MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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今朝、歯を磨いているときにふと思い出したのがタイトルの「ノースショア」という映画。アメリカのユニバーサルピクチャーズ配給の1987年の映画です。

有体に言えばそれほど深い内容はない、青春と恋愛とサーフィンをストレートに描いた単純なストーリーの映画。これが結構面白いのです。ストーリーをすぐに思い出してこうやって書けるのは、なんだかんだ言いながらも何度か見ている証拠です。

ご存じの方は多いと思うし、知らない方にネタバレしたところで映画を見るのにそれほど影響は無さそうなので、どんどん書いちゃいます。

主人公のリック・ケイン(名前まで覚えてる)は、アリゾナのウェイブプールで波乗りを覚えた砂漠の街に住むサーファー。そのウェイブプールでのコンテストで優勝してもらった賞金で、アートスクールに進学する前に腕試しとオアフ島のノースショアへとやってきます。

ウェイブプールの波しか知らないのに、パーティで知り合ったロビーペイジやオッキー(どちらも本人)らといきなりノースの海に入っちゃうという無謀さで案の定、ダ・フーイのボスのライディングを邪魔して追い出されます。

このダ・フーイのボスの役をやっているのが、ジェリー・ロペスだったりして、見ていて嬉しくなっちゃうのです。

海に入っているあいだに荷物もお金も盗まれて途方にくれますが、ラッキーなことに(笑)ローカルファクトリーのサンディングマンと知り合い、さらにそのシェイパーに紹介され彼の家に滞在させてもらうことになり、そこでハワイの波に乗るための特訓がはじまります。

そうやってノースショアで過ごすうちに、地元の女の子と知り合い恋に落ちますが、よりによって彼女はダ・フーイのボス(ロペス)のいとこだったりして、ロコたちとの関係がいっそう大変なことに。

途中、コンテスト否定派のシェイパーといろいろとありつつも話は進んでいきますが、特訓で自信を得た主人公はこともあろうに、パイプラインマスターズにエントリーしちゃいます。

あとは80年代お得意のアメリカンサクセスストーリーのサーフィン版(笑)。特訓の成果を発揮してマスターズを勝ち進み、最後はダ・フーイのボスのロペスさんにも、コンテスト否定派だったシェイパーにも認められ、大団円でさわやかに終わります。


主人公がパイプラインにテイクオフしようと滑り出した瞬間にカメラが思い切り引いたら、レギュラーフッターのはずの主人公が突然グーフィーになっていて巨大なチューブに入って行くなど、いわゆるツッコミどころがたくさんあったと思うのですが、そういうのをまとめて許せちゃう気分で楽しめるのです。

それはたぶん、まわりを固める本物のサーファーたちが発しているオーラのおかげだと思います。

マスターズでファイナルを争うちょっとヒール役の相手は、レアード・ハミルトンです。役名がランス・バークハートなんて、いかにもな名前で笑っちゃいますがやっぱりかっこいいのです。

その他には、マーク・フー、デレク・ホー、ケン・ブラッドショウらが出ていたのを思い出せます。誰が出ているか探してみてださい。80年代のボードデザインやファッションなんかも見逃せません。

本職のサーファーじゃなかった出演者たち、主人公のリック・ケイン、シェイパーのチャンドラー、サンディングマンのタートルたちは、その後30年経ったいまも波乗り続けているそうです。


まだまだ梅雨で雨が続きますが、映画ノース・ショア見てじめじめを吹き飛ばしてください。


サントラもいいですよ。





エンドレスサマーからサーフィンに入った私ですので、自分が求めるボードデザインの終着点のひとつとしてPIGという形がありました。数年間取り組んできた最終的な形としては、今乗っている白のピグメントの9’6”で納得していますし、かなり気に入っています。

なので、PIGはひとまず(自分的に)完成かと思っていたのですが、上のジョン・セバーソンの古いフィルムを見ていてあるイメージが頭に浮かんできました。


流れとしては、この納戸色のPIGから~




この8’3”につながってきています。


この二本に共通するものをなんとなく感じていたのですが、上の映像を見ていてなんとなくピントが合ってきたような気がしています。

まだ思いつきです。でも、もしかしたらPIGがもっと面白くなるかもしれません。具体的な内容はもう少し煮詰めてからにしようと思いますので、しばらくお待ちください。


明日はお休みいたします。営業カレンダーはこちらをご覧ください。
FISH ON! 2003年10月 ’SURFER’より

「私は、つねにスピードを追求してきた。」 それは61歳のスキップフライにとっては自他ともに認める事実である。

「コンテストとはまったく違ったサーフィンなのです。テクニックではなくフィーリング、グライドなのです。」と言うのは、スキップの教えの下にフィッシュを作っている、30歳のシェイパー、クリス・クリステンソン。2人はサンディエゴが生み出したこのボードデザインについて、サンディエゴのスキップ・フライの仕事場で、30年という歳月に隔てられてはいるがそれぞれのサーフボードの進歩を見てきた2人のシェイパーとして語り合っていた。

