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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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風が強い連休二日目。吹き続ける風が波のシェイプを整える向きに変わるのは明後日あたりでしょうか。私はお休みをいただいていますが、午前中は時間がとれそうなので新しいニーボードで波乗りしようと思っています。
女房がボードを見て、ドロンパみたいと言い張るので…
ドロンパにしてみました。たしかこんな感じ。
連休はみなさんどんな感じなのでしょう?あいだの平日にお休みをいれて10連休?
会社によっては夏の節電体制を見越してゴールデンウィークは休まずに営業して、その分を夏に休みをシフトするところもあるようですね。東京電力の管区外へ一時的に会社を引っ越す会社もあったり、みなさんそれぞれに工夫されて今の難局を乗り切ろうとされているのを感じます。
震災、津波、原発事故、今回起こった(もしくは起こって)いることで、みんな本当にたくさんのことを考えさせられていると思います。
いままで積み上げてきた価値観や世界観さえ変えてしまうような出来事は、ともすれば人を未来へ向かわせる気力を萎えさせてしまうことだってあると思います。
一定のスピードを保って走っていた社会が突然目の前に現れた障害に驚いて急ブレーキを踏まされたような状況です。走っていたものが急に止まれば混乱が起きます。
もう一度走り出したいのに、以前と同じように走り始められない状況にあせりと不安を感じている気持ちが心の奥底どこかにあるのではないかと思います。ふっきれないものがあるのは当たり前だと思います。
だからもう一度、被災していない私がするべきことを考えてみました。
1.被災地支援を自分ができる範囲で継続していく。
2.震災前と同じ生活を心がける。必要以上の自粛は逆に前に進む妨げになります。
3.原発の状況から目を離さず、これからのエネルギー政策に関心を持ち続ける。
4.波乗りする。
これら四つのことをひとつずつ、やるときにはそれぞれを集中してやることにしても、どれかに偏ることが無いようにバランス良くやっていこうと思います。
はしゃぎすぎず、でも暗くならず、とにかく元気に。みなさんもそれぞれご自分で考えてみてください。
昨日は朝早くから地元民もびっくりするくらいのサーファーが海に入っていたそうです。いつもなら北へ向かうサーファーが湘南に来ているのかもしれません。
これからいつもより海が混雑するようになるかもしれません。でもみんなで波を分け合いましょう。海に入れる幸せをしみじみと感じ、分かち合いたいと思います。
ブログの内容とは全く関係ありません。ドロンパの画像を探していて見つけたロバのソフビ人形の画像。みょうに懐かしさを感じるなーと思ったら…。
「おはよう!こどもショー」に登場していたロバくんでした。アタマのどこかで覚えていたんですね。
早いもので今日で4月は終わり。明日から5月です!
女房がボードを見て、ドロンパみたいと言い張るので…
ドロンパにしてみました。たしかこんな感じ。
連休はみなさんどんな感じなのでしょう?あいだの平日にお休みをいれて10連休?
会社によっては夏の節電体制を見越してゴールデンウィークは休まずに営業して、その分を夏に休みをシフトするところもあるようですね。東京電力の管区外へ一時的に会社を引っ越す会社もあったり、みなさんそれぞれに工夫されて今の難局を乗り切ろうとされているのを感じます。
震災、津波、原発事故、今回起こった(もしくは起こって)いることで、みんな本当にたくさんのことを考えさせられていると思います。
いままで積み上げてきた価値観や世界観さえ変えてしまうような出来事は、ともすれば人を未来へ向かわせる気力を萎えさせてしまうことだってあると思います。
一定のスピードを保って走っていた社会が突然目の前に現れた障害に驚いて急ブレーキを踏まされたような状況です。走っていたものが急に止まれば混乱が起きます。
もう一度走り出したいのに、以前と同じように走り始められない状況にあせりと不安を感じている気持ちが心の奥底どこかにあるのではないかと思います。ふっきれないものがあるのは当たり前だと思います。
だからもう一度、被災していない私がするべきことを考えてみました。
1.被災地支援を自分ができる範囲で継続していく。
2.震災前と同じ生活を心がける。必要以上の自粛は逆に前に進む妨げになります。
3.原発の状況から目を離さず、これからのエネルギー政策に関心を持ち続ける。
4.波乗りする。
これら四つのことをひとつずつ、やるときにはそれぞれを集中してやることにしても、どれかに偏ることが無いようにバランス良くやっていこうと思います。
はしゃぎすぎず、でも暗くならず、とにかく元気に。みなさんもそれぞれご自分で考えてみてください。
昨日は朝早くから地元民もびっくりするくらいのサーファーが海に入っていたそうです。いつもなら北へ向かうサーファーが湘南に来ているのかもしれません。
これからいつもより海が混雑するようになるかもしれません。でもみんなで波を分け合いましょう。海に入れる幸せをしみじみと感じ、分かち合いたいと思います。
ブログの内容とは全く関係ありません。ドロンパの画像を探していて見つけたロバのソフビ人形の画像。みょうに懐かしさを感じるなーと思ったら…。
「おはよう!こどもショー」に登場していたロバくんでした。アタマのどこかで覚えていたんですね。
早いもので今日で4月は終わり。明日から5月です!
