MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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なんとなくネットで波乗りをしていたら、こんな映像を見つけました。1965年のマリブです。トップレスの女の子から始まります 笑

サーフィンも撮影していますが、ブルース・ブラウンなんかのプロが撮影した映像と違い、普通の人たちが夏の海で遊んでいる映像は、夏の海の雰囲気がよりリアルに伝わってくるようでどこか懐かしい感じさえしてきます。

同じ1965年のマリブですが、こちらはセレブですね。ジェーン・フォンダとジュリー・アンドリュース。ビーチライフを垣間見ることができます。クリネックスの箱から始まります。ファッションや家具、テーブルの上に置いてあるものなどよく見ると面白いです。

5月のマリブ、日差しは強いですが風は冷たいんじゃないでしょうか。

Dフィンのログやクルマばかり見ていてもダメです。クラシックはこういうところから入っていくんですよ。

ジェーン・フォンダかっこいい。バーバレラという映画のオープニングでいきなり真っ裸になります。ジュリー・アンドリュースはキュート。メリー・ポピンズですね。

昔、カリフォルニアをうろついていて手に入れたものがショップにいろいろとあります。古いもの、いわゆるサーフメモラビリアというやつですが、波乗りの歴史上でそれなりに価値があるものっだったりするのかもしれません。

これもそのひとつ、HOBIE SURFBOARDSのプライスリスト。サーフボードの価格表です。


1964年5月1日まで有効と書いてあります。1964年というと自分が生まれた年です。昭和39年のカリフォルニアのサーフボード事情ということです。

今と同じで、まずはボードの長さでベースになる価格が決まってきます。自分がいつも作っているサイズの9’6”なら$135です。

意外とサイズ分けが細かくて、9’7”~9’9”は$137、9’10”~10’4”は$140と小刻みに上がっていっていて、当時の1ドルの価値がなんとなく分かります。

面白いのはレングスの設定が、7フィート以下からあることです。7フィートまでは、$115となっているのですが、ロングボードの時代の1964年に7フィート以下のボードというのはいったい?という疑問がわいてきます。

思いつくのは、ベリーボードかニーボードくらい。それとも子供用か?これより2年ほど前に日本に来て赤提で波乗りしていたピーティー・ジョンソンは小さいPIGに乗ってたし、そういうのもあったのかもしれません。

このころのHOBIEといえばフィル・エドワーズですが、フィル・エドワーズモデルは9フィートからで、それぞれ$15くらいずつアップいたします、ということになってます。シグネチャーモデルですね。

これらの価格に含まれるものは、高密度発泡のフォーム、10オンスクロスのグラッシング、1インチのバルサまたは、3/4インチのレッドウッドストリンガー、マホガニーもしくはグラス製のフィンで仕上げはクリアとなってます。

それにカラーやストライプのオプションや、ストリンガーをもっと凝りたい人向けのオプションがいろいろと書かれています。

ロングボードに関していえば、クラシック系の人たちは今も昔もそんなに変わっていません。やってることは同じだと思うとなにやら嬉しくなってしまう単純な私です。

10オンスクロスだけは、腰痛が悪化しそうなのでご容赦願いたいですが、この当時のカリフォルニアでサーフボードをオーダーしてみたいものだと思います。

ドラエモンなら連れていってくれるか。

KOOKSのMOOKSが、ベルジーのショップにオーダーしたボードを取りに来て…。



マリブサーフボードのヴィンテージボードが入荷しました。60年代にロングボードの時代からサーフボードを作り始めた、純国産のサーフボードメーカーです。

活さんはマリブの「コンペティター」というロングボードのモデルに乗っていたそうです。「けっこう調子良かったんですよ」とたまに話題に上ることがあります。今回のボードのは、その後のトランジション期に作られた当時のショートボードです。

マリブサーフボードのことは、これまでにも何度か雑誌などで取り上げられているのでご存知の方も多いと思います。

マリブサーフボードは1960年代に本格的な工場生産によってサーフボード製作をスタートさせた、日本で初めてのサーフボードメーカーとして知られていますが、カリフォルニアのデューイ・ウェーバーでシェイパーとして働いていたタック・カワハラ氏を招いて技術を学んだとは言え、すべてを国内生産でまかなうのは並大抵の苦労ではなかったと思います。

