MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
55
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば50歳もなかばに近づきつつありますが、浮力を頼りにしながらもカラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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どうしても見たい絵があって、出かけてきました。昨日のお話です。目的の東京駅へと到着したのですが、ちょうど開催されていた、東京オリンピックのマラソン代表を決めるMGCのランナーが通過する時間だったので、すぐそばの皇居の内堀通りまで出てみました。

コース的には銀座、日本橋を芝公園まで往復してきた選手たちが靖国通りから内堀通りへ入って、二重橋で折返し、また靖国通り方向へ戻っていく、30kmと35km地点の中間付近です。

男子のトップはすでに通過した後でした。それを追う後続ランナーが通過中です。


その15分後、女子のトップがやってきました。優勝した前田穂南選手です。

腹筋がすごい松田瑞生選手は4位通過。腹筋はもちろん、すごい筋肉してました。福士選手はそのすぐ後を5位通過。きれいなフォームが印象的でした。

トップのアスリートたちが走り抜けていく姿を見ることができて、エネルギーをもらえた感じです。みなさん、かっこいい。走るのってやっぱりいいです。

東京駅にはこれが目的で来ました。東京ステーションギャラリーで開催中の「岸田劉生展」です。


ずーと見たかったのはこの絵です。「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年。ネットで借りてきました。


代々木の丘を切り崩したばかりの赤土の道路の絵です。早い話が道路と土地造成の工事現場ですが、そもそもどうして緑も花も水も人も動物も無い、この風景を描こうと思ったのか?赤土の地面を描いた絵が、人を惹きつけるチカラを持っているのが不思議な作品なのです。

岸田劉生は、この絵の他にも「麗子像」で有名です。美術の教科書には大抵載っている絵なので見たことがある方も多いと思います。

見ているうちに思ったのは、肖像画が多いということ。解説によると「劉生の首狩り」と言われたほどいろいろな人を捕まえては肖像を描いたいたということです。肖像画が並んでいると退屈してしまうことが多いのですが、岸田劉生の場合はそれが無いのです。いくつもの見ず知らずの人の顔を見ているのが面白い。

ずっと見ているうちになんとなくひとり合点がいったような気がしました。表現力が豊かなのです。人の顔や赤土の地面といった、一見退屈になりがちな対象をモチーフにして、それをいかに絵画的に表現するかということが、この作家が追及するもののひとつだったのではないかということに思いいたりました。

長距離ランナーと早世した洋画家、いい刺激をいただきました。岸田劉生展10月20日まで東京駅ステーションギャラリーでやってます。

きれいに復元された東京駅ですが、当時の遺構を残したレンガの壁のあいだには戦災で焼けて炭化した木材が残されて、いまでも焼け跡の匂いが生々しく漂っていました。


2020年の来年は東京オリンピックです。私は1964年の東京オリンピックの年に生まれました。55年前の昨日でした。55歳。いわゆるアラ還と言われる年齢になりました。

だからどうということはありません。いままで通り、変わらずにと言いつつ少しずつ年相応になりながら続けていくだけです。

明日は波ありそうですが、やらなければいけないことがあるので行けません。明後日も残りそうなので、そっちを期待です。


9月1日は防災の日です。96年前の大正12年の同日に発生した関東大震災にちなんでのことですが、あらためて当時を記録した小説を読んでみると、これまで関東大震災の日だと漠然と考えてはいたのがその被害の大きさと悲惨さに、読みながらだんだん苦しくなってしまいました。想像以上にすさまじいのです。

最初の地震は午前11時58分。震源は相模湾西部の海底で、それから5分間のあいだに3回の烈震が発生し、午後一時までに強烈な地震が7回にわたって関東地方を襲っています。大小の余震は同日深夜12時までに128回となっています。翌日にはさらに追い打ちをかけるように房総半島勝浦沖を震源に大きな地震が発生しています。

津波は相模湾沿岸から房総半島に、3~12メートルの高さで押し寄せています。私が波乗りしている鎌倉は3メートルとなっています。地形は大きく陥没したところと隆起したところがあり、地震のエネルギーのすさまじさを物語っています。

