MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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ある農学校で暮らしている柔らかな舌を持ち人間の言葉を流暢に話す豚。自分の身体が白金に例えられたのを耳にして、自分の体重を白金に換算するとどのくらいの価値があるのかをすぐに計算できる豚のお話。
平和に暮らしていた豚はある日、家畜撲殺同意調印法という法律に従って死亡承諾書になかば強引に同意させられてしまいます。自分の運命を計りかねて嘆き悲しむ豚は食欲を失いますが、痩せることを許されずに強制的に飼料を食べさせられ肥らされます。
悲しみと恐怖で苦悩の生活を送っていた豚は「たまには散歩でもどうですか?」と誘いだされ、歩いている最中に突然鉄槌で頭をくだかれて殺されてしまいます。そして小刀で八つに分解された身体が雪の中に一晩漬けられるところで物語が終わる「フランドン農学校の豚」というお話。
それから、知的障害を持っているために、いつも子供たちにばかにされている虔十(けんじゅう)という名の男のお話。
虔十はある日、自分の家の裏の野原に杉の苗700本を植えたいと両親にお願いをします。その場所はどうやっても木が育つような場所ではなかったのですが、父親は息子の初めての願い事に彼の言うことを聞いて杉の苗を買って与えます。
回りの住民からは「そんな土の良くないところに植えても育つはずが無い」と馬鹿にされますが、虔十は喜んで苗の世話をします。
5年経っても相変わらず丈が伸びない杉の苗に、村人たちは虔十のことをやはり馬鹿だ馬鹿だと笑い者にするのです。
けれども、丈が伸びなくても丁寧に枝打ちされた杉の苗の林は隣接する小学校の子供たちの格好の遊び場所になり、毎日毎日子供たちが集まる場所になっていきます。
虔十は子供の遊び場になったのを喜びながら、苗を植えた5年目の秋にチフスに罹って死んでしまいます。
それから20年の年月が経って、村にはたくさんの建物や工場ができ発展しいつのまにか大きな街になってしまいましたが虔十が植えた杉の林だけはそのまま残りました。
子供たちはその間も変わらず背丈が伸びない杉の林の木々の間で遊びまわっていたのです。
ある日その村から出てアメリカの偉い博士になった人物が里帰りしてきます。村はすっかり様変わりして住む人も変わり、昔のおもかげは全く残っていません。
そんな中でただ一つだけ昔のまま変わらずに残っていた場所は虔十が植えた背が伸びない杉の林だけだったのです。そこでは相変わらず子供たちが遊んでいました。偉い博士は自分が子供のころに遊んでいたのと同じ光景を見てとても驚き、喜びます。
そして知的障害から、子供心に馬鹿にしていた虔十のおかげで自分たちの遊び場があったことを知り、彼のおかげで今の自分があることに気が付きます。そしてこんな言葉を口にするのです。「ああ、全くだれがかしこくだれがかしこくないかはわかりません…」
そしてかつてこの林で遊び、いまは立派な大人になった人たちからたくさんお金が集まり、その林は虔十公園林と名づけられ保存されることになったのです。
このお話は「虔十公園林」という短編。お話した二つの物語は、読みでは私と二文字違いの宮沢賢治の作品です。
子供の頃、10代の頃、何度となく読んだ宮沢賢治ですが改めて読み返してみると、40代後半に入った今の自分の心が一番強く共鳴しているようです。二つのお話には思わず泣いてしまいました。
宮沢賢治が書いた物語を読んでいると、美しく豊かでそして厳しい自然の中に自分も溶け込んでいくような気持ちにさせられます。エコロジーや自然環境ということも含めて、人が幸せに暮らしていくことはどういうことであるのかと自然のうちに考え理解することができるのではないかと思います。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
宮沢賢治 風の又三郎
みなさんも読んでみてください。新編 風の又三郎
さて、寒そうですが明日は朝から出かけてみまひょうか。
平和に暮らしていた豚はある日、家畜撲殺同意調印法という法律に従って死亡承諾書になかば強引に同意させられてしまいます。自分の運命を計りかねて嘆き悲しむ豚は食欲を失いますが、痩せることを許されずに強制的に飼料を食べさせられ肥らされます。
悲しみと恐怖で苦悩の生活を送っていた豚は「たまには散歩でもどうですか?」と誘いだされ、歩いている最中に突然鉄槌で頭をくだかれて殺されてしまいます。そして小刀で八つに分解された身体が雪の中に一晩漬けられるところで物語が終わる「フランドン農学校の豚」というお話。
それから、知的障害を持っているために、いつも子供たちにばかにされている虔十(けんじゅう)という名の男のお話。
虔十はある日、自分の家の裏の野原に杉の苗700本を植えたいと両親にお願いをします。その場所はどうやっても木が育つような場所ではなかったのですが、父親は息子の初めての願い事に彼の言うことを聞いて杉の苗を買って与えます。
回りの住民からは「そんな土の良くないところに植えても育つはずが無い」と馬鹿にされますが、虔十は喜んで苗の世話をします。
5年経っても相変わらず丈が伸びない杉の苗に、村人たちは虔十のことをやはり馬鹿だ馬鹿だと笑い者にするのです。
けれども、丈が伸びなくても丁寧に枝打ちされた杉の苗の林は隣接する小学校の子供たちの格好の遊び場所になり、毎日毎日子供たちが集まる場所になっていきます。
虔十は子供の遊び場になったのを喜びながら、苗を植えた5年目の秋にチフスに罹って死んでしまいます。
それから20年の年月が経って、村にはたくさんの建物や工場ができ発展しいつのまにか大きな街になってしまいましたが虔十が植えた杉の林だけはそのまま残りました。
子供たちはその間も変わらず背丈が伸びない杉の林の木々の間で遊びまわっていたのです。
ある日その村から出てアメリカの偉い博士になった人物が里帰りしてきます。村はすっかり様変わりして住む人も変わり、昔のおもかげは全く残っていません。
そんな中でただ一つだけ昔のまま変わらずに残っていた場所は虔十が植えた背が伸びない杉の林だけだったのです。そこでは相変わらず子供たちが遊んでいました。偉い博士は自分が子供のころに遊んでいたのと同じ光景を見てとても驚き、喜びます。
そして知的障害から、子供心に馬鹿にしていた虔十のおかげで自分たちの遊び場があったことを知り、彼のおかげで今の自分があることに気が付きます。そしてこんな言葉を口にするのです。「ああ、全くだれがかしこくだれがかしこくないかはわかりません…」
そしてかつてこの林で遊び、いまは立派な大人になった人たちからたくさんお金が集まり、その林は虔十公園林と名づけられ保存されることになったのです。
このお話は「虔十公園林」という短編。お話した二つの物語は、読みでは私と二文字違いの宮沢賢治の作品です。
子供の頃、10代の頃、何度となく読んだ宮沢賢治ですが改めて読み返してみると、40代後半に入った今の自分の心が一番強く共鳴しているようです。二つのお話には思わず泣いてしまいました。
宮沢賢治が書いた物語を読んでいると、美しく豊かでそして厳しい自然の中に自分も溶け込んでいくような気持ちにさせられます。エコロジーや自然環境ということも含めて、人が幸せに暮らしていくことはどういうことであるのかと自然のうちに考え理解することができるのではないかと思います。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
宮沢賢治 風の又三郎
みなさんも読んでみてください。新編 風の又三郎
さて、寒そうですが明日は朝から出かけてみまひょうか。
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