MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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1968年ペルーでのワールドチャンピオンシップの貴重な映像です。


フレッド・ヘミングス、ウェイン・リンチ、デヴィッド・ヌイーバ、ラッセル・ヒューズ、ナット・ヤング、ミジェット・ファレリー、リノ・アベリラ、スキップ・フライ、マイク・ドイル、ピーティ・ジョンソン、アラン・バーン、ジョーイ・キャベル、マイク・パーパス、コーキー・キャロルなどなど、レジェンドと呼ばれるサーファーが目白押し(時代を考えれば当然ですが)

ボードは全員が「ショートボード」。ロングボードの時代はすでに終わっていたことが分かります。

オージー勢はハル系のシェイプ、他はロングボードのピンテール系、その中にあって、リノ・アベリラだけが、薄くて細くて短い、ミニガンシェイプのボードです(活さん談)

見ていると、リノだけが波を滑り降りるラインとスピードが違うのが分かります。このときは、ファイナルヒート6位という結果でしたが、ボードはひとりだけ先を行っている感じです。

フルレングスの映像はこちら。ここが映像ソースのようです。
http://www.rinconarchives.com/video/68-on-tv.html

この1~2年前まで、誰もが10フィートのボードに乗っていたはずです。今の感覚で考えると、みんな揃ってボードを短くしなくても良かったのにと考えてしまいます。

ミジェット・ファレリーの大きな重たいボードでのホット・ドギングは最高にクールだったし、ジョエル・チューダーに多いに影響を与えたデビッド・ヌイーバのノーズライドも見られなくなって、他のサーファーのサーフィンのスタイルも大きく変わった時代です。

ロングボードが復権している今から考えると、そのままロングボードに乗っていて欲しかったサーファーもたくさんいましたが、当時は誰も後ろを振り返らなかったのだと思います。

サーフィンの歴史を振り返ってみると、素材やデザイン、マニューバの変革などいくつかの節目があります。1968年はその中の大きな節目の年だったのだと思います。

当時は後ろを振り向くサーファーはほとんど居なかったと思いますが、今は違います。サーフィンのスタイルは人それぞれ多種多様で、過去から学ぶこともたくさんあるのです。

たとえば、上の1968年の映像は、今の感覚で見ればミッドレングスのサーフィンのいいお手本とも言えます。

面白い時代だと思います。






こんな写真集が届きました。まだ中学生で日本の西の端っこの街に住んでいた私に、波乗りとハワイの香りを届けてくれた、日本最初のサーフィンフォトグラファー、佐藤秀明氏の写真集です。

60年代の終わりごろにはニューヨークに住み、ハワイへと渡ったのは1970年。まだ「カントリー」と呼ばれていたノースショアをフィルムに収めた写真集です。

古いノースショアの建物と風景はどこか懐かしい、今では見ることができない古き良きノースショアの光景です。伝説のハレイワシアターの写真も収められています。


ワイメアコミュニティセンター。




もちろん、この方も。


佐藤秀明 North Shore 1970-1980こちらからどうぞ。


今朝はちょっと走りすぎました 笑。階段登りすぎて、モモがピクついてます。


トレイルは葉が落ちて、太陽の日差しが差し込むようになりました。走ると足元は落ち葉のじゅうたん。カサコソという音がすっかり冬の雰囲気です。



明日は少し波が上がりそうな気配。またまた、ログと6.0のクアッドフィッシュで行ってみようかと思っています。ログを赤とブルーのどちらにしようか思案中です。

お知らせです。AIDENTIFYウェットスーツの年内納めが、12月5日まで延長されました。出荷は26日の予定。工場から直送します。年末の休みにまだ間に合います。




走ろうと思っていましたが、朝から雨。仕方がないので、家の中でカラダを動かしつつ、DVDでも見ようかと引き出しの中をゴソゴソやっていると、下のほうから出てきたミッチ・アブシャーのGET IN THE VAN。

もう8年前です。今思い返すと少々迷走していた時期(笑)。短いボードにばかりアタマが行っていたので、ちゃんと見ていませんでしたが、あらためて見ると面白いです。ちゃんと見ないですいませんでした。

面白いのですが30分と短め、次は何を見ようかなあと(GET IN THE VANの話じゃないのです。ごめんなさい)これまた久しぶりに発見したのがコレでした。



ずいぶん昔に買った、69年のウッドストックのDVDです。

CDはさんざん聴いているのですが、映像付きでみるとかなり違う印象を受けました。時代は1969年。画面に映し出される人たちは皆、いわゆるヒッピー風の恰好をしています。

長髪にひげ、女性の服装を見ても今の私たちの感覚からすると、特にどうと言うことはありません。

けれども、この当時はこの恰好(あえてファッションとは言いません)は、体制に対する反抗を表しているのだと思うと、いままで何十回となく聴いた曲も違うものに聞こえてきました。

