MENEHUNE BEACH STORE 店主のブログ
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プロフィール
HN:
menehune
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1964/09/15
職業:
サーフショップやってます
趣味:
ランニング、作文、お絵かき、料理、丸太切り、丸太割り、波乗り
自己紹介:
2001年のオープン以来、ロングボードをベースに、フィッシュ、ボンザー、シングルフィン、ニーボード、パイポとさまざまな種類のサーフボードを作り、試してきました。
 気が付けば還暦が近づいてきていますが、浮力を頼りにしながら、カラダもキープして、人生の荒波にチャージしていきたいと思っています。
 2006年に始めたこのブログ、サーフィンの他にランニングなどのフィットネスや食べ物、フツーの普段の生活のことなども綴っていきたいと思います。
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5’11”BONITAフィッシュのラフシェイプです。撮影がへたくそだったので4倍速で誤魔化しました。
活さん、すいません。次はちゃんとやります。




PRIMO FISH 6’10”が出来上がりました。ストリンガーやシェイプサインが見える濃さのピグメント(オペーク)ベージュでラミネートしました。




ボトムの復刻ロゴの白がいい感じ。


今日は時間が無くなってしまったので、画像だけでお楽しみください。

8フィートの長いフィッシュが出来上がりました。オーダーでお作りしたロングフィッシュです。カスタード色のティントで美しくグラッシングされてます。カルボナーラみたいとも言えますね。赤と白のロゴマークとのコントラストがいい感じです。

下のブログのニーボードも同じ色ですが、海で見るとひと際きれいに見えます。

これはシェイプ途中です。ボトムとレールの形状が良く分かります。


レールとコンケーブのシェイプは、プリモに似ていますがシングルフィンのプリモとは、マッチングさせるロッカーやボリュームバランスが基本的に違います。


ツインフィンなので、シングルのプリモよりもレールの反応がしっかりと感じられます。センターフィンが無い、回転性が高いフィンのセッティングはルースにもなりますが、ツインフィンらしい性格とも言えます。

最初に乗ったときには、シングルフィンばかり乗っていたせいか回り過ぎてしまうこともありましたが、ツインのキャラクターに慣れてくるとそれをコントロールすることが面白くなってきます。シングルフィンとは違う反応を返してくれるツインフィッシュに乗っていると、波乗りのバリエーションも広がります。

センターフィンが無い、幅広のフィッシュテールは小さなサイズのフィッシュも含めて、テールの抜けが良く、フィッシュ特有のスムースさで滑ってくれます。そんなところも面白さなのだと思います。

サイズがあるしっかりとした波はもちろんですが、この長いフィッシュ特有のボードコントロールで、緩い小さな波をじっくりと滑らせるのも面白いのです。個人的にはそんな波でのバックサイドのレスポンスが好きだったりします。



ロングフィッシュは、プリモフィッシュとも呼ばれております。6フィート代後半から、この8フィートちょうどまでのサイズで作っています。6フィート代のサイズではBONITAのビッグフィッシュがありますが、それとはいろいろと違います。

来週には、6’10”が出来上がってくる予定ですので、私の6’8”のBONITAビッグフィッシュと比較してみようと思います。



活さんはTIKIをシェイプ中。今はMINIに乗られている、Kさんのオーダーです。マルチフィンの楽しめるボードが欲しいということで、8’4”のTIKIです。


ボトムの皮をむいてアウトラインを決め、ノコギリで切ります。余白は最小限(床に落ちてます)。無駄な部分がほとんど無いのは、8’4”のプリモも同様です。


個人情報出ちゃってますね。


プリモのサイドフィン版がTIKIですが、もちろんサイドフィンがプラスされただけではありません。コンケーブとレールの形状は似ていますが、ロッカーもシェイプも違います。かと言って、良くあるスタビ付きのロングボードとは別のものです。

ダウンザラインのスムースさやスピードは、プリモと同じです。長いコンケーブはボトムの水流を集め、テール方向へスムースに流しますが、TIKIやプリモのレールはその水流をリリースしやすくも作られています。どちらも動きが軽いのは、それが理由です。

TIKIはサイドフィンが付くので、シングルのプリモとはラインが変わります。変わるというか、そういう乗り方をします。

TIKIには、ボトムの水流を左右に分けるように、VEEと二つのコンケーブが入っています。そして、サイドフィンがそれを支える役割を果たしています。サイドフィンは、ターンやスピードアップのきっかけにもなります。

カットバックでは、体重を乗せていくとスムースに回転し始めます。サイドフィンはさらに、その回転をキープしてくれます。つまり、スムースにより軽く反応してくれるのですが、動きが軽いからと言って、やり過ぎはダメです。カッコ悪い 笑。

サイドフィンの使い方のいいお手本は、デヴォン・ハワードの映像です。スピードをうまく使って、反応が良いからとテールを蹴り過ぎない。メリハリがあってスムースです。

DEVON HOWARD SURFING A 7'2" EGG from erik derman on Vimeo.



