MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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自分でもなぜだか判りませんが、朝起きて一番に思ったことは「今日は薪を割ろう」ということでした。朝食を済ませ心の声のままにまずは丸太を一定の長さに切っていく玉切りという作業からとりかかります。薪つくりにはできる限り化石燃料を使わないつもりなので相変わらず手鋸でギーコーギーコとのんびりやっていると、頭の中に最近考えていることが浮かんできます。それらの事柄はまだはっきりと焦点を結ばず自分でももどかしいのですが、これから少しづつでも勉強していってみようと思います。

最初は南太平洋の小島、ツバル諸島のこと。ツバルは9つの環礁からなる小さな国。1万人ほどの人が海とともに暮らす静かな島でした。「でした」と過去形を使っているのは、今この国が温暖化による海水面の上昇で海に沈んでしまいそうになっているからです。先進国といわれる私たちが原因になっている温暖化で、温暖化とは関係が遠い生活を送っていた人々が住む国を追われようとしているのです。ツバルの子供が書いた、地球に温度計が刺さって、船が沈もうとしている絵を見たときには涙が出ました。

次はイルカのこと。和歌山県の太地というところは古くからの捕鯨の町として知られています。個人的な意見を言わせていただけば私は捕鯨賛成論者です。日本の捕鯨はタンパク源を海に求めてきた日本という国の文化です。私の故郷の長崎にも有名な捕鯨基地があり美味しい鯨を食べて育ってきた一人です。鯨の方へ話しが反れてしまいそうですが、よくわからないのがこの太地というところで行われているイルカの追い込み漁です。ここで捕獲されたイルカは何に使われているのでしょうか?私が知らないだけで、イルカ料理という文化があるのでしょうか?それともクジラ肉として売られているのでしょうか?一度だけイルカの肉が売られているのを見たことがありますが、どう見てもクジラとは違っていました。漁の映像はYOU TUBE等でたくさんアップされているのですが正直に言って文化と呼べるような代物ではありません。私たちは他の動物を殺して食べないと生きていけない罪深い生き物です。屠殺するときにはできるだけ苦しみを与えずに、というのは絶対の義務なのですがあれではほとんど虐殺です。目を覆いたくなる光景です。あれは何のために行われているのでしょうか?私の知らないところでイルカの肉は流通して食べられているのでしょうか?どなたか詳しい方がおられたら教えてください。

次は昨日ポストに入っていた「ECO」の文字が躍るオール電化住宅のチラシのこと。オール電化のECOってエコロジーじゃなくてエコノミーじゃないの?原発の夜間電気を安く使えるそうです。原発はCO2を出さないクリーンなエネルギー?CO2は出さないかもしれませんが違うもの出していませんか?CO2を出さないといっても原発は迂回生産の極致みたいなもの。原発作るのにも燃料の輸送や精製の過程でも、どのくらいCO2が出てるんだろう?オール電化は原発に頼るという点がどうしても気になります。

次はアグリ成城という家庭菜園のこと。アグリ成城とは小田急線の成城学園駅が地下に潜ったのでその上を利用して家庭菜園をやろうという施設です。家庭菜園は別にいいのですがその利用料金がすごい。ガーデン会員が年会費¥136500。グリーン会員に至っては、年会費¥525000…栽培代行付きらしいですが、代行っていったい?それじゃ菜園やる意味無いのにお金払う…?それだけのお金が出せるなら有機農法で一生懸命野菜を作っている農家の野菜をたくさん買った方が世の中のために52万5千倍役にたつと思います。そっちの野菜の方が100%美味しいですし。自分で稼いだお金をどう使おうとその人の勝手なのですが、お金持ちの方々には世の中に役に立つお金の使い方をして欲しいものです。

こんなことを考えながら丸太を切っているとぼやっとして丸太を足の上に落としてしまいそうになりますがツバルの人たちのために今の私ができることは、薪をたくさん作って電気に頼らず暖房することか。

そして仕事場へ。今日はクリステンソンのウェルカムパーティで飲酒するので電車で出社。電車の中で女子高生が「チョーKY」と実際に使っているのを始めて聞いたのが面白くてニヤニヤしてしまったヘンなおじさんでしたが車で通勤するよりも絶対ツバルの人たちのためになるはず。日本が出しているCO2量が増加しているのはクルマが原因になっているところが大きい。土日は電車通勤。平日はどうしてもリペアのボードを運んだり、自分自身が海へ行くためにクルマ通勤。何も無いときには電車で通えばいいのでしょうが、電車賃と駐車場の料金両方は払えない。お金がたくさんあれば解決する問題なのか?それも少し悲しい。これも改めて考えてみる価値がありそうです。

