MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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ナルトトランクス、工場見学行ってきました。ナルトトランクスはその名前のとおり、四国は徳島県のうずしおで有名な鳴門市にあります。もちろん工場見学にかこつけて徳島、淡路、明石、神戸とたっぷり遊んできましたよ。

徳島へは、新宿バスタから夜行バスで。徳島駅まで、8時間のバス旅です。

夜行バスは初めて。海外への飛行機ではほぼ寝られない人なので、8時間は大変かなあと少々不安だったのですが、いつのまにか眠ってしまって気が付けば徳島へ到着していました。

夜行バス、意外と快適でした。今回は空いていたので問題ありませんでしたが、コツとしては車内への持ち込み荷物はできるだけ少なく、楽な服装でが良いみたい。

それで、到着したのは、アワ・カリフォルニア。ヤシの木がラ・シェネガみたいでしょ 笑。


すぐ横では、阿波踊り。徳島駅前です。


時間は朝の七時。早起きのうどん屋さんをみつけて朝ごはんです。

久しぶりの関西圏のうどんにテンションあがりますが、今回の最大の出会いはこのおつゆ。一見、けんちん汁のようですが、そば米汁といって、野菜や鶏肉と一緒に炊いたそばの実の雑炊です。徳島の郷土料理だということですが、これが旨いのです。

すっかり気に入ってしまって、そば米探して買い込んできました。

そして、徳島駅から鳴門行きのディーゼル列車に乗ってナルトトランクスへ。


ここで下車。右へ行くと鳴門海峡、左へいくと高松です。


駅まで、ナルトのキヨシくんが迎えにきてくれました。ナルトトランクスの工場は駅のすぐ近く。おしゃれな建物です。


さっそく工場見学。陽当たりの良い工場では、職人さんがトランクスを縫っています。暖かい日差しの下、ミシンの音が柔らかく響いているのが心地よい空間です。ここでみなさんのトランクスが縫われているのです。

履かれている方ならわかると思いますが、ナルトトランクスは細部まで細かく作りこまれています。けれども職人さんたちの手先を見ていると、とても慣れた手つきで難しさを感じさせません。リラックスした、熟練の手つきだと思いました。

色を迷っていましたが、結局ネイビーでお願いしました。60年代を真似た、かなりクラシックなデザインです。来年の夏が楽しみです。


午前中たっぷり見学させていただいた後は徳島市内観光。夜はナルトのキヨシくんに、阿波尾鶏の焼き鳥と鳴門金時の焼酎をたっぷりごちそうになって、翌日は淡路島へ。

午後から強くなった雨風が通り過ぎたあとは、素敵な景色が広がっていました。

対岸の神戸・三宮から大阪、岸和田まで見渡す絶景です。

淡路島は鳴門大橋、明石大橋と道路でつながっているので、いまひとつ島という感じがしないのですが、船で明石まで行ってみるとやっぱり島です。南風の吹き戻しで強くなった冷たい北風で荒れた海面からのしぶきを浴びながら対岸へ向かいます(そんな日にわざわざデッキに出ているのは、私たちと子供だけ 笑)

明石大橋がきれいです。

楽しみにしていた、明石の魚の棚(うおんたな)。

昼網と呼ばれる、昼近くにセリ落とされた活きのいいサカナが並ぶ商店街は、子供のころの長崎の市場と同じ雰囲気です。

サカナの活きがいいとこは人間の活きもいいのです。鯛が飛び跳ねてました 笑。


干しダコに煮ダコに煮貝を買って、店先に並んでいる旨そうな刺身がどうしても食べたくなったのでお作りにしてもらい、市場内の立ち飲み屋に鯛とアワビの刺身を持ち込ませてもらって、至福の一杯の昼飯です。本物の鯛、久しぶりに食べさせていただきました(ちなみに、鯛半身とアワビ1個で税込み(笑)2.100円也)


明石の鯛とタコをたっぷり堪能し、夕刻の三宮を散策して、新幹線で自宅へ帰ってきました。

ここでは書ききれない、たっぷり濃密な三日間でした。ナルトトランクスのことも改めてまた書かせてもらおうと思っております。

徳島で聴いたこの曲、徳島を歌った歌ですがふるさとを持つ人みんなの心に響いてくるように思いました。きっとそういう土地なんでしょうね、徳島は。


徳島、淡路、明石、神戸、ぜひまた時間を作って行ってみたいと思います。






お休みいただいて、島へ行ってきました。「島」というと、南の島を思い浮かべるかもしれません。

行ったのは日本海に浮かぶ、新潟県の佐渡島。佐渡行きのジェットフォイル乗り場で買ったキャンバストート。おしゃれでしょ。


ジェットフォイル(ハイドロフォイル)はすごいです。船窓からみていると、結構な大きさのうねりがある、風でガタガタの海面をさほどの揺れもなく、時速80キロを越えてスムースに走っていきます。ハイドロフォイルをサーフィンに応用した、スタンレー・プレスクナス(レアード・ハミルトンがやってるやつです)は天才ですね。