YOU TUBEに関東大震災の発生時を現代に再現したものがありましたが、見ていると恐ろしくなってきます。


建物の倒壊に巻き込まれて亡くなった方が占める割合はそれほど多くなく、圧倒的に多いのは火災に巻き込まれて亡くなった方です。本所の被服廠跡の悲劇は多くの人が知るところですが、それ以外の場所でも同様にたくさんの方が亡くなられています。

避難してきた人が荷車に積んでいた家財道具に火が燃え移って火勢を強くしてしまったり、道路をふさいでしまって被害を増加させる原因になっています。江戸時代には同様の教訓から、避難の際には家財道具は持ち出してはいけないという決まりがあったそうですが、それは忘れられてしまっていて生かせなかったようです。

天災は人災をも誘発しています。多くの流言(デマ)です。朝鮮人と社会主義者が暴動を起こしたという噂は横浜で発生して一日で東京まで伝わっています。それが原因で、多くの朝鮮人とそれに間違えられた日本人が誤解から虐殺されています。政界では、総理大臣に就任するはずだった人物が暗殺されたというデマや、某政党本部が倒壊して多くの政治家が亡くなったなどというデマ。今でもありそうな、明日の〇時にまた大きな地震が起こるというデマもあったようです。正確な情報が無く、災害の恐怖におびえきってしまった人心はそういうデマをも信じてしまうのかもしれません。


果たして自分にそれがふりかかってきたとき何ができるのか、どうすればよいのかと改めて考えさせられました。起こってしまったとき安全な場所はどこか。移動するのは。水と食料は。食べたら出さなくちゃいけません。寒いのか暑いのか。考えて備えなくてはいけないことはたくさんありすぎです。

関東大震災の記録を読んでいたら、今日は本当は大変な日なんだとはじめて真面目に考えてしまいました。

今日、8月6日は広島に原子爆弾が投下された日です。3日後の8月9日には長崎に投下されました。74年前の1945年、太平洋戦争末期のことです。

私の母は14歳のときに長崎で、爆心地から1.8㎞の地点で被爆しました。幸運にも大きな怪我や熱傷を負うことはありませんでしたが、髪が抜け、身体に紫斑が出ることに加え、強度の貧血と下痢という放射能症で苦みました。祖母は、もうこの子はダメだと半分あきらめていたそうです。

私がまだ子供のころ、いまの季節になると原爆が落ちた時の話をよくしていたものです。それは、本で読んだ、広島・長崎の被爆者の話と同じ内容でしたが、本で読むよりもずっと強く心に響いてきたものでした。

実際にその当時、銭湯へ行くと原爆で負った傷跡やヤケドの跡がある人を見かけることも少なくありませんでした。近くには、アメリカが設置したABCCという機関があって被爆者の健康調査を行っていました。放射能の影響の調査だけが目的で治療等は何もやってくれないので、オイたちはモルモットたい、あげんところへは行くな、と回りの大人たちが怒っていたのを覚えています。私が小中学生だった、1970年代の話です。

74年という時間が経った今、原爆だけでなく戦争体験者の人口が少なくなっています。つまり戦争を自分の身体で、実際の体験として、知っている人がだんだん居なくなっているということです。私の母も一昨年、87で亡くなりました。

自分の頭上から自分を殺そうと爆弾が降ってくる。当たれば肉体を破壊する弾丸をためらいもなく自分に向けて撃ってくる相手が近づいてくる。戦争体験を書いた本で読むことはできても、それが実際にはどれほどの恐怖であり苦痛なのか、戦争を知らない私たちは、本を読み想像することしかできません。

自分の感覚として感じることですが、時間が経つにつれて戦争という感覚がだんだんと薄れつつあるように思います。実際の体験者はだんだんと減り、学校教育では近代史以降の戦争を学ぶことはなく、自分の国が行ってきたことを顧みれば自虐と言われかねない始末です。

戦争の理論は当事者それぞれの立場で変わります。敗戦国、戦勝国、戦線の兵士、戦争指導者、政治家、一般国民、関係してくるもの全てがおかれる立場と状況を知らなければ、戦争は理解できないと思います。そして、知れば知るほど感じるのは、戦争が持つ非人間性と非合理性です。

それを伝えてくれるのが当事者たちの肉声であり書物ですが、悲しいかな肉声はだんだんと減っていきます。それが74年という歳月です。風化させないと言うのは簡単ですが、とても難しいことです。

