MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
アーカイブ
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長らくお休みをいただいて、あいすいませんでした。昨日から通常通りに営業しております。世間は19号のうねりの話題でもちきりなんでしょうが、せっかく行ってきたので私の故郷の長崎をちょっとだけ紹介させてくださいまし。
私、不肖宮嶋は生まれは東京です。でも小学生に上がる直前に母の実家がある長崎へと引っ越し、小中高、予備校の13年間を日本の西の端にある長崎の街で育ちました。
鎖国時代の日本において、唯一の外へ向けて開かれた土地として中国や西洋文化の影響を受けてきた長崎は独特の文化を持っています。平地がほとんど無く、海と山が入り組んだ地勢が作り出す雰囲気も長崎の雰囲気を作り出しています。
暮らした年月は東京、神奈川の方が倍以上に長いのですが、子供時代から10代の多感な時期を過ごしてきた長崎という街は自分の感性に多いに影響しておりまた、帰るべき故郷として自分の中に存在しています。
今回の帰省は、長崎のお祭りに日程を合わせました。昨年はお盆の精霊流しでしたが、今年は長崎の氏神さまである諏訪神社。お諏訪さんの例大祭、長崎くんちです。
七年に一度、奉納の出し物の順番が各町に回ってきます。出し物をする町を踊町(おどりちょう)と呼びます。例えば「五島町」の出し物は「龍踊り」という具合に決まっていて、七年に一度なので今年見たら次に見られるのは七年後、ということになります。
市内を庭先回りする姿を見ることもできますが、メイン会場は諏訪神社。長崎の人は親しみをこめて、お諏訪さんと呼びます。
境内には見物の桟敷が組まれ、踊町はここで神前に出し物を奉納します。
演技をしているのは、銀屋町の鯱太鼓。掛け声とともに神輿を空中に放り投げる豪快な神輿です。長崎の人は放り投げるか、くるくると回すと大喜びします。
面白いのは演技を終えて戻ろうとする出し物に対して、観客がアンコールを要求するところ。
神輿や曳き物(船など)に対しては「モッテコーイ!」。舞踊りに対しては「ショモーヤレ!」と叫びまくって、もっとやってくれと要求します。
こんな風に両手で招くような手振りをしながら叫びます。この真っ白な頭のおじいちゃんと紫のハッピのおばあちゃんはとても熱烈でした。
なので舞台と客席に一体感が生まれてきます。見ているだけじゃなくて、自分も参加している気持ちになれるのがくんちの魅力なのだと思います(みんな手ぬぐいでほっかむりしているのは、神前なので脱帽、日傘を使ってもだめなせいです)
30数年ぶりに見たくんちでしたが、興奮しまくりでした。朝の8時半から12時過ぎまで、かぶりつき状態でしたから 笑。
本当に素晴らしかったです。感動しました。
そして、素晴らしい演技に対しては「ヨイヤー!」。ブラボーと同じような意味の掛け声です。
全ての奉納演技が終わった最終日には、三つの神輿に乗って神様が戻ってきます。お諏訪さんの参道の階段を駆け上る「お上り」(おのぼり)という行事です。(始まりのときには駆け下りる「お下り」です)
興味がある方は、YOU TUBEなどで映像を検索してみてください。長崎くんちでたくさん出てきます。長崎独特のお囃子「しゃぎり」と銅鑼や中国ラッパの音を聞くと血が騒ぐのは、自分が長崎育ちの証拠です。
フェイスブックもありました。
来年も必ず見に行きます!! 笑。
くんちが終わって、静かになったお諏訪さんを離れ、懐かしい風景をもとめて歩いてみました。とにかく坂と階段ばかりです。
坂を下りていくと川が流れています。子供の頃、この川の川原でよーく遊びました。中島川という川ですが、古い石造りの橋がいくつもかけられています。江戸時代の人たちも同じ石橋を渡ったに違いありません。
すっかり古くなった手すりも石造りです。子供の頃と変わりません。
川をたどって長崎の中心街に行くと、くんちはまだ続いていました。龍おどりです。庭先まわりといって、花代をもらったところにお礼をして回っています。こんなのがにょろっと来てくれたら嬉しいでしょうね。
この日の気温は30度。朝晩は肌寒いですが陽が出ると真夏の暑さ。海へ行きたくなりました。乾いているので日陰は快適ですが、この季節のこの気候もなんだか懐かしく郷愁を誘うものでした。
長崎は戦争の歴史も深いものがあります。写真は浦上天主堂。手前に見える遺構は原子爆弾で、天主堂の上の部分が吹き飛ばされてきたものをそのまま残しています。
このへんは高校生の頃に女の子とふたりでドキドキしながら歩いていたところでもあります。季節もちょうど同じだったのですっかりその頃のことを思い出してしまいました。若かりしころの甘酸っぱい思い出です 笑。
タイトルの「ずっきゃんきゃん」。言葉は知っていましたがその意味を今回初めて知りました。
ずっきゃんきゃん、長崎弁で「肩車」のことだそうです。猿ずっきゃんきゃん…思わず吹き出しましたよ。
路面電車、長崎弁、その他もろもろ含めて、長崎ってなんかカワイイです。
さーて、これで私の休暇は終わり。今日は葉山で大波コンテストが開催予定でしたが、コンディションが開催に見合ったものにならなかったようで、フリーセッション&延期になったようです。
諸先輩方にここの波のことは聞いていましたが見たのは初めて。すごいです。
http://www.colors-magazine.com/?p=144295
これは開催されたらぜひ見てみたいです。
私、不肖宮嶋は生まれは東京です。でも小学生に上がる直前に母の実家がある長崎へと引っ越し、小中高、予備校の13年間を日本の西の端にある長崎の街で育ちました。
鎖国時代の日本において、唯一の外へ向けて開かれた土地として中国や西洋文化の影響を受けてきた長崎は独特の文化を持っています。平地がほとんど無く、海と山が入り組んだ地勢が作り出す雰囲気も長崎の雰囲気を作り出しています。
暮らした年月は東京、神奈川の方が倍以上に長いのですが、子供時代から10代の多感な時期を過ごしてきた長崎という街は自分の感性に多いに影響しておりまた、帰るべき故郷として自分の中に存在しています。
今回の帰省は、長崎のお祭りに日程を合わせました。昨年はお盆の精霊流しでしたが、今年は長崎の氏神さまである諏訪神社。お諏訪さんの例大祭、長崎くんちです。