今の私にできることはもう一度自分の生活を振り返って、無駄なことをしていないか?減らせるものは無いか?見直してみることだと思います。


予定を早めてもう少ししたら横浜へ出かけようと思います。
朝に夕に火を焚いて暖を取っている。燃やしているのは森から間伐された広葉樹の幹だ。一定の長さに切りそろえた丸太を斧で割って薪にする。

丸太を切るのは会津若松の鍛冶屋が作ってくれた、刃の間に木屑を掻きだすマドという隙間を入れた昔ながらの大きな鋸。太く重い丸太を台に載せ、自分の腕で挽く。鍛冶職人が魂をこめて鍛造してくれた鋸は硬く、指で弾くと高い澄んだ音がする。何本丸太をこの鋸で切ったのか忘れてしまったがその切れ味は少しも衰えない。太い幹でも尺四寸の鋸の全体を使い、大きな動きで挽いているとそれほど時間はかからず丸太を載せた台の両側に鈍い音を立てて落ちる。

樹は小さな芽を地上に出したときから二酸化炭素を取り込み光合成を行い自ら作り出した栄養分を蓄え、大きな樹へと成長する。寿命に達した樹や他の植物との生存競争に負けた樹は枯れて倒れ、微生物や昆虫によって分解される。放出される二酸化炭素の量は薪として燃やしたときも自然界において分解されるときも同じだ。また、間伐された森は健全に保たれ、新しい樹木を育む。

別に環境に優しい生活をしていると胸を張るつもりは全くない。樹が60年蓄えているかもしれない二酸化炭素を15年で放出させてしまっているだけのこと。生活を営む上で環境に負荷を与えず生活することなど不可能なことだ。そもそも環境への高い負荷の上に成り立っている社会だ。私たち個人が環境のためにできることをストイックに実践しても根本的な解決には至らない。

そんなことは最初から判っていること。でも始めなければ何も変わらない。

樹から暖かさをもらい、つねに樹に触れていると森で生活してみたくなる。エコロジーの話は忘れてしまいそうになる。樹も波と同じように人間の気持ちに強く働きかけてくる。

森に住んでみたい。



クリスマスイブは家のすぐ裏からスタートしているトレッキングコースを歩いてきました。川崎市の北の端から多摩市の西端までの10数キロの距離を歩くコースです。多摩川を渡って関東平野から最初の丘陵地ということもあって昔からいろいろなエピソードがある場所のようです。
モンゴルの襲来に備えて九州に旅立つ防人が関東に別れを告げるために詠んだ歌が残されていたり、鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ分倍河原の戦いに臨む新田義貞の軍勢が戦い前夜に身を潜めた谷間など(稲村ガ崎で剣を海に投げると潮が引いて…というところへ続いていくお話です)日本の歴史をもう一度勉強したくなるようなお話がたくさんまつわるルートでした。

植物や野鳥を観察しながら緑の中をゆっくり歩くのはなかなか気持ちが良いものです。たまには海は忘れてこういう遊びもオススメです。本屋に行ってみるとトレッキングの本がいろいろと出ていたので山の方も少し研究してみようと思っています。(実はバードウォッチング大好きな私)

足は結構な距離を歩いたので少し痛みが出ましたが、だいぶ良くなっているように感じます。でも今度は右足のヒザが…普通に歩いているつもりでも怪我をしていない右足に負担かかっていたみたいです。ヒザを曲げるとイテテテです。腰は痛いは、首は寝違えて痛い、足は両足イタイは、でイタイイタイ言っているのは歳取った証拠みたい。でも正月明けには波乗り復活する予定です。

画像は花がついたまま冬枯れしたアジサイ。これを汚いと思うか冬の風情と思うかは感性の問題。個々の自由。カメラが壊れてピントが合わず勝手にソフトフォーカスかかってます。


人が少ないところで必ず見られるフホウトウキのブラウンカンテレビとクルマノタイア。自分で使ったものは最後まで面倒を観ましょう。それができないならクルマに乗る資格は無いしテレビも見てはいけません。
女房の妹とお母さんと女房の4人で家の近くのイタリアレストランで昼飯を食べてきましt。女房のお父さん、お母さん(義父、義母)とは仲良しで私ひとりでも女房の実家に遊びにいったりもします。世間的にはもしかすると孝行息子じゃないかと思います(笑)