これは活さん、ご本人。
ブランクスが少ないので、その分時間をかけてシェイプしています。来週にはシェイプが出来上がった画像をお送りできると思います。お楽しみに。



ストックボードにシェイプした、ダイモンドテールシングル。今回は、6’2”と6’4”の二本をお願いしました。画像は、6’2”です。以前も書いたと思いますが、このロッカーのブランクスは、国内で使っているのはほぼ活さんだけで、比較的手に入りやすいブランクスです。

クラシックなシングルフィンのショートボードをシェイプするのには、最適なロッカーとボリュームのバランスのブランクスです。

このダイアモンドシングルは私が以前、クラシックなシングルフィンのショートボードが欲しくて、1シングルフィンの時代に調子良かったボードを作ってくださいと活さんに頼んで、出来上がってきたのがこのダイアモンドテールでした。

最初の一本は、このボードと同じ6’2”でした。サイズがある波でも安心感あって楽しめた記憶があります(検索してみたらもう9年前 笑。時間が経つのは早い)。それだけじゃなくて、風が入って決して良いとは言えないコンディションでも楽しめました

その後、シングルフィンのセンターフィンの形状による違いを考えるきっかけになったも、このシングルでした。そう言えば、この形のまま作った、3フィンのボンザーも良かったのです。

いろんな面で楽しませてくれたのがこのダイアモンドシングルです。シングルフィンの時代をリアルタイムで知っているシェイパーならではのディテールは、クラシックそのものです。


外観はクラシックでも、ボトムはモダン。よく滑ってくれます。今まで抜けられなかったセクションが、抜けられるようになります。


ダイアモンドシングル、6’2”と6’4”の二本が入荷予定です。

もう一本のシェイプは、オーダーボード。Tさんの3フィンボンザー 7’8”。


ボンザーのサイドフィンはグラス製です(ウッドもOKです)。スピードには定評があるプリモがさらにスピードアップしてくれることと思います。


ベースはプリモのボトムですが、フィン周りにボンザーに合わせて手が入っています。違いが見えますか?


Tさん、長らくお待たせしてしまいましたがもう少しです。

お待たせしている皆さまには申し訳ございません。使用できるブランクスをなんとか手に入れようと活さんも、日々いろいろと心を砕いております。ブランクスが手に入れば、入魂のシェイプでお作りしますので、いましばらくお待ちください。

MINIモデルのユーズドボードが入荷しました。6’8”トライフィンです。


MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト











昨日のシェイプルーム。活さんはMINIをシェイプ中。レングスは7’4”で、スカッシュテールの応用編のMINIモデルです。

ノーズは少し細め。左右のレールの形を確かめているところです。


このボードを見ていてふと思い出したのは、活さんが日本へ戻ってこられてから、まだ間もない頃に作っていたミッドレングスのボードのことです。モデルはまだホットマンゴーと、7.6~8.0ちょっとくらいのミッドレングスぐらいだった、まだ始まったばかりの頃です。

20年ほど前の話で、まだロングボードかショートボードか、という意識が強かった時代です(フィッシュはまだ一部の人のあいだだけでした)。そんなときに活さんから借りて、テストで乗っていたボードが、ちょうど上の画像のようなアウトラインの7’6”のトライフィンでした。

それを思い出して、「昔、こんな感じのトライフィン、よく作ってましたね~」という話をしていたら、久しぶりにトライフィンに乗りたくなってしまいました。レングスは迷わず、8’4”です 笑。ちょっと前から、老後のボードなんて言ってますが、それ用ですね 笑。

こんな感じかな。活さんがギタリーの波で乗ってた8.4のトライフィンです。


波乗りを始めて、まだそれほど時間が経っていないころに乗っていた9フィートちょうどのトライフィンのロングボードがありました。

今でもよーく覚えています。レールにブルーのハワイアンファブリックをラミネートした、ロジャー・ハインツのシェイプでした。知らない人から、そのボード速いね~と言われることもあった、良く走ってくれるボードでした。

シェイプ中のMINIを見ていたら、そんなことも含めて、「昔乗っていた」トライフィンのイメージがすっかり蘇ってきてしまったのです。良く走るボードで定評があるのが活さんのシェイプです。作らない手はありません。

5~6年前にも一度、トライフィンのマイブームがありました。7’7”のOKIDOKIで、トライフィンがスラスター(推進装置)と呼ばれる理由をたっぷりと体感しました。ダウンザラインでの瞬間的な加速、カーブでのスピードのキープ、スープからの脱出速度、とにかく反応速度が速いトライフィンでのサーフィン。やっとかないと(笑)という気持ちに、すっかりなっています。やっぱりレングスは8フィート4インチですよ。



8’4”はトライフィンでもイージー・ライダーだと思います。とっくの昔に腕時計は外してるし、いまさら何でも自由にやれよ、ということですね。



お知らせ:11月9日(火)はお休みいたします。よろしくお願いいたします。

ブランクスは少しずつ入荷してきています。今回は長いフィッシュをシェイプできるブランクスです。まずは、8フィートジャストのロングフィッシュです。

今回もバスウッドですが、ダークウッドストリンガーでお待ちの方は、動きが少し見えてきております(と連絡をもらっています)ので、もう少しだけお待ちください。お待たせして申し訳ございません。

