MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
ショップのオープンは2001年。それ以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
還暦を過ぎて、BASIピラティスのマットインストラクターの資格を取得。年齢に関係なく調子良く動けるカラダ目指しています。
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今日、8月6日は広島に原子爆弾が投下された日です。3日後の8月9日には長崎に投下されました。74年前の1945年、太平洋戦争末期のことです。
私の母は14歳のときに長崎で、爆心地から1.8㎞の地点で被爆しました。幸運にも大きな怪我や熱傷を負うことはありませんでしたが、髪が抜け、身体に紫斑が出ることに加え、強度の貧血と下痢という放射能症で苦みました。祖母は、もうこの子はダメだと半分あきらめていたそうです。
私がまだ子供のころ、いまの季節になると原爆が落ちた時の話をよくしていたものです。それは、本で読んだ、広島・長崎の被爆者の話と同じ内容でしたが、本で読むよりもずっと強く心に響いてきたものでした。
実際にその当時、銭湯へ行くと原爆で負った傷跡やヤケドの跡がある人を見かけることも少なくありませんでした。近くには、アメリカが設置したABCCという機関があって被爆者の健康調査を行っていました。放射能の影響の調査だけが目的で治療等は何もやってくれないので、オイたちはモルモットたい、あげんところへは行くな、と回りの大人たちが怒っていたのを覚えています。私が小中学生だった、1970年代の話です。
74年という時間が経った今、原爆だけでなく戦争体験者の人口が少なくなっています。つまり戦争を自分の身体で、実際の体験として、知っている人がだんだん居なくなっているということです。私の母も一昨年、87で亡くなりました。
自分の頭上から自分を殺そうと爆弾が降ってくる。当たれば肉体を破壊する弾丸をためらいもなく自分に向けて撃ってくる相手が近づいてくる。戦争体験を書いた本で読むことはできても、それが実際にはどれほどの恐怖であり苦痛なのか、戦争を知らない私たちは、本を読み想像することしかできません。
自分の感覚として感じることですが、時間が経つにつれて戦争という感覚がだんだんと薄れつつあるように思います。実際の体験者はだんだんと減り、学校教育では近代史以降の戦争を学ぶことはなく、自分の国が行ってきたことを顧みれば自虐と言われかねない始末です。
戦争の理論は当事者それぞれの立場で変わります。敗戦国、戦勝国、戦線の兵士、戦争指導者、政治家、一般国民、関係してくるもの全てがおかれる立場と状況を知らなければ、戦争は理解できないと思います。そして、知れば知るほど感じるのは、戦争が持つ非人間性と非合理性です。
それを伝えてくれるのが当事者たちの肉声であり書物ですが、悲しいかな肉声はだんだんと減っていきます。それが74年という歳月です。風化させないと言うのは簡単ですが、とても難しいことです。
私たちができることは過去をもっと知ること。いろいろな立場から書かれた書物がたくさんあります。過去に学んで、今と未来の世の中に生かしていくことが74年前の戦争と向き合うことではないかと思っています。
私の母は14歳のときに長崎で、爆心地から1.8㎞の地点で被爆しました。幸運にも大きな怪我や熱傷を負うことはありませんでしたが、髪が抜け、身体に紫斑が出ることに加え、強度の貧血と下痢という放射能症で苦みました。祖母は、もうこの子はダメだと半分あきらめていたそうです。
私がまだ子供のころ、いまの季節になると原爆が落ちた時の話をよくしていたものです。それは、本で読んだ、広島・長崎の被爆者の話と同じ内容でしたが、本で読むよりもずっと強く心に響いてきたものでした。
実際にその当時、銭湯へ行くと原爆で負った傷跡やヤケドの跡がある人を見かけることも少なくありませんでした。近くには、アメリカが設置したABCCという機関があって被爆者の健康調査を行っていました。放射能の影響の調査だけが目的で治療等は何もやってくれないので、オイたちはモルモットたい、あげんところへは行くな、と回りの大人たちが怒っていたのを覚えています。私が小中学生だった、1970年代の話です。
74年という時間が経った今、原爆だけでなく戦争体験者の人口が少なくなっています。つまり戦争を自分の身体で、実際の体験として、知っている人がだんだん居なくなっているということです。私の母も一昨年、87で亡くなりました。
自分の頭上から自分を殺そうと爆弾が降ってくる。当たれば肉体を破壊する弾丸をためらいもなく自分に向けて撃ってくる相手が近づいてくる。戦争体験を書いた本で読むことはできても、それが実際にはどれほどの恐怖であり苦痛なのか、戦争を知らない私たちは、本を読み想像することしかできません。
自分の感覚として感じることですが、時間が経つにつれて戦争という感覚がだんだんと薄れつつあるように思います。実際の体験者はだんだんと減り、学校教育では近代史以降の戦争を学ぶことはなく、自分の国が行ってきたことを顧みれば自虐と言われかねない始末です。
戦争の理論は当事者それぞれの立場で変わります。敗戦国、戦勝国、戦線の兵士、戦争指導者、政治家、一般国民、関係してくるもの全てがおかれる立場と状況を知らなければ、戦争は理解できないと思います。そして、知れば知るほど感じるのは、戦争が持つ非人間性と非合理性です。
それを伝えてくれるのが当事者たちの肉声であり書物ですが、悲しいかな肉声はだんだんと減っていきます。それが74年という歳月です。風化させないと言うのは簡単ですが、とても難しいことです。
私たちができることは過去をもっと知ること。いろいろな立場から書かれた書物がたくさんあります。過去に学んで、今と未来の世の中に生かしていくことが74年前の戦争と向き合うことではないかと思っています。
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