私たちができることは過去をもっと知ること。いろいろな立場から書かれた書物がたくさんあります。過去に学んで、今と未来の世の中に生かしていくことが74年前の戦争と向き合うことではないかと思っています。
今日は真面目なお話です(いつも真面目ですが)ご存じの通り、10月1日から消費税が10%になります。購入者側からすれば2%の値上げに他なりませんが、かと言って私のおこずかいが2%増えるわけではなく、国に治める税金を預かっていることになります。預かった税金は年に一度、まとめてお支払いしています。

値上げしたくないのはやまやまですが、日本国内で商売をしている限り、うちだけ消費税据え置きです、というわけにはいきません。10月1日からは消費税は10%頂戴いたします。

2か月先のことですが、私の場合はすでに関係ありです。サーフボードのカスタムオーダーです。

カツカワミナミサーフボードのオーダーは、2か月半~3か月くらいかかっていますので、いまからではおそらく9月30日には間に合いません。できあがる頃には、消費税は10%になってしまいます。

先にお代金をいただければ、9月30日までのオーダーでしたら、もちろん8%でOKなのですが、慌てなくても大丈夫です。

消費増税にともなってポイント還元制度がスタートするのをご存じかと思います。消費増税対策と同時にキャッシュレス化をすすめる国の施策です。それを利用すれば、今よりも実質の価格はお安くすることができるのです。

ポイント還元制度というのは、10月1日から翌年の6月30日までの9か月のあいだにクレジットカード決済など、現金以外の方法でお支払いいただければ、利用代金の2%~5%分がポイントとして戻ってくるという制度です。

5%の還元は私のような小規模(零細)事業者が対象です。百貨店などの大手は対象外でコンビニやフランチャイズチェーンは2%になります。

つまり、2%上がって5%戻ってくるということになります。

国の施策に、いろいろ言いたいことがあるむきもいらっしゃるかとは思いますが、それは今週末の選挙に反映させていただくとして、とりあえず世の中はそちらへ向かって進んでいます。使えるものは使ってしまいましょう。9か月間です。

私のところも皆さんに還元できるようにただいま準備中です。準備が完了しましたらお知らせいたします。ネットでのお買い物に使っている、クロネコヤマトの決済サービスも対象です。


さて、明日は定休日。シェイプルームへ行ってきます。風はしばらくオンショア。日曜日あたりにまとまるかもしれません。

メネフネビーチストアのウェブサイト。はっきり言って(はっきり言わなくても)古いです。2000年に今のショップを立ち上げようと、サイトの作成ソフトとHTMLを勉強して自分で作りました。

PCで見るならそれなりに使えますが、モバイル対応度はゼロ。早い話が、時代に合っていない。

サイトを新しくしようと、いろいろやっておりますがネットの世界が変わりすぎて(というか、放置しすぎです)前世紀のアタマをなんとかアップデイトしようと勉強中です。クラシックなものは好きですが、さすがにサイトは新しい方がいいに決まってます。

年明けから始めてまだ遅々として進んでいませんが、サーバーのスペースを借りて、新しいドメインを取得。サイトの構築は、前回のようにゼロから自分でというのはかなり困難そうなので、合っていそうなテンプレートを見つけて購入するところまで進みました。

曖昧なままで進めると、後々で大変な修正作業ということになるのは経験済なので、慌てずにまずは試行錯誤しつつ新しいネットのお作法を勉強中です。

いままでよりも数倍見やすいサイトを作ろうと、大きなイメージは出来ていますが形にするのにはまだまだ時間がかかりそうです。

なんとか令和元年中にはと考えております。


3時過ぎから本格的に降り始めました。こういう日は商売的には良くないというのはもちろんなのですが、そんなことばかり考えていては人生つまりません。

猛暑だった昨夏にぎりぎり間に合って交換してもらったエアコンと加湿器で仕事場の環境は快適です。曇ったガラスを通して、次から次へと降ってくる雪をながめているのも悪くありません。


今日は午後6時までにして、早めに閉店いたします。

listen, the snow is falling


天皇の崩御にしたがって昭和という時代が終わり、平成という元号が発表されたのがちょうど30年前の今日。1989年のことです。私はまだ24歳。社会人になってまだ一年目の若造でした。