妹は映画の小道具さん。三丁目の夕日のエンドロールに制作関係者の1番最初に名前が出てきたと思います(アイウエオ順だからか…)映画とミュージカルが大好きな一家です。お母さんは歌人。自分の歌集も出版していて私も一冊義理買いしていますがユニークな歌もあって面白く本棚からたまに取り出してはパラパラと読んだりしています。

そんな感じで好物のロメインレタスのシーザースサラダとピザを食べ私一人は仕事場へ。(今頃三人でシュトーレンでも食べていることでしょう)



レストランを出て少し遠回りになってしまった駅までの道を歩いていると遠くの山々が目に入ってきました。遅かった紅葉の季節も終わって山に見える木々は冬枯れの色に変わっています。紅葉も美しいのですが葉が落ちて木々の幹が露わになった森も美しいもので、しばし立ち止まって眺めていたのですが黒々とした太い幹が幾つにも別れ広がっている木の枝を見ているとなぜか急にそれが人間の身体に流れる血管のように思えてしまいました。

生き物は哺乳類、爬虫類、魚類などと身体のしくみや機能によって分類されますが、それぞれの固体の内部には食物を消化する機能や、身体に不要なものを排泄したり、身体にとって良くないものを害の無いものへと分解する機能があって身体の中で「命」というバランスが保たれています。そしてそれぞれの固体はさらに大きな食物連鎖というバランスの中で他の生き物と関わり合いながら生きているのです。

生き物が暮らす地球も生き物と同じバランスの上に成り立っています。気圧の差で風が起こり、地形や日照、気温などさまざまな条件が複雑に重なり合ってその土地特有の気候や環境が作られますがそれは気まぐれに作られるものではなく、ある一定の決まりごとの上に作られていくため、生き物たちは安定した環境と気候のもとに生活することができるのです。

生き物は身体の内部のバランスが崩れた状態のことを「病気」と呼んでいますが、そうなると身体を思うように動かせなくなったり、痛みを感じたりすることでしょう。それはきっと地球も同じことだと思います。今日ふと見た木の枝は地球の血管に見え、地球も生き物なんだと感じさせてくれました。

食物連鎖の輪に戻るのはイヤですが、地球が営んできたバランスの輪には近づくことはできるんじゃないかと思います。化石エネルギーの節約、余計な物は買わない、自然界で分解されないプラスティックや化学物質の使用を減らしていく、物は大切に長く使う、そんなに難しいことはでは無いと思います。「自分ひとりがやっても…」と考えずにできることから始めればいいんだと思います。とりあえず私はスーパーのレジ袋は貰わなくていいようにデイパックの中にいつもマイバッグを持ち歩くようになりました。



明日はお休みをいただきます。山歩きをして早めに家へ帰ってストーブの火でも見ながらゆっくり過ごしたいと思っています。

HAPPY HOLIDAY! 


金曜日は予定が急にキャンセルになったので店開けようかなあとも思ったのですが、もうお休みしますとアナウンスしてしまったのでいまさら…と結局お休みすることにしました。久しぶりの一日フリーだったし波も上がりそうだったのでこれは「絶好のカムバック日和かも?」と海へ行く気満々で準備をしていたのですが医者の「あと一月は…」という言葉を思い出ししばし逡巡。

日常歩いたりゆっくりと重たいもの(丸太)を運んだりするのにはほぼ問題無いのですが、走ったらどうか?波乗りしていて瞬間的に足先に力が入ったらどうなるのか?これまでの自分だったら絶対に「大丈夫でしょ!」と行っちゃってたと思いますが、珍しく我慢。たまには医者の言うことも聞いてみようかと年内はログワークで筋力を鍛えつつ波乗りは我慢することにしました。今ここでまた悪くしちゃって長引くのも嫌ですから…と言ったら珍しく女房に褒められました(笑)


それで以前から行ってみたかった日本民家園というところへ行ってみました。ここは日本各地に残っていた17世紀から20世紀初頭の古い民家を川崎の生田緑地に移築して保存している施設で、山あいにかやぶき屋根の家がたちならぶ景色はまるで隠れ里のような雰囲気です。17世紀というと関が原の合戦が1600年ですから江戸時代から、明治大正まで昔の日本人が実際に生活していた場をみることができるようになっています。