七年に一度、奉納の出し物の順番が各町に回ってきます。出し物をする町を踊町(おどりちょう)と呼びます。例えば「五島町」の出し物は「龍踊り」という具合に決まっていて、七年に一度なので今年見たら次に見られるのは七年後、ということになります。
市内を庭先回りする姿を見ることもできますが、メイン会場は諏訪神社。長崎の人は親しみをこめて、お諏訪さんと呼びます。
境内には見物の桟敷が組まれ、踊町はここで神前に出し物を奉納します。
演技をしているのは、銀屋町の鯱太鼓。掛け声とともに神輿を空中に放り投げる豪快な神輿です。長崎の人は放り投げるか、くるくると回すと大喜びします。
面白いのは演技を終えて戻ろうとする出し物に対して、観客がアンコールを要求するところ。
神輿や曳き物(船など)に対しては「モッテコーイ!」。舞踊りに対しては「ショモーヤレ!」と叫びまくって、もっとやってくれと要求します。
こんな風に両手で招くような手振りをしながら叫びます。この真っ白な頭のおじいちゃんと紫のハッピのおばあちゃんはとても熱烈でした。
なので舞台と客席に一体感が生まれてきます。見ているだけじゃなくて、自分も参加している気持ちになれるのがくんちの魅力なのだと思います(みんな手ぬぐいでほっかむりしているのは、神前なので脱帽、日傘を使ってもだめなせいです)
30数年ぶりに見たくんちでしたが、興奮しまくりでした。朝の8時半から12時過ぎまで、かぶりつき状態でしたから 笑。
本当に素晴らしかったです。感動しました。
そして、素晴らしい演技に対しては「ヨイヤー!」。ブラボーと同じような意味の掛け声です。
全ての奉納演技が終わった最終日には、三つの神輿に乗って神様が戻ってきます。お諏訪さんの参道の階段を駆け上る「お上り」(おのぼり)という行事です。(始まりのときには駆け下りる「お下り」です)
興味がある方は、YOU TUBEなどで映像を検索してみてください。長崎くんちでたくさん出てきます。長崎独特のお囃子「しゃぎり」と銅鑼や中国ラッパの音を聞くと血が騒ぐのは、自分が長崎育ちの証拠です。
フェイスブックもありました。
来年も必ず見に行きます!! 笑。
くんちが終わって、静かになったお諏訪さんを離れ、懐かしい風景をもとめて歩いてみました。とにかく坂と階段ばかりです。
坂を下りていくと川が流れています。子供の頃、この川の川原でよーく遊びました。中島川という川ですが、古い石造りの橋がいくつもかけられています。江戸時代の人たちも同じ石橋を渡ったに違いありません。
すっかり古くなった手すりも石造りです。子供の頃と変わりません。
川をたどって長崎の中心街に行くと、くんちはまだ続いていました。龍おどりです。庭先まわりといって、花代をもらったところにお礼をして回っています。こんなのがにょろっと来てくれたら嬉しいでしょうね。
この日の気温は30度。朝晩は肌寒いですが陽が出ると真夏の暑さ。海へ行きたくなりました。乾いているので日陰は快適ですが、この季節のこの気候もなんだか懐かしく郷愁を誘うものでした。
長崎は戦争の歴史も深いものがあります。写真は浦上天主堂。手前に見える遺構は原子爆弾で、天主堂の上の部分が吹き飛ばされてきたものをそのまま残しています。
このへんは高校生の頃に女の子とふたりでドキドキしながら歩いていたところでもあります。季節もちょうど同じだったのですっかりその頃のことを思い出してしまいました。若かりしころの甘酸っぱい思い出です 笑。
タイトルの「ずっきゃんきゃん」。言葉は知っていましたがその意味を今回初めて知りました。
ずっきゃんきゃん、長崎弁で「肩車」のことだそうです。猿ずっきゃんきゃん…思わず吹き出しましたよ。
路面電車、長崎弁、その他もろもろ含めて、長崎ってなんかカワイイです。
さーて、これで私の休暇は終わり。今日は葉山で大波コンテストが開催予定でしたが、コンディションが開催に見合ったものにならなかったようで、フリーセッション&延期になったようです。
諸先輩方にここの波のことは聞いていましたが見たのは初めて。すごいです。
http://www.colors-magazine.com/?p=144295
これは開催されたらぜひ見てみたいです。
お休みをいただいて、海と山へ遊びに行ってきました。海は真鶴半島。吉浜の東側に突き出している半島です。
半島の先端はこんな岩場になっていて、一番先には三つ石と呼ばれる大きな岩があります(二つしか見えませんが三つあります)相模湾の西の端がここです。
見えるかな?と思いましたが、吉浜は見渡せませんでした。台風14号が残した東うねりが岩場の東側に打ち寄せていました。風も無くて、吉浜、波良かったんじゃないですか。
引きにかけての時間だったので岩場を歩いて先端まで行ってみようかと思いましたが、岩についた海草で滑って危険なのであきらめ。カニと遊んでいました。
真鶴でもうひとつ楽しみにしていたのは森です。江戸時代から明治にかけて、海の資源を豊かにしようと植林された樹齢200年から400年の木々が残っている魚つき林と呼ばれている森です。
行きのバスの中からでも分かりましたが、樹木の大きさが違います。長い年月を経て育ってきた木々が作る森の中は特別な雰囲気です。
木々のパワーを感じます。以前、誰かがラジオかテレビで真鶴半島の森はパワースポットだと言っていましたが、その通りだと思いました。
半島自体がそれほど大きくないので、ゆっくり歩いて20分もあれば反対側へ出てしまいますが、自然はかなり濃密です。
森が豊かなところは海の幸が豊かです。刺身定食です 笑。
店のすぐ隣にある魚市場に、この日の朝に300本あがったという生マグロ(おばあちゃんが自慢気に見せてくれました)、ワカシ、マツバダイ、ウルメイワシ、イサキ、イカなどなど。いわゆる高級魚というやつじゃありませんが、獲れたての地の魚ほど美味しいものはありません。
海は森が育てるということをしっかり実感したら今度は、真鶴から小田原へ戻って箱根登山電車に乗って、山へ。
何度も来ている箱根ですが、不思議とまた行きたくなるところなんて宣伝のコピーみたいですが、そのとおりです。たまに妙に行きたくなるところです。
景色と山の空気を楽しみながら、スウィッチバック式の登山列車、ケーブルカー、ロープウェイ、バスにのんびり揺られて宿に着いて、ひとっ風呂浴びるともうあたりは真っ暗。
翌朝。秋晴れの澄んだ山の空気は最高です。
朝日にススキの穂が輝いていました。冷たい空気の中にキンモクセイの香りが漂って、山の季節は少し先に進んでいます。