FISHは短く、幅が広くフラットでボリュームがある。そして二つのキールフィンと二つに分かれたテールの形状をしている。スキップは、それが60年代のサーフボード革命のなかで生み出され、長い年月の間にデザインに多少の変化があったものの、過去の遺物としてではなく、現代でも十分に通用するデザインだと考えている。

短く、幅が広いトライフィンをフィッシュという名前で呼ぶことがあるが、これはフィッシュと呼ぶのは完全な間違いであり、(クラッシックな)フィッシュデザインに愛着を持ち、影響を受けて作られたフィッシュボードは本当に少ない。サンディエゴのサーファーとシェイパーは長い間、フィッシュがはじめて使われたサンセットクリフの波を守ってきたのと同様に、自分たちが生み出したフィッシュデザインを伝承しつづけてきた。

フィッシュのクラッシックなウッドキールフィンを最初に作ったラリー・ゲファートは言う、二つに分かれたテールの先端の幅が、9.5インチ以上ないとダメだ。そうでないとスワローテールになってしまい、フィッシュの感覚は失われてしまう…。

その感覚っていうのは?

俺たちはそれを「BAR OF SOAP」(石鹸)と呼んでいる。ラリー・ゲファートは続けた、そいつに立ち上がって乗ったとき、足元からそいつが溢れだしてくるんだ。

フィッシュが登場したのは1960年代後期、その当時はサーファーにとって混乱の時代でもあった。デザインとスタイルは常にはげしく変化し続け、実際に海に出て波に乗る行為だけでなく、想像力を働かせ革新することも‘サーフィン‘であった時代であった。

1966年 サンディエゴのニーボーダー、スティーブ・リズはサンセットクリフの波に乗る為、壊れたロングボードのグラスファイバーを剥がし短く作り変えていった。そのボードは、ウッドボードの時代に作られていた二股に分かれたテール形状のサーフボードとニーボードのツィンフィンをミックスさせ、ダブルピンテールの両方のテールにフィンが付いている物であった。そのボードはフラットでスピード出て、当時まだラインアップにいた重たいロングボードと較べて、ダイナミックなマニューバーを描くことができた。スティーブ・リズ自身すぐれたサーファーであり、彼のヒザの下から新しい時代が生まれてきたのである。

ラリー・ゲファートは当時 スティーブ・リズのフィッシュを手に入れた一人であったが、もともと彼は木を削りスケートボードのデッキを作る職人であった。その経験からラリー・ゲファートは木を薄くけずり、ファイバーグラス製のフィンよりも軽く、フレックスする木製のフィンを考案したのであった。今日では、スティーブ・リズのデザインとラリー・ゲファートのウッドフィンは切り離して考えることができないものになっている。

「ラリー・ゲファートのフィンがなかったら、ピーナッツバターの入っていないピーナッツサンドを食べるようなものだよ」初期からのフィッシュの愛好家であるスキップは言う。70年代の初めまでには、サンディエゴのサーファーのほとんどがフィッシュを持っていたんだ。

それからすぐに、サンディエゴ以外のサーファーにもフィッシュは伝わっていった。ハンティントンビーチにフィッシュを‘輸入’したデヴィッド・ヌヒワは、あたかもフィッシュの考案者の1人のようにふるまった。血の気の多いサンセットクリフのローカルたちは、1972年のオーシャンビーチでデヴィッド・ヌヒワが乗ったフィッシュを盗みだし、ぺちゃんこになるほど叩きのめし、オーシャンビーチのピアにぶら下げた。ボードには、まるで墓標のように「good luck Dave」と書かれていた。

