードとショートボードのどちらからも移行してきているのが面白いところです。ロングボーダーは、9フィートの長さが無くてもロングボードと同じように楽しめることに気が付き、ショートボード乗りはぎりぎりの小さな浮力と強いロッカーから解放されました。
今でこそ多くの種類のサーフボードデザインの中のひとつになってしまったフィッシュですが、そのフィッシュこそが今の時代の源流なのだと改めて思い出させてくれたトム・カレンの映像でした。
久しぶりにVHSビデオ、引っ張りだして見てみましょうか。
そのきっかけを作ったのが、ニーボードから生まれたフィッシュという独特の形をしたサーフボードです。
そしてさらに、そのフィッシュが注目を集めるようになったきっかけのひとつがこの映像だと言われています。
Tom Curren on a Fish from Mollusk Surf Shop on Vimeo.
1997年の「SEARCHING FOR TOM CURREN」の中のひとつのチャプターです。
トム・カレンのベストビデオのうちのひとつと言われている作品ですが、残念ながらDVD化はされていません(上の映像へのコンメント欄で、リップ・カールが2004年に発売したクラシックシリーズの中に入っているとのですが、それも今では入手困難のようです)
そしてもうひとつ、フィッシュのリバイバルに影響を多いに与えた映像があります。
ご存知、アンドリュー・キッドマンの「LITMUS」です。
残念ながらそのシーン、デレク・ハインドがスキップ・フライのフィッシュでJ BAYを滑るシーンはネット上にはありませんでしたが、このブログを読んでいただいている方はDVDお持ちなんじゃないかと思います。
知らない方のために…こんな感じの映像です。DVDは覚悟の上見てください。変にハマリますので。
それじゃあ、フィッシュ登場以前の海はどうだったのか?というと、ほぼショートボードとロングボードの二種類のみでした。
ロングボードブームということもあって、ショートボーダーには目の敵にされていたような記憶もありますが、今となってはもうそんなことは遠い昔のような気がします。
オルタナティブボードには、ロングボードとショートボードのどちらからも移行してきているのが面白いところです。ロングボーダーは、9フィートの長さが無くてもロングボードと同じように楽しめることに気が付き、ショートボード乗りはぎりぎりの小さな浮力と強いロッカーから解放されました。
今でこそ多くの種類のサーフボードデザインの中のひとつになってしまったフィッシュですが、そのフィッシュこそが今の時代の源流なのだと改めて思い出させてくれたトム・カレンの映像でした。
久しぶりにVHSビデオ、引っ張りだして見てみましょうか。
お知らせ:明日21日(月・敬老の日)はお休みさせていただきます。よろしくお願いします。
みなさんのボードをいつもきれいに直してくれる、BIRDS CREATIONのジョージくん。VISSLA主催のUPCYCLEコンテストで最終選考の4名のうちの一人に選ばれました。応募対象は世界…のうち4人ですからたいしたもんです。
選考対象はこのボード。二年くらい前に作った発泡スチロールのブランクスで作ったやつです。
優勝間違いありません。
みなさんのボードをいつもきれいに直してくれる、BIRDS CREATIONのジョージくん。VISSLA主催のUPCYCLEコンテストで最終選考の4名のうちの一人に選ばれました。応募対象は世界…のうち4人ですからたいしたもんです。
選考対象はこのボード。二年くらい前に作った発泡スチロールのブランクスで作ったやつです。
優勝間違いありません。
新しいサーファーズジャーナル日本版が届きました。記事の中で1番興味を引いたのがボンザーの生みの親である、ダンカン・キャンベルが書いた記事でした。
ある日パイプラインの波を見ていたとき、ボディ・ボーダーのマイク・スチュワートが自分の20メートルほど前からテイクオフしたサーファーと一緒にチューブに入り、そのサーファーをチューブの中で追い越して先に飛び出して来たのを目撃したことが書いてありました。
エッジをキープするためのフィンが無く、浮力も少なく、しなりもあるボディボードで7フィートのサーフボードに乗るサーファーを追い越してしまったという事実は、サーフボードのデザインについての見解を変えてしまったとダンカン・キャンベルは書いていました。
これを読んでいて、もしかするとニーボードも同じじゃないかと思いました。
ボードに立って乗っていると加速させるためにデッキを踏み込む動きをします。アップスンダウンという動きです。
ニーボードでは、スタンスを見ると分かると思いますが(多少はやりますが)スタンディングのサーフィンほど大きくは出来ない動きです。
それでもスピードが出るのは走っている位置が違うからではないかと思います。
直感的にやっているので説明は難しいですが、テイクオフで波を滑り降り、ボトムターンから目指す、ある波のポジションがあります。そこに張り付くと自然とスピードが出る(ように感じる)位置です。
目線が違うのでスタンディングでそこを滑っているかどうかは分かりません。ニーボードの目線だからそのように感じられるのかもしません。
パイプラインのマイク・スチュアートとは次元が違いますが、ニーボードで滑っているとスタンディングとはまた違う感覚でストークしてしまう秘密はそんなところにもあるんじゃないかと思いました。ニーボードの魅力の一部だと思います。
ニーボードやりたくなってしまいました。新しいアイデアも試してみたくなってきました。サーフィンの雑誌はいろいろとありますが、そんなマニアックなインスピレーションをくれるのは、この本ならではです。
The Cooneys go to Indo from Legless TV on Vimeo.