山でもやっぱり魚が美味しい。昨日はソルトウォーターフィッシュで、今日はフレッシュウォーターフィッシュ。自然に感謝。
ワカサギのフライにテンプラ。
大好物のヒメマスのフライ。
食べ過ぎました。
帰りに時間があったので、北条氏の小田原城の天守閣に登ってみました。長い歴史があって歴史好きには、いろいろな物語が思い浮かぶ城です。
天守閣からは今降りてきた箱根の峻険な山々が見えています。
少し左手に目を移すと、真鶴半島がきれいに見えています。
写真にはありませんが、上の写真の左手、遠くに三浦半島が見えていました。私が遊ばせてもらっている相模湾は、真鶴半島と三浦半島を結んだ内側の海のことをそう呼んでいます。
ネットのGPV予想の地図で見ると、いかにもうねりが入りにくそうな相模湾ですが、天守閣から実際に見渡すと、あ~広いなあ~という声が思わず出てしまいました。むしょうに波乗りしたくなりました。
いいお休みでした。
半島の先端はこんな岩場になっていて、一番先には三つ石と呼ばれる大きな岩があります(二つしか見えませんが三つあります)相模湾の西の端がここです。
見えるかな?と思いましたが、吉浜は見渡せませんでした。台風14号が残した東うねりが岩場の東側に打ち寄せていました。風も無くて、吉浜、波良かったんじゃないですか。
引きにかけての時間だったので岩場を歩いて先端まで行ってみようかと思いましたが、岩についた海草で滑って危険なのであきらめ。カニと遊んでいました。
真鶴でもうひとつ楽しみにしていたのは森です。江戸時代から明治にかけて、海の資源を豊かにしようと植林された樹齢200年から400年の木々が残っている魚つき林と呼ばれている森です。
行きのバスの中からでも分かりましたが、樹木の大きさが違います。長い年月を経て育ってきた木々が作る森の中は特別な雰囲気です。
木々のパワーを感じます。以前、誰かがラジオかテレビで真鶴半島の森はパワースポットだと言っていましたが、その通りだと思いました。
半島自体がそれほど大きくないので、ゆっくり歩いて20分もあれば反対側へ出てしまいますが、自然はかなり濃密です。
森が豊かなところは海の幸が豊かです。刺身定食です 笑。
店のすぐ隣にある魚市場に、この日の朝に300本あがったという生マグロ(おばあちゃんが自慢気に見せてくれました)、ワカシ、マツバダイ、ウルメイワシ、イサキ、イカなどなど。いわゆる高級魚というやつじゃありませんが、獲れたての地の魚ほど美味しいものはありません。
海は森が育てるということをしっかり実感したら今度は、真鶴から小田原へ戻って箱根登山電車に乗って、山へ。
何度も来ている箱根ですが、不思議とまた行きたくなるところなんて宣伝のコピーみたいですが、そのとおりです。たまに妙に行きたくなるところです。
景色と山の空気を楽しみながら、スウィッチバック式の登山列車、ケーブルカー、ロープウェイ、バスにのんびり揺られて宿に着いて、ひとっ風呂浴びるともうあたりは真っ暗。
翌朝。秋晴れの澄んだ山の空気は最高です。
朝日にススキの穂が輝いていました。冷たい空気の中にキンモクセイの香りが漂って、山の季節は少し先に進んでいます。
山でもやっぱり魚が美味しい。昨日はソルトウォーターフィッシュで、今日はフレッシュウォーターフィッシュ。自然に感謝。
ワカサギのフライにテンプラ。
大好物のヒメマスのフライ。
食べ過ぎました。
帰りに時間があったので、北条氏の小田原城の天守閣に登ってみました。長い歴史があって歴史好きには、いろいろな物語が思い浮かぶ城です。
天守閣からは今降りてきた箱根の峻険な山々が見えています。
少し左手に目を移すと、真鶴半島がきれいに見えています。
写真にはありませんが、上の写真の左手、遠くに三浦半島が見えていました。私が遊ばせてもらっている相模湾は、真鶴半島と三浦半島を結んだ内側の海のことをそう呼んでいます。
ネットのGPV予想の地図で見ると、いかにもうねりが入りにくそうな相模湾ですが、天守閣から実際に見渡すと、あ~広いなあ~という声が思わず出てしまいました。むしょうに波乗りしたくなりました。
いいお休みでした。
クリステンソン、ロングボードアップしました。ホームページご覧ください!
さて、沖縄シリーズ、ラストはお待ちかね食べ物です。「しーぶん」という沖縄ならではの習慣(?)を初めて体験して、かなり驚きつつ、かなり楽しい経験をいたしました。
さて、「しーぶん」というのはいったい…?
今回、挑戦してみようと思っていたのは「ヤギ料理」。メェーと鳴くかわいい動物です。沖縄ではヒージャーと呼んでいて、お祝いごとのときなどにつぶして食べるそうです。
行ったのはこのお店。国際通りの裏通りにある「さかえ」というお店。
泡盛とヤギ刺しにヤギ汁を注文。
早速ヤギ刺しが出てきました。しょうが醤油を付けて食べます。
一口食べてびっくり。クセのある味を期待していたら、全く裏切られました。クセが無くて、口の中に広がるのは肉の旨みだけ。隣に座っていた常連のおっちゃんが言うには、ここのは処理の仕方が違うからクセが無いんだそうです。
いや、これは旨いもんです(〆にも追加でもう一皿行っちゃったくらいです)
で、お話はここからです。
目の前のコンロでヤギ汁がクツクツと煮えているものの、いっこうに出てくる気配がなので女将さんに
「ヤギ汁お願いね」と言うと、
「ごめんねーちょっとまっててねー、フーチバー切らしちゃって、ばーちゃんがいま買いに行ってるからー。戻ってきたらソーメンチャンプル作るからね」
私:「??ソーメンチャンプルじゃなくて…ヤギ…まあ、戻るまで待ちましょう」と泡盛をちびちびやりながら「市場に買いに行ったとすると、どーせ世間話ですぐには帰ってこないよなあ」とぼそりというと、隣のおっちゃん「そのとおり!分かってるねえ 笑」
まあ仕方が無いなと、泡盛の一合トックリをちびちびやってお代わりを頼んだころ、おばあちゃん無事にご帰還。
大きな油が染みた紙袋をカウンターの上にどさりと置いて、これ食べてー。
紙袋の中からはいろんなテンプラがごろごろ出てきますが旅人で一見さんの私は遠慮。そうするとまた隣のおっちゃん、「頼んだもの以外はタダだから」
私「へ?」
沖縄ではこういうのを「しーぶん」というそうです。いわゆる「サービス」とか「おまけ」ということらしい。
フーチバーが来たので頼んだヤギ汁も無事に出てきました。クセは全くなしでこれも旨い。骨付きの肉がゴロゴロ入ってます。