立派なフキが安かったのでカツオ出汁で炊いて、葉はフキ味噌にしてみました。愛知早生フキです。
ほろ苦い独特の風味が大好きです。
ふきは今が旬です。今はスーパーに行けば、いつでも何でも売っているので旬という感覚は薄れているのかもしれません。
栽培技術や保存技術、流通システムが今ほど発達していない時代には、地産地消で旬のものを食べるのはごく当たり前のことだったと思います。
気候だけではなく、食べるものでも四季を感じとっていたのです。
子供の頃を思い出してみたら思い当たることがたくさんありました。
初夏の新茶。熊本から行商のおばちゃんが市場に売りにくるお茶が大好きで、毎年楽しみにしていました。
同じく初夏のトマト。甘くて美味しくて大好きでした。それ以外の季節のは青臭い子供がきらいなトマトでした。
ちょっと考えただけで春夏秋冬、海のもの、山のものがきりなくどんどん出てきます。
旬のものを味わうのは季節を感じること。そしてその感性は自然を慈しむ心に繋がると思うのです。
地球環境を考えるなんて言ってしまうと評論家みたいになってしまいますが、食べ物の旬を感じる心を持つことはそれと同じところに繋がっていくように思います。
庭の畑に柔らかそうなフダンソウの葉っぱが出てきたので今夜のパスタはこれで作ってみることにします。となりの小さな花はタイムのブーケ。香りの良い葉と一緒に花をサラダに散らしてみようと思います。
美味しそうなアスパラガスもニョキニョキと出てきています。
旬を楽しみましょう。
それからKさんのウェット、修理完了です。ひざ下のパーツを換えてもらって他の小さな破れは私がボンドで貼り付けときました。これでまだまだ着れます。
ウェットボンドの上手な使い方はオープンタイムをきっちり取ること。接着したい箇所の両面に薄く塗って表面が乾くまでしばらく待ってから張り合わせるとうまくくっつきます。縫わなければいけない破れはプロのリペアにおまかせください。
ウェットスーツオーダーフェア、やってます!
ほろ苦い独特の風味が大好きです。
ふきは今が旬です。今はスーパーに行けば、いつでも何でも売っているので旬という感覚は薄れているのかもしれません。
栽培技術や保存技術、流通システムが今ほど発達していない時代には、地産地消で旬のものを食べるのはごく当たり前のことだったと思います。
気候だけではなく、食べるものでも四季を感じとっていたのです。
子供の頃を思い出してみたら思い当たることがたくさんありました。
初夏の新茶。熊本から行商のおばちゃんが市場に売りにくるお茶が大好きで、毎年楽しみにしていました。
同じく初夏のトマト。甘くて美味しくて大好きでした。それ以外の季節のは青臭い子供がきらいなトマトでした。
ちょっと考えただけで春夏秋冬、海のもの、山のものがきりなくどんどん出てきます。
旬のものを味わうのは季節を感じること。そしてその感性は自然を慈しむ心に繋がると思うのです。
地球環境を考えるなんて言ってしまうと評論家みたいになってしまいますが、食べ物の旬を感じる心を持つことはそれと同じところに繋がっていくように思います。
庭の畑に柔らかそうなフダンソウの葉っぱが出てきたので今夜のパスタはこれで作ってみることにします。となりの小さな花はタイムのブーケ。香りの良い葉と一緒に花をサラダに散らしてみようと思います。
美味しそうなアスパラガスもニョキニョキと出てきています。
旬を楽しみましょう。
それからKさんのウェット、修理完了です。ひざ下のパーツを換えてもらって他の小さな破れは私がボンドで貼り付けときました。これでまだまだ着れます。
ウェットボンドの上手な使い方はオープンタイムをきっちり取ること。接着したい箇所の両面に薄く塗って表面が乾くまでしばらく待ってから張り合わせるとうまくくっつきます。縫わなければいけない破れはプロのリペアにおまかせください。
ウェットスーツオーダーフェア、やってます!