あれから30年経つんだなあと思うと、感慨深いものがあります。

YOU TUBEを探してみたら、当時の映像がありました。見ているとその頃の空気感みたいなものがよみがえってきます。私は街の声でインタビューに答えている若者と同じくらいの年代です。日本中がシンとしてしまった感じで、いたるところに半旗がかかげられていました。鈴木史郎アナウンサーが若い。


あるご家庭の反応。おばあちゃんたちの会話をよく聞いていると面白いです。「え? へいせーぇ?」およそ皆さんこんな感じではなかったかと…。左側のおばあちゃんが、大正から昭和になったときも「え?しょうわあ?」みたいな感じだったもんね、と言っているのがすごいなあと…。

新しい年号になるときもたぶん、同じような感じなんでしょうね。

鈴木家の皆さんがブラウン管のテレビでみていた映像がこれです。平成おじさん、小渕官房長官。


ついでに平成元年のヒット曲。ほぼ全部知ってます。

KK フィッシュのユーズドボードが入荷しました。

ボリュームをもたせたラウンドノーズと絞り気味のテール、ひとめでKKフィッシュとわかる特徴的なアウトラインです。レイクが入ったキールフィンはシングルフォイルで回転性を考慮したセッティングになっています。

ラウンドノースはスピードを付けやすく、独特のグライドする感覚を生み出します。絞り気味のテールとフィンのセッティングはより軽快な動きが可能で根強いファンが多い、カツカワミナミサーフボードオリジナルのフィッシュです。

ホームページチェックしてください。




昨日、午前中はチムチムチェリー、薪ストーブの煙突掃除です。寒さが本格的になる前にやっとかなくては薪が焚けません。

屋根にのぼって、先端にブラシがついた長い棒で昨冬についたススを落とします。


ススで真っ黒になってしまうので、写真はありません。ゴミ袋の中は落としたスス。昨シーズンで、茶わん一杯分くらい。上手に燃やすと、ススも少ないのです。この量ならまあ合格でしょう。


これでいつ寒くなっても大丈夫です。

ススをきれいに落としてスッキリしたあとは、昨日の目的の銀座方面へ。まずは京橋の南インド料理の老舗、ダーバ・インディアへ。


実は最近、南インドのカレーにハマってます。これまで良く作ってきた北インドのカレーと違うのは使うスパイスと酸味です。

最初は不思議だった、この酸味にハマってます。すっぱいカレーが好きです。

というわけで、ドーサの中を何が入ってんのかなー?とのぞき込む私です。


もうひとつは、ミールス。何種類かのカレーをバナナの葉っぱに並べた南インドのカレープレート。


家でもスパイスを買い込んで、いろいろと研究中です。

南インドを楽しんだあとは、銀座をぶらぶらしながら日比谷へ。銀座は久しぶりの歩行者天国でした。古いものと新しいものが上手にまじりあった街は面白い。最近よく行きます。



やってきたのはここです。東京宝塚劇場。後ろは日比谷ミッドタウンです。


観劇チケットをいただいたので見に来ました。宝塚初体験です。


宝塚歌劇、有名ですがこれまで特に興味もなかったので、自分がどう感じるのかということに多いに興味がありました。

見たのはこれです。


さすが日本を代表するエンタテイメントのひとつです。歌と踊り、衣装や舞台装置も素晴らしくて、二部構成の約三時間、夢中で見ちゃいました。

宝塚ファンは圧倒的に女性が多いそうですが、南インドに引き続いてハマりそうな私です。

ユーズドボードが三本入荷しました。

まずはニーボード。なつかしいです。私が乗っていたボードです。お譲りしたこのボードでニーボードを始められた方が次のニーボードをということで、ユーズドとして販売いたします。

デッキにフットマーク(ニーマークですね)がはいって、よーく使っていただいたようで嬉しいです。よく走ってくれて、反応もいいボードです。自分で乗ってましたからよく分かります。

それから、ツインスタビライザーのボニート(フィッシュは’ボニータ’です)。

ボニートはスピードボードです。基本はフラットボトムですが、これはシングルコンケーブ。レールも効きそうで、乗り手次第ですごい動きができそう。スモールセンターを外せば、ツインとしても使えます。

それから、303サーフボードのシングルフィン。6’11”のミッドレングスサイズです。

クセが無さそうで、浮力もあるので初心者にも良さそうです。

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昨日はお休みをいただいて、お義父さんの墓参りへ行っておりました。長崎のお墓とずいぶん違います。いまどき、と言うよりも人それぞれ考え方の違いだと思います。