さて8フィートのフィッシュです。この長いフィッシュは、このレングスならではの個性を持っています。何と言えばいいのか、フィッシュテールでフィンがツインなのでフィッシュと呼んでいますが、短いフィッシュとはまた違う楽しさを持っています。

例えば、スタンスの位置です。実際に乗ってみると分かりますが、長いフィッシュはボードのセンター寄りにスタンスします。両足のスタンスはそれほど広げずに立って、その位置でコントロールができます。カットバックのような角度があるターンのときだけ後ろ足を下げて、レールを意識しながらテールを踏んでいくと、スムースに戻っていってくれます。これが結構気持ち良いのです。

同じ8フィートでプリモにも乗っていますが、このプリモ(シングルフィン)と同じ感覚で体重を乗せてしまうと、ツインフィンなので回り過ぎてしまいます。プリモと比べたときのこの軽さも面白いポイントです。軽い動きをコントロールするのが楽しいのです。

一番気持ちいいのはダウンザライン。プリモも気持ちいいのですが、ツインのセンターフィンを感じないスムースさは別格です。

こちらは、6’10”。シェイプは同じなので、上の8’0と同じに見えますが、こちらはプリモと同じロッカーです。

6’8”~7’4”のプリモと同じレールの感触になると思います。それのツインフィンです。こっちのサイズを自分でも乗ってみたいのですが、まだしばらくは無理です(作れない…)。ちなみに6.8のBONITAフィッシュは所有していますが、サイズが似ていてもそれとは違うモノです(そういうところも面白そうで…)。

6’10”のフィッシュは、ご希望でイーグルノーズにしました。(制作途中です)


長いフィッシュを実感するには乗ってみていただくのが一番なのですが、ブランクスがなかなか入荷しないので、それもなかなか思うように進まないジレンマ。もどかしいばかりですが、出来上がりをお待ちの皆さまには、ぜひ乗ってみていただきたいのです。どうかいましばらくお待ちください。

明日はお休みします。一昨日くらいまでは、波があってオフショアの予報だったんですが、だんだんとオンショアの予報に変わってきました。今回の低気圧は、たぶん今日の午後が一番良かったんじゃないかと思います。

明日は風が弱そうな早朝にとりえず行ってみようかどうか考え中です。肩は少し悪化気味で、左腕を前方に伸ばしただけでズキリときます。このあいだみたいに、ニーボードならなんとかなると思いますが、オンショアでニーボードはあまりやりたくない。

スタンディングなら、風で波の面が乱れてもヒザがサスペンションになって吸収してくれるので、それなりに楽しめますがヒザ立ちニーボードは、波の面のデコボコをそのまま拾っちゃって跳ねてしまうのです。サスペンション無しのクルマで、デコボコ道を走るような感じです。

それとも雨が止むのを待って、ランニングか。

試してみたいボードは思うように作れない。パドルしたくても肩が痛い。どんどん歳を取る。最後のは仕方ありませんが、残された時間がどんどん減っているみたいな気分です。

かと言って焦っても仕方が無いので、焦りはしませんが…。そうだ、雨の午前中は病院へ行こう! 笑。

また明後日、お会いしましょう。





「ムーンフィッシュとブギーって、どこが違うんですか?」とよく聞かれます。丸いノーズにテールまで幅が広いアウトラインにツインフィン。確かに似ているように見えます。でも、丸いノーズはそれぞれ違うし、アウトラインもフィンも違います。

「(ふたつは)全く違うボードです。」とまずお答えしてから説明していますので、ここでも同じようにそこからスタートさせていただきます。



どちらも、6フィートちょうどの長さです。アウトラインはどちらもラウンドノーズですが、テンプレートは違うのでラインは違います。でも、見た目の特徴はとしては似ていると言うことができます。それはつまり、ラウンドノーズのパドルと滑り出しの速さはどちらも共通しているということでもあります。

ロッカーとボリュームのバランスを比べてみると、両者が全く違う性格だということが良く分かると思います。


ブギーは、ノーズにもテールにもたっぷりとした厚みがあります。このボリュームのバランスがブギーの性格を作り出している大きな要因です。このボリュームを確保するために、ブギーはひと回り以上大きいブランクスのノーズとテールを切り落としてシェイプされています。

ムーンフィッシュは、ノーズとテールが自然と薄くなっています。フィッシュの一般的なボリュームバランスと同じです。ロッカーは全体的にしっかりと入っています。

ブギーは大きいブランクスから削り出されます。ムーンフィッシュと比べるとフラット気味に見えますが、ロッカーはそのブランクスの良い部分が活かされています。大きさの割に動きが軽く、よく走るという性格の要因のひとつになっているところです。

ムーンフィッシュは、基本的には皆さんが乗っているフィッシュ(BONITAやKK FSIHとも)同様のロッカーとボリュームのバランスと考えていただいて、間違いありません。その点では、ブギーはかなりオリジナルな