最初のボードは1963年だったそうです。アメリカならいざ知らず、日本は戦争が終わってまだ20年経っていない時代です。

現在のサーフボード製作の現場を見ると、使っている材料はほとんどが海外からの輸入です。55年以上の昔に、それをすべてゼロから国内生産で作り出したのですから、その情熱たるや(資金も)ものすごいものであったと思います。

そんなことを考え併せていくと、この古いサーフボードに、日本の新しい時代への夢や期待がこめられているのを感じます。そういうものが溢れていた時代に作られたサーフボードだと思うとワクワクしていまうのは私だけ?

面白いのは、このボードのボトムにうっすらと残っている文字です。おそらくマジックペンでボトムの表面に書かれたものが微妙に色焼けとして残ったものではないかと想像しています。

書かれているのは、ある住所です。英語表記っぽい書き方になっています。筆跡はどう見ても日本人です。

○○○○BANCHI MORIMACHI ISOGO YOKOHAMA で、名前も書いてあったように思われますが、それは判別できません。つまり、横浜市磯子区森町○○○○番地 ということです。

調べてみたら、森町というのは古い住所表記で、それが現在の磯子区「森」と「森が丘」に変わって、1丁目、2丁目というように住所が分けられたようです。

変わった時期は、1971年となっていました。

ということは、この住所を書いた人は1971年以前にこのボードを購入した、(おそらく)オリジナルのオーナーだという推測も一応は成り立ちます。

だから、どうした?と言われてしまえば、別にそれだけですと答えるしかないのですが、こういうところがヴィンテージの面白さだと思っている私です。

それが作られた昭和40年代、どんな世の中で、どんな街並みで、どんな人がどんな服を着て、どんな車に乗って海へ行っていたんだろうというような想像の翼がひろがるところを含めたのが、ヴィンテージの魅力です。雰囲気というか、気配というのか、新しいものには無いものだと思います。

フィンは、当時の純正品がきれいな状態で付いています。


60年代終わりごろのFINS UNLIMITED社のフィンシステムに似ていますが、フィンもBOXも自分たちで作っているところに頭が下がる思いです。


チキンラーメンの次は、マリブサーフボードで朝ドラどうでしょう。

MALIBU SURFBOARDS Royal Hawaiian model






こんな本が出てきました。佐藤秀明の写真に片岡義男が文章を書いた本。1981年に出版されたものです。波乗りを意識し始めたのは、おそらく他にもたくさんの人が同じ経験をしているのではないかと思いますが、中2の頃から読み始めた雑誌ポパイと片岡義男の小説の影響です。

ハワイ・カリフォルニアとサーフィン。雑誌の写真と小説の文章でしか知ることができない世界が、その頃の自分の頭の中で想像だけがどのくらい大きくふくらんでいたか。当時の自分を想像してみると何か可笑しい気持ちにもなります。

子供の頃から海が大好きで、雑誌に載っている南の島の真っ白い砂浜、強い太陽、大きな波の一番上からいままさに滑り降りようとする真っ赤なサーフボードに立ち上がったサーファーの写真と、自分が知っている海を重ね合わせながら、妙な夢にひたっていたように思います。

おかしなことに、波乗りのための波は海底が岩になっているところで崩れる波でしかできないと思い込んだりしていました。

何も知らずにあこがれだけがあったあの気持ち。すっかり忘れてしまっていますが、この本を読んだら、もう一度思い出すことができるでしょうか。

あたまの中をからっぽにして、もう一度ゆっくりと読み返してみようと思います。そして、もし思い出すことができたら、それはとても嬉しいことだと思います。

帰る初心の場所よりももっと先へ、純粋にあこがれていた気持ちを思い出せたら、海も波も周りのサーファーももっと素晴らしいものに見える…かもしれません。そんな気持ちで波乗りができたら最高でしょう。