墓参りのあと、久しぶりに東京観光でもしてこようかと思いましたが、あの暑さです。あちこちうろつく気にはなれず、どこか暑くないところは…と考え、女房がここしばらく観たいと言っていた映画を観に行くことに。

それで、観たのがタイトルの「カメラを止めるな(ONE CUT OF THE DEAD)」、です。

正直、私はただ付き合っただけ。作品の予備知識としては。異例のヒットをしている(らしい)低予算のゾンビ映画ということくらい。80年代からゾンビは好きなので、まあ何でもいいやと思って観たら…。

これ最高です、という言葉では足りないくらい面白い。

どう表現したらいいのか分かりません。こんな映画始めてです。昨年、2館上映でスタートして、今は全国100館以上の上映に広がっているらしいので、お近くの映画館で見られると思います。

ぜひ見てください。

こんな感じです。

ん? ん? ん? あれ? ん? あれ? 笑 笑 笑 ドキドキ 笑 笑 泣笑 笑 泣笑 笑…。

予備知識は何にも要りません。というか、何にも知らずに見た方がいいかも。ゾンビちゃんが好きじゃなくても大丈夫です。

一度見ると、このどうしようも無く面白くなさそうな予告編で思わず大笑いしてしまいます。どーして笑えるのかは、観ないと分かりません。


もう一回観たい!



西の方は大変なことになっています。海の波も水ですが、水の力というのは恐ろしいもので、橋も道路もクルマも建物も流してしまいます。

1982年、7月下旬のことでした。夏休みの補習授業が終わって、近所に住んでいる友人と帰宅していると急に雨が降り出しました。そのときはまだ普通の雨で、傘を持っていなかった友人とふたりで相合傘をして、男二人で気持ちわりーなーなどとふざけながら帰ったのです。

帰宅して、1時間ほど昼寝をしたと思います。起きてみると状況が一変していました。時間はおそらく夕方の5時過ぎくらいだったと思います。

もの凄い雨なのです。うまく表現ができません。家は高台で眺めはいい場所なのですが、10mも離れていない向かいの家が雨で霞んで、それよりも遠くは雨で全く何も見えません。雨の中で溺れてしまいそうなくらいのもの凄い雨だったと記憶しています。

日本の西の端の街です。7月の夕方の6時でもまだ明るいです。それが真っ暗になって、しかも水の中にいるみたいな圧迫感がある雨でした。

幸い父も母も早い時間にその雨の中をなんとか帰ってきましたが、雨はとにかくもの凄いまま降り続いていました。

いつものように晩ご飯を食べ、さて受験勉強でもしようかと自分の部屋へ入って、何気なくつけたラジオを聴いて始めて起こっていることに気が付きました。

ラジオは市中で川が氾濫し、いたるところで崖がくずれ家が流されているという災害情報を流し続けていました。行方不明、亡くなった方の人数がどんどん増えていくのを、一晩中ただ茫然と聞いていました。

様子を見に行こうなどと思わせるような雨ではありませんでした。そのくらい激しく降り続いていたと思います。

翌日、ようやく雨が止んで、明るくなった家のすぐ下の川沿いのバス道路へ降りていくと、もう何もかもめちゃくちゃでした。毎朝渡っていた橋は無くなって、その先の建物の二階にクルマがぶらさがっています。道路もアスファルトの下の土ごと流されて、大きく四角く陥没しているところもありました。道路って水で流されるんだと、変なところに感心した記憶があります。

水の流れが突き当たるような曲がり角には、クルマが何台も詰まるように積み重なって山になっています。流れてきたいろいろなものと泥、そして折り重なったクルマ。崩れて土がむき出しになった山肌。そんな光景ばかりが記憶に残っています。

市中の商店が集まるような低い地域は大きな被害を受けていました。

長崎大水害と検索してみると、動画や写真が出てきます。とにかくひどいことになっていたのですが、その状態から日が経つのにつれて街が元に戻っていくのは着実に感じていました。私は公共の施設の片づけのボランティアなどをやったと思います。

こんなことを書いて何もならないのは分かってます。でも、こういうことは、いつでもどこでも起こりうることなのだと思います。決して他人事ではありません。

何もできませんが、一日も早く被災地の皆さまの生活が元に戻ることを祈っています。

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