二週間くらいおとなしくしてたら治ると思っていましたけど、意外に長引いてさすがに海行きたくて身体も鼻もムズムズしているワタクシです。
痛いのは股です。普通に歩いたり、ゆっくり走ったりする分にはまったく支障ないのですが、股関節を捻じるような動きをするとイテテテとなってしまうのです。朝起きてベッドから足を下ろす動きがかなり苦痛。
50肩ならぬ、50股…。(50か!オレ)
ボードをコントロールする動きは股関節を回すような動きになりますから、まともに波乗りするのはほぼ無理です。
そこでいろいろと動きを試してみましたが、ニーボードのライディングの姿勢なら痛くないみたい。
マイシェイプのニーボード、今週には出来上がる予定なのでニーボードでカムバックしようと思ってます。
ロングボードもおじさんには優しいですが、ニーボードも意外におじさんに優しいかも。
こちらも人に優しい波の力で発電。
海上に風力発電の風車を設置する方法もありますが、どちらも漁業の邪魔にもなりそう。風車の低周波は?景観も気になります。サーファーにとっては大切な海岸の波への影響はどうなのでしょう?
風力も波力もクリーンで再生可能なエネルギーではありますが、それぞれ問題もあります。エネルギーを得るためにはなにかを犠牲にしなければいけないのは原発と同じです(それでも何か事故が起こっても人体に害を与えるものが出てこないことは確か)
脱原発で代替エネルギーを考えることも大切ですが、自分たちの暮らしも見直すときだと思います。犠牲になるもの(環境)はできるだけ少ない方がいいはずですから。
痛いのは股です。普通に歩いたり、ゆっくり走ったりする分にはまったく支障ないのですが、股関節を捻じるような動きをするとイテテテとなってしまうのです。朝起きてベッドから足を下ろす動きがかなり苦痛。
50肩ならぬ、50股…。(50か!オレ)
ボードをコントロールする動きは股関節を回すような動きになりますから、まともに波乗りするのはほぼ無理です。
そこでいろいろと動きを試してみましたが、ニーボードのライディングの姿勢なら痛くないみたい。
マイシェイプのニーボード、今週には出来上がる予定なのでニーボードでカムバックしようと思ってます。
ロングボードもおじさんには優しいですが、ニーボードも意外におじさんに優しいかも。
こちらも人に優しい波の力で発電。
海上に風力発電の風車を設置する方法もありますが、どちらも漁業の邪魔にもなりそう。風車の低周波は?景観も気になります。サーファーにとっては大切な海岸の波への影響はどうなのでしょう?