ベトナム戦争に反対し、既存の社会の制度を否定することから生まれた、カウンターカルチャーの頂点を映し出しているのがこのウッドストックなのだと、映像を見て改めて感じました。

DVDを見ていて思い出したのが、最近読んだこの本。


芥川賞は、もう40年前だそうです。私は小6でしたので、よく覚えています。おそらく読んじゃいけない本だと言われていたようにも思います。仮に読んだとしても分からなかったとは思いますが…。

これをカウンターカルチャーと呼ぶのかどうかは良く分かりません。思想らしきものは描かれておらず、アメリカのカウンターカルチャーのドラッグとフリーセックスの部分だけを真似ただけですが、若者が成長の段階で何かをつかんで、自分らしい大人になっていく過渡期の姿のひとつかもしれません。

カウンターカルチャーを社会や既存の体制に対する反抗から生まれたカルチャーとみるなら今の世の中、そういうものがずいぶん少なくなったと思います。

ウッドストックの音楽だって、今やクラシックロックの名作です。ロックやっているからって、別に特別じゃありません。音楽好きな人なのね、くらいです。

サーフィンもプロサーキットが確立する前はウンターカルチャーだったと思います。ヒッピーの思想と相容れるものも多く、いつも海にたむろしていれば仕事もまともにやっていないようで、世の中からは胡散臭い目で見られていたに違いありません。

でも今はそれも違います。出勤前や休日に海に入り、仕事もしっかりこなす、どちらかといえば健康的なイメージのライフスタイルのひとつとして受け入れられていると思います。

波が良いときには、親や親戚に不幸を起こしてしまう人もたまにいるかもしれませんが、それも有給だったりします。

カウンターカルチャーって、そもそもは若者の文化なんだと思います。子供時代から成長して、少しずつ世の中のことを知り、そこに自分が入って行く過程で起きてくる拒絶反応のようなもの。そこから生まれてくるものなんだと思います。

私はどちらかと言うとこれから少しずつ、好々爺の領域に近づきたいと思っているので(笑)刺激的なものを生み出すのは難しそうです。

帰って、ウッドストックの続きでも見ることにします。





ハル・ジャプセン監督の1981年の作品、WE GOT SURF。


まだシングルフィンがほとんどで、ツイン、トライフィンが少し顔を出し始めている時代です。ハル・ジャプセン監督の作品は、Cosmic Children, Sea for yourself, Super SessionをDVDとVHSで持っていますが、これは知りませんでした。

古くはミキ・ドラの時代から、この映像当時16歳のトム・カレンまで幅広く登場してきてきます。

他の作品もそうなのですが、サウンドトラックもいいのです。シングルフィン好き、70年代好きの方はどうぞ。

AXXE CLASSIC 2016秋冬のラインアップをホームページにアップしました。今季から、ブラックのロゴカラーが加わりました。黒に黒で目立たなそうですが、意外と目立ちそう。


AXXE CLASSICだけでなく、 ZERO、 AIDENTIFY、 STEAMER、各社ウェットスーツメーカーのスーツをオーダー料無料でお作りしています。

クリステンソン C-BUCKETのユーズドボードもアップしました。
MENEHUNE BEACH STOREホームページ、チェックしてください。



しばらく雨が多かったこともあって、すっかりほったらかしにしてしまっていた庭の畑が雑草と植えたサツマイモのつるでものすごいことになっていたので、今朝は草むしり。

イモのつるに隠れて見えなかったミョウガの根本を見ると、ミョウガがたくさん顔をだしていました。露地もののミョウガはこんな感じにできるのです。


たくさん採れました。


薬味に使うミョウガですが、私たちが食べているのは正確には、ミョウガのつぼみです。地面から顔を出したのをそのままにしておくと、花が咲きます。

ミョウガは普通、縦に細長く切って使いますが、もっと刺激が欲しいときには横方向にネギのように輪切りにしてみてください。

これが結構辛いのです。

ミョウガのちょっと地味なお話しでした。







本日(9日)都合により、午後6時に閉店いたします。ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします。

ミジェット・フェアレリーが亡くなりました。彼のホットドギングこそが私にとってのロングボードです。


新しいブルーのロングボードもそんなサーフィンをイメージして作ったんですから。


ミジェットのスタイルを目指して、HOT DOGGING同好会でも結成しましょうか。ホットドギングについては過去にこんな記事を書いております。

R.I.P. MIDGET FARRELLY


さて、恒例AXXE CLASSIC 真夏のオーダーフェア、今年も開催いたします。



対象は、超進化バックジップのアドバンスト・バックジップとネックインタイプのドライスーツです。

オーダー料はもちろん無料。専用ハンガープレゼントに加えて、バックジップの方は私の愛用のストレスフリーフードをプレゼント、フラップドライは専用のインナースーツをプレゼントしちゃいます。