この本は、2000年頃に「次の海まで100マイル」という題名で再版されているので、もしかしたらまだ手に入るかもしれません。

実はこの再版の方も続編だと思って買って持っているので、(たぶん同じだと思いますが)比べてみることにいたします。




ずいぶん昔に手に入れたホットカールくんのプラモデル。そろそろ作ろうかなあと、なんとなく取り出していじっていたら、なんと、昨日届いたNALUの最新号にホットカールくん登場してるじゃないですか。

手持ちのホットカール関係のものたち。

プラモデルは60年代当時のオリジナル。ホームページには載せておりませんが店では見られます。欲しい方には残念の非売品。誰かの作りかけなので、自分できれいに色を付けて完成させてあげようと隠し持っていました。

もともとこのキャラは、ラ・ホヤのウィンダンシーにいたずらで作られて置かれていたものから人気が広まって、写真みたいにプラモデルやディケールになったり、漫画に登場するようになったと以前、何かで読みました(その辺はNALUに詳しいので、そちらをどうぞ)

プラモのパッケージには THE SURFER’S IDOLと書いてあります。

ホットカールくん、なんだかとても上手にサーファーという人種を表現しているように思えて、昔から好きなキャラです。COWBANGAとか、HODADとかKOOKSなどというサーファーならではのスラングを知ったのも、こういうものたちを通してでした。

古いものには新しいものには無い何かがあって、なんかこう理由も無くワクワクしてきたりします 笑。今年の冬はホットカールくん、ちゃんと作ってあげようと思います。

さて、クールなデザインで人気があるアイデンティファイウェットスーツ、秋冬のラインアップが出揃いました。

一番右がアイデンティファイのフラッグシップモデル、SEA VESSELです。胸のXパネルが目印です。メッシュスキンと組み合わせてテイクオフのときに胸がずれにくくなっています。

真ん中がMODEL-A。シンプルさが売りです。ヒザ回りの生地の継ぎ目を無くしたシームレスニーを採用することで、破損を減らしています。左は女性サーファーのためにデザインされたMUSE。下半身をカラージャージにするとかなりキュートです。

どのモデルもオーダー料なしでお作りします。冬用の起毛素材は、ドライマックスとネオウォームの二種類をご用意しました。アイデンティファイだけじゃなく、AXXE CLASSICでも量販店で、生地のグレードを落として値段を下げたオーダーフェアやってますが、これらの生地がメーカーオリジナルです。ウェット本来の性能がもとめられる冬場には大切な部分です。メーカーの商品開発、素材開発の裏づけがある良いものをお選びください。

かっこいいでしょ。アイデンティファイ。

詳しくはホームページからどうぞ。






何度かこのブログに登場している、HARBOUR RAPIER。サーフボードが短くなり始めたという、1968年に作られたVEE BOTTOM。マーク・マーティンソンのデザインです。



15年くらい前に手に入れて、折れたフィンしか無かったので一度も乗っていませんでした…が!ついに手に入れました。

WAVE SET(当時のフィンメーカー)のデッドストックです。アメリカのオークションサイトのE-BAYで発見しました。

WAVE SETはフィンBOXとフィンが数種類あって、たまに見つけても形が違うものだったりしてなかなか出会いがなかったのですが、先日何気なくネットで検索してみたら発見しました。

到着するまで若干不安はありますが、いちおうフィンを固定するボルトの穴と穴のあいだのサイズ(前と後ろで留めるようになっております)も確認したし、形は手持ちの壊れたフィンと同じなのでたぶん大丈夫だと思います。

E-BAY久しぶりです。自分のアカウントで履歴をみてみると、最後の取引が2002年になっているので12年前です。

昔は支払いの方法が今のように進歩しておらず、出品者(アメリカ)に郵便為替を送ったりと、結構のんびりしたものでした。メールをやりとりするうちに、(私が探しているものを)たくさん持っていることがわかって、個人的な取引に発展したり…なんてこともあったのですが、いまは出品者に直接のメールは送れなくなっているんですね。