フェリーなら二時間半かかるらしいですが、1時間もかからずに、佐渡が近づいてきます。あっと言う間です。


黒い光沢がある能登瓦の屋根が並ぶ家並みは、イメージどおりの北国の海辺の街の雰囲気です。美味しいお米がとれる広い田んぼと板張りの家、そして海。南島とは違う景色を見たくて、やってきました。


江戸から平成まで続いていた金山の遺構、明治以前の姿を残す北前船の街、紅葉が見事な山、美味しい魚とお米。

日本の伝統色にもあるトキ色(検索してみて)の羽をひろげて飛ぶ、野生のトキを見たときには本当に感動しました。美しいと思いました。伝統色になるくらい、昔は普通にいた鳥だったんです。

観光しながら回った、280キロあるという海岸線は美しく、波乗りできそうなところもたくさんありました。

外海府と呼ばれる北側の海岸はリアス式海岸で、切り立った地形の岩場です。西~北西の風が強く吹いていて、そちらの方角に向いた海岸にはうねりになった波が打ち寄せていました。


夏の穏やかなときは、さぞきれいでしょうね。


レフトのポイントかな。決まったときには長く乗れそうです。


漁村のテトラの横のレフト。いったん崩れてリフォームした波が、テトラのインサイドでこんどはレギュラーにブレイクしていました。


雄大なロケーションにブレイクするレギュラーの波。こんなところで波乗りしてみたい。


波乗りで行ったわけではないのですが、どうしてもこういうのが気になってしまいます。機会があればやってみたいですが、新潟からも時間かかるし、いい波を当てるのはかなり難しそうです。よほど運がいいか、地元ならではの波だと思います。

サカナは普通に美味しかったです。何気なく頼んだ刺身定食が旨いこと。

長崎で育ったので美味しいサカナの味は知っているつもりですが、これは美味しい。やっぱり島は違います。佐渡産のコシヒカリも、これまた美味しいのです。

お米も魚も美味しいのですが、これは美味しいと感動したのがこれです。


おけさ柿です。地味ですが、柿です。これがとにかく美味しくて、重たいのを頑張ってたくさん担いで帰ってきました。

佐渡、夏の穏やかな海はさぞきれいなんでしょうね。冬の雪景色も見てみたいですが、雪慣れしていない私には危ないか…。

海外もいいですが、自分が住んでいる日本も素晴らしいのです。国内を旅するといつもそう思います。

また行きたいな~。

いいお休みでした。今日からいつもどおりに営業しております。





飛行機を降りるとそこは南国だった。雨で肌寒い東京から履いてきたデニムのパンツは重く、少し歩くだけで汗が吹きだしてくる。空港と対岸をつなぐ橋から見える海と空と雲はまだ真夏のコントラストであった。



というわけで行ってきました、長崎へ。

ここが自分にとっての故郷か?と自らに問うてみますが、だんだんとその意識は薄らいできているように思います。長崎を離れてからもう30年以上経ちます。

移り住んだものにとって、離れてしまった土地はその時で時間が止まっているのです。そして、たまに戻って来てはその変化に驚き、自分がそこにいた時代を懐かしむことしかできません。よく知っているだけに時間に取り残されてしまうことになります。

それでも、長崎名物の坂と階段を登り、高いところから見下ろすと細部はぼやけ、自分が知っている長崎の景色へと時間が戻ったような気がして、少しだけほっとするのです。

階段を登りつめた先にあった青い街区表示板。昔と変わらない町名とそこから見える景色に、ふと昔の残り香のようなものを感じて振り返ります。


坂本龍馬の亀山社中も高台にありましたが、ここも街区表示板と一緒だと、どことなく懐かしい雰囲気。町名と同じ名前の小学校へ小3まで通っていました。


その小3まで住んでいた場所は、ものの見事に様変わり。昔は酒屋さん。今はきれいさっぱり建て替わって、7-11です。脇を流れる川と橋の欄干は昔のままです。


私の母は通りの左側、軽トラの上にあるオレンジ色の看板の先の建物で洋品店を営んでいました。

市場通りに昔の賑わいはありません。お好み焼屋、包装紙屋、貸衣装屋、うどん屋、書店、八百屋に魚屋、個人商店が元気だったころの残り香はほとんどありません。

この商店街の中心に立つデパートは、今年の8月いっぱいで営業をやめてしまったようです。今年はそういう出来事が多く、そのたびに自分の中で火がひとつずつ消えていくような気がしていました。