詳しくはAXXE CLASSICホームページもご覧ください。PDFファイル

それから、以前にちょこっとご紹介しましたが(コレ)、ラバーに一番適した季節に生産した素材、プレミアムゴールドラバーを使った、ウェットスーツもオーダー受付開始します。


従来品よりも、約30%長く柔らかさをキープします。ラバーが無くなり次第終了しますので、お考えの方はお早目に。

カタログはこちらで見られます。AXXE CLASSICメンズ AXXE CLASSICレディス

のちほど、ホームページ上でさらに詳しく掲載いたします。とりあえずはお知らせ、ということで。

ネット上でも見られますが、AXXE CLASSICの秋冬カタログも届いています。デジタルじゃなくて冊子で欲しいという方は、いつものように送り先をメールでお知らせいただければ、郵便でお送りします。









個人的にロングボードのイメージというと、髪型はクルーカットのようなショートヘアで、ファッションはラフなアイビー風(あくまでも個人の意見です 笑)

こんな感じ。(写真はすべてリロイ・グラニスの写真集より)


グレッグ・ノールもフィル・エドワースもさわやかです。


若い頃はずっとクルーカットで、アイビーも好きだったのでそんなイメージからも、ロングボードかっこいい、となって波乗りを始めたときにロングボードをチョイスしたのです(もちろん一番の要因はロングボードのライディングスタイルです)

残念なことに、この素敵なロングボードの時代はあるときを境に急激に変わりはじめます。

1966年の世界大会から始まる、ショートボード革命です。

ナット・ヤングがこの大会で、9.6の「ショートボード」のマニューバで優勝してから6年後。

全員、ぼうぼう。集まるとちょっとむさくるしい 笑。


これも同じ年です。ビーチに座っている人も含め、やっぱり全員が長髪です。


ボードは短く、髪の毛は長く…。

短髪好きな私はもっときちんとしなさい、と言いたいところですが、サーフボードのサイズと髪の毛の長さの変化に、時代の移り変わりを多いに感じます。

それもわずか数年のあいだのことですから、今の私たちからは想像できないくらい激しい変化だったのだと思います。

フィル・エドワースはサーフィンをやめてしまい、その他多くのサーファーはスタイルを変え、ロングボードのゴールデンエラは幕を閉じました。

そのなかで、一人頑張っていたのは、ランス・カーソン。70年代初めのサーフィン映画の中で、皆がショートボードに乗っているマリブでノーズライドを決めている映像が残っています。

それから20年後、ロングボードは見事に復活してきます。そして、それからさらに20年が経った2000年過ぎあたりから70年代のフィッシュやシングルフィンなどが復活してきます。

最初のロングボードから50年でひと回り。50年間のミックスカルチャーが今ということなのかもしれませんね。





ディック・ブルーワージャパンのシェイパーのお二人、いいこと言っておられます。動画の埋め込みができないので、以下のリンクでご覧ください。途中で鎌倉彫りの職人さんの話が挟まっています。
https://www.youtube.com/watch?v=s8wkAt6VlDw

普通にサーフィンをしていてもサーフボードを削っている人、つまりシェイパーですが、には普段あまり触れ合う機会は無いと思います。

でも、一本のサーフボードの影にはたくさんの職人の作業が存在しています(すべてを一人でこなしてしまう職人には、たくさんの工程が…)

私は職人ではありませんが、シェイパーのサーフボードへの考え方を理解し、その中でものを考え、サーフボードを求めて来ていただく人のご要望を受け止めて、シェイパーへ伝えます。

それには、シェイパーのサーフボード作りへの考え方を可能な限り深く理解しておく必要があると思っています。

私は、プレーナーもサンダーも握りませんが、それが私にとってのサーフボードを作ることであると思っています。サーフボードのカスタムオーダーを受けるのは、いつでも真剣勝負。そしてその反面、楽しいことでもあります。

だから止められないのです。






お知らせ:6月14日(火)はお休みいたします。よろしくお願いいたします。

サーファーズ・ジャーナル日本版#25 Vol.2が届きました。表紙はアレックス・ノスト。

後ろ足をコンパクトに収納し、レールを握った低い姿勢でのボトムターン。ボードはキャンベルボンザー。ボンザーでないとできないボトムターン。しかし体、柔らかいですね。

今回も読みごたえがある記事がたっぷりです。

それから、ヒラツカニアンシリーズタイラーウォーレンフューチャーのWET DREAMのタケイ監督も登場しています。

これなんか、「ジョニー・フェイン マリブ 1964」なんてキャプション付けてもバレないと思います。素晴らしいショットです。写真集、期待しております。


サーファーズ・ジャーナル、読みましょう。




ふたたび昨日のロングボードの画像。赤のレジンパネル、かなりベタですがやっぱりかっこいいです。


こういう着色方法をレジンパネルとか、カラードホットコートなどといいます。普段、○○ティントや○○オペークと呼んでいる着色方法はラミネートする樹脂に着色します。

それに対して、レジンパネルはラミネートした上に、顔料を混ぜたホットコートを乗せて着色します。60年代のロングボードに多く見られ、70年代のショートボードにも部分的に使われているのを目にする手法です。