結局このお店で頼んだのは、刺身とヤギ汁と泡盛で、出てきたものは、テンプラ、島豆腐、ニンジンと大根のしりしり、ゴーヤーチャンプルにソーメンチャンプル。これ全部、しーぶん 笑。
目の前の小鉢に入っていた塩の結晶がキラキラしてきれいだったので、きれいな塩ですねーと言ったら、持って行って!と沖縄の塩、ヨネマースの袋1キロがお土産。
これはいったい何なんだ 笑。沖縄スゴイと感動しながら泡盛でふらつきながらホテルへと戻りました。
そしてもう一軒。沖縄県庁近くにある沖縄おでんの店。
沖縄おでんというも初めてです。大根や厚揚げなどの具材は同じですが、違うのは豚足、つまりテビチが入っているところ。牛スジも入ってますが私は、九州なので普通です。あと緑の野菜を入れてくれるところも違いました。
ここでも、しーぶん。ゴーヤチャンプル、苦菜のあえものになんかの野菜。
これも。沖縄かまぼこ、スーチカ、もずく天ぷら、どぅる天(田芋のコロッケみたいなもの)
ちなみにここは食べ放題、飲み放題で一人2.000円。おでんお代わり自由で、テビチ何本食ってもOKです。テビチにチマグという部位があるのも初めて知りました。チマグのほうがさっぱりしてます。
飲み放題の生ビールは三杯まで。
写真は違う店ですが、オリオンビールの発泡酒で麦職人という銘柄です。これが今回お気に入りになりました。とにかくのど越し軽くてスルスル飲めちゃいます。ちなみにこれで一杯、200円。
ビール三杯飲んで、泡盛くださいと頼むとボトルがドンと出てきて勝手にどーぞ状態です 笑。
何本飲んでも2.000円ですが 笑、一本で止めときました 笑。楽しくて笑いが止まりません 笑。笑いながら千鳥足でホテルに戻りました。
沖縄、豪快です。
これはちょっとお上品。
こっちは豪快。そばランチというのを頼んだらコレがきました。大盛り麺に大盛りメシ。刺身に卵焼きとランチョンミート。ご飯残しました。
これも豪快。巨大なソーキが皿に乗って出てきたのをむしって乗せて食ってます。
魚のから揚げデカイです。刺身はマグロ。上のそばランチにも付いてますが、近海ものらしくこっちのマグロとちょっと違いますが、食べつけると美味しくなってきます。
きりがないのでこの辺で。
最初のヤギ料理のお店で、ばーちゃんにソーメンチャンプルの作り方を教えてもらいました。いままでうまくいかなかったところの謎が解けました。
沖縄また行きたいです。
さて、沖縄シリーズ、ラストはお待ちかね食べ物です。「しーぶん」という沖縄ならではの習慣(?)を初めて体験して、かなり驚きつつ、かなり楽しい経験をいたしました。
さて、「しーぶん」というのはいったい…?
今回、挑戦してみようと思っていたのは「ヤギ料理」。メェーと鳴くかわいい動物です。沖縄ではヒージャーと呼んでいて、お祝いごとのときなどにつぶして食べるそうです。
行ったのはこのお店。国際通りの裏通りにある「さかえ」というお店。
泡盛とヤギ刺しにヤギ汁を注文。
早速ヤギ刺しが出てきました。しょうが醤油を付けて食べます。
一口食べてびっくり。クセのある味を期待していたら、全く裏切られました。クセが無くて、口の中に広がるのは肉の旨みだけ。隣に座っていた常連のおっちゃんが言うには、ここのは処理の仕方が違うからクセが無いんだそうです。
いや、これは旨いもんです(〆にも追加でもう一皿行っちゃったくらいです)
で、お話はここからです。
目の前のコンロでヤギ汁がクツクツと煮えているものの、いっこうに出てくる気配がなので女将さんに
「ヤギ汁お願いね」と言うと、
「ごめんねーちょっとまっててねー、フーチバー切らしちゃって、ばーちゃんがいま買いに行ってるからー。戻ってきたらソーメンチャンプル作るからね」
私:「??ソーメンチャンプルじゃなくて…ヤギ…まあ、戻るまで待ちましょう」と泡盛をちびちびやりながら「市場に買いに行ったとすると、どーせ世間話ですぐには帰ってこないよなあ」とぼそりというと、隣のおっちゃん「そのとおり!分かってるねえ 笑」
まあ仕方が無いなと、泡盛の一合トックリをちびちびやってお代わりを頼んだころ、おばあちゃん無事にご帰還。
大きな油が染みた紙袋をカウンターの上にどさりと置いて、これ食べてー。
紙袋の中からはいろんなテンプラがごろごろ出てきますが旅人で一見さんの私は遠慮。そうするとまた隣のおっちゃん、「頼んだもの以外はタダだから」
私「へ?」
沖縄ではこういうのを「しーぶん」というそうです。いわゆる「サービス」とか「おまけ」ということらしい。
フーチバーが来たので頼んだヤギ汁も無事に出てきました。クセは全くなしでこれも旨い。骨付きの肉がゴロゴロ入ってます。
結局このお店で頼んだのは、刺身とヤギ汁と泡盛で、出てきたものは、テンプラ、島豆腐、ニンジンと大根のしりしり、ゴーヤーチャンプルにソーメンチャンプル。これ全部、しーぶん 笑。
目の前の小鉢に入っていた塩の結晶がキラキラしてきれいだったので、きれいな塩ですねーと言ったら、持って行って!と沖縄の塩、ヨネマースの袋1キロがお土産。
これはいったい何なんだ 笑。沖縄スゴイと感動しながら泡盛でふらつきながらホテルへと戻りました。
そしてもう一軒。沖縄県庁近くにある沖縄おでんの店。
沖縄おでんというも初めてです。大根や厚揚げなどの具材は同じですが、違うのは豚足、つまりテビチが入っているところ。牛スジも入ってますが私は、九州なので普通です。あと緑の野菜を入れてくれるところも違いました。
ここでも、しーぶん。ゴーヤチャンプル、苦菜のあえものになんかの野菜。
これも。沖縄かまぼこ、スーチカ、もずく天ぷら、どぅる天(田芋のコロッケみたいなもの)
ちなみにここは食べ放題、飲み放題で一人2.000円。おでんお代わり自由で、テビチ何本食ってもOKです。テビチにチマグという部位があるのも初めて知りました。チマグのほうがさっぱりしてます。
飲み放題の生ビールは三杯まで。
写真は違う店ですが、オリオンビールの発泡酒で麦職人という銘柄です。これが今回お気に入りになりました。とにかくのど越し軽くてスルスル飲めちゃいます。ちなみにこれで一杯、200円。
ビール三杯飲んで、泡盛くださいと頼むとボトルがドンと出てきて勝手にどーぞ状態です 笑。
何本飲んでも2.000円ですが 笑、一本で止めときました 笑。楽しくて笑いが止まりません 笑。笑いながら千鳥足でホテルに戻りました。
沖縄、豪快です。
これはちょっとお上品。
こっちは豪快。そばランチというのを頼んだらコレがきました。大盛り麺に大盛りメシ。刺身に卵焼きとランチョンミート。ご飯残しました。