風力も波力もクリーンで再生可能なエネルギーではありますが、それぞれ問題もあります。エネルギーを得るためにはなにかを犠牲にしなければいけないのは原発と同じです(それでも何か事故が起こっても人体に害を与えるものが出てこないことは確か)
脱原発で代替エネルギーを考えることも大切ですが、自分たちの暮らしも見直すときだと思います。犠牲になるもの(環境)はできるだけ少ない方がいいはずですから。
急ですいませんが、本日4月25日は都合でお休みいただきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
昨夜の風雨になにもかも洗われて気持ちがいい朝。低気圧が抜けたので波が上がっています。海の写真を毎日アップロードしてくれるサイトを見ていましたが、胸くらいの波できれいにカットバックしている人がうらやましい。あの動きはまだちょっと無理。
外はいい天気です。ここのところ毎週末は女房と一緒にウォーキングが我が家のブームです。自宅は私鉄の本線から支線に乗り換えて10分ほどのところにありますが、本線の駅まで歩いて気持ちが良いルートをたくさん開拓しました。
先週とはまた違うルートを歩きます。
ここは家の直ぐ近く。雪景色の写真もよく登場するところ。手前の湿地のようなところには夏になるとホタルがいます。古い航空写真を見てみると湿地のところは昔田んぼだったようです。
水が豊かなところで小さな小さな水力発電所があります。12メートルの落差を利用して、1300世帯分の電力を発電しています。これのおかげで我が家は計画停電のエリアになっていなかったのか?こんな小さな発電所をあちこちに作るのもいいのかもしれませんね。(ちなみに最寄駅は風力と太陽光で発電した電気を使っています)
気温も湿度も低めで外を歩くには一番いい季節。木陰が快適です。
手入れのいきとどいた竹林がありました。
竹林といえば今の季節タケノコがあちらこちらから顔を出しています。これは伸びすぎ。
わかりにくいかもしれませんが、いちめんにタンポポが咲いています。
60年代後半、70年代、80年代の航空写真を手に入れて家の回りの移り変わりを見てみると、ほんの20年前の我が家の回りは林と畑と田んぼばかりです。自宅が建っているところは森に囲まれた畑でした。
宅地開発で緑は減ってしまいましたが、それでもつかのまでも自分がどこにいるのか忘れてしまうほど緑が残っているのをありがたく思います。
半農、半サーフショップの暮らしも夢じゃないかも?と思わせてくれたウォーキングでした。
外はいい天気です。ここのところ毎週末は女房と一緒にウォーキングが我が家のブームです。自宅は私鉄の本線から支線に乗り換えて10分ほどのところにありますが、本線の駅まで歩いて気持ちが良いルートをたくさん開拓しました。
先週とはまた違うルートを歩きます。
ここは家の直ぐ近く。雪景色の写真もよく登場するところ。手前の湿地のようなところには夏になるとホタルがいます。古い航空写真を見てみると湿地のところは昔田んぼだったようです。
水が豊かなところで小さな小さな水力発電所があります。12メートルの落差を利用して、1300世帯分の電力を発電しています。これのおかげで我が家は計画停電のエリアになっていなかったのか?こんな小さな発電所をあちこちに作るのもいいのかもしれませんね。(ちなみに最寄駅は風力と太陽光で発電した電気を使っています)
気温も湿度も低めで外を歩くには一番いい季節。木陰が快適です。
手入れのいきとどいた竹林がありました。
竹林といえば今の季節タケノコがあちらこちらから顔を出しています。これは伸びすぎ。
わかりにくいかもしれませんが、いちめんにタンポポが咲いています。
60年代後半、70年代、80年代の航空写真を手に入れて家の回りの移り変わりを見てみると、ほんの20年前の我が家の回りは林と畑と田んぼばかりです。自宅が建っているところは森に囲まれた畑でした。
宅地開発で緑は減ってしまいましたが、それでもつかのまでも自分がどこにいるのか忘れてしまうほど緑が残っているのをありがたく思います。
半農、半サーフショップの暮らしも夢じゃないかも?と思わせてくれたウォーキングでした。
哲学者の内山 節さんのよびかけをそのまま転載します。賛同されるかどうかはみなさんそれぞれのご判断でお願いします。
東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節
日時 2011年(平成23年) 4月24日 日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
方法 :ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。
東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。
転載終わり
そして、スーちゃん 田中好子さん、ご冥福をお祈りします 泣。
◆
東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう
―亡くなられた方々の冥福を祈る日をみんなでつくりだすことを呼びかけますー
最初の呼びかけ人・内山 節
日時 2011年(平成23年) 4月24日 日曜日
この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を祈りましょう。また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。