最近では、カラーラミネートした上からさらに着色したレジンを乗せ、下のラミネートが見えるように意図的にサンディングで削り落とし、デニムなどの生地のダメージ加工のように仕上げているボードもあります。(「カラードホットコート」で検索してみてください)

話がそれましたが、イメージとしてはやはりクラシックなのが、このレジンパネルの着色方法だと思います。

これは想像ですが、60年代はいまほどサーフボードの材料であるフォームの品質が良くなくて、フォームにできてしまった気泡を隠すため、いったんラミネートした上に着色したところから始まった技術なのかもしれません。

それが事実かどうかは分かりませんが、いずれにしてもクラシックな雰囲気です。

このロングボードは、ストリンガーを挟んで両側のレールまでデッキとボトムの両面をレジンパネルで覆っていますが、この他にもいろいろなデザインが考えられます。

例えば…。

レールはクリアで残したもの。右と左では着色している範囲のバランスを変えてあります。


さらにストライプを加えたもの。


レールの両端だけに着色したもの。


イラストレーターとフォトショップでこんな絵を作って、お客さんと一緒にあーでもない、こーでもないとデザインを考えています。こういうのが楽しいのです。

この他に、これもレジンパネル…、というかレジンバンドですね。私のログです。

これは赤のオペークでラミネートしたあと、黒く着色したホットコートレジンでバンドを入れました。やはり、昔見たビンテージのロングボードを真似したものです。

やっぱり、クラシックなシェイプのボードに似合う着色法だと思います。

ご存じ、ファイブサマーストーリーズのグレッグマクギリブレイとジムフリーマンのコンビによる、1967年。FREE&EASY





知り合いが七里ガ浜のフリマで手に入れた、1980年(昭和55年)に発刊された10冊ほどのサーファーマガジンの中の一冊の表紙です。カツさんのシェイプルームで、当時の話をいろいろと教えていただきながらめくっていました。

カツさんが波乗りをはじめたのは、1967~8年。そんな方に話を聞ける私は本当に幸運だと思います。

80年代というと、蛍光色、パステルカラー、エッジが立ったデザインをイメージしますが、まだ80年代に入ったばかりで、「INTO THE 80S」のデザインと写真の加工にその片りんが見えるくらいです。

ボードはシングルフィンとツインフィン。トライフィンはまだありません。サイモン・アンダーソンのスラスターデザインの登場は81年ですから、シングルフィン最後の年だとも言うことができます。

ライディングの写真は今と違い、いかにもシングルフィンという感じでどれもスタイリッシュです。


サルタンオブスピード、テリー・フィッツジェラルド。シングルフィンでないとこのスタイルにはなりません。

トランクスの丈はまだしばらくこのままです。長い丈のパンツは、バミューダパンツと呼んでいました。

レインボウサンダル。私はパチモノ履いていました 笑。


リチャード・シュミット、サンセットシークエンス。

面白いなあと思ったのは、上の写真。アレックス・ノストのチューブシークエンスなどとキャプションを付ければ、2016年の雑誌に載っていても全然不思議じゃありません。

カツさんが言うには、シングルフィンの頃はみなそれぞれ乗り方が違って、それぞれのスタイルでサーフィンしていたそうです。以前このブログでも書きましたが、レールと一本のフィンだけでボードをコントロールするシングルフィンの方が、スタイルが自然と出てくるのかもしれません。

いまのサーフィン雑誌の写真とかなり違うのが面白いですし、やっぱりシングルフィンかっこいいなと思わせてくれます。。

そしてこれは日本。サーフィンライフ1980年11月号。カツカワミナミサーフボードを立ち上げたのは1979年。

すでに鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。カツさん若いです。クリックして大きくしてみてください。

写真の記事によると、ロングボードの時代から(60年代)サーフィンをしているサーファーで、サーフィンビジネスにかかわっていなかったのはカツさんくらいなもので、貴重な存在だったそうです。

でも結局、5年くらいでBACK TO南の島へ。そして2002年に日本に戻ってこられたのですが、そこからはご縁があったようで現在に至っています。

2016年6月2日。お仕事中のカツさんです。








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