MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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こんな映画があります。まだ見てはいませんが、誰がサーフボード革命の立役者だったか?ということがテーマのようです。
誰が?というのは、オーストラリアのボブ・マクタビッシュとハワイのディック・ブリューワーの二人です。ここのところ私もはまってますが、やっぱり映画になるほど面白いテーマなのです。
ポール・ウィツィグの三部作の最初の作品「HOT GENERATION」でのマウイ島ホノルアベイでのシーン。ボブ・マクタビッシュ率いるオージーチームは、テール幅が広く、VEEが深く入ったプラスティックマシーン(ファンタスティックプラスティックマシーンという映画からこの手のボードをそう呼びます)で登場。
一方、ディック・ブリューワー本人とハワイチームはロングボード(ノーズが細いようにも見えます)で登場します(サーファージャーナルでもマット・ワーショウがそう書いています)
ジェリー・ロペスが書いた、SURF IS WHERE YOU FIND ITに、これに関することが書かれていたのを思いだし、探してみました。
え?持ってない?サーフィンにはまっているなら、これは必読です。サーフィンに関する本の中ではコレが一番です。面白くもあり勉強にもなります。
印象に残っているお話だったのですぐに見つかりました。こんな感じです。
ジェリー・ロペスとリノ・アベリラはディック・ブリューワーにボードを削ってもらおうと、ブランクスを手に入れマウイのブリューワーを尋ねます。二人の希望は、9’6”のパイプライナーガン。
リノのボードのシェイプが出来上がり、さあ今度は自分の番だとロペスがワクワクしていると、そこへボブ・マクタビッシュ率いるオージーチームがやってきます。
そのときのメンバーは、テッド・スペンサー、ナットヤング、ジョージ・グリノウ、ラッセル・ヒュージとジョンとポールのウィッツィグ兄弟です。(まさにHOT GENERATION撮影隊!)
ブリューワーはマクタビッシュと長い時間話し込みます。マクタビッシュがようやく帰った後、ロペスのボードのブランクスに向かったブリューワーはいきなりブランクスをノコギリで短く切ってしまいます。リノと同じボードが欲しかったのに、どう見ても1フィート以上は長さが足りなくなってしまったブランクスを見てロペスは泣きそうになったと書いています。
新しいアウトラインを持つそのボードの長さは8.6。ミニガンと呼ばれ、その後のサーフボードの進化のスタートになったボードであり、その時代に立ち会えたことはとてもラッキーだったとその章を結んでいます。
映像と本、この二つから考えるとブリューワーにミニガンのインスピレーションを与えたのは、マクタビッシュだったと推測できます。サーファージャーナルにマット・ワーショが書いている通りです。
でも、マクタビッシュが持ち込んだVEEボトムのプラスティックマシーンはハワイでは機能しなかった、という結果になります。HOT GENERATIONの中では、ベルズビーチのかなり大きな波にプラスティックマシーンで乗っているマクタビッシュが映し出されているのですが、大きなうねりが入った、サンセットやホノルアの波ではまったく身動きが取れなかった、とこの本には書かれています。
さらに、ナット・ヤングは、10フィートのホノルアでボードを折ってしまったと書いてありましたが、HOT GENERATIONの映像の中のホノルアはそんなに大きくなく、しかもナット・ヤングのボードのノーズが妙な感じだったのを今思い出しました。あれはもしかすると、折れたノーズをつないで、少しサイズダウンした波で撮影されたものかもしれません。
ブリューワー、マクタビッシュ、どちらがサーフボード革命を推し進めたか?ということよりも、サーファージャーナル、ロペスの本、映像といろんなものが、パズルの穴を埋めるようにはまっていくのが私には面白いのです。
どちらが先か?ということにはあまり興味はありません。二人の天才がいてその後のサーフボードのデザインを変えていったのです。
ブリューワーはその後ダウンレールというコンセプトを確立しますが、このデザインは現在でも私を多いに楽しませてくれています。カツさんのシェイプです。カツさんがシェイプするダウンレールが絶妙なのは、この時代がベースになっているからだと思います。
