MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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FISH ON! 2003年10月 ’SURFER’より
「私は、つねにスピードを追求してきた。」 それは61歳のスキップフライにとっては自他ともに認める事実である。
「コンテストとはまったく違ったサーフィンなのです。テクニックではなくフィーリング、グライドなのです。」と言うのは、スキップの教えの下にフィッシュを作っている、30歳のシェイパー、クリス・クリステンソン。2人はサンディエゴが生み出したこのボードデザインについて、サンディエゴのスキップ・フライの仕事場で、30年という歳月に隔てられてはいるがそれぞれのサーフボードの進歩を見てきた2人のシェイパーとして語り合っていた。
FISHは短く、幅が広くフラットでボリュームがある。そして二つのキールフィンと二つに分かれたテールの形状をしている。スキップは、それが60年代のサーフボード革命のなかで生み出され、長い年月の間にデザインに多少の変化があったものの、過去の遺物としてではなく、現代でも十分に通用するデザインだと考えている。
短く、幅が広いトライフィンをフィッシュという名前で呼ぶことがあるが、これはフィッシュと呼ぶのは完全な間違いであり、(クラッシックな)フィッシュデザインに愛着を持ち、影響を受けて作られたフィッシュボードは本当に少ない。サンディエゴのサーファーとシェイパーは長い間、フィッシュがはじめて使われたサンセットクリフの波を守ってきたのと同様に、自分たちが生み出したフィッシュデザインを伝承しつづけてきた。
フィッシュのクラッシックなウッドキールフィンを最初に作ったラリー・ゲファートは言う、二つに分かれたテールの先端の幅が、9.5インチ以上ないとダメだ。そうでないとスワローテールになってしまい、フィッシュの感覚は失われてしまう…。
その感覚っていうのは?
俺たちはそれを「BAR OF SOAP」(石鹸)と呼んでいる。ラリー・ゲファートは続けた、そいつに立ち上がって乗ったとき、足元からそいつが溢れだしてくるんだ。
フィッシュが登場したのは1960年代後期、その当時はサーファーにとって混乱の時代でもあった。デザインとスタイルは常にはげしく変化し続け、実際に海に出て波に乗る行為だけでなく、想像力を働かせ革新することも‘サーフィン‘であった時代であった。
1966年 サンディエゴのニーボーダー、スティーブ・リズはサンセットクリフの波に乗る為、壊れたロングボードのグラスファイバーを剥がし短く作り変えていった。そのボードは、ウッドボードの時代に作られていた二股に分かれたテール形状のサーフボードとニーボードのツィンフィンをミックスさせ、ダブルピンテールの両方のテールにフィンが付いている物であった。そのボードはフラットでスピード出て、当時まだラインアップにいた重たいロングボードと較べて、ダイナミックなマニューバーを描くことができた。スティーブ・リズ自身すぐれたサーファーであり、彼のヒザの下から新しい時代が生まれてきたのである。
ラリー・ゲファートは当時 スティーブ・リズのフィッシュを手に入れた一人であったが、もともと彼は木を削りスケートボードのデッキを作る職人であった。その経験からラリー・ゲファートは木を薄くけずり、ファイバーグラス製のフィンよりも軽く、フレックスする木製のフィンを考案したのであった。今日では、スティーブ・リズのデザインとラリー・ゲファートのウッドフィンは切り離して考えることができないものになっている。
「ラリー・ゲファートのフィンがなかったら、ピーナッツバターの入っていないピーナッツサンドを食べるようなものだよ」初期からのフィッシュの愛好家であるスキップは言う。70年代の初めまでには、サンディエゴのサーファーのほとんどがフィッシュを持っていたんだ。
それからすぐに、サンディエゴ以外のサーファーにもフィッシュは伝わっていった。ハンティントンビーチにフィッシュを‘輸入’したデヴィッド・ヌヒワは、あたかもフィッシュの考案者の1人のようにふるまった。血の気の多いサンセットクリフのローカルたちは、1972年のオーシャンビーチでデヴィッド・ヌヒワが乗ったフィッシュを盗みだし、ぺちゃんこになるほど叩きのめし、オーシャンビーチのピアにぶら下げた。ボードには、まるで墓標のように「good luck Dave」と書かれていた。
一時代を築いたオーストラリアのマークリチャーズのツィンフィンも75年、リノ・アベリラがコンテストで使ったフィッシュを元に考案されたものだった。同年、バンカー・スプレクルスは、ジェフリーズ・ベイをスティーブ・リズのクラッシックフィッシュで滑走。ジェフリーズベイの波にフィッシュのトラックを刻み付けた。このことは、20年以上も語り継がれ、近年では同じくジェフリーズベイにおいてデレク・ハインドが、スキップのフィッシュを使い同じラインで滑ってみせた。