私がロングボードでサーフィンを始めることを選ばせた映画。ブルース・ブラウンのエンドレス・サマー。
まだロングボードとショートボードの違いもよく分からなかったころ。分からないながら初めて自分のサーフボードを手に入れようと考えていたところに、友人が貸してくれた2本のVHSのうちの1本がエンドレス・サマーで、もう1本はショートボードのビデオ。どっちに自分が反応するかで、進む方向を決めるつもりでした。
映像が始まった冒頭のシーン。クルマのルーフにシングルフィンのロングボードを積んで、夕日の中を走っていくシーン。
エンドレス・サマーに登場するサーファーたちの身体の使い方。ウォーキングやトリミング、ドロップニーターン、ノーズライド、プルアウトまで、すべてが何もしらない自分の目にかっこよく写りました。
あれから四半世紀。いまでもこのサーフィンに夢中です。自分のベースはこの映画に出てくるロングボードでのサーフィンだと思っています。
途中、短いサーフボードに浮気もしていますが、短いボードに乗っていても自分の中では、ロングボードでのサーフィンとリズムは同じです。
ロングボード以外のサーフボードに乗ったことも、いろんな意味でクラシックなロングボードでのサーフィンにプラスになっていると多いに実感しています。
これからも、いろいろな種類のサーフボードで波乗りをすると思いますが、これまで以上にこの重たいシングルフィンのロングボードのリズムを大切にしていきたいと考えるようになりました。
いろんなことが、今乗っているシングルフィンのロングボードでつながって来ているように感じています。
活さんのロングボードとエンドレス・サマーのおかげです。
まだロングボードとショートボードの違いもよく分からなかったころ。分からないながら初めて自分のサーフボードを手に入れようと考えていたところに、友人が貸してくれた2本のVHSのうちの1本がエンドレス・サマーで、もう1本はショートボードのビデオ。どっちに自分が反応するかで、進む方向を決めるつもりでした。
映像が始まった冒頭のシーン。クルマのルーフにシングルフィンのロングボードを積んで、夕日の中を走っていくシーン。
エンドレス・サマーに登場するサーファーたちの身体の使い方。ウォーキングやトリミング、ドロップニーターン、ノーズライド、プルアウトまで、すべてが何もしらない自分の目にかっこよく写りました。
あれから四半世紀。いまでもこのサーフィンに夢中です。自分のベースはこの映画に出てくるロングボードでのサーフィンだと思っています。
途中、短いサーフボードに浮気もしていますが、短いボードに乗っていても自分の中では、ロングボードでのサーフィンとリズムは同じです。
ロングボード以外のサーフボードに乗ったことも、いろんな意味でクラシックなロングボードでのサーフィンにプラスになっていると多いに実感しています。
これからも、いろいろな種類のサーフボードで波乗りをすると思いますが、これまで以上にこの重たいシングルフィンのロングボードのリズムを大切にしていきたいと考えるようになりました。
いろんなことが、今乗っているシングルフィンのロングボードでつながって来ているように感じています。
活さんのロングボードとエンドレス・サマーのおかげです。
ジョン・セバーソン氏のバイオグラフィー的写真集「SURF」が届きました。カラー印刷の212ページ、ハードカバーの豪華本です。
メネフネではオープン時から(個人的にはそれより前から)絵をいただいたり、いろいろと関係がある人物なのでご存知だと思いますが、簡単にご説明しときます。
ジョン・セバーソン氏は1933年生まれの…えーと今年81歳ですね。今も元気にマウイ島に暮らしています。
ジョン・セバーソンは13歳でサーフィンを始め、美術学校へ進みサーフィンを題材とした作品を描き始めます。
やがてサーフィンの写真を映像を撮り始め、初期のサーフィン映画製作者の1人となります。映画「ビッグ・ウェンズデー」はジョン・セバーソンが作った同名の作品にジョン・ミリアスがインスパイアされて作られた話は有名です。
その他、GOING MY WAVE、SURF SAFARIなどがあります。ホームページのポスターコーナーをご覧ください。
写真や映像がたまってくると、今度はそれを本にしたくなるのが人情というもの。今でも続いている、サーファー・マガジン誌を1960年に創刊します。
右はロン・ストナーのランスカーソンですね。ロン・ストナーなどのフォトグラファーを見出したのもジョンセバーソンです。
これもたしかロン・ストナー。
これはジョン・セバーソンの写真、イラストも彼です。リンコンのケンプ・オバーグ。一目でわかるスタイル。ハリウッドの「ビッグ・ウェンズデー」の脚本を書いたのは彼のお兄さんのダニー・オバーグ。
この有名な写真もジョン・セバーソンが撮影しました。グレッグ・ノール。
右下はサンセットのジョン・セバーソン。たしかサーファーマガジン、創刊号の写真です。61年のペルーインターナショナルで優勝するなど、サーフィンの方もすごいのです。
ミキ・ドラ、シークエンス。
ジョン・セバーソンのサーフヴィークル、サンセット・スペシャル。本人のペイント。写真はバジー・トレント。
サーファーマガジンのレイアウト。貴重な写真です。編集室には、ジョンセバーソン、ドリューカンピオン、リックグリフィン、ロンストナー、ミキ・ドラ(インタビューでもしたんでしょう)、アート・ブリューワーらの顔が…
リックグリフィンを見出したのもジョンセバーソン
ジョンセバーソンの1970年作品、パシフィック・バイブレーションのワンシーン(メネフネのショップの入り口にポスター飾ってあるやつです)リックグリフィンがバスにペインティングするシーンです。
ちょっと前までのサーフムービーではお約束のシーンでしたが、これもジョンセバーソンが最初なんですね。この映画、素晴らしいんですが音楽の著作権かなんかの関係でDVDに出来ないらしいです。もったいない…。
ジョンセバーソンは71年にサーファーマガジンを売ってマウイ島へ移住。自分で家を建て(その写真も出ています)今でもアーティストとして暮らしています。
前書きはこの方、ジェリー・ロペス アラモアナ 1971
こんな感じで212ページ、キリがありません。
ジョン・セバーソン「SURF」はホームページからどうぞ!