農家、商家、漁師の家などそれぞれ住む人によって家の作りが異なり、昔の庶民にとって家という場所は仕事から冠婚葬祭の儀式まですべてが行われる場所であったようです。食事の煮炊きはカマド。一家団欒は囲炉裏の回り。火がついた囲炉裏に初めてあたりました。

自宅でも薪を焚いて暖をとっていますが囲炉裏はかなりワイルド。家じゅうがうっすらと煙ったようになって身体全身燻されました。風通しがかなりいいので火が当たっていない背中は寒い。パタゴニアのダウンを着ていても寒いくらい。昔の人は身体強かったんだろうなあ。


天井は燻されてすっかり真っ黒ですが燻されることによって虫が付きにくくなって、柱を結び付けている縄がよりしっかりと結ばれます。昔の日本家屋は平屋でも十分な高さがあるので作ろうと思えば今の家のロフトや2階部屋も作れたように思いますが2階は居室ではなく養蚕に使われていたようです。

竹を何本も渡した上に藁のむしろを敷いただけの粗末な床。夏の強い日差しは寄せ付けないような分厚い茅葺き屋根で、風通しが良い家は夏場はそれなりに快適なのでしょうが冬場は過酷な住環境だったと思います。兼好法師は徒然草の中で「家の作りは夏を旨とすべし」と綴っていますが、夏の気温を下げるすべがなかった時代には暑さをしのぐ方が優先されていたのかもしれません(夏場につきものの「湿気」も同様に)

冬の寒さと夏の暑さ。そしてその間に春と秋という移ろう季節。日本人の季節感や感性を培ってきたのであろう「何か」を垣間見ることができたように思いました。果たして都会で暮らす現代人が一年間でもあの家で生活できるものなのか?

昨日は急に丸太が手に入ることになったので、サーフショップのお仕事は急遽お休み。来年の冬に備えての薪の準備も大切な仕事です。届いた丸太は約1.5トン。1本2.8mの原木です。2.8mの丸太はとても人間の力で持ち上がるような代物ではありません。半分の長さに切ってなんとか動かせる重さ。さらに半分に切ってようやく持ち上がる重量になります。

普通はチェーンソウを使ってストーブに入る長さに切っていきますが、私は昔ながらの手鋸。丸太を持って来てくれた人に見せると親方が使っていた鋸だ~としきりに懐かしがっていました。

早速切っていきますが、久しぶりなので身体が動かない。足を怪我してあまり身体を使っていなかったのですっかり体力が無くなっています。しばらく身体を動かしていると身体がなんとなく戻ってくる感じになりジョギングハイならぬノコギリハイの状態になってきます。昨日は張り切りすぎて身体の限界を超えてしまったようで後片付けをして一風呂浴びて夕食の買い物に行って戻ってきてもしばらくアタマの中が飛んでいてアブナイ状態が続いていました(笑)アルコールを何杯か注入してやっと元に戻りました。ヘトヘトになるまで波乗りしたときみたいな感じで結構気持ちいいんです。

短く切った丸太はさらに半分に切って斧で割って薪にします。使うのは一年ほど乾燥させた来年です。薪ストーブも先月末から毎晩のように焚いています。暖かくなるまで1時間くらいかかりますが火の暖かさはエアコンや石油ストーブなどとはまた違った暖かさで気持ち良いです。去年の薪作りを思い出しつつ薪をくべるのもまたスローな気持ちになって良いものです。環境に優しいカーボンニュートラル、バイオマス燃料などと薪を焚くのにややこしい理屈を並べたりもしますが、面倒で重労働の薪作りも、結局はこの火の暖かさのために頑張れているように思います。(トレーニングにも最適ですし。)


これだけ鋸を挽くと一日パドルをしていたのと同じくらいの筋肉の疲労感が残りますがストレッチもきっちりやって今日は調子いいです。足の怪我はだいぶいい感じになってきました。足裏のあちこちを微妙に使う波乗りはまだ難しそうですが、こういう作業ならほんの少し違和感を覚えるだけで痛みは無くなってきました。完治までもう少しのようです。
コメント欄にこんな投稿がありました。