今では落札したあと、PAY PALで支払い手続きをしたらそれで終了です。PAY PALには送り先の住所が出ているので出品者はそこに送るだけです。簡単と言えば簡単なのですが、売買というコミュニケーションとしてはなんだか物足りなさを感じるのは自分が古い人間なのか。

でも、これでVEE BOTTOMを海水に浸けてあげられるので、嬉しくはあります。RAPIREちゃん、長いあいだ海に入れずもう干からびてるかもしれませんが、これで復活です。

しかし、ショートボードと呼ぶには、ちょっと原始的です。

サーフボードの理論も何もなくて、昨日まで使っていたロングボードのブランクスを半分に切って、シェイプはロングボードそのままで作りましたーてな感じです。

でも、本やネットだけで知っているつもりになっているサーフボード革命の一端を実際に体験できる貴重な遺物です。現在でもVEE BOTTOMを作るシェイパーはいますが、ボリュームのバランスやレール、ボトムのシェイプなどは現在の理論が取り入れられていて、やっぱり洗練を感じます。

それらとはだいぶ違います。たぶん難しいと思います。

こんな感じで、フルレールでダウンザラインとボトムターンできたら1968年にタイムスリップですね。


ちなみに彼女のスリーサイズは、6’10”x 22”x 3”1/4。ナイスバディです。

フィンの到着が待ち遠しいです。

今日はZEROのロングスプリングが到着しました。ネイビーのジャージにホワイトのステッチが爽やかです。


ZEROは二週間でできあがります。オーダーフェアは終わりましたが、今思いつきました(笑)このブログを読んでいただいている方にだけに特別オーダーフェア開催しましょう!!ブログ見たんですけど!と言っていただければオーダー料サービスでお作りします。

ジェリーさんも着ているZERO、オーダーお待ちしております。




15年くらい前に手に入れた、ハーバーのVEEボトム。長さは6’10”かな。1968年製のRapier Vというモデルで、マーク・マーティンソンのシェイプです。90年代の中盤、クラシックなロングボードにどっぷりとはまっていたころ、60年代のヴィンテージボードも海で実際に乗るために何本か所有していましたが、これもそのうちの一本です。

ヴィンテージはほとんど手放してしまいましたが、これはなんとなく気に入っていてずっと所有しています。私にとってこのVEEボトムは、60年代のサーファーたちと同じ道筋をたどるように、それまでロングボードばかり乗っていたのを短いボードへと橋渡しをしてくれたボードです。これのレプリカを作ってもらって乗りはじめたのが短いボードへのトランジションの一歩でした。


テールの切り口は見事にVEEです。

実は、このボードはまだ海では使っていません。フィンが折れてしまっているのです。

WAVE SETという、今とは形が異なるフィンシステムが使われています。昔はカリフォルニアのフリマや、アメリカのオークションサイトでそれほど珍しくなく当時のフィンを見つけることができていたので、そのうち買えばいいやと思っているうちに10数年が経ってしまって、最近はすっかり見かけなくなってしまいました。

最近、こいつに乗ってみたくなってフィンがなんとなならないかと考えています。

これが折れたフィン。ベースの形をもとに元の形を想像しています。

先っぽのレイクがいまいち不自然。高さも足りないか?

こんな感じか?


まだまだ…。



この形が良さそうです。


フィンBOXの方をいまの物と入れ替えるという方法もありますが、ボードはオリジナルのままにしておきたいです。雰囲気変わっちゃいそうです。

フィンの再生は果たして可能か?折れたサーフボードだって繋げるのですから、できないことは無いようにも思います。

フィンをじっと見ていたらアイデアがいくつか浮かんできたので、実現可能かどうか職人さんに相談してみることにします。

こういうのにロマンを感じてしまう私です 笑。


大掃除をしていたら(だいぶスッキリしましたよ)古いデッサン帳がでてきました。

そういえば昔、一生懸命練習していたの思い出しました。いろいろ面白い絵があるのでそのうちご紹介してみることにします。





ダイアモンドテールのシングルフィンに合わせて今年はこれ履いてみようと思っています。80年代のクィックシルバーのボードショーツです。かなり短いです。長いのはいまいち苦手なのです。