メネフネではオープン時から(個人的にはそれより前から)絵をいただいたり、いろいろと関係がある人物なのでご存知だと思いますが、簡単にご説明しときます。
ジョン・セバーソン氏は1933年生まれの…えーと今年81歳ですね。今も元気にマウイ島に暮らしています。
ジョン・セバーソンは13歳でサーフィンを始め、美術学校へ進みサーフィンを題材とした作品を描き始めます。
やがてサーフィンの写真を映像を撮り始め、初期のサーフィン映画製作者の1人となります。映画「ビッグ・ウェンズデー」はジョン・セバーソンが作った同名の作品にジョン・ミリアスがインスパイアされて作られた話は有名です。
その他、GOING MY WAVE、SURF SAFARIなどがあります。ホームページのポスターコーナーをご覧ください。
写真や映像がたまってくると、今度はそれを本にしたくなるのが人情というもの。今でも続いている、サーファー・マガジン誌を1960年に創刊します。
右はロン・ストナーのランスカーソンですね。ロン・ストナーなどのフォトグラファーを見出したのもジョンセバーソンです。
これもたしかロン・ストナー。
これはジョン・セバーソンの写真、イラストも彼です。リンコンのケンプ・オバーグ。一目でわかるスタイル。ハリウッドの「ビッグ・ウェンズデー」の脚本を書いたのは彼のお兄さんのダニー・オバーグ。
この有名な写真もジョン・セバーソンが撮影しました。グレッグ・ノール。
右下はサンセットのジョン・セバーソン。たしかサーファーマガジン、創刊号の写真です。61年のペルーインターナショナルで優勝するなど、サーフィンの方もすごいのです。
ミキ・ドラ、シークエンス。
ジョン・セバーソンのサーフヴィークル、サンセット・スペシャル。本人のペイント。写真はバジー・トレント。
サーファーマガジンのレイアウト。貴重な写真です。編集室には、ジョンセバーソン、ドリューカンピオン、リックグリフィン、ロンストナー、ミキ・ドラ(インタビューでもしたんでしょう)、アート・ブリューワーらの顔が…
リックグリフィンを見出したのもジョンセバーソン
ジョンセバーソンの1970年作品、パシフィック・バイブレーションのワンシーン(メネフネのショップの入り口にポスター飾ってあるやつです)リックグリフィンがバスにペインティングするシーンです。
ちょっと前までのサーフムービーではお約束のシーンでしたが、これもジョンセバーソンが最初なんですね。この映画、素晴らしいんですが音楽の著作権かなんかの関係でDVDに出来ないらしいです。もったいない…。
ジョンセバーソンは71年にサーファーマガジンを売ってマウイ島へ移住。自分で家を建て(その写真も出ています)今でもアーティストとして暮らしています。
前書きはこの方、ジェリー・ロペス アラモアナ 1971
こんな感じで212ページ、キリがありません。
ジョン・セバーソン「SURF」はホームページからどうぞ!
昨日のブログの最後でボンザーのことを書いたら何となく読みたくなって、73年のSURFERマガジンを引っ張り出して、ビング・コープランドとマイク・イートン、ダンカン、マルコムのキャンベル兄弟の対談を読み返してみました。
個人的な感想なのかもしれませんが、海でたくさんの種類のサーフボードを目にする中で、どうしてなのかボンザーは目にする機会が少ないように思います。