方法 :ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思いついた方法で。被災地の方角を向いて手を合わせる、仏壇などをおもちの方はお線香を上げる、近くのお寺、神社、教会などに集まり祈りを捧げる、ご自宅に思い思いのデザインの半旗を掲げる、追悼の集まり、コンサートなどを開く、・・・・方法は自分がよいと思う方法で、自分のできる方法で。国葬のような儀式にするのではなく、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。
東日本大震災は私たちのなかに驚き、恐怖、悲しみとともに、自分自身もまた「支え合う社会の一員でいたい」という強い意志をも生みだしました。皆様もそれぞれの場所、それぞれの方法で、直接、間接的な被災者への支援の活動をおこなわれていることと思います。私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、復興に協力していくともに、この直接、間接的な活動をとおして社会とは何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいのかなどを捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。
古来から日本の社会には、災害や「戦」などの後に亡くなられたすべての方々の冥福を祈り、死者供養をする伝統がありました。「戦」の後には敵味方を区別せず供養しました。またそのときには人間だけではなく、巻き込まれて命を落としたすべての生き物たちの冥福を祈りました。さらに災害の後には、大地が鎮まることをもみんなで祈りました。そうすることによって、悲劇に巻き込まれていった生命への思いを共有し、ひとつの区切りをつけ、次の歩みに向かう入り口をつくりだしてきました。この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。しかしその一方でご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送ってもらうことができないでいる人たちもおられると思います。そのような方々に対してはもちろんのこと、すでにご遺族の方々なとによって供養された人たちに対しても、みんなで追悼、供養してあげようではありませんか。そうすることによって、これからの私たちの決意をも示したいと思います。
この案内を受けられた方は、ご友人、お知り合いなどに転送し、この呼びかけを伝えてはいただけないでしょうか。またホームページ、さまざまなSNSなどでも呼びかけ合うとともに、供養の方法を提案していただければ幸いです。お寺、神社、教会などにも呼びかけ、私たちはこの災害とともにこれから生きていくことを確認したいと思っています。
亡くなられた方々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。ここからはじめませんか。
転載終わり
そして、スーちゃん 田中好子さん、ご冥福をお祈りします 泣。
原子力発電が電力の総発電量に占めていた割合は2009年度で全体の約30パーセント。この原発分の発電量を差し引いた残りの電力量は、1985年度のピーク時の消費電力量を少しだけ上回っているそうです。つまり1985年当時の生活をすれば電力は足りるということです。
ちょっと思い出してみましょう。1985年、私は21歳。大学生でした。目黒区碑文谷で一人暮らしのアパートにはクーラーのみのエアコンがついていました。エアコンは普及していましたが、電車にはまだそれほどついていなかったと思います。夏は扇風機でたまに冷房がついた車両に乗るとラッキーという感じでした。自動改札は少なくて、駅員さんがハサミをカチャカチャと言わせながら凄い勢いで改札していました。ゲームはファミコンでスーパーマリオ。音楽メディアはカセットテープとレコードからCDへとちょうど移行している時期でした。持ち歩く音楽はウォークマン。充電式ではなく乾電池を使っていました。
ライトアップなどという考えはなくて、夜はそれなりに暗かったと思います。渋谷の交差点にあるような大画面のスクリーンは新宿のアルタくらいだったかな?デパートの営業時間は夕方の5時か6時まで。コンビニはまだまだ少なくて、夜中にいなり寿司が食べたくなるケイコさんがおしゃれだったりしたのです。
当時なかったものをざっと考えると、携帯電話、PC、デジカメ、オール電化住宅、交通機関の空調、駅のエスカレーターやエレベーター、街中の明かり、ありすぎるくらいにあるコンビニ。その他の商店の数は比較にならないくらい増えているし、営業時間も長時間になっています。小家族化がすすんで世帯数が増えているのも電力消費のベースアップに貢献しています。
電気製品の省電力化は昔よりも比べ物にならないくらいすすんでいるはずなので、1985年と同じ電力量でできることは違ってくると思いますが、それにしても現在身の回りで電気を使うモノ、使わなければ動かないものがなんと多いことか。それらが無かった1985年の暮らしが不便だったかというと全くそんな記憶はありません。経済活動の面で見れば、世の中はむしろ今よりもずっと元気だったと思います(バブル初期だったこともありますが…)