デレクのライディングとスキップのボードは、アンダーグラウンド的に盛り上がりをみせ、少しづつではあるが、クラッシックフィッシュを手がけるシェイパーも増えてきた。
「フィッシュからは本当に多くのことを学んだよ。」とダン・マロイは言う。彼は、スラスターで育ったプロサーファーの1人であるが、このところ一部のプロサーファーたちの間ではフィッシュを使ってのパフォーマンスが再び試されている。「スラスターは、細かく動いてパーフォーマンスには良いんだけど、フィッシュに乗ると波のエネルギーを感じることができる。波の高い位置でのライン、スピードとフロー、それがフィッシュなんだ。最初は、どうやって乗るのかさえわからなかったよ。でも慣れてきたら、そのボードを褒めちぎってやりたくなったんだ」 リズは、現在でも彼の親しい友人たちのために、僅かにフィッシュを削っているが、昔からフィッシュを削るシェイパーたちは間違いなく、ダン・マロイの言葉と同じことを考えながらシェイプし続けてきたのだろう。
スキップ・フライのフィッシュの四ヶ月待ちオーダーリストは、これからのフィッシュの時代に対する暗示なのかもしれない。
以上は、2003年10月のSURFERマガジンの記事を翻訳したものです。年齢などは当時のものです。
2004年9月、当時まだスキップ・フライの隣の建物でシェイプとグラッシングをやっていたクリス・クリステンソンを訪ねてカリフォルニアへ行ったことがあります。
その頃すでにクリステンソンは、よく知られたフィッシュのシェイパーで、出荷直前のフィッシュに貼り付けられたオーダーシートにジャック・ジョンソンの名前を見つけたこともありました。
スキップ・フライのシェイプルームの奥にある、ボードのコレクションを見せていただいたことを、ある雑誌の記事に書いたことがありましたが、こんなことを書いていました。
鍵を開け中へ入る。壁のラックには様々な長さのフィッシュ、11フィートオーバーのグライダーからジョージ・グリノーのニーボードまで、膨大な量のコレクションが並べられている。スキップはそこから1本づつボードを取り出し説明してくれる。シェイプルームには削りかけのグライダーが置かれていた。
短時間のあいだに南カリフォルニアのサーフィンを60年代から現代まで早回しで見せられた気分だった。時代は回る。優れたものは、少しの間忘れられたとしても必ずまた見直され帰ってくる。そうやって偉大な先人たちのスピリットは受け継がれていくのだろう。
60年代から70年代にかけて作られ、2000年に入ってからリバイバルしたフィッシュは、一時期少なくなりましたが、また最近興味を持つ人が増えてきていると思います。
外観もライディングもフィッシュには独特のものがあります。あらためて考えてみてもフィッシュというのは、やっぱり魅力的です。
自分が5’6”というサイズにまだ乗れて、しかも楽しめるのはやはりフィッシュのおかげ(そして活さんのシェイプのおかげ)なのだと思います。
「私は、つねにスピードを追求してきた。」 それは61歳のスキップフライにとっては自他ともに認める事実である。
「コンテストとはまったく違ったサーフィンなのです。テクニックではなくフィーリング、グライドなのです。」と言うのは、スキップの教えの下にフィッシュを作っている、30歳のシェイパー、クリス・クリステンソン。2人はサンディエゴが生み出したこのボードデザインについて、サンディエゴのスキップ・フライの仕事場で、30年という歳月に隔てられてはいるがそれぞれのサーフボードの進歩を見てきた2人のシェイパーとして語り合っていた。
FISHは短く、幅が広くフラットでボリュームがある。そして二つのキールフィンと二つに分かれたテールの形状をしている。スキップは、それが60年代のサーフボード革命のなかで生み出され、長い年月の間にデザインに多少の変化があったものの、過去の遺物としてではなく、現代でも十分に通用するデザインだと考えている。
短く、幅が広いトライフィンをフィッシュという名前で呼ぶことがあるが、これはフィッシュと呼ぶのは完全な間違いであり、(クラッシックな)フィッシュデザインに愛着を持ち、影響を受けて作られたフィッシュボードは本当に少ない。サンディエゴのサーファーとシェイパーは長い間、フィッシュがはじめて使われたサンセットクリフの波を守ってきたのと同様に、自分たちが生み出したフィッシュデザインを伝承しつづけてきた。
フィッシュのクラッシックなウッドキールフィンを最初に作ったラリー・ゲファートは言う、二つに分かれたテールの先端の幅が、9.5インチ以上ないとダメだ。そうでないとスワローテールになってしまい、フィッシュの感覚は失われてしまう…。
その感覚っていうのは?