調子いいんですけどね~。
ボンザーは、1970年ごろからキャンベル兄弟によって作られはじめました。彼らのお父さんが、船舶技師で特に船のスピードを上げることに熱意を持っており、そのスピード理論をサーフボードのボトムに応用したのがボンザーデザインです。
三枚のフィンを持った始めてのサーフボードのひとつですが、のちのサイモン・アンダーソンのトライフィンとはリンクはありません(無関係とは言い切れませんが)
前方のコンケーブからセンターフィンの前にある二枚のウィングの間に水の流れを取り込んで、ウィングによって後方へ噴出させてスピードをアップさせる理屈です。ベンチューリとベルヌーイの定理だと言いますが、その辺は私のアタマでは理解不能です。
キャンベル兄弟はあちこちのサーフボード工場へこのデザインを持ち込みますが、その理論の確かさを理解したのはマイク・イートンだけだったと言っています。こうして1973年にビング・ボンザーが誕生します。
マイク・イートンはボンザーの性能の確かさを裏付けるひとつの話として、ノーズショアのサンセットビーチでの出来事をあげています。
ハワイアンサイズで8フィートのサンセットで、ミスターサンセット、ジェフ・ハックマンを6’6”のボンザーに乗せます。当時としては標準の長さだった7’2”のジェフ・ハックマンのシングルフィンを借りてマイク・イートンは沖へ出ますが、ジェフ・ハックマンはあきらかにいつもより速いスピードでサンセットの波を滑り、二時間半のセッションの間、自分のボードと取替えにくることはなかったそうです(そのあとジェフ・ハックマンはボンザーに乗るようになります)
実際、ボンザーに乗ると分かりますが、あきらかにターンは伸びてスピードも出ます。テイクオフも速くなります。よりマニューバをしたければ、5フィンのボンザーがあります。
それではどうしてボンザーがもっと出回らないのか?おそらく見た目のせいだと思います。知らない人は大抵「引っかかりそう」と言います。本当は逆なんですけど…
対談の中でマイク・イートンも言っています。キャンベル兄弟のボンザー理論をどれだけ(口頭や紙の上で)説明しても、この風変わりな外観のボードが海で機能するとは信じられないだろうと。
なんだか今も昔も変わらないと思いました。
そんな優れたデザインがどうして今でもマイナーなままなんだと疑問に思うかもしれません。73年にビングボンザーが誕生したあと、ビングサーフボードはあるサーフボードメーカーに買収されます。キャンベル兄弟は権利を買ったそのボードメーカーが、「にせもの」のボンザーを作るのに全く口を出せなくなってしまうのです。
76年には全てが消え去ったと、マット・ワーショウはサーフィン・エンサイクロペディアに書いています。80年代に入って、よりマニューバ性が高い5フィンのボンザーが作られますが、トライフィン、コンテスト全盛の時代の流れはあまりにも大きすぎたと思います。
ボンザー乗ったことありますか?乗ってみる価値が多いにあるボードデザインです。私は、KK BEANで3フィンのボンザー作ってもらおうと思ってます。
ボンザー興味ある方は、こちらもどうぞ。マルコム・キャンベル氏のインタビューです。
さて、今日到着のこのウェットは自分用。ショートジョン。クラシックなカラーでいいでしょ?