これも豪快。巨大なソーキが皿に乗って出てきたのをむしって乗せて食ってます。
魚のから揚げデカイです。刺身はマグロ。上のそばランチにも付いてますが、近海ものらしくこっちのマグロとちょっと違いますが、食べつけると美味しくなってきます。
きりがないのでこの辺で。
最初のヤギ料理のお店で、ばーちゃんにソーメンチャンプルの作り方を教えてもらいました。いままでうまくいかなかったところの謎が解けました。
沖縄また行きたいです。
お知らせ:ウェットスーツの年内納めの締め切りは以下の通りです。
AXXE CLASSIC 12月8日(日)、 STEAMER 12月18日(水)、 AIDENTIFY 12月4日(水)明日!(今週中ならなんとかなるかもしれませんので、アイデンティファイをお考えの方は事前にお問い合わせください。)
上の期日までにオーダーいただければ、12月中に出来上がります。よろしくお願いします。
さて沖縄第二弾は「やちむん」です。やちむんは沖縄の言葉で焼き物のこと。那覇の牧氏志市場の奥を左手に行くと、琉球王朝の時代からの焼き物の町、壺屋町があります。通称やちむん通りです。
壺屋での焼き物は戦後早い時期に再開されたようですが、市街化がすすむに従って薪焼きの煙が煙害として問題になるようになり、1970年代にはガス窯になったり、薪を焚ける郊外へと移っていったそうです。
そんな名残りを残しているのが南ヌ窯(ふぇーぬかま)の登り窯です。重要文化財です。
捨てられた焼き物の破片とそこから生えてきた植物の根が一体化してしまっています。
官庁街や国際通りにはなかったのですが、やちむん通りの路地裏をうろうろしていたら、住宅街にはちゃんとありました、石敢當です。(石敢當については過去ブログご覧ください)
工房や器を売る店、カフェなどがあって、器好きな方は楽しめるやちむん通りです。
私が普段、愛用している窯元は沖縄の中部の読谷村(よみたんそん)というところにあります。那覇からはクルマで1時間くらい、バスでも行けます。
読谷山焼北窯です。
緑に囲まれた広々とした敷地には鳥の鳴き声があふれて、こんなところで好きな仕事をできたらどんなに幸せでしょう…と訪れるたびに思います。
ここには薪を使う登り窯があります。
もちろん購入することもできます。欲しいと思っていた大きさの器を買いました。
北窯ができたのは、1991年だそうですがその当時から愛用している器もあります。売店の人に言ったら、昔のはレアですよ~と笑ってました。本当か?笑
沖縄の器、厚すぎず薄すぎず、ちょうどいいあんばいで、色付けもシンプルで好きなんですが、その中でもこの北窯、特に好きなのです。
ネットで知り合いが販売していますので、興味がある方はのぞいてみてください。
読谷山焼北窯
AXXE CLASSIC 12月8日(日)、 STEAMER 12月18日(水)、 AIDENTIFY 12月4日(水)明日!(今週中ならなんとかなるかもしれませんので、アイデンティファイをお考えの方は事前にお問い合わせください。)
上の期日までにオーダーいただければ、12月中に出来上がります。よろしくお願いします。
さて沖縄第二弾は「やちむん」です。やちむんは沖縄の言葉で焼き物のこと。那覇の牧氏志市場の奥を左手に行くと、琉球王朝の時代からの焼き物の町、壺屋町があります。通称やちむん通りです。
壺屋での焼き物は戦後早い時期に再開されたようですが、市街化がすすむに従って薪焼きの煙が煙害として問題になるようになり、1970年代にはガス窯になったり、薪を焚ける郊外へと移っていったそうです。
そんな名残りを残しているのが南ヌ窯(ふぇーぬかま)の登り窯です。重要文化財です。
捨てられた焼き物の破片とそこから生えてきた植物の根が一体化してしまっています。
官庁街や国際通りにはなかったのですが、やちむん通りの路地裏をうろうろしていたら、住宅街にはちゃんとありました、石敢當です。(石敢當については過去ブログご覧ください)
工房や器を売る店、カフェなどがあって、器好きな方は楽しめるやちむん通りです。
私が普段、愛用している窯元は沖縄の中部の読谷村(よみたんそん)というところにあります。那覇からはクルマで1時間くらい、バスでも行けます。
読谷山焼北窯です。
緑に囲まれた広々とした敷地には鳥の鳴き声があふれて、こんなところで好きな仕事をできたらどんなに幸せでしょう…と訪れるたびに思います。
ここには薪を使う登り窯があります。
もちろん購入することもできます。欲しいと思っていた大きさの器を買いました。
北窯ができたのは、1991年だそうですがその当時から愛用している器もあります。売店の人に言ったら、昔のはレアですよ~と笑ってました。本当か?笑
沖縄の器、厚すぎず薄すぎず、ちょうどいいあんばいで、色付けもシンプルで好きなんですが、その中でもこの北窯、特に好きなのです。
ネットで知り合いが販売していますので、興味がある方はのぞいてみてください。
読谷山焼北窯
今回の沖縄旅行は、「沖縄の歴史と文化をまじめに勉強してみよう」というのがテーマのひとつでした。歴史小説は好きでたくさん読んでいますが、その土地の歴史を知っていると旅の浪漫が何倍にも広がります。
沖縄をテーマにした歴史小説は読んだことが無かったので、まずは現地に行ってからと、那覇市内の資料館や博物館を回ってお勉強しました。それから、それらの博物館での文字や写真での情報にフィールドワークを交えて情報を集めていくと、アタマの中でおおまかな流れがつかめてきました。
フィールドワークのスタートは、沖縄を最初に統一した尚巴志(しょうはし)が琉球王朝の首府とした首里城です。
首里城 久慶門。城の醍醐味、門と石垣です。
そして首里城の正殿です。
正殿前にある首里森御嶽(うたき)。御嶽とは琉球の信仰上での聖域のことです。ここで祭祀が行われた場所です。正殿前にあって人がたくさん通りますが、そんなパワースポットとは知る人は少ないようで足を止めてみる人はほとんどいません。
那覇市街の眺め。遠くに海が見えています。
首里城には琉球王朝の歴史とは別に、かつて日本が間違えてたどった道筋の歴史も残されています。陸軍第32軍総司令部の跡です。これを撮影している私の後ろには通信壕の入り口もありました。
こちらも知っていなければいけない歴史です。首里城にはたくさんの修学旅行生がいましたが、ここはゼロ。今の学校教育はこういうことには関心が薄いのでしょうか?