でもきっと1985年の暮らしはもう出来ない。一度味わってしまった便利さは捨てることができないのが人間の欲というものです。原発は嫌だけど、不便になるのも嫌なのです。(進歩の原動力もまた欲か)
地震と津波は天災ですが、原発事故は人災です(地震がすべて悪いと言う呆れた政治家もいますが…こういうときにこそ誰が何を言ったかちゃんと覚えておきましょう)人災はその言葉どおり、人間が原因で引き起こされた災いのことです。その「人間」はイコール「自分」だと私は考えます。自分が変わらなければ何も変わらない。
不便になるのは確かに嫌なことですが、それが自分の大切な人を守るためならそんなに嫌なことじゃないと思うのです。
私自身はそんなに好きというわけではありませんでしたが、小中高と仲が良かった友達が好きだったので、なんとなく聞いていた浜田省吾さん。今改めてこの曲を聴いてみてはじめて曲の歌詞が理解できました。
人を変える一番大きな力は「知ること」です。
ちょっと思い出してみましょう。1985年、私は21歳。大学生でした。目黒区碑文谷で一人暮らしのアパートにはクーラーのみのエアコンがついていました。エアコンは普及していましたが、電車にはまだそれほどついていなかったと思います。夏は扇風機でたまに冷房がついた車両に乗るとラッキーという感じでした。自動改札は少なくて、駅員さんがハサミをカチャカチャと言わせながら凄い勢いで改札していました。ゲームはファミコンでスーパーマリオ。音楽メディアはカセットテープとレコードからCDへとちょうど移行している時期でした。持ち歩く音楽はウォークマン。充電式ではなく乾電池を使っていました。
ライトアップなどという考えはなくて、夜はそれなりに暗かったと思います。渋谷の交差点にあるような大画面のスクリーンは新宿のアルタくらいだったかな?デパートの営業時間は夕方の5時か6時まで。コンビニはまだまだ少なくて、夜中にいなり寿司が食べたくなるケイコさんがおしゃれだったりしたのです。
当時なかったものをざっと考えると、携帯電話、PC、デジカメ、オール電化住宅、交通機関の空調、駅のエスカレーターやエレベーター、街中の明かり、ありすぎるくらいにあるコンビニ。その他の商店の数は比較にならないくらい増えているし、営業時間も長時間になっています。小家族化がすすんで世帯数が増えているのも電力消費のベースアップに貢献しています。
電気製品の省電力化は昔よりも比べ物にならないくらいすすんでいるはずなので、1985年と同じ電力量でできることは違ってくると思いますが、それにしても現在身の回りで電気を使うモノ、使わなければ動かないものがなんと多いことか。それらが無かった1985年の暮らしが不便だったかというと全くそんな記憶はありません。経済活動の面で見れば、世の中はむしろ今よりもずっと元気だったと思います(バブル初期だったこともありますが…)
でもきっと1985年の暮らしはもう出来ない。一度味わってしまった便利さは捨てることができないのが人間の欲というものです。原発は嫌だけど、不便になるのも嫌なのです。(進歩の原動力もまた欲か)
地震と津波は天災ですが、原発事故は人災です(地震がすべて悪いと言う呆れた政治家もいますが…こういうときにこそ誰が何を言ったかちゃんと覚えておきましょう)人災はその言葉どおり、人間が原因で引き起こされた災いのことです。その「人間」はイコール「自分」だと私は考えます。自分が変わらなければ何も変わらない。
不便になるのは確かに嫌なことですが、それが自分の大切な人を守るためならそんなに嫌なことじゃないと思うのです。
◆
私自身はそんなに好きというわけではありませんでしたが、小中高と仲が良かった友達が好きだったので、なんとなく聞いていた浜田省吾さん。今改めてこの曲を聴いてみてはじめて曲の歌詞が理解できました。
人を変える一番大きな力は「知ること」です。
波はあるけど股関節の痛みがまだあるので波乗りはもう少しだけ我慢、あせる必要はないと自分に言い聞かせつつ、今日も軽いジョグ。4キロくらいの距離を歩くより少しだけ早いくらいのスピードで(ほとんど足踏み)ジョギングしてきました。
裏山の桜広場は、ソメイヨシノが終わって次のサクラが満開(上の写真。種類は不明です)いろんな種類のサクラが順番にさいて長い間楽しませてくれます。木の下にはノビルがたくさんあるのもうれしい季節。
この時期、山には本当にたくさんの色があります。芽を出したばかりの若葉の緑、若葉の萌黄色、いろいろな緑が太陽の光に透明に輝いています。山の木々の間に咲くサクラの花の色は周囲の緑の中でひときわ際立っているものですが、花が終わったあとのサクラもまた鮮やかな紅色の新芽を出して木々の間に彩りを添えています。
太陽があるあいだには自然の光と色、季節の風を感じ、太陽の光がなくなれば窓の外の闇と部屋の明かりが作り出す陰影を楽しむ。明るすぎる照明は本来あるべき影の形も消してしまいます。節電もそんな感じで季節と一緒に楽しんでみるのもいいものです。
原子力発電所の事故は私たちにたくさんのことを考えさせています。
電力に依存して消費することばかり考えていた私たちの生活。子供たちの世代へと受け渡していく社会を支えるエネルギーは、本当に原発でいいのだろうか?他の発電方法の技術を掘り下げることもせずに目先の利益だけを見て原発を選択することは本当に正しいのだろうか?そして原発で発生する放射性廃棄物を未来の世代に残してしまうことの責任は誰が負うのだろうか?
