MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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なんとなく昔ばなしです。
私がそのポイントでに通うようになったのは、今から約20年前、1990年代の始めごろのことでした。南房総にあるそのポイントがブルース・ブラウンが撮影した60年代のサーフムービーに登場していることを知ったのはもう少し後になります。
大きなうねりが入ったときのクラシックポイントとして有名なポイントだったのですが、コシくらいのサイズならロングボード向けのメローなロングライドできる波が立つポイントでした。
軽自動車のルーフにソフトラックスでロングボードをくくりつけ、朝一のフェリーに乗って東京湾を渡り、房総半島の山中のくねくね道を走ってそのポイントに到着するのが朝の7時45分。それが一番速くそのポイントに着くための方法でした(前日の夜から来て夜明けを待つのでなければ…)
ポイントの前に車を停めて、防波堤越しに海をみるとコシくらいの波が古い堤防の沖から規則正しく割れているのが見えます(実際、そのくらいの波であればかなりの確率でありました)そのくらいのサイズだったら海の中にはサーファーはゼロ。7時45分でも一番乗りでした。今考えるとまだのんびりしていた時代だったのかもしれません。
ボトムはリーフというよりは岩がごろごろしているボトムでした。小さな波でもきれいに崩れていて、沖のピークからショアブレイクまで乗り継いでいくことができました。
長く続く波だったので、いろんな動きを覚えさせてもらいました。ボードから落ちさえしなければ何度も同じ動きを繰りかえし練習できるのです。テイクオフのポイントに戻るのもロングパドルを強いられるので、パドルも鍛えられたと思います。
そうやって小1時間ほどひとりで波に乗っていると、ようやく他のサーファーの姿がちらほらと見え始めるのです。夏場はさすがに人が多いこともありましたが、それ以外の季節はそんな感じでのんびりと波乗りできていたと思います。
大きなうねりが入るとテイクオフのポイントはさらに沖になり、それは壮観でした(そんなときには見学)。それほど大きなうねりでなくてもうねりの向きか潮の加減か、とても長いラインアップが現れたことがあって、そんな波にあたると歓喜に包まれていたものです(これはウソ。本当はロングパドルにヒーヒー言ってました。)
そのポイントで最後に波乗りをしたのは、1998年3月でした。少しずつテトラを入れられ、堤防が延びてブレイクがコンパクトになっていって、最期は沖から囲まれるように防波堤が作られ、その僅かな隙間から入ってきていたうねりにテイクオフしたのが最後でした。
それから後は工事がはじまって近寄ることもできなくなりました。今はヨットハーバーです。
大好きだったポイントはそうやって消滅してしまいました。
昔ばなしだったら大抵「めでたしめでたし」とか「とっぴんぱらりのぷう」で終わるのですがちょっと寂しい昔ばなしでした。あらためて考えてみると、あの波をハルやフィッシュやニーボードでも滑ってみたかったです。
私がそのポイントでに通うようになったのは、今から約20年前、1990年代の始めごろのことでした。南房総にあるそのポイントがブルース・ブラウンが撮影した60年代のサーフムービーに登場していることを知ったのはもう少し後になります。
大きなうねりが入ったときのクラシックポイントとして有名なポイントだったのですが、コシくらいのサイズならロングボード向けのメローなロングライドできる波が立つポイントでした。
軽自動車のルーフにソフトラックスでロングボードをくくりつけ、朝一のフェリーに乗って東京湾を渡り、房総半島の山中のくねくね道を走ってそのポイントに到着するのが朝の7時45分。それが一番速くそのポイントに着くための方法でした(前日の夜から来て夜明けを待つのでなければ…)
ポイントの前に車を停めて、防波堤越しに海をみるとコシくらいの波が古い堤防の沖から規則正しく割れているのが見えます(実際、そのくらいの波であればかなりの確率でありました)そのくらいのサイズだったら海の中にはサーファーはゼロ。7時45分でも一番乗りでした。今考えるとまだのんびりしていた時代だったのかもしれません。
ボトムはリーフというよりは岩がごろごろしているボトムでした。小さな波でもきれいに崩れていて、沖のピークからショアブレイクまで乗り継いでいくことができました。
長く続く波だったので、いろんな動きを覚えさせてもらいました。ボードから落ちさえしなければ何度も同じ動きを繰りかえし練習できるのです。テイクオフのポイントに戻るのもロングパドルを強いられるので、パドルも鍛えられたと思います。
そうやって小1時間ほどひとりで波に乗っていると、ようやく他のサーファーの姿がちらほらと見え始めるのです。夏場はさすがに人が多いこともありましたが、それ以外の季節はそんな感じでのんびりと波乗りできていたと思います。
大きなうねりが入るとテイクオフのポイントはさらに沖になり、それは壮観でした(そんなときには見学)。それほど大きなうねりでなくてもうねりの向きか潮の加減か、とても長いラインアップが現れたことがあって、そんな波にあたると歓喜に包まれていたものです(これはウソ。本当はロングパドルにヒーヒー言ってました。)