首里城から南側へ下っていくと迎賓館としても使われていた王様の別邸「識名園」があります。これは御殿(うどぅん)です。
外観はいかにも沖縄ですが、中を見ると本土の平城と同じような作りになっています。こんなところに住んでみたいものです(ここも世界遺産です)
首里城以外にも沖縄には世界遺産に登録されている、すばらしい城址がいくつか存在しています。
その中から今回はここを選んで行ってみました。沖縄の中部、東海岸側のうるま市にある勝連城址です。
ここにはかつての郭(くるわ)の跡と石垣しか残されていません。小高い丘の頂上にこの石垣が積まれている景色は思わず足を止めて見とれてしまうほど、その形や色が美しい城跡です。世界遺産にふさわしい佇まいです。
三つの郭があって、見えている石垣の上が三の郭です。
三の郭から、二の郭へ続く石段と一番高いところが一の郭です。私が撮影しているすぐ右側に、そこから人骨が発掘されたという看板が立っていました。
他にも見るべき遺跡はたくさんありますがそれは次回のお楽しみにとっておくことにしました。それまでにもっと沖縄のことを勉強しておこうと思います。
ここは本当に感動しました。本土の城跡とは違い、白い石灰岩の石垣がとても美しく、南国ならではの明るさが溢れ、沖縄という土地を感じました。ここもパワースポットだということなので、そういうのがお好きな方にもいいと思います。
沖縄をテーマにした歴史小説は読んだことが無かったので、まずは現地に行ってからと、那覇市内の資料館や博物館を回ってお勉強しました。それから、それらの博物館での文字や写真での情報にフィールドワークを交えて情報を集めていくと、アタマの中でおおまかな流れがつかめてきました。
フィールドワークのスタートは、沖縄を最初に統一した尚巴志(しょうはし)が琉球王朝の首府とした首里城です。
首里城 久慶門。城の醍醐味、門と石垣です。
そして首里城の正殿です。
正殿前にある首里森御嶽(うたき)。御嶽とは琉球の信仰上での聖域のことです。ここで祭祀が行われた場所です。正殿前にあって人がたくさん通りますが、そんなパワースポットとは知る人は少ないようで足を止めてみる人はほとんどいません。
那覇市街の眺め。遠くに海が見えています。
首里城には琉球王朝の歴史とは別に、かつて日本が間違えてたどった道筋の歴史も残されています。陸軍第32軍総司令部の跡です。これを撮影している私の後ろには通信壕の入り口もありました。
こちらも知っていなければいけない歴史です。首里城にはたくさんの修学旅行生がいましたが、ここはゼロ。今の学校教育はこういうことには関心が薄いのでしょうか?
首里城から南側へ下っていくと迎賓館としても使われていた王様の別邸「識名園」があります。これは御殿(うどぅん)です。
外観はいかにも沖縄ですが、中を見ると本土の平城と同じような作りになっています。こんなところに住んでみたいものです(ここも世界遺産です)
首里城以外にも沖縄には世界遺産に登録されている、すばらしい城址がいくつか存在しています。
その中から今回はここを選んで行ってみました。沖縄の中部、東海岸側のうるま市にある勝連城址です。
ここにはかつての郭(くるわ)の跡と石垣しか残されていません。小高い丘の頂上にこの石垣が積まれている景色は思わず足を止めて見とれてしまうほど、その形や色が美しい城跡です。世界遺産にふさわしい佇まいです。
三つの郭があって、見えている石垣の上が三の郭です。
三の郭から、二の郭へ続く石段と一番高いところが一の郭です。私が撮影しているすぐ右側に、そこから人骨が発掘されたという看板が立っていました。
他にも見るべき遺跡はたくさんありますがそれは次回のお楽しみにとっておくことにしました。それまでにもっと沖縄のことを勉強しておこうと思います。
ここは本当に感動しました。本土の城跡とは違い、白い石灰岩の石垣がとても美しく、南国ならではの明るさが溢れ、沖縄という土地を感じました。ここもパワースポットだということなので、そういうのがお好きな方にもいいと思います。
ユーズドのモデルTアップしました。かなりきれいなコンディションです。詳しくはホームページのユーズドボードコーナーをチェックしてください。
お休みありがとうございました。溜まっていた航空会社のマイルが期限切れになりそうだったので、もったいないと急でしたが沖縄へ行ってきました。
沖縄は今回が二度目でした。二度目の沖縄は前回とはかなり違い、かなりインパクトが強かったです。食べ物、人、文化、歴史、自然、前回は割りと沖縄=メロー、というイメージだったのですが、今回は違いました。いろいろなものが強烈でした。沖縄はまりそうです。
かなり面白かったので、何回かに分けてご紹介してみたいと思います。
生きているこいつにも遭遇しました。こんなおっきなヤツじゃありませんでしたが、暗がりでいきなり出てきたのでかなりビビリました。地元の人もビビッていたのでやっぱりヤバイんですね、ハブちゃん。
そんなわけで、今日からいつもどおり営業していますのでよろしくお願いします。
お休みありがとうございました。溜まっていた航空会社のマイルが期限切れになりそうだったので、もったいないと急でしたが沖縄へ行ってきました。
沖縄は今回が二度目でした。二度目の沖縄は前回とはかなり違い、かなりインパクトが強かったです。食べ物、人、文化、歴史、自然、前回は割りと沖縄=メロー、というイメージだったのですが、今回は違いました。いろいろなものが強烈でした。沖縄はまりそうです。
かなり面白かったので、何回かに分けてご紹介してみたいと思います。
生きているこいつにも遭遇しました。こんなおっきなヤツじゃありませんでしたが、暗がりでいきなり出てきたのでかなりビビリました。地元の人もビビッていたのでやっぱりヤバイんですね、ハブちゃん。
そんなわけで、今日からいつもどおり営業していますのでよろしくお願いします。
まずお知らせです。明日10月28日より通常通りの営業時間に戻ります。午後1時から午後8時までの営業時間です。おかげさまで腰の調子はだいぶ良くなって、負担はほとんど感じなくなりました。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。今後ともよろしくお願いします。
昨日は台風通過中の中、女房のお義母さんと日光へ紅葉と滝を見に行ってきました。雨でダメかと思っていましたが、着くころにはすっかり雨は上がりました。
天気が良ければもっと色が映えると思いますが、これはこれで綺麗です。紅葉の名所というだけあって、色づき方が違うのには驚きました。色が違うのです。
有名な華厳の滝。実は日光初めてです。
水がある風景は美しいものです。カワガラスが餌をさがして、さかんに水の中にもぐっていました。初めて見たはずなのにどうしてなのか、あ、カワガラスだとすぐにわかりました。
こういう風景を見ると、おもわず走りたくなってきます。腰を悪くしてから、(波乗り優先で)もうトレイルは止めようかと考えていたのですが、いまのリハビリに出会ってからは、やっぱりまた走ろうと思えるようになりました。