海岸を守ろう!!まだ署名足りません ご協力お願いします!
国道134号線 鎌倉高校前交差点 右折する車が有り道が渋滞するからの理由だけで 信号機の改善もせずに 海側に7mも2億円をかけ道路拡張工事計画(2億の予算は おりてしまってます)・・・・・安易過ぎませんか?現状の自然を壊し人口的な物を作れば 砂浜が減り 強度が十分で無い道路に負担がかかり その道路を 守る為に将来は 海にテトラを入れる事になるでしょう・・・・・2億の工事費が将来の七里が浜の砂浜やリーフを 破壊する起爆剤になる事は 間違いないでしょう。今だけ考えず 将来を考え 行政に抗議します 頑張ります!皆さん応援宜しくお願い致します。何としても工事計画が無くなるよう頑張ります。
以下のURLから署名用紙をダウンロードしてご協力お願いします!
http://www.kamaumi.org/pc/shomei.pdf


どういうことかと申しますと、私がいつも波乗りをさせていただいている七里ガ浜沿いの国道134号線は常に渋滞が激しい道路で、時間帯によっては逗子方面から来る車が由比ガ浜の先まで連なったりすることもよくあります。

この渋滞の原因のひとつとして七里ガ浜のポイントの名前にもなっている鎌倉高校前という交差点を右折して抜け道に入ろうとする車が多いことが挙げられます。片側一車線の道路を右折しようとするのでここで車が詰まってしまうのです。そこで行政は直進車がスムースに流れるように道路を海側へ拡張して右折レーンを作る計画(すでに予算は下りてしまっていますが)を出してきたのです。道路の右側は細い歩道を挟んで江ノ電の軌道、左側はすぐに海なので、海側へ道路を広げるのが一番簡単な方法だということなのでしょう。

一見、渋滞解消には有効な手段のように思えますが鎌倉高校前の信号を右折していった先は細い生活道路になっています。渋滞を解消するためとは言え、先の道路のことやそこに生活する住民のことを考えずに車を流すシステムだけを作るのはあまりにも安易なのではないかということです。それと同時に海、砂浜、動植物の生態系に与える影響も全く考慮されないまま計画のみが進んでいるようなのです。

私自身、昔からいつも使っている道です。渋滞の原因の一人な訳ですが、対向車線も渋滞していることがほとんどなので、すぐに右折できることがほとんどです。時間がかかって後続に迷惑をかけてしまうようであれば先の小動で右折をしています。あの道路は昔から独特な思い入れもあるところです。海に行くときには坂を登りきったところから海が見えてくるのでいつもワクワクしながら坂を登っていきます。帰りはバックミラーに写る海を見て、満足感に包まれたりする特別な坂でもあります。今回のことはそれとは関係ないですが、あの道に車がどんどん入ってくるようになるとかなり危険だと思います。私はいつもその道路を通るときには30kmちょっとで後続車をイライラさせていますが、そのくらいでないと危ないと感じる道路をかなりのスピードを出して走り抜けていく車がほとんどです。交通量の増加は絶対に危険だと思います。

右折先の道路の安全、環境への影響が考慮されない片手落ちの計画のまま右折レーンを作ってしまうのはおかしいと思います。右折車が問題なのであれば私は鎌倉高校前で右折しないようにします。

この計画には私も反対します。

詳細と署名用紙はこちらです。
住まいのすぐ近くに自然公園があります。公園と言っても公園内の自然保護のため入園できるのは月に1、2回の公園公開日だけ。本当に自然のままの姿の森と沢が保護されている貴重な公園です。今日は今月一度のみの公開日だったので朝から公園の中を散歩してきました。

入り口では立派なクヌギの木がお出迎えしてくれます。朝日が当たった葉と幹の印影の美。


公園の中はクヌギやシラカシ、赤松、杉などで構成される見事な雑木林です。日本の森林政策の行き詰まりからできてしまった非持続的な単一種の林とはまったく違う美しい自然のままの林です。シダの葉が生い茂る斜面があったりいろいろな種類の植物が生育しています。


昨日の雨で壊れてしまったのか、新しい巣を張る蜘蛛。おしりを器用にうごかしてまるで定規で測ったように等間隔に丁寧に糸を張っていきます。


食べたらどうなる?キノコをみるといつも同じことを考えてしまいます。


地面に落ちているのはクヌギのドングリの帽子。子供の頃ドングリ拾って遊びました。


公園内には水源があり、小さな川が流れています。この植物何だかわかりますか?スーパーでもよくみかけます。解った人はかなりの食いしん坊。そうですこれはサラダや肉料理に添えられて出てくるクレソンです。クレソンは水辺にこんな感じで群生します。本当はいけないんですが、誘惑に勝てずに1本摘んで食べてみると、瑞々しさと鮮烈な味にびっくり。野生の味は美味しいです。