そのポイントで最後に波乗りをしたのは、1998年3月でした。少しずつテトラを入れられ、堤防が延びてブレイクがコンパクトになっていって、最期は沖から囲まれるように防波堤が作られ、その僅かな隙間から入ってきていたうねりにテイクオフしたのが最後でした。
それから後は工事がはじまって近寄ることもできなくなりました。今はヨットハーバーです。
大好きだったポイントはそうやって消滅してしまいました。
昔ばなしだったら大抵「めでたしめでたし」とか「とっぴんぱらりのぷう」で終わるのですがちょっと寂しい昔ばなしでした。あらためて考えてみると、あの波をハルやフィッシュやニーボードでも滑ってみたかったです。
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無題
なんだか寂しい話ですね。。
僕も今通ってるポイントを大事にして感謝してサーフィンしたいと思います。
先日宮嶋さんに言っていただいた言葉「ルース=スムース」をいつも頭にイメージしてサーフィンしています!!楽しさが倍になりましたよ♪ありがとうございます!大瀧
僕も今通ってるポイントを大事にして感謝してサーフィンしたいと思います。
先日宮嶋さんに言っていただいた言葉「ルース=スムース」をいつも頭にイメージしてサーフィンしています!!楽しさが倍になりましたよ♪ありがとうございます!大瀧
無題
ブルース・ブラウンが撮影した63年(たぶん)のフィルムを見ると、記憶の中の景色とあんまり変わってないんです。いい波でした。
エッジが無いロングボードの感覚は、やっぱり”スムース”ですね。あのボードに慣れたら次はぜひ”重量”という要素を加えてください。気持ちよささらに倍増しますよ。
エッジが無いロングボードの感覚は、やっぱり”スムース”ですね。あのボードに慣れたら次はぜひ”重量”という要素を加えてください。気持ちよささらに倍増しますよ。
鴨川赤堤
そのポイントとは鴨川赤堤のことでしょうか?
赤堤はそのずっと以前から、とても初心者のビジターロングボーダーがのんびり入ることが許されるような場所ではなかったですが本当の話でしょうか???
あなたは数回入ったことが「ある」という話を、「通っていた」と誇張していませんか?
赤堤はそのずっと以前から、とても初心者のビジターロングボーダーがのんびり入ることが許されるような場所ではなかったですが本当の話でしょうか???
あなたは数回入ったことが「ある」という話を、「通っていた」と誇張していませんか?
無題
当時は会社勤めで休みを使って千葉へのショートトリップでしたから、いけても月に3~4回です(こづかいだって限度があるし…)。仕事などで行けない時期もありましたが、東京湾フェリーに乗って千葉に行ったときにいつも一番最初にチェックしていたのは赤堤でした。
ある場所に行きたくて、何年にもわたって何度も訪れている状態を「通う」という表現を使うのは間違っていないと思います。
赤堤本来のブレイクのときに入れるような実力はありませんでしたが、実力に見合ったコンディションなら何も問題ありませんでしたよ。そのおかげで上達できたようなものです。
同じようにロングボーダーもたくさんいました。必ずノーリーシュで冬にはなぜかフルスーツの上からトランクスを履いていたりして、重そうなシングルフィンに乗っている人が多かったですね。
そんなロングのコンディションでは入っている人もメローでのんびりしていました…と事実としてそう言う以外には無いのですが…
赤堤が無くなってしまってからは「通う」目的を失ってしまって千葉に行く回数が激減してしまったのも事実です。
なんだか不思議なコメントをいただいて戸惑っております。
ある場所に行きたくて、何年にもわたって何度も訪れている状態を「通う」という表現を使うのは間違っていないと思います。
赤堤本来のブレイクのときに入れるような実力はありませんでしたが、実力に見合ったコンディションなら何も問題ありませんでしたよ。そのおかげで上達できたようなものです。
同じようにロングボーダーもたくさんいました。必ずノーリーシュで冬にはなぜかフルスーツの上からトランクスを履いていたりして、重そうなシングルフィンに乗っている人が多かったですね。
そんなロングのコンディションでは入っている人もメローでのんびりしていました…と事実としてそう言う以外には無いのですが…
赤堤が無くなってしまってからは「通う」目的を失ってしまって千葉に行く回数が激減してしまったのも事実です。
なんだか不思議なコメントをいただいて戸惑っております。
防波堤(ゴツゴツ)を素足で歩き
防波堤(ゴツゴツ)を素足で歩きながらいい波を見ながら堤防突端からうねりが入った時にサーフボードと一緒に飛び込む時の快感は最高でした。
日本全国波乗りして来ましたが、ここは全て環境も含め最高の場所でした。惚れ込みましたよ。またここの涙に会いたい。。。。。。
日本全国波乗りして来ましたが、ここは全て環境も含め最高の場所でした。惚れ込みましたよ。またここの涙に会いたい。。。。。。
Re:防波堤(ゴツゴツ)を素足で歩き
新しく防波堤ができる前のゴツゴツした古い方ですね。防波堤の横に沖へ出るカレントがあった記憶があります。あの頃よりは多少できるようになった今、またやってみたいなあと思います。
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