まだしばらくは山は無理です。ぜんぜん走れなくなってます。(腰を完全に治して)ランニングと近所のトレイルで体力を戻して、また山を走れるようになりたいと思います。
午後になってときおり太陽が顔を出すようになって、ますます色が鮮やかに。
清流の上の、これはヤマボウシかハナミズキか…。我が家にもヤマボウシの木がありますが、こんなに真っ赤になりません。条件次第ででこんなにも赤くなるんですね。
紅葉ばかりじゃなくて、木の幹の地衣類やヤドリギを探すのも面白いのです。 海もいいけど、山も大好きです。はやくトレイルにもカムバックしたいものです。とりあえずは来月の高尾山の紅葉祭りかな…。
次から次へとくる台風でずっと波がありましたが、それも一段落。これからは冬型を待つ季節に入っていきます。だんだんと寒くなってきますが、元気にキープサーフィンです。
昨日は台風通過中の中、女房のお義母さんと日光へ紅葉と滝を見に行ってきました。雨でダメかと思っていましたが、着くころにはすっかり雨は上がりました。
天気が良ければもっと色が映えると思いますが、これはこれで綺麗です。紅葉の名所というだけあって、色づき方が違うのには驚きました。色が違うのです。
有名な華厳の滝。実は日光初めてです。
水がある風景は美しいものです。カワガラスが餌をさがして、さかんに水の中にもぐっていました。初めて見たはずなのにどうしてなのか、あ、カワガラスだとすぐにわかりました。
こういう風景を見ると、おもわず走りたくなってきます。腰を悪くしてから、(波乗り優先で)もうトレイルは止めようかと考えていたのですが、いまのリハビリに出会ってからは、やっぱりまた走ろうと思えるようになりました。
まだしばらくは山は無理です。ぜんぜん走れなくなってます。(腰を完全に治して)ランニングと近所のトレイルで体力を戻して、また山を走れるようになりたいと思います。
午後になってときおり太陽が顔を出すようになって、ますます色が鮮やかに。
清流の上の、これはヤマボウシかハナミズキか…。我が家にもヤマボウシの木がありますが、こんなに真っ赤になりません。条件次第ででこんなにも赤くなるんですね。
紅葉ばかりじゃなくて、木の幹の地衣類やヤドリギを探すのも面白いのです。 海もいいけど、山も大好きです。はやくトレイルにもカムバックしたいものです。とりあえずは来月の高尾山の紅葉祭りかな…。
次から次へとくる台風でずっと波がありましたが、それも一段落。これからは冬型を待つ季節に入っていきます。だんだんと寒くなってきますが、元気にキープサーフィンです。
昼間の強い日差しが傾きはじめると、街のあちこちから爆竹の破裂音とロケット花火(長崎では矢火矢(やびや)と呼びます)が撃ちあがる怪音が聞こえ始めます。
花火の音が聞こえてくるのは主に墓地から。長崎では14日と15日の夜は墓に提灯を立て、墓参りをしつつ盛大に花火をする習慣があります。平らな土地が少ない長崎では墓は大抵、街を取り巻く山の斜面にあるので余計に音が響きます。
父の墓へ行ってみると墓地はたくさんの人で大賑わい。爆竹と花火の煙がもうもうです。私も子供の頃は、お盆の夜に墓へ行って花火をするのが楽しみだったものです。
久しぶりに爆竹と矢火矢の音を聞いていると、この不思議な感じが長崎なんだなあと改めて気が付きます。東京だったら叱られるもん。
子供の頃は当たり前で別になんとも思っていませんでしたが、改めて見渡してみると十字架が着いている墓石がたくさんあるのも不思議な光景です。カトリック信者の墓にはてっぺんに十字架がついて、墓石には戒名ではなく洗礼名がカタカナで刻まれています。
もしかすると長崎で育った人にとって、爆竹の音は夏を思い出させるものなのかもしれません。そしてそのクライマックスが8月15日の精霊流しです。
夕方になって、鉦(かね)を打ち鳴らす音と爆竹の音が聞こえてくると、祭り好きが祭り囃子を聴いたときのようになにやら腰のあたりが落ち着かない気持ちになってきます。
早速、出かけましょう。
精霊流しというと実家のご近所のあの方の歌が有名ですが、実際に見ると想像をかなり裏切られます。
ちょっと何か事件か紛争が起きたみたいにも見えますが、普通の光景です。
動画を撮ってみました。お隣の人は爆竹を投げられて逃げ惑ってますが、昔のじげもん(私)は盛り上がってます。手足に爆竹の破片がバチバチと当たってくるのがなんとも言えないんですよ(笑)。
この人は派手好きだったんでしょうね。船も動きも派手です。矢火矢(ロケット花火)は周辺でボヤが出たので現在では禁止になっているようです。
長崎では毎年8月15日、亡くなって初盆を迎える方をこうやって船に乗せて爆竹と花火で盛大に送り出します。賑やかにバカ騒ぎしているように見えますが、それは表向きの賑やかさです。精霊船は流し場というところで解体されますが、そのときの親族と担ぎ手の人たちの様子を見ているとそれが良く分かりました。
こういう送り方をするのも長崎なんだと、この年齢になったせいなのか、そんなことにも心が行くようになった自分に気が付いた西暦2013年の精霊流しだったのでした。
飛行機に乗れば長崎まですぐですが、遠くなったかなあ…となんとなく。
花火の音が聞こえてくるのは主に墓地から。長崎では14日と15日の夜は墓に提灯を立て、墓参りをしつつ盛大に花火をする習慣があります。平らな土地が少ない長崎では墓は大抵、街を取り巻く山の斜面にあるので余計に音が響きます。
父の墓へ行ってみると墓地はたくさんの人で大賑わい。爆竹と花火の煙がもうもうです。私も子供の頃は、お盆の夜に墓へ行って花火をするのが楽しみだったものです。
久しぶりに爆竹と矢火矢の音を聞いていると、この不思議な感じが長崎なんだなあと改めて気が付きます。東京だったら叱られるもん。
子供の頃は当たり前で別になんとも思っていませんでしたが、改めて見渡してみると十字架が着いている墓石がたくさんあるのも不思議な光景です。カトリック信者の墓にはてっぺんに十字架がついて、墓石には戒名ではなく洗礼名がカタカナで刻まれています。
もしかすると長崎で育った人にとって、爆竹の音は夏を思い出させるものなのかもしれません。そしてそのクライマックスが8月15日の精霊流しです。
夕方になって、鉦(かね)を打ち鳴らす音と爆竹の音が聞こえてくると、祭り好きが祭り囃子を聴いたときのようになにやら腰のあたりが落ち着かない気持ちになってきます。
早速、出かけましょう。
精霊流しというと実家のご近所のあの方の歌が有名ですが、実際に見ると想像をかなり裏切られます。
ちょっと何か事件か紛争が起きたみたいにも見えますが、普通の光景です。
動画を撮ってみました。お隣の人は爆竹を投げられて逃げ惑ってますが、昔のじげもん(私)は盛り上がってます。手足に爆竹の破片がバチバチと当たってくるのがなんとも言えないんですよ(笑)。
この人は派手好きだったんでしょうね。船も動きも派手です。矢火矢(ロケット花火)は周辺でボヤが出たので現在では禁止になっているようです。