一時代を築いたオーストラリアのマークリチャーズのツィンフィンも75年、リノ・アベリラがコンテストで使ったフィッシュを元に考案されたものだった。同年、バンカー・スプレクルスは、ジェフリーズ・ベイをスティーブ・リズのクラッシックフィッシュで滑走。ジェフリーズベイの波にフィッシュのトラックを刻み付けた。このことは、20年以上も語り継がれ、近年では同じくジェフリーズベイにおいてデレク・ハインドが、スキップのフィッシュを使い同じラインで滑ってみせた。

デレクのライディングとスキップのボードは、アンダーグラウンド的に盛り上がりをみせ、少しづつではあるが、クラッシックフィッシュを手がけるシェイパーも増えてきた。

「フィッシュからは本当に多くのことを学んだよ。」とダン・マロイは言う。彼は、スラスターで育ったプロサーファーの1人であるが、このところ一部のプロサーファーたちの間ではフィッシュを使ってのパフォーマンスが再び試されている。「スラスターは、細かく動いてパーフォーマンスには良いんだけど、フィッシュに乗ると波のエネルギーを感じることができる。波の高い位置でのライン、スピードとフロー、それがフィッシュなんだ。最初は、どうやって乗るのかさえわからなかったよ。でも慣れてきたら、そのボードを褒めちぎってやりたくなったんだ」 リズは、現在でも彼の親しい友人たちのために、僅かにフィッシュを削っているが、昔からフィッシュを削るシェイパーたちは間違いなく、ダン・マロイの言葉と同じことを考えながらシェイプし続けてきたのだろう。

スキップ・フライのフィッシュの四ヶ月待ちオーダーリストは、これからのフィッシュの時代に対する暗示なのかもしれない。


以上は、2003年10月のSURFERマガジンの記事を翻訳したものです。年齢などは当時のものです。

2004年9月、当時まだスキップ・フライの隣の建物でシェイプとグラッシングをやっていたクリス・クリステンソンを訪ねてカリフォルニアへ行ったことがあります。

その頃すでにクリステンソンは、よく知られたフィッシュのシェイパーで、出荷直前のフィッシュに貼り付けられたオーダーシートにジャック・ジョンソンの名前を見つけたこともありました。

スキップ・フライのシェイプルームの奥にある、ボードのコレクションを見せていただいたことを、ある雑誌の記事に書いたことがありましたが、こんなことを書いていました。



鍵を開け中へ入る。壁のラックには様々な長さのフィッシュ、11フィートオーバーのグライダーからジョージ・グリノーのニーボードまで、膨大な量のコレクションが並べられている。スキップはそこから1本づつボードを取り出し説明してくれる。シェイプルームには削りかけのグライダーが置かれていた。

短時間のあいだに南カリフォルニアのサーフィンを60年代から現代まで早回しで見せられた気分だった。時代は回る。優れたものは、少しの間忘れられたとしても必ずまた見直され帰ってくる。そうやって偉大な先人たちのスピリットは受け継がれていくのだろう。


60年代から70年代にかけて作られ、2000年に入ってからリバイバルしたフィッシュは、一時期少なくなりましたが、また最近興味を持つ人が増えてきていると思います。


外観もライディングもフィッシュには独特のものがあります。あらためて考えてみてもフィッシュというのは、やっぱり魅力的です。

自分が5’6”というサイズにまだ乗れて、しかも楽しめるのはやはりフィッシュのおかげ(そして活さんのシェイプのおかげ)なのだと思います。


映画「JAPANESE BREAK」観てきました。上映時間の関係で、全四部作の構成のうちの二つのパートの上映でした。

日本の波乗りの黎明期に、何も無いところからサーフィンを作ってきた人たちの物語と、ハワイでデューク・カハナモクの時代のホローボードを作っていた、日系人の船大工とサーファーの話です。

サーフィンが生まれたハワイで、サーフボードがアライアのようなソリッドボードから、中空のホローボードへと進化した背景に日本人の存在があったということはこれまで知られていなかった事実で、とても興味深い話でした。

日系の船大工が作ったサーフボードにワイキキのビーチボーイが乗り、その一人であるデューク・カハナモクがサーフィンのアンバサダーとして、アメリカやオーストラリアでデモンストレーションを行った結果、世界各地へサーフィンという波に乗るスポーツが広まっていったのです(大正時代のことです)。

そうやって各地に広まったサーフィンを日本にもたらしたのが、戦後の日本へやってきたアメリカ人たちです。ハワイの日系人が作ったサーフボードがカリフォルニアでフォームのボードへと進化し、日本へ持ち込まれたことでひとつの大きな輪ができあがります。