誰が?というのは、オーストラリアのボブ・マクタビッシュとハワイのディック・ブリューワーの二人です。ここのところ私もはまってますが、やっぱり映画になるほど面白いテーマなのです。
ポール・ウィツィグの三部作の最初の作品「HOT GENERATION」でのマウイ島ホノルアベイでのシーン。ボブ・マクタビッシュ率いるオージーチームは、テール幅が広く、VEEが深く入ったプラスティックマシーン(ファンタスティックプラスティックマシーンという映画からこの手のボードをそう呼びます)で登場。
一方、ディック・ブリューワー本人とハワイチームはロングボード(ノーズが細いようにも見えます)で登場します(サーファージャーナルでもマット・ワーショウがそう書いています)
ジェリー・ロペスが書いた、SURF IS WHERE YOU FIND ITに、これに関することが書かれていたのを思いだし、探してみました。
え?持ってない?サーフィンにはまっているなら、これは必読です。サーフィンに関する本の中ではコレが一番です。面白くもあり勉強にもなります。
印象に残っているお話だったのですぐに見つかりました。こんな感じです。
ジェリー・ロペスとリノ・アベリラはディック・ブリューワーにボードを削ってもらおうと、ブランクスを手に入れマウイのブリューワーを尋ねます。二人の希望は、9’6”のパイプライナーガン。
リノのボードのシェイプが出来上がり、さあ今度は自分の番だとロペスがワクワクしていると、そこへボブ・マクタビッシュ率いるオージーチームがやってきます。
そのときのメンバーは、テッド・スペンサー、ナットヤング、ジョージ・グリノウ、ラッセル・ヒュージとジョンとポールのウィッツィグ兄弟です。(まさにHOT GENERATION撮影隊!)
ブリューワーはマクタビッシュと長い時間話し込みます。マクタビッシュがようやく帰った後、ロペスのボードのブランクスに向かったブリューワーはいきなりブランクスをノコギリで短く切ってしまいます。リノと同じボードが欲しかったのに、どう見ても1フィート以上は長さが足りなくなってしまったブランクスを見てロペスは泣きそうになったと書いています。
新しいアウトラインを持つそのボードの長さは8.6。ミニガンと呼ばれ、その後のサーフボードの進化のスタートになったボードであり、その時代に立ち会えたことはとてもラッキーだったとその章を結んでいます。
映像と本、この二つから考えるとブリューワーにミニガンのインスピレーションを与えたのは、マクタビッシュだったと推測できます。サーファージャーナルにマット・ワーショが書いている通りです。
でも、マクタビッシュが持ち込んだVEEボトムのプラスティックマシーンはハワイでは機能しなかった、という結果になります。HOT GENERATIONの中では、ベルズビーチのかなり大きな波にプラスティックマシーンで乗っているマクタビッシュが映し出されているのですが、大きなうねりが入った、サンセットやホノルアの波ではまったく身動きが取れなかった、とこの本には書かれています。
さらに、ナット・ヤングは、10フィートのホノルアでボードを折ってしまったと書いてありましたが、HOT GENERATIONの映像の中のホノルアはそんなに大きくなく、しかもナット・ヤングのボードのノーズが妙な感じだったのを今思い出しました。あれはもしかすると、折れたノーズをつないで、少しサイズダウンした波で撮影されたものかもしれません。
ブリューワー、マクタビッシュ、どちらがサーフボード革命を推し進めたか?ということよりも、サーファージャーナル、ロペスの本、映像といろんなものが、パズルの穴を埋めるようにはまっていくのが私には面白いのです。
どちらが先か?ということにはあまり興味はありません。二人の天才がいてその後のサーフボードのデザインを変えていったのです。
ブリューワーはその後ダウンレールというコンセプトを確立しますが、このデザインは現在でも私を多いに楽しませてくれています。カツさんのシェイプです。カツさんがシェイプするダウンレールが絶妙なのは、この時代がベースになっているからだと思います。
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