長崎では毎年8月15日、亡くなって初盆を迎える方をこうやって船に乗せて爆竹と花火で盛大に送り出します。賑やかにバカ騒ぎしているように見えますが、それは表向きの賑やかさです。精霊船は流し場というところで解体されますが、そのときの親族と担ぎ手の人たちの様子を見ているとそれが良く分かりました。
こういう送り方をするのも長崎なんだと、この年齢になったせいなのか、そんなことにも心が行くようになった自分に気が付いた西暦2013年の精霊流しだったのでした。
飛行機に乗れば長崎まですぐですが、遠くなったかなあ…となんとなく。
今考えてみると、ぎっくり腰の予兆はしっかりとありました。先月あたりから今回イタクなったところがなんとなくピリピリしていたので、腸腰など腰回りのストレッチは結構やっていたのですが防げませんでした。
発症後はほぼ寝たきりで身動きもできなかったので、高校の卒業30周年の同窓会に長崎へ行けるかどうか微妙だったのですが、荷物は事前に宅急便で送って杖をつきながらなんとか行くことができました。私が杖をついて現れたので友人たちはみなびっくりしてましたが、ぎっくり腰だと言うと笑ってくれました。
同窓会も無事に済んで久しぶりの長崎、杖をつきつきあちこちを歩いてみました。長崎で移動に便利なのは路面電車です。これに乗れば大抵の観光地を回ることができます。いつのまにか20円値上がり。大人120円 子供60円です。100円時代はかなり長かったように思います。120円、まあ安いと言えば安いか。
クルマと同じ道路を走るので赤信号で停まります。クルマは右折のときに線路と絡むので長崎市内の運転は慣れが必要そうです。右折には直進車と直進電車と後からくる電車全てを見なくちゃいけません。
道路から外れて電車の軌道だけのところもあります。線路を横切る道路には遮断機は無いので、クルマも歩行者も電車が来ないのを見計らって線路を渡ります。
前を走る車両に追いつくことも良くあります、というか普通です。
うーん、クルマで走ったらちょっと判断に迷いそう。電車込みのローカルルールを覚えないとだめですね。
さて眠くなりそうなスピードの電車にゴトゴトと揺られてやってきたのは、中島川という川沿いの道です。川には江戸時代に架けられた古い石橋がたくさん残っています。子供の頃よく遊んだ川です。
有名なめがね橋。干潮で水が少ないですがめがねに見えてます。海が近いので海の干満で水の量が変わります。
山側には中島川とほぼ平行に寺町通りという通りがあります。山の斜面に古いお寺とお墓がびっしりと立ち並んで、独特の雰囲気を作り出しています。石の塀と石畳の道、強烈な日差しが作り出すくっきりとした影がとても長崎らしい光景です。
古いお墓の間を細い道が入り組むように通っていて、子供のころよく走り回って遊んだものです。長崎の坂と階段で私の足腰は鍛えられたようなものです。
腰が痛いくせに、坂を登り始めたらついつい一番てっぺんまで行ってしまいました。長崎港が一望です。港の入り口に架かっている女神大橋という橋まで見えます。
坂本龍馬の亀山社中もこの山の並びにありました。龍馬もこの山の上から同じ景色を見ていたんでしょうか。ちなみに坂を下って寺町通りに出てそのまま歩くと、遊郭があった丸山に出ます。男たちはここを通って遊びに行ったんでしょうね。
腹が減ったら、暑いですがやっぱりチャンポンです。久しぶりで懐かしい味にほっこりしました。時間があったらチャンポンの食い倒れしたいものです。今回はいろいろと考えた末、ここのチャンポンにしました。
さてこの日は8月14日。街のあちこちでこんなモノを見かけます。そうです、これは精霊船。翌8月15日は長崎名物の精霊流しです。これに提灯や飾りを付け、花火を満載して市内を練り歩きます。
実は精霊流しを見るのは高校生以来、30年ぶりです。もうワクワクしてきました。
さあいよいよクライマックス、NAGASAKI 3へ続きます。
発症後はほぼ寝たきりで身動きもできなかったので、高校の卒業30周年の同窓会に長崎へ行けるかどうか微妙だったのですが、荷物は事前に宅急便で送って杖をつきながらなんとか行くことができました。私が杖をついて現れたので友人たちはみなびっくりしてましたが、ぎっくり腰だと言うと笑ってくれました。
同窓会も無事に済んで久しぶりの長崎、杖をつきつきあちこちを歩いてみました。長崎で移動に便利なのは路面電車です。これに乗れば大抵の観光地を回ることができます。いつのまにか20円値上がり。大人120円 子供60円です。100円時代はかなり長かったように思います。120円、まあ安いと言えば安いか。
クルマと同じ道路を走るので赤信号で停まります。クルマは右折のときに線路と絡むので長崎市内の運転は慣れが必要そうです。右折には直進車と直進電車と後からくる電車全てを見なくちゃいけません。
道路から外れて電車の軌道だけのところもあります。線路を横切る道路には遮断機は無いので、クルマも歩行者も電車が来ないのを見計らって線路を渡ります。
前を走る車両に追いつくことも良くあります、というか普通です。
うーん、クルマで走ったらちょっと判断に迷いそう。電車込みのローカルルールを覚えないとだめですね。
さて眠くなりそうなスピードの電車にゴトゴトと揺られてやってきたのは、中島川という川沿いの道です。川には江戸時代に架けられた古い石橋がたくさん残っています。子供の頃よく遊んだ川です。
有名なめがね橋。干潮で水が少ないですがめがねに見えてます。海が近いので海の干満で水の量が変わります。
山側には中島川とほぼ平行に寺町通りという通りがあります。山の斜面に古いお寺とお墓がびっしりと立ち並んで、独特の雰囲気を作り出しています。石の塀と石畳の道、強烈な日差しが作り出すくっきりとした影がとても長崎らしい光景です。
古いお墓の間を細い道が入り組むように通っていて、子供のころよく走り回って遊んだものです。長崎の坂と階段で私の足腰は鍛えられたようなものです。
腰が痛いくせに、坂を登り始めたらついつい一番てっぺんまで行ってしまいました。長崎港が一望です。港の入り口に架かっている女神大橋という橋まで見えます。
坂本龍馬の亀山社中もこの山の並びにありました。龍馬もこの山の上から同じ景色を見ていたんでしょうか。ちなみに坂を下って寺町通りに出てそのまま歩くと、遊郭があった丸山に出ます。男たちはここを通って遊びに行ったんでしょうね。
腹が減ったら、暑いですがやっぱりチャンポンです。久しぶりで懐かしい味にほっこりしました。時間があったらチャンポンの食い倒れしたいものです。今回はいろいろと考えた末、ここのチャンポンにしました。
さてこの日は8月14日。街のあちこちでこんなモノを見かけます。そうです、これは精霊船。翌8月15日は長崎名物の精霊流しです。これに提灯や飾りを付け、花火を満載して市内を練り歩きます。
実は精霊流しを見るのは高校生以来、30年ぶりです。もうワクワクしてきました。
さあいよいよクライマックス、NAGASAKI 3へ続きます。
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