その輪がつながったところから日本のサーフィンは始まったということは、何かとても面白いことのように思います。

湘南、千葉、そして東京。それぞれ関係が無い場所で、同時発生的にサーフボードを作りはじめる人たちが登場してくるのは、そのあとの時代におけるサーフィンの広まりを象徴しているように思います。

それぞれの場所のそれぞれの人たちのあいだで、それぞれの文化が作られたものが現在につながって来ています。皆さんが乗っているサーフボードをシェイプしているのも、その当事者の中のひとりである川南活さんです(もちろん活さんも映画に登場しています)。

そう考えると、当たり前のことですが歴史というものは、つながっているんだなあとあらためて実感します。

新しいサーフボードを手に入れたときのあの感じ、思い出してみてください。私自身、これまでたくさんのサーフボードを作ってきましたが、新しいサーフボードを手にするときのあの嬉しさは、昔から全く変わりません。

皆さんもきっと同じだと思いますし、その感覚は昔から変わらないはずです。波乗りの歴史は(日本に限らず)そうやってつながってきたんだと思います。

「JAPANESE BREAK」昔の話では無く、現代、そして未来へつながる話なんだと思いました。

時間の関係で上映できなかった他の二つのパートも見たいです。




今週の土曜日は、「JAPANESE BREAK」を観に行こうと思います。場所は藤沢市民会館で、午後8時からです。

監督はテストライダーズで知られている、プロロンガーの田中トシさん。音楽やサーフィンだけでなく映像作家としても非凡なものをお持ちの方です。

お時間ある方は、ぜひ足をはこんでみてください。


22号、やばいくらいに強力な台風に発達しそうです。恐ろしいかぎりですが、湘南は土曜日くらいから変化が出るかもしれません。15日は、波乗りしてから映画ですね。
バンカー・スプレクルスと言うと、アート・ブリューワーのこの写真を思い浮かべます。ブロンドの髪。真っ赤なダウンレールの奇妙な形のシングルフィン。強烈なインパクトです。

デッキ側にはハンドルが付いていて、ニーライドしている写真もあります。

そんな写真のせいで、昔っから「何だ?」と思っていたこのサーファーが、77年に27歳でOVERDOSEで亡くなるまでの生涯を描いた映画作品が「BUNKER77」です。

ちょっと前に、蔦屋書店で上映会がありましたが、アマゾンプライムで公開されているので会員なら無料で見ることができます。

砂糖王の家系に生まれ、莫大な遺産を相続する前にはノースショアを見下ろす丘の洞窟に住んで波乗りをしていた、というのは川南活さんと同じです。優れたサーファーはきっと洞窟に住むのです。(活さんは某南の島の洞窟です。)

狩猟で仕留めた獲物と写っている写真や、毛皮を着ている写真は好きではありません。趣味の問題ですが、波乗りとかけ離れ過ぎています。

この時代、ドラッグによる変性意識で新しいものを作り出すという試みが為されていたというのは、いろいろなサーファーの話で出てくることですが、おそらくそれによって作り出されたものよりも、損失の方が大きかったのじゃないかということは想像に難くありません。

正直、好きな話ではありません。感銘を受けたり、インスピレーションをもらうようなこともありません。一緒に見ていた女房は、見終わったあと「それで、結局何した人なの?」と。

何かをしようとしていたのだと思います。大きすぎる何かです。自分でそんな経験が無いので分かりませんが、必要以上のお金(彼の場合は遺産)を得ると、求めるものもそれだけ大きくなるのかもしれません。

求めるものが、あの赤いハンドル付きのダウンレイラーの先にあるもの、そのくらいのものだったら今もサーフボードレボリューションを担ったサーファーの一人として敬意を払われながら、サーフボードをシェイプしていたのかもしれません。

形がはっきりあるものを求めて生きる方が、生き方としては分かりやすいのでしょうね。

ラスティ・ミラーのこの写真が好きです。


BUNKER 77
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B077H3WV1F

明日も朝早くなら、風は大丈夫そうです。

竹井達男氏の写真集「AUTHENTIC WAVE」が入荷しました。カリフォルニアでヴァンに寝泊まりしながら写真を撮っていると聞いていましたので、楽しみにしていた一冊です。

最初の一枚から引き込まれていました。まるで、60年代のグラニスかストナーです。

古い機材を使って、60年代と同じ方法で撮られた作品の中に写っているのはよく知られた現代のサーファーたちです。彼らがまるで60年代のマリブへタイムスリップしたような感覚に陥りつつページをめくっていました。