時間の流れが残酷なものだと感じるようになったのは、それだけの年月を生きてきた証拠かもしれません。

かろうじて営業しているデパートの1階にある市場。市場に漂っている匂いは昔と変わりません。揚げカマボコの油の匂い、うどん屋のつゆの匂い、焼き鳥屋(昔は鰻屋)のタレが焼ける匂い。そんなのが交じり合い、ほんの一瞬だけ市場で遊んでいた子供のころに戻ったような気がしました。匂いの記憶です。


もう少しだけ、街区表示板にお付き合いください。

お寺さんがたくさん集まっているので、寺町。小学校低学年の頃はこの石段を走り回って遊んでいました。


昔は味噌や醤油作りなどに使う麹を作っていたんでしょうね。


どれも長崎に住んでいた私にとっては、なじみ深い町名です。町名を聞くと細部ははっきりとはしないままにも、その場所のイメージがおぼろげに意識の中に浮かんできます。

最後は実家の近く。

中学へ通っていた通学路の、川沿いの細い道。昔と何も変わりません。長崎で街に金木犀の香りが漂うのはちょうど今の季節で、東京よりもひと月遅れ。

文化祭の準備で遅い時間まで学校に残り、すっかり暗くなった道をその日がんばった充実感を余韻に、友達と一緒に帰る道すがらに漂っていたのが金木犀でした。いまでも金木犀の香りをかぐと、あのころの記憶が蘇ってきます。

これだけはいまだ東京の方に違和感を感じる、季節の香りの記憶です。


私はここのちゃんぽんが好きです。味はさっぱりめ。ちゃんぽん麺の唐灰汁の匂いもやっぱり長崎です。


あいまいなもの、あざやかなもの、記憶というものは自分のこころの中から漂ってくる香りのようなものなのかもしれません。

また長崎行きます。




はやくも週末ですが、今週の営業は今日で二回目。今週は遊んでばっかりでした。東京ばっかり行っておりました(ここも東京都ですが、もっと都心の東京です)池袋、新宿、原宿、渋谷、あらためて見直してみると東京って面白い街だと思います。海外からの観光客がたくさんなのもうなづけます。

昨日は美味しい昼飯を食べたあとに見舞われた大雨の雨宿りがてら、新宿のヒップな百貨店をのぞいてみました。百貨店というとおじさん、おばさん御用達のがらっと広い平場の売り場を想像しがちですが、そういう雰囲気を残しつつも扱っている商品は専門店的。でもテナントの集合体ではない巧妙な売り場構成。

私もかつては百貨店で働いていましたから、そういうのを見るのは好きだし、楽しいのです。

そんな中で目に留まったのが、あるブランドロゴでした。代官山がまだ普通の住宅地だったころからある、アイコン的存在の洋服屋さんのブランドのひとつです。

約30年前、まだ学生だったころ、アルバイトでそのブランドロゴが付いた洋服を販売しており自分でも良く着ていました。

手に取ってみれば、ロゴのデザインも変わっていないし、モノづくりの雰囲気も変わっていません。30年前そのままのデザインのジャケットもあったり、昔のままなのです。

いまでも同じものを作ってるんだなあと思うと懐かしい気持ちとともに、なんだかとても嬉しくなってしまいました。

同じモノを作ること自体は簡単ですが、それを長年にわたって続けていくことはとても難しいことだと思います。

新しいモノは面白いし刺激もあります。それに何より私ら日本人の気質は、昔から新しいものが大好き、ときています 笑。

長年気に入って使ってきたモノが、消耗したり壊れてしまったりしたとき、また同じモノを手に入れようと探すとこれがなかなか見つからない。大抵はモデルチェンジしていたり、すでに生産されなくなっていたりと、そんな経験は誰にも多少なりともあると思います。

それだけに、あの空間の中で見つけた昔と変わらない形は、とても新鮮に目に映りました。

それが自分がやっていること、つまりサーフボードを作ることに当てはまるのかどうかは分かりません。でも、ひとつ気が付いたことは、私らサーファーにとって「変わらないこと」とは、サーフィンを続けること。キープサーフィンなのかな、ということです。

そんな中で、私がやっていることや考えていることに少しでも興味を持っていただければ、こんなに嬉しいことはありません。最近は「ブレなく」なってきましたから、私 笑。


さて、東京ばっかり行ってちゃいけません。サーファーは海に行かなくちゃ。

17号ができましたが、今回はどの気象予想サイトも同じ予想で、そのまま西へ抜けてしまう予想です。もしかしたら来週の初めに、ほんの少しだけうねりが入るかも、という淡い期待のみのようです。