ちょっと湿っぽいところには巨大なカタツムリが…。


水の流れが淀むところにはメダカとアメンボウ。夏にはホタルもいるらしいですが、夜は入園できず照明施設も無い公園なので見る人もなく光っていることでしょう。それが自然の姿なのでしょうね。


朝からすっかり和んでしまいました。家から歩いて五分もかからないところにこんな自然が残されているのは驚きでした。次回は11月初旬に開放されます。自然の中で季節の移り変わりを探してみるのも面白そうです。



南岸低気圧では期待したほど波は上がっていないようです…台風に期待しましょう。
青森県六ヶ所村の使用済み核燃料の再処理施設。下北半島にこの施設ができると初めて聞いたのは、たしか20数年前のこと。ナガサキでの原爆投下実験で私の母親は爆心地から2km圏内で被爆した。被爆二世である私は小さなころから被爆地の熱心な平和教育を受け、母の体験談を聞き、放射能という目に見えない恐ろしいものを使うという原子力発電に反対の意見を持って成長してきた。

東京に住み始めて24年が経ち、気が付くと仕事や忙しい日常生活に心を奪われ、そういう問題のことをいつのまにか忘れてしまっていたようです。BLUEという雑誌は皆さんご存知だと思いますが、最新号にプロサーファー、ミュージシャン、アーティストら10数名のパーティで各地で再処理施設に関するイベントを開催しながら湘南から青森県へ旅をする模様が特集されています。サーフボードとギターを手にとても意味がある旅だと思うのでぜひ読んでみて欲しい記事です。

感情的な部分が強いですが私は原子力による発電には反対です。原子力発電が全体の三分の一を占めているというのであれば、みんなで協力して電気の使用量を三分の一減らせば良いじゃんと単純に考えてしまいます。原子力発電所から発生する放射性廃棄物、放射性物質の輸送、発電所自体のしくみなど問題はたくさんあるし、その問題はとても人間の手に負えるものではないという考えが反対の理由です。何万年もの半減期を持つ高レベルの放射性廃棄物を誰が管理し続けるのだろう?人間はそのほとんどが100年も生きられない存在であるというのに。

耐水ハガキの実験の通り世界の海は繋がっています。コップのきれいな水に落とされた一滴のインクは時間とともに全体へと万遍なく拡散していくのです。

暑い盛りもようやく過ぎたようで、残暑の中にもそこはかとなく秋の気配を感じさせるようになりました。今年の春、店の前に生えている木の枝を剪定したせいで午後からの日差しがダイレクトに入って来るようになり、暑かった今年の夏がさらに暑いものになってしまいました。植物は二酸化炭素を吸収して酸素を出してくれるという役割だけではなく、人間に快適な日陰を提供してくれる役割も果たしてくれていることを今年の夏は身をもって感じました。

木は、夏は葉を茂らせ木陰を作り冬は葉を落として暖かい陽だまりを届けてくれる自然の調光設備です。地面に落ちた葉は微生物によって分解されて肥えた土を作り出し、自らや他の植物を育てます。去年手に入れた山の近くの小さな土地に落ち葉を大量に埋めたコンポストというものを設置しました。いまそこに自分が住む家を建て南側の地面は畑として利用する計画を実行中です。コンポストは約10ヶ月前に設置しましたが、現在では葉の形は全くなくなり、いい匂いがする黒々とした土に変わっています。顔を近づけて良くみると小さな小さな生き物たちがたくさん動いているのが見えます。

その小さな生き物と目に見えない細菌やカビや微生物たちが落ち葉の山を土に変えてくれているのだと思います。発酵して熱を発している土に生命を感じずにはいられません。そうやって栄養分たっぷりの土を作り出しその土を今度は畑に使い農作物を育てます。今年の秋はまたコンクリート舗装の上で分解されない落ち葉を集め土に返してやろうと思います。そしてその土でまた畑の植物を育てるのです。

海では波に乗り、午後はサーフショップのお仕事。波が無いときには畑を耕し生活の糧を育て、丸太を割って薪を作り冬の寒い日に備える。薪が完全燃焼した後に残る灰は良い肥料になります。地球に優しい生活なのかどうかは解りませんが自分の生活の中に自然のサイクルが入ってくるのは気持ちが良いものです。今作ろうとしているのはそんな生活。そこにはすべてにおいて植物が関係しています。小さな植物も大きな木もすべての植物が愛しくみえて仕方ありません。




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