60年代には無かったウェットスーツを着て写真に写っているのですが、それが60年代の写真にしか見えないのはとても不思議な感覚です。

不思議な感じがするのと同時に、リバイバルから25年以上も経ってすっかり見慣れてしまっている現代のロングボードシーンが改めて新鮮に見えてきました。

60年代のサーフィンが好きな人なら、きっと同じように感じると思います。

竹井氏を始めて知ったのは、15年くらい前でしょうか。川南活さんの友人で、稲村のあるローカルシェイパーのバースデーパーティに呼ばれて行ったときです。

そこで上映された「デヴィッド・ヌイーヴァのすべて」というショートフィルム。ウディ・アレンみたいに、セリフを吹き替えてしまう手法がとても面白かったのを覚えています(VHSでもらったのまだ持っております)

そこで紹介していただいた竹井氏は、七三にきれい分けてなでつけた髪型に黒縁のメガネ、白いシャツに細身のネクタイ、細いパイプドステムのパンツといういでたちで、本人は不本意かもしれませんが、私にはもうアメリカングラフィティのテリーで嬉しくなっちゃいました。

私が高校生の頃に流行ったアイビーみたいで、いまどきこんな格好の人いるんだとかなり好感を持った覚えがありますが、あれはファッションじゃなかったんですね。こんな写真集を出してしまうなんて、筋金入りの60年代の人です。

うちでじゃなくてもいいんです。クラシック好きの人はぜひこの写真集買ってください。それがアーチストのサポートになります。

おかげで私も進むべき道に迷いが無くなりました。写真のちからです。


そろそろシェイプが始まりそうな、6’9”のシングルフィンのカラーリングの参考になるものは無いかと、シングルフィン全盛期の70年代の雑誌をぱらぱらとめくっています。

70年代前半、いろんなものが目に飛び込んできます。

これは、トランクスの特集ページに載っていたバードウェルの紹介欄。赤のサーフナイロン製の今は無くなってしまった#305です。フロントフライはベルクロかボタンとなっていますから、昔はどちらか選べたみたいです(現在はボタンフライ)

現在の#310がこのレングスですね。

OPの広告。お若いです。


キャンベル兄弟とマイク・イートンのボンザー談義。ボンザーボトムのリクツが説明されています。


なので、ビングボンザーの広告も。カービングしているのは、マルコムさん。


この当時はいろんなデザインが試されていたようで、こんなフィンも取り上げられています。

キールフィンです。ジョージ グリノウのクリスタルボイジャーの中で、ナット ヤングが調子よく滑っているのを見ることができます。一番手前のはスキップフライのロゴが入ってます。

ボンザーも同じですが、ボトムの水流をなんとかしようという試みがいろいろと見られます。サンディングマンがノイローゼになりそうなボトムです。

こういうのを見ると、トライフィン(マルチフィン)というのはやっぱり求められた結果なんだなあと思います。

こんな写真も。この当時は今よりも市民権あったように思います、ニーボード。


そのニーボードをやるときに、私が履いているフィンのメーカーの広告です。

チャーチルのマカプウフィンいいですよ。

ボードバイヤーズガイド。ボードカタログです。


こんなのが挟まっていたりします。ハワイの古道具屋で見つけて買ってきたものなので、LIBERTY HOUSEの当時の雰囲気たっぷりの広告の切り抜きも挟まってました。古雑誌ならではです。


それで何か参考になりそうなものが見つかったかと言うと、すっかりカビくさくなっただけ。自分で考えることにいたします。


今日の懐メロ。グレイトフル デッド版もかっこいい THE WEIGHT。

デッドヘッズじゃありませんが、ジェリー・ガルシアの五枚組や非売品のラジオシティのライブ盤もなぜか持ってたり、結構好きです。











「Endless Summer」はもちろん名作ですが、これも大好きな作品です。フィル・エドワーズのサーフィンをたっぷり堪能できます。


自分がサーフィンを始めるきっかけになったのはブルース・ブラウンの50、60年代のサーフフィルムでした。マイク・ヒンソンやロバート・オーガストのようなサーフィンをしたくて、ロングボードを手にしました。

それ以来ずっと波乗りに夢中です。

同じ思いの人は世界中たくさんいることと思います。ありがとう、ブルース・ブラウン!






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