伊豆の温泉街へ遊びに行ってきました。古くからの温泉地、かつては新婚旅行のメッカだった、熱海です。私がまだ子供だったころ、ゴジラにキングコング、それにガッパが暴れまわった街です。

駅を降りると(旅行は電車で行く主義です)、懐かしい雰囲気のアーケード。

いたるところに昭和の残り香が漂っています。


早い時間なのでシャッターはまだ閉まってしますが…。


かつての賑わいが無くなったさびれた温泉街という勝手なイメージだったのですが、見事に裏切られました。若い人たちもたくさん遊びに来ていて、たくさんの人でにぎわっていました。


着いた日はあいにくの天気。でもこれはこれで好きな雨の海。グレイの海と空でぼやける水平線をながめていると気持ちが落ち着きます。


翌日も予報は雨だったのですが、朝起きて部屋のカーテンを開けると…。

光に照らされた朝の海が広がっていました。沖に見えているのは初島です。

朝風呂に浸かりさっぱりして、軽くストレッチをした後に朝の海を感じながら瞑想。静かな気持ちで座ります。


後ろの山からはひんやりとした風が吹いて、磯の岩に砕ける波の音を聞きながら気持ちよく座ることができました。

朝の海は好きです。波に乗るために誰よりも早く寝床を抜け出すサーファーですが、波だけではなく、こういうものも海へと向かわせてくれる理由のひとつだと思います。


もちろん、美味しいサカナもたくさんいただいてきました。


熱海、また行きます。







黄金週間も大詰めですが、私もちょこっとだけ連休をいただいて、遊んできました。昔っから、人が遊んでいるときに働くスタイルですが、少しだけGW気分をいただきました。

1日目は最近できた、話題の新宿南口に。ずーっと工事していたところです。


見方を変えると、東京もいろんなところがあって面白いです。そういえばうちのショップも東京都でした 笑。




東京のどこへ行っても、海外からの観光客と思われる人たちがたくさんいます。そういう人たち向けの旅行案内を見ていると、自分たちが住んでいる日本というのはきれいな国なんだなと思わされます。

東京だけでなく日本全国、あらためて見ると素敵なところが本当にたくさんあります。海外にばっかり目を向けていてはいたら、大事な物を忘れてしまいますよ。

二日目は奥多摩のマス釣り場へ。ここも東京都です。


河鹿蛙の鳴き声と渓流が流れる音を聞きながら、釣り糸を垂れるのはかなり贅沢。海釣りには無い醍醐味です。

まさにこんな感じ。
https://youtu.be/R7QrVhALZio

養殖のマスを定期的に放流しているので、釣果はお約束です 笑。

まずは塩焼き。川魚には焼酎がよく合いますね。


残ったマスは開いて干物にします。


干物が楽しみです。

二日間たっぷり楽しんで、今朝は軽くランニング。奥多摩とそんなに変わりません。







お休みをいただいて長崎へ行ってきました。何度か書いていますが、長崎は私が小、中、高校(プラス浪人1年)の計13年間住んでいたところです。

子供時代から10代後半まで過ごした街は、自分の根っこの部分になっているように思います。大好きなところです。

有名な観光地のひとつグラバー邸。明治維新に影響を与えたイギリス商人がかつて長崎で住んでいた家です。行ったの何十年ぶりでしょう?洋館と港の長崎らしい景色です。


観光地めぐりはグラバー邸くらいにしておいて、遠足でよく登った岩屋山という山に登ってみることにしました。自宅のすぐ裏にそびえる、475mの低山です。

登山道までの道のりは覚えていましたが、登り口にはちょっと迷ってたどりつきました。


地図は持っていませんが、子供の頃に初日の出を見るために懐中電灯片手に登ったこともある山です。なんとかなるでしょうと登り始めます。

かなりざっくりした地図発見。登れば頂上に着くということくらいしか読み取れません。


登山道は石がごろごろした、結構な急斜面。記憶にはまったく残っていません。


道がよくわからないので、地形を見ながら勘を頼りに登っていきます。

登ること約30分。急にすっぽりと視界が開け、あっけなく山頂に到着です。山頂のこのほこらは見覚えあります。遠足でよく弁当を食べた場所です。


低山とはいえ、景色は最高です。

正面に見えている山頂に鉄塔が立っている山が稲佐山という、夜景を見にいく有名なスポットです。河が流れる先に港が少しだけ見えています。


少し右に目を移すと海が。東シナ海です。


天気は快晴。秋の風が最高に気持ちいい山頂です。いつまでも景色を眺めていたかったのですが、いい気持ちのうちに下山です。山の東側から登ってきましたが、下山はルートを変えて北側へ降りてみることにしました。