みんなで真剣に考えるべきときだと思います。
原発は安全。そう信じて(信じさせられて)いたのかもしれませんが、原発が壊れてしまった今、その被害はとてつもなく大きいものとして現在も続いています。直したくても近づきすぎると病気になって死んでしまいます。見えない放射線は人の身体を突き抜け、身体の中の大切な遺伝子情報を狂わせます。
本当は安全なものではなかったのです。
原発の近くから逃げて来た人たちが差別的な扱いを受けたり、福島県の被災地の瓦礫は放射能が付いているから自分たちのところへ持ってくるなと文句を言う人がたくさんいる事実(どれも「無知」と「偏見」が生み出していること。今まで自分たちはその原発の恩恵を受けていたというのに)原発は人の身体だけではなくて、心までおかしくしてしまいます。
たくさんの食べ物も私たちから奪いました。放射能が降った畑の土はどうなるの?汚された海はどうなってしまうのですか?そんなこと、偉い先生たちにだって確かなことはわからないと思います。
原発の電気を使っていたのは東京で暮らす私たちです。そのために美しい故郷の土地を離れなければいけないたくさんの人たちがいます。
どんなに気をつけていても事故は起こります。どんなに準備をしていても、起こりうるすべてのことを予想することはできません。その原因が1000年に一度の大津波だったとしても原発の事故は起こってはいけないことです。被害は広範囲に広がり、時間的には長期に及ぶ大きなものです。
原発の電力が無くなって世の中はとても混乱しています。今まで電気に頼っていた社会が、その頼っていた電気の量が突然減ってしまったためにどうしていいのかと困惑している状況です。
文明を維持、発展させていくには電力エネルギーは不可欠です。
今の状況においてもなお原発は必要だと容認する意見が多数派です。けれども安全性や原子炉の老朽化の問題など大きな問題を考慮した上での意見なのかは不明です。便利な生活は捨てられない、文明の発展にはより技術を高め安全性を高めながら原発エネルギーを増やしていくことが必要だと考えているのかもしれません。
安全対策をより強く取りながら原発を推進していくというのは、リスクを理解し、リスクを減らすことをしながら推進するという考え方ですが、負わなければならないリスクが大きすぎるのです。人知で克服できるリスクではありません。高度な文明を築いてきた人類ですが、自分たちの手に負えないものもあるのだと気が付かなければいけないときだと思います。
地球という大いなる自然の存在の前では、ほんの小さな存在だということを謙虚な気持ちで考えなければいけない時なのだと思います。
今すぐにすべての原発をなくすことは難しいと思います。けれども新しい原発は作らず、他の発電方法を増やしながら老朽化した原子炉を段階的に廃炉にしていくことは可能だと思います。
まずは私たちのいままでの暮らし方に疑問を持つことが大事だと思います。電気を使うのが当たり前だと思っていた暮らしを見つめなおし、人間にとって本当に豊かな生活はどんなものなのかを考えるときなのだと思います。
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