MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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サーファーズジャーナル日本語版の最新号を読んでいて、スキップ・フライのクィーバーのショットも素晴らしかったのですが、この記事に共感をおぼえました。
THE BIG BOOGIE。使っている意味はおんなじですが活さんのブギーじゃありません。ボディボードのことです。
なんだボディボードの話か、と思いましたか?そのとおり、ボディボーディングのお話しです。
20数年前をご存じの方なら、当時のボディボードの流行を覚えていることと思います。女性を中心にたくさんのボディボーダーが亀の子みたいボディボードを背負って海にやってきてパドルアウトしていました。
当時発刊されていた女性をターゲットにしたようなボディボード誌や、片寄った男女比から私自身も、ボディボードは女がやるものだという間違った認識を最初は持っていました。
幸いなことに当時からアタマは柔らかだったようで、ロングボードでは楽しめないような掘れたダンパー気味の波のときにボディボードでパドルアウトしてみて、結構それが楽しいことに気が付いてからは、そういうコンディションに遭遇してしまったときにはボディボードを持ち出して楽しんでいました。
流行には終わりがあるもので、すたれてしまうと逆にもう見たく無くなってしまったりするものですが、いつのまにかボディボードもそんな流れへと変わってしまって、今では目にすることが少ない存在になってしまいました(それさえ気が付いていない人もいるのかもしれませんが…)
このサーファーズジャーナルの記事の中に、「サーファーというのは道具フェチなんだ」と多いにうなずける(笑)くだりがあります。道具フェチゆえ、四角いスポンジの板切れにしか見えないボディボードには興味が持てない。
スポンジ板ではありませんが、私は今でも腹ばいで波に乗ります。パイポとエアマットです。
自分が道具フェチであることは否定しません。その通りです。でも、本質はそこではありません。本質は波に乗ることです。そしてその方法は全くの自由なはず。
でも気が付けば、この記事のボディボードだけでなく、ロングボードが、ショートボードが、ファンボードが、と様々な摩擦もあったりしますが、それも私は否定しません。それも自由だからです。
けれども、自由であろうとすることと、特定のスタイルにこだわることのふたつは両立させることができると思います。それは認めることだと思います。自分の好みやスタイルを持ちつつも、他の人、回りの人がやっていることを認めることです。排他的であることは自由では無いと私は考えます。
話が重くなりそうです 笑。
足ヒレを履いてパイポ、そうでなければエアマットでパドルアウトすると、もう単純にシンプルに、頭の中にあるのは波を滑ることだけです。浮力がないペラペラのパイポでのパドルアウトはほぼ水泳。身体ひとつの気分に近いです。
人が多いラインアップの中にいて、回りからどう見られているのかは知りません。関係なしです 笑。あらためて考えてみると、周囲と違うことをすることで、いろいろなことからリセットされているような気がします。
道具や見た目に関係なくただ波を滑ることの楽しさ。本来自由であるはずの波乗りの「自由」を知っているやつらはクールだぜい、とこの記事は言っているように思いました。
「THE SURFER'S JOURNAL 26.4 THE BIG BOOGIE」読んでみてください。
今日の懐メロ。最初に聞いたときには、絶対レコード飛んだと思いました。1978年だそうです。
THE BIG BOOGIE。使っている意味はおんなじですが活さんのブギーじゃありません。ボディボードのことです。
なんだボディボードの話か、と思いましたか?そのとおり、ボディボーディングのお話しです。
20数年前をご存じの方なら、当時のボディボードの流行を覚えていることと思います。女性を中心にたくさんのボディボーダーが亀の子みたいボディボードを背負って海にやってきてパドルアウトしていました。
当時発刊されていた女性をターゲットにしたようなボディボード誌や、片寄った男女比から私自身も、ボディボードは女がやるものだという間違った認識を最初は持っていました。
幸いなことに当時からアタマは柔らかだったようで、ロングボードでは楽しめないような掘れたダンパー気味の波のときにボディボードでパドルアウトしてみて、結構それが楽しいことに気が付いてからは、そういうコンディションに遭遇してしまったときにはボディボードを持ち出して楽しんでいました。
流行には終わりがあるもので、すたれてしまうと逆にもう見たく無くなってしまったりするものですが、いつのまにかボディボードもそんな流れへと変わってしまって、今では目にすることが少ない存在になってしまいました(それさえ気が付いていない人もいるのかもしれませんが…)
このサーファーズジャーナルの記事の中に、「サーファーというのは道具フェチなんだ」と多いにうなずける(笑)くだりがあります。道具フェチゆえ、四角いスポンジの板切れにしか見えないボディボードには興味が持てない。
スポンジ板ではありませんが、私は今でも腹ばいで波に乗ります。パイポとエアマットです。
自分が道具フェチであることは否定しません。その通りです。でも、本質はそこではありません。本質は波に乗ることです。そしてその方法は全くの自由なはず。
でも気が付けば、この記事のボディボードだけでなく、ロングボードが、ショートボードが、ファンボードが、と様々な摩擦もあったりしますが、それも私は否定しません。それも自由だからです。
けれども、自由であろうとすることと、特定のスタイルにこだわることのふたつは両立させることができると思います。それは認めることだと思います。自分の好みやスタイルを持ちつつも、他の人、回りの人がやっていることを認めることです。排他的であることは自由では無いと私は考えます。
話が重くなりそうです 笑。
足ヒレを履いてパイポ、そうでなければエアマットでパドルアウトすると、もう単純にシンプルに、頭の中にあるのは波を滑ることだけです。浮力がないペラペラのパイポでのパドルアウトはほぼ水泳。身体ひとつの気分に近いです。
人が多いラインアップの中にいて、回りからどう見られているのかは知りません。関係なしです 笑。あらためて考えてみると、周囲と違うことをすることで、いろいろなことからリセットされているような気がします。
道具や見た目に関係なくただ波を滑ることの楽しさ。本来自由であるはずの波乗りの「自由」を知っているやつらはクールだぜい、とこの記事は言っているように思いました。
「THE SURFER'S JOURNAL 26.4 THE BIG BOOGIE」読んでみてください。
今日の懐メロ。最初に聞いたときには、絶対レコード飛んだと思いました。1978年だそうです。
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