俺たちはそれを「BAR OF SOAP」(石鹸)と呼んでいる。ラリー・ゲファートは続けた、そいつに立ち上がって乗ったとき、足元からそいつが溢れだしてくるんだ。
フィッシュが登場したのは1960年代後期、その当時はサーファーにとって混乱の時代でもあった。デザインとスタイルは常にはげしく変化し続け、実際に海に出て波に乗る行為だけでなく、想像力を働かせ革新することも‘サーフィン‘であった時代であった。
1966年 サンディエゴのニーボーダー、スティーブ・リズはサンセットクリフの波に乗る為、壊れたロングボードのグラスファイバーを剥がし短く作り変えていった。そのボードは、ウッドボードの時代に作られていた二股に分かれたテール形状のサーフボードとニーボードのツィンフィンをミックスさせ、ダブルピンテールの両方のテールにフィンが付いている物であった。そのボードはフラットでスピード出て、当時まだラインアップにいた重たいロングボードと較べて、ダイナミックなマニューバーを描くことができた。スティーブ・リズ自身すぐれたサーファーであり、彼のヒザの下から新しい時代が生まれてきたのである。
ラリー・ゲファートは当時 スティーブ・リズのフィッシュを手に入れた一人であったが、もともと彼は木を削りスケートボードのデッキを作る職人であった。その経験からラリー・ゲファートは木を薄くけずり、ファイバーグラス製のフィンよりも軽く、フレックスする木製のフィンを考案したのであった。今日では、スティーブ・リズのデザインとラリー・ゲファートのウッドフィンは切り離して考えることができないものになっている。
「ラリー・ゲファートのフィンがなかったら、ピーナッツバターの入っていないピーナッツサンドを食べるようなものだよ」初期からのフィッシュの愛好家であるスキップは言う。70年代の初めまでには、サンディエゴのサーファーのほとんどがフィッシュを持っていたんだ。
それからすぐに、サンディエゴ以外のサーファーにもフィッシュは伝わっていった。ハンティントンビーチにフィッシュを‘輸入’したデヴィッド・ヌヒワは、あたかもフィッシュの考案者の1人のようにふるまった。血の気の多いサンセットクリフのローカルたちは、1972年のオーシャンビーチでデヴィッド・ヌヒワが乗ったフィッシュを盗みだし、ぺちゃんこになるほど叩きのめし、オーシャンビーチのピアにぶら下げた。ボードには、まるで墓標のように「good luck Dave」と書かれていた。
一時代を築いたオーストラリアのマークリチャーズのツィンフィンも75年、リノ・アベリラがコンテストで使ったフィッシュを元に考案されたものだった。同年、バンカー・スプレクルスは、ジェフリーズ・ベイをスティーブ・リズのクラッシックフィッシュで滑走。ジェフリーズベイの波にフィッシュのトラックを刻み付けた。このことは、20年以上も語り継がれ、近年では同じくジェフリーズベイにおいてデレク・ハインドが、スキップのフィッシュを使い同じラインで滑ってみせた。
デレクのライディングとスキップのボードは、アンダーグラウンド的に盛り上がりをみせ、少しづつではあるが、クラッシックフィッシュを手がけるシェイパーも増えてきた。
「フィッシュからは本当に多くのことを学んだよ。」とダン・マロイは言う。彼は、スラスターで育ったプロサーファーの1人であるが、このところ一部のプロサーファーたちの間ではフィッシュを使ってのパフォーマンスが再び試されている。「スラスターは、細かく動いてパーフォーマンスには良いんだけど、フィッシュに乗ると波のエネルギーを感じることができる。波の高い位置でのライン、スピードとフロー、それがフィッシュなんだ。最初は、どうやって乗るのかさえわからなかったよ。でも慣れてきたら、そのボードを褒めちぎってやりたくなったんだ」 リズは、現在でも彼の親しい友人たちのために、僅かにフィッシュを削っているが、昔からフィッシュを削るシェイパーたちは間違いなく、ダン・マロイの言葉と同じことを考えながらシェイプし続けてきたのだろう。
スキップ・フライのフィッシュの四ヶ月待ちオーダーリストは、これからのフィッシュの時代に対する暗示なのかもしれない。
以上は、2003年10月のSURFERマガジンの記事を翻訳したものです。年齢などは当時のものです。
2004年9月、当時まだスキップ・フライの隣の建物でシェイプとグラッシングをやっていたクリス・クリステンソンを訪ねてカリフォルニアへ行ったことがあります。
その頃すでにクリステンソンは、よく知られたフィッシュのシェイパーで、出荷直前のフィッシュに貼り付けられたオーダーシートにジャック・ジョンソンの名前を見つけたこともありました。
スキップ・フライのシェイプルームの奥にある、ボードのコレクションを見せていただいたことを、ある雑誌の記事に書いたことがありましたが、こんなことを書いていました。
鍵を開け中へ入る。壁のラックには様々な長さのフィッシュ、11フィートオーバーのグライダーからジョージ・グリノーのニーボードまで、膨大な量のコレクションが並べられている。スキップはそこから1本づつボードを取り出し説明してくれる。シェイプルームには削りかけのグライダーが置かれていた。
短時間のあいだに南カリフォルニアのサーフィンを60年代から現代まで早回しで見せられた気分だった。時代は回る。優れたものは、少しの間忘れられたとしても必ずまた見直され帰ってくる。そうやって偉大な先人たちのスピリットは受け継がれていくのだろう。
60年代から70年代にかけて作られ、2000年に入ってからリバイバルしたフィッシュは、一時期少なくなりましたが、また最近興味を持つ人が増えてきていると思います。
外観もライディングもフィッシュには独特のものがあります。あらためて考えてみてもフィッシュというのは、やっぱり魅力的です。
自分が5’6”というサイズにまだ乗れて、しかも楽しめるのはやはりフィッシュのおかげ(そして活さんのシェイプのおかげ)なのだと思います。
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