途中、こんなのを発見。近づいてみると、ヒズメの跡と泥の表面に毛皮を擦り付けた跡が筋状に残っています。イノシシのヌタ場です。そういえば子供の頃、山からイノシシが降りてきて騒ぎになったことを思い出しました。


イノシシとも鉢合わせせず、緩やかな林道を気持ちよく下山して市街地に出ます。

山頂から見えていた河です。


こっちに降りてきた理由は昼飯。ラーメンより、うどん、そばよりも好きな麺類です。

チャンポンとハーフサイズの皿うどん。

今回行ったのは宝来軒別館。爆心地公園のすぐ近くなので、長崎観光の折りにはぜひお試しください。旨いです。

食べ物ついでに、長崎の老舗「吉宗」の茶碗蒸しと鯖のばってら。




卵を柔らかく、出汁がちに蒸したとでも言えばいいのかとにかく美味しい茶碗蒸しです。ばってら名物。思わず「うまい」と声が出てしまいました。

こちらも長崎観光の折りにぜひ。

朝まだ早い長崎の港。


朝の海はやっぱりいいですね。


久しぶりに山に登り、改めて長崎は山と海の街だと思いました。

本日から平常どおり営業しております。25号は先週の予想よりゆっくりで、私が戻るのを持っていてくれたかのようです。体調整えて海へ行きたいと思います。





お休みありがとうございました。9月11日、12日と一泊で広島へ行ってきました。久しぶりの新幹線。山陽新幹線は開通した年(1975年)に乗ったきりです。いまだ当時のイメージをひきずっている私は、広島まで3時間40分ちょっとと聞いてびっくり。それでもリニアいるんでしょうか?十分速いと思うんですが。

そんな訳で昼前には広島駅に到着。そのまま世界遺産の厳島神社へ向かいます。宮島です。当たり前ですが、道の名前は宮島街道、駅も宮島口、焼き物は宮島焼き、その他いたるところに宮島の文字に、人々の口からも「みやじま」の声が聞こえてきてなんとなく落ち着きません。

でも初めてみるこの鳥居に感動。ちょうど大潮の干潮で、鳥居まで歩いていけます。


潮が引いていると普通の神社ですが…


潮が満ちてくると、景観が一変します。

満潮のときも見たくて、翌日の朝にもういちど行ってみました。回廊の板張りのすき間から海面が見えます。


鳥居は海の真ん中。


社殿も海の上。


潮の時間はみなさんお手のものだと思いますが、宮島観光には潮位が大事です。

神社の後ろには弥山(みせん)という標高500メートルちょっとの山がそびえています。お宮の森として古来から手付かずの森が残っていて動植物にはこの島の固有種がいるそうです。

時間がたっぷりあればゆっくり歩いて登ってみたいですが、今回はロープウェーで。鳥居が小さく見えてます。



私の瀬戸内海のイメージはこんな感じ。いろいろな島に行ってみたいです。



そして広島のもうひとつの世界遺産。

原爆ドームです。実際に見るのは初めてです。なんでもそうですが、写真で見たり話に聞いたりするのと実際に見るのは違います。しばらく声が出ませんでした。


被爆前の写真。後ろのベージュのビルのあたりが爆心地です。


原爆資料館。修学旅行の中学生たちがたくさん。ここで体験したことを基にして、もっと学んでくれたらと願います。学ぶべきことはとてもたくさんあります。学ぶことは受験のためだけじゃないのです。



限られた時間を忙しく動き回っていますが、もちろん食べるものにも手は抜きません。

これは、あなごめし。

宮島口の「うえの」というお店の弁当。店で食べるのは一時間待ちということで、時間がもったいないのですぐに買えるお弁当にしました。

弁当買って宮島に渡って、海を見ながら食べましょうと楽しみにしていたら、おもわぬ落とし穴が…。

こいつらです。

弁当食べていると、わたしもあなごが食べたいの~と寄ってきます。

鹿の攻撃はなんとかかわして無事食べ終わりましたが、あちこちで観光客が襲われていました。宮島に行く方は弁当食われないよう、ご注意ください。まあ基本的にはかわいいんですけどね、鹿。

夜は天ぷら。

これ、ホルモンの天ぷらです。センマイ、ガツ、ギャラなど柔らかくゆがいたか、揚げたかで脂が抜けたものを天ぷらにしています。

うまいです。

これはつきだし。しょうゆで甘辛く煮付けたようなホルモン。これもおいしい。


瀬戸内海が目の前ですから、こういう店でも刺身はうまかったです。刺身のしょうゆが甘みがある刺身しょうゆだったのでびっくり。広島もそうなんですね~(ちなみに私の実家の長崎にも同じようなしょうゆがあります)