サーフショーツというのはボードの形状やカラーなどと同じで、その人の好みやスタイルが現れるところだと思います。

昔のサーファーたちを見てみるとそれぞれのトレードマークのようにサーフショーツを履いていたりします。サーファーとトランクスのデザインがセットで思い浮かぶ…みたいな感じです。

ハワイアンプリントの花柄のサーフショーツといえばフィル・エドワース、真っ赤なソリッドカラーのサーフショーツはデューイ・ウェバー、横縞の囚人服のようなストライプも有名、グレッグ・ノール、ミッキー・ドラはブラックのイメージ。ちなみにジョエル・チューダーはバードウェル。

ウェットスーツはどちらかと言えば機能重視ですが、トランクスにはなんとなく愛着がわくもんですね。

ちなみに上のショーツを履くとこんな感じです。








北風で波は無くなるかと思えば予想はうれしく外れて、沖で吹いている西風のおかげで波続いてますね。ちょい寒いですが天気はいいし波はあるし、こんな日はみんな海に行ってしまって誰も来やしません。

ヒマなので壁の絵のレイアウトを替えたり、大掃除をかねて周囲を掃除したりとのんびりした週末を過ごさせていただいてます。

カウンターの上にうず高く積まれたサーファージャーナルや写真集の山を崩し、家に持って帰るもの残すものを仕分けしていると、久しぶりに目にする見覚えのある表紙が目に止まりました。

サーファージャーナルのVol.4 ナンバー2です。Vol.4だから1995年、16年前に買った一冊です。この号には「EXPOSURE(暴露)」というタイトルで、行方不明になってしまった天才カメラマン、ロン・ストナーの特集が組まれています。

開いてみると、ロン・ストナーが撮影した写真の数々が目に飛び込んできます。クリーンな波を滑ってくるサーファーとその手前をニーパドルで沖へと出て行くサーファーを捉えた写真、映画俳優のようなマイク・ヒンソン、ピアをバックにグラッシーな波のフェイスを滑ってくるサーファーのスタイリッシュな瞬間、ボードを抱えてビーチを歩く数人のサーファー。

どこにでもある光景の中から光の加減や全体の構図などある瞬間のシーンを計算しつくされたかのような絶妙のタイミングで切り取った写真の数々です。なんと言えばいいのか、そこに写っているサーファーの気持ちに自分もなれてしまうような、そんな感情的なものが伝わってきて気が付くとじっと見てしまっています。

私がスポーツとしての波乗りにカルチャー的なものを感じて、今の仕事を始めるきっかけのひとつになっているのがロン・ストナーの写真です。

ロン・ストナーの写真集、興味ある方は下のリンクから購入できます。


本はいろいろな出会いときっかけを作ってくれます。









ホームページにヴィンテージボードを2本アップロードしました。SURF LINE HAWAIIのアイパさんシェイプのスティンガーとホビーのGPウェッジです。どちらもすぐに海で使えるコンディションです。

ホビーGPウェッジはトランジション期の入り口のデザインです。ロールボトムにテーパーレール、テール近くは強いVEE。フィンはサカナのヒレのようなシャープな形のフレックス。何度か海で使いましたがかなりスピーディにスムースに走ってくれます。普通に使えます。

スティンガーの方は、ほぼ新品と言っていいコンディション。70年代の終わりごろにハワイのSURF LINE HAWAIIのショップで購入し、日本へ持ち帰ったものだそうです。デッキにごく浅いヘコミが4箇所ほどあるだけです。乗ってもいいですが、さすがにもったいないかもです。真っ赤なティントカラーで部屋のディスプレイにしてもかなりカッコイイです。

どちらもホームページからチェックしてください。


トレイルレースに向けてトレーニング中ですが、だいぶ手ごたえを感じてきました。今月から距離を伸ばして行きたいと思っています。ランニングの調子も上がってきて、足腰が決まっているので波乗りも調子いいです。また波無しになっちゃいましたが、なんとなく今度の休み(木曜)はありそうな感じ?PIGと何か短いの持って行きます。

あ、あとパイポね 笑。
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