このショートジョンを着て、68年製のVEEボトムに乗ったら、気分はまさにEVOLUTIONです。
個人的な感想なのかもしれませんが、海でたくさんの種類のサーフボードを目にする中で、どうしてなのかボンザーは目にする機会が少ないように思います。
調子いいんですけどね~。
ボンザーは、1970年ごろからキャンベル兄弟によって作られはじめました。彼らのお父さんが、船舶技師で特に船のスピードを上げることに熱意を持っており、そのスピード理論をサーフボードのボトムに応用したのがボンザーデザインです。
三枚のフィンを持った始めてのサーフボードのひとつですが、のちのサイモン・アンダーソンのトライフィンとはリンクはありません(無関係とは言い切れませんが)
前方のコンケーブからセンターフィンの前にある二枚のウィングの間に水の流れを取り込んで、ウィングによって後方へ噴出させてスピードをアップさせる理屈です。ベンチューリとベルヌーイの定理だと言いますが、その辺は私のアタマでは理解不能です。
キャンベル兄弟はあちこちのサーフボード工場へこのデザインを持ち込みますが、その理論の確かさを理解したのはマイク・イートンだけだったと言っています。こうして1973年にビング・ボンザーが誕生します。
マイク・イートンはボンザーの性能の確かさを裏付けるひとつの話として、ノーズショアのサンセットビーチでの出来事をあげています。
ハワイアンサイズで8フィートのサンセットで、ミスターサンセット、ジェフ・ハックマンを6’6”のボンザーに乗せます。当時としては標準の長さだった7’2”のジェフ・ハックマンのシングルフィンを借りてマイク・イートンは沖へ出ますが、ジェフ・ハックマンはあきらかにいつもより速いスピードでサンセットの波を滑り、二時間半のセッションの間、自分のボードと取替えにくることはなかったそうです(そのあとジェフ・ハックマンはボンザーに乗るようになります)
実際、ボンザーに乗ると分かりますが、あきらかにターンは伸びてスピードも出ます。テイクオフも速くなります。よりマニューバをしたければ、5フィンのボンザーがあります。
それではどうしてボンザーがもっと出回らないのか?おそらく見た目のせいだと思います。知らない人は大抵「引っかかりそう」と言います。本当は逆なんですけど…
対談の中でマイク・イートンも言っています。キャンベル兄弟のボンザー理論をどれだけ(口頭や紙の上で)説明しても、この風変わりな外観のボードが海で機能するとは信じられないだろうと。
なんだか今も昔も変わらないと思いました。
そんな優れたデザインがどうして今でもマイナーなままなんだと疑問に思うかもしれません。73年にビングボンザーが誕生したあと、ビングサーフボードはあるサーフボードメーカーに買収されます。キャンベル兄弟は権利を買ったそのボードメーカーが、「にせもの」のボンザーを作るのに全く口を出せなくなってしまうのです。
76年には全てが消え去ったと、マット・ワーショウはサーフィン・エンサイクロペディアに書いています。80年代に入って、よりマニューバ性が高い5フィンのボンザーが作られますが、トライフィン、コンテスト全盛の時代の流れはあまりにも大きすぎたと思います。
ボンザー乗ったことありますか?乗ってみる価値が多いにあるボードデザインです。私は、KK BEANで3フィンのボンザー作ってもらおうと思ってます。
ボンザー興味ある方は、こちらもどうぞ。マルコム・キャンベル氏のインタビューです。
さて、今日到着のこのウェットは自分用。ショートジョン。クラシックなカラーでいいでしょ?
このショートジョンを着て、68年製のVEEボトムに乗ったら、気分はまさにEVOLUTIONです。
DEREK HYND, RYAN BURCH
二つ下の記事で紹介した、ロングボードマガジンから発売されたビデオ’POWER GLIDE’に続く第二弾のビデオが’CONTOURS’です。
POWER GLIDEと、このCONTOURSにはかなり影響を受けたように思います。
ジョエル・チューダーとデイジー・シェーン、それにデヴォン・ハワードのメキシコのシーンがあるのですが、このシーン大好きでした。
ジョエル・チューダーはドナルド・タカヤマのサイドフィン付きのラウンドピンテールに乗っているのですが、クラシックなスタイルと、パフォーマンススタイルのマニューバとスピードがミックスされたサーフィンがむちゃくちゃカッコイイのです。
映像を見ながら適当にシャッターを押しただけですが、どこを切ってもこの通り。
ロングボードはこう乗るんだ、と言わんばかりの映像です。
あまりのスムースさにラウンドピンテールのロングボードに乗りたくなりました。ラウンドピンのロングボードはなぜか人気が低いらしいですが、シングルフィンでエッジが無いクラシックなロングボードのラウンドピンは、かなりスムースで気持ちいいサーフィンできます。
ラウンドピンが好きな私は力説したい気持ちですが、とりあえずそれは置いておいてCONTOURSと一緒にいろいろなビデオが出てきました。
リバース・オブ・ザ・クールは93年、フレッチャー・メディアのサマータイムブルースも同じくらいのはずです。まだロングボードの情報が少ないころの貴重な情報源でした。
それにスムースン・カジュアル(これ一作目ですか?)にLET IT FLOW。クラシックなロングボードのリバイバルはジョエル・チューダーの影響も大きいですが、これらのビデオの影響も大きいです。
そういえば、LET IT FLOWには確かカリフォルニアの貴重な波の映像があったような記憶が…(これから見直してみます)
The embryo of FINE FLOWのフルバージョンがVIMEOにありました。
タイラーサーフボードとマット・ハワード、ブリタニー・クインの二人がフューチャーされていますが、この二人は現在のアレックス・ノストやタイラー・ウォーレン、ロビー・キーガルらに大きな影響を与えています(VIMEOの解説にも書いてあります)クラシックなログライディングのリバイバルはここからも始まっているのです。
CONTOURSで、マリブでジョエル・チューダーとジミー・ガンボアが登場するシーンがあります。90年代の終わりごろ、ガンボアさんはもうハルに乗っているよな~と考えながら見ていたら、特徴あるフィンとテールがビーチの日よけ小屋の屋根の上に乗っているのがばっちり写っていました。
そんなところにも次の時代への’embryo(萌芽)’が見えるのがとても興味深いです。
映像はその時代を映し出すとともに、新しいものを発信する力があります。新しい才能は、そこから感じ取ったものを形にし、次なる新しいスタイルを作り出します。ロングボードのリバイバルから始まった一連の流れをこれらの映像作品を通して見ることができるのは、とても興味深いことです。
どこかのサーフメディアさんがここいらで一度、そんな流れをまとめて記録として残しておいてくれたらなあと思います。
POWER GLIDEと、このCONTOURSにはかなり影響を受けたように思います。
ジョエル・チューダーとデイジー・シェーン、それにデヴォン・ハワードのメキシコのシーンがあるのですが、このシーン大好きでした。
ジョエル・チューダーはドナルド・タカヤマのサイドフィン付きのラウンドピンテールに乗っているのですが、クラシックなスタイルと、パフォーマンススタイルのマニューバとスピードがミックスされたサーフィンがむちゃくちゃカッコイイのです。
映像を見ながら適当にシャッターを押しただけですが、どこを切ってもこの通り。
ロングボードはこう乗るんだ、と言わんばかりの映像です。
あまりのスムースさにラウンドピンテールのロングボードに乗りたくなりました。ラウンドピンのロングボードはなぜか人気が低いらしいですが、シングルフィンでエッジが無いクラシックなロングボードのラウンドピンは、かなりスムースで気持ちいいサーフィンできます。
ラウンドピンが好きな私は力説したい気持ちですが、とりあえずそれは置いておいてCONTOURSと一緒にいろいろなビデオが出てきました。
リバース・オブ・ザ・クールは93年、フレッチャー・メディアのサマータイムブルースも同じくらいのはずです。まだロングボードの情報が少ないころの貴重な情報源でした。
それにスムースン・カジュアル(これ一作目ですか?)にLET IT FLOW。クラシックなロングボードのリバイバルはジョエル・チューダーの影響も大きいですが、これらのビデオの影響も大きいです。
そういえば、LET IT FLOWには確かカリフォルニアの貴重な波の映像があったような記憶が…(これから見直してみます)
The embryo of FINE FLOWのフルバージョンがVIMEOにありました。
The Embryo of FineFlow from Fine Flix Films on Vimeo.
タイラーサーフボードとマット・ハワード、ブリタニー・クインの二人がフューチャーされていますが、この二人は現在のアレックス・ノストやタイラー・ウォーレン、ロビー・キーガルらに大きな影響を与えています(VIMEOの解説にも書いてあります)クラシックなログライディングのリバイバルはここからも始まっているのです。
CONTOURSで、マリブでジョエル・チューダーとジミー・ガンボアが登場するシーンがあります。90年代の終わりごろ、ガンボアさんはもうハルに乗っているよな~と考えながら見ていたら、特徴あるフィンとテールがビーチの日よけ小屋の屋根の上に乗っているのがばっちり写っていました。
そんなところにも次の時代への’embryo(萌芽)’が見えるのがとても興味深いです。
映像はその時代を映し出すとともに、新しいものを発信する力があります。新しい才能は、そこから感じ取ったものを形にし、次なる新しいスタイルを作り出します。ロングボードのリバイバルから始まった一連の流れをこれらの映像作品を通して見ることができるのは、とても興味深いことです。
どこかのサーフメディアさんがここいらで一度、そんな流れをまとめて記録として残しておいてくれたらなあと思います。
バックポケットをデザインファブリックでオーダーいただいた、HI STANDARD。いい感じに出来上がりました。
デザインファブリックはヴィンテージやデッドストックの生地を使うので、サーフトランクスとしての強度を考えると使える箇所は「ポケットまで」になります。柄はお任せになりますが、こんなのも作ることができます。
自分のトランクスも早く出来上がらないかと、待ち遠しいです。
全く話は変わりますが写真を整理していたらこんなのが出てきました。
10年くらい前のハワイ。ワイプアウトしてボードのノーズが目の上に当たってケガしたときの写真です。ボードはカツさんのホットマンゴーでした。ワイキキのドクターオンコールで7針縫ってもらって、1針あたり$100計算でした。カードの旅行保険でカバーしたのでお金はいいとして、右目の眉のすぐ上だったのでちょっとずれて目玉に当たってたらやばかったです。
沖からパドルで戻るボードのデッキに血がポトポト垂れてくるので、こりゃヤバイかなあ~と思ってビーチに戻ったら、ダッシュしてきたライフガードにあっと言う間に、頭を白い包帯でグルグル巻きにされちまいました。
書いていたら思い出したのが上のケガを遡ること5年ほど昔、大きな波に巻かれてロングボードのフィンがこめかみに当たって出血&フィン大破したことがあります。
血をタラタラ流しながらボードを抱えて駐車場まで戻って、傷口を洗っとこうとシャワーのところに行くと足元に転がっている人が…。その人は裏返ったボードのフィンの上に足から着地してしまったみたいで、土踏まずからカカトまでザックリとやって流血中。
あららオレより大変…と自分はこめかみから血を流しながら、出血でショックでも起こしたら大変と傍で話しかけながら様子を見ていましたが、無事に(?)救急車でウェットスーツのまま運ばれて行きました。
幸い自分のはそれほど大変じゃなくて、こめかみに血をにじませながら後片付けしてから帰りましたが、あれ以来フィンのエッジはサンドペーパーで丸めるようになりました。
なんだか今日は、ケガのお話で…すいません。
ケガ自慢コメント、歓迎しますよ(笑)
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