〆はホルモン汁。脂はほぼ無し。おもいつきで白飯をもらって、入れて食べたら最高でした。


「たかま」という店です。ここは、また行きたいなあ~。

それからお約束~。

広島のお好み焼きは、子供のころによく食べていたお好み焼きとは違いますが、旨いもんです。

もっといろんなもの食べたかったのですが、今回は一泊なのでこれだけ。帰りの新幹線には弁当を買って乗り込みました。


広島のむすびのむさしという店の、見た目地味な弁当ですが…。

これ美味しい。おむすびのむすび具合は絶妙だし、地味目のおかずも丁寧に作られていて、こういう素朴な味大好きです。

むすびのむさしのおかげで、帰りの新幹線も幸せでした。

土産はホルモン。せんじがらです。

せんじがらはホルモンを低温の油で揚げたもの(ホルモンの脂と水分が抜けるんだと思います)です。そのまま食べても美味しいのですが、今夜はこれで何作ろうか楽しみです。



広島、また行きます!







海辺へ行けば日本中で見られる景色ですが、どこか懐かしい。漁港の風景は自分にとっての原風景です。美味しい魚が食べたくなって、またまた行ってきました真鶴へ。

いつも行くお店はここ。丸入水産という料理屋です。


たたみにちゃぶ台。海風が抜けていくので暑いけれども気持ちがいいです。こういうところで魚を食べるのはとても夏らしくて、子供のころを思い出したりします。


台風の後だからちょっと魚少ないよ、と言いつつ最初に出てきたのはキントキ。


盛り付けは適当。市場にはあまり出回らない地元の網にかかった魚をただおろして皮をはいで切って食べるのがとても普通な感じで大好きです。

続いて舟で、ヒラメにイシダイ。


そして舟がもう一艘。ワカシに小さなイサキ。


そして地ダコにサザエ。


タコとサザエをコリコリ食べていたら、最後の皿。カマスにちょっと赤いのはメジナか?それから白っぽく脂が乗ったのはたぶんヒラマサ。皿が置ききれないのでタコとサザエは引っ越しました。


これで刺身定食二人前。台風の後で…と言うだけにいつもよりちょっと少なめのような気もしましたが、腹いっぱい魚堪能しました。

来週はお祭りだそうです。舟を飾りつけていました。


年季が入った櫂が素敵です。この舟乗ってみたいなあ。


子供たちは夏休み始まったばかり。


お休みありがとうございました。




仕事場の足元に放置されたホコリだらけのCD-RをDVDドライブに入れてみたら、ギコギコと音を立てながらたくさんのフォルダが表示されました。

開いてみればハワイの古い写真。ハワイといっても皆さんが大好きなオアフ島じゃありません。ビッグアイランド、ハワイ島です。

ハワイ島と言えば…

ワイキキと違って真昼間でも誰も歩いていない寂しいヒロの街。ショッピングが楽しめるのは日用品と食料くらい。

雨ばっかりです。

見渡す限り、真っ黒で殺風景な溶岩大地。


古くさいハワイアンフード。

カルアピッグ、アヒポキ、オピヒ、紫芋、ポイに飲み物はカヴァ。

アメリカでも最大級の牧場があるので肉がたくさん。日本で売ってるUSビーフとは大違いで、柔らかくて肉の味が濃い赤みの肉が激安。


海はワイルド。


ヘヴィーなローカル登場。

…と思っていたらこの人、ものすごい笑顔で超フレンドリーだったりして…。

波に気をとられていると椰子の実にアタマをかち割られる危険な島。


一晩中、大きな波が地響きを立てて崩れるので眠れやしません。



以下は最初にハワイ島を旅行したときに書いた旅行記の一部です。最初の良くなかった印象が、いつのまにか良くなっていくところです。


ハワイ島

気がつくといつのまにか飛行機の窓からは陸地が見えている。視界に飛び込んできたのは「黒」。木々の緑でもなく、ハワイ特有の赤い土でもなく黒々とした大地がただ広がっている。南国のリゾートの象徴である椰子の木と白い砂浜も乏しい海岸線。植物は黒い大地に乾いて枯れかけたような色でまだら模様を力なく描き、残りは圧倒的な「黒」だ。ハワイ島、通称ビッグアイランドの第一印象は寒々しく荒涼としたイメージから始まった。

空港の廻りは一面の溶岩平原。膨れ上がり裂けた地面がさらに盛り上がり、黒い岩盤が幾重にも重なり合って、かつてここで繰り広げられたであろう自然の営みの凄まじさを容易に想像できる大地が見渡す限り広がっている。そしてそのはるか向こうには、真っ青な海が広がっている。他に何もなく、いやが上にも強調される青い海は、私たち海で遊ぶサーファーならだれでも一度は経験したことがある、あのよそよそしさ。人を寄せ付けない時の海の表情そのものである。圧倒的な力で自然の大きさと人間の非力さを見せ付けているときの表情をしている。

空港の施設は、すべて溶岩の上にある。あたり見回しても他に目に付く人工的な建造物は、遠くを走るハイウェイだけだ。予約しておいた車を借り出して、島の反対側に位置するヒロという街を目指して走り出す。

時速60マイル(1マイル=1.6km)にスピードを保ち数十分走るが、周りの風景は変わらない。周りに見えるのはただひたすら黒い溶岩の大地。ゆるやかな起伏の中、ハイウェイはどこまでも真っ直ぐに溶岩の中を走り続けている。 左手遠くに見える海岸線には、波乗りに適していると思われる波がいたるところでブレイクしている。そこへ向かう道はあるが、未舗装路をレンタカーで走ることは禁止されている。どちらにしてもファミリーセダンのレンタカーでは無理かもしれない。大きなタイアの4DWが必要そうだ。

海沿いの道は、そのまま島の北端へと続いているR270、私たちはコハラ・マウンテンとマウナ・ロアの間を走るHWY19をキープし、まずは牧場の街ワイメアを目指す。道は曲がりくねった登り坂になり、急に緑が豊かになってくる。ワイメアは緑豊かな美しい街だ。ここでは地元産の美味しいステーキを楽しんだ後、再びHWY19を先へと進む。今回は予定にないが時間を作ってゆっくりと見てみたい街だ。

ワイメアから先は溶岩大地に代わり、こんどは行けども行けども緑の下草が生えた牧場風景が続く。牛やヒツジ、ニワトリにブタ、ヤギなどがのんびりと草を食む中、時速60マイルで走り続けると道はやがて海に到達し、海岸沿いを走り始める。

ハマクアコーストといわれるハワイ島の北海岸である。風景はまた急激に変わり、島の東側とはまったく対照的な風景を見せ始める。強い日差しの下、緑の森の向こうにすいこまれそうな真っ青な海が広がったかと思うと、コーナーを一つ曲がっただけで薄暗い熱帯雨林の切り通しになり、空からは大粒の雨が叩きつけるように降り始める。渓谷の尾根を結ぶ高い橋を渡っていると、大粒の雨は止み、再び強烈な太陽が照りつけはじめる。色とりどりの花を付けた樹木はいっそう鮮やかな色を発散し、わずかに空けたウィンドウの隙間からは花の香りが入り込んでくる。

空港から約150kmほどの道のりであるが、変化に富んだ自然と気候は長いフライトで疲れた旅行者をも楽しませてくれる。程無くして、HILO CITY LIMITSの標識が現れ、ヒロの街に近づいたことを教えてくれる。



午後遅い時間のヒロの街は暗く沈んでいた。ホテルからダウンタウンまでは、歩いて5分ほどの距離だが、すれ違う人もいない。時がくればオープンするのかどうかも判らない商店やオフィスの閉ざされたドアが続く。住人たちは気配を消してしまったかのような静けさだ。出歩くのを危ぶんでしまう雰囲気さえある。

頭の芯は重く、背中はこわばり、だんだんと足取りも重くなる。自宅を出てから、このヒロの街まで、移動した距離と時間を考えると無理もない。重く垂れ下がるような雨雲は今にも降り出しそうな気配である。

ホテルで教えてもらった住所を探し、3ブロックほど行ったところで目的地を通り越してしまったことに気がつく。思っていたよりもずっと近くだったようだ。というよりはヒロの街が小さいのだ。1ブロック戻ったところに目的の店を見つけた。長旅の疲れを癒そうと教えてもらったのは、ロミロミマッサージの店であった。

ロミロミは普通のマッサージとは違い、施術する人の祈りから始まる。リンパの流れを促進し、マナを相手に注ぎ込むというスピリチュアルなマッサージである。ロミロミ(揉みこむこと)という名称であるが、日本のマッサージのように揉みこむのとは全く違う感触だ。

ろうそくに照らされた薄暗い部屋。低く流れる音楽。時差で眠気があるが、眠りには落ちない。身体の筋肉が果てしなく弛緩し、穏やかな気持ちが広がっていくが、逆に神経は研ぎ澄まされていくようだ。途中で降り始めた雨の音や低く流れる音楽が大きく耳に感じられるようになり、時間の感覚がゆがんでくる。

「これで終わりです。ありがとう」とささやくような声がした。身支度を整えて部屋から出なければいけないのだが、身体をうまく動かすことができない。魂だけが違う世界へ行ってしまったような気分だ。なんとか起き上がりよろよろと外へ出る。私たちがロミロミの予約をしているときに、マッサージが終わった男性が呆然とした表情で出てきたが、私もそれとまったく同じ表情をしていると女房が笑う。外へでると、日が沈んだ雨後の街は急に気温が下がり、上着が必要なほどだ。

ヒロの夜は不思議だ。人気の無い街は闇にさらに深く静かに沈みこみ、熱帯植物の森が存在感を示しはじめる。これまで聞いたことのない音程とリズム、奇妙なかん高い澄んだ鳴き声がジャングルの闇の中から響きはじめる。明るい満月の光に照らされたジャングルからあふれだす濃厚な香りは、豊かな土壌の印だ。開け放たれた窓からは、奇妙な鳴き声が涼しい風とともに流れ込み、いつのまにか快適な眠りへと引き込まれて行く。

ヒロに滞在している観光客のティピカルな観光先は火山かもしれない。キラウエア火山の見物は、19世紀の時代から観光スポットの一つであった。しかしその光景を実際に目にしてしまったなら、単なる観光という言葉を使うことはためらわれるに違いない。それはそこを訪れる人、全てにとっての特別な体験である。東へむかって移動する大陸プレートに乗って作られてきたハワイ諸島のパワーの源がここに存在している。ハワイ諸島の一番新しい島であるハワイ島の西の海底では、水面下900mのところまで、新しい島が隆起しつつある。

ヒロで二泊した私たちは、再びやってきた道を引き返し、コナの街へと向かった。

途中、ヒロのすぐ北、HWY19号沿いにあるHONOLI’I BEACHというポイントをチェックしてみる。静かなビーチパークを想像していたが、ビーチへ降りる坂道の路肩にはびっしりと車が停められ、クリスマスウェイブを楽しもうというロコたちで一杯である。なんとかスペースを見つけ車を停めて波をチェックする。小さな湾にはいくつかのピークがあり、ワイドな波がブレイクしているのが見える。この日のコンディションがどういう状況なのか、ふと立ち寄ってみただけの旅行者には判らない。もしかしたら、もう少し小さいときのほうが良い波のポイントなのかもしれない。

ボードはトランクのなかに入っているし、ショーツ一枚になれば入れる状況だったが、先へと進むことにする。

カイルア・コナはコナ空港から10マイルほど南にある街だ。北側から吹いてくるトレードウィンドは、マウナ・ロアやコハラの山々を登っていくうちに湿気を吐き出し、コナに乾いた風を送りこむ。吐き出された湿気は、ヒロ地区に雨をもたらし、雨の多いヒロと乾いたリゾート、カイルア・コナのイメージを作り出している。

島の北側を横断し、ワイメアの街と牧場を抜け、コナへ向けて再び溶岩ロードを走る。緑あふれるヒロサイド、地球上のパワーポイントの一つでもあるキラウエア火山、エベレストをはるかにしのぐ容積を持つマウナ・ロアの山。この島が持っている自然の多様性はいにしえから様々な神話を作り出してきた。そう、この島は火の神ペレが支配している島なのだ。火を吐き、怒り狂うペレが作り出した大地。人間の感覚を超えたスケールの自然に触れていると、神話に登場する神々の存在が身近になる。素直に自然を畏れる気持ちにさせられてしまう。私はいつのまにか、荒涼とした溶岩の大地を美しいと感じるようになっていた。


こんな感じです。

ハワイ島の飛行場は飛行機から滑走路に直接降りました。周囲は何も無く、見渡す限り真っ黒な溶岩。まさに荒涼という言葉がぴったりでした。そして、ヒロの最初の印象は、なんて寂しい雰囲気の街だろう…です。なんだかすごいところに来ちまったなあ…と思いました。

でも面白いもので、だんだんそれが良くなってきます。

「寂しいヒロの街」が「静かで趣きがあるヒロの街」に変わり、キラウエアを見たあとでは、真っ黒な溶岩の大地が神々しく見えるようになってしまいました。

カイルア・コナは島の西側にある海辺の小さなリゾートタウンです。

カイルアから少し南へ下れば、高原の涼しい気候になり、さらに南へ下ると砂漠を思わせる暑く乾いた気候に変わります。島の南端を回った先は火山です。火口跡、活動を続けている火口。流れ出した溶岩で覆われた土地は果てしなく、気が遠くなるような広さです。

古い写真のせいで、今日は脱線。

ああ、ハワイ島行きたいなあ。

ちなみに激安USビーフ(HAWAIIANビーフか…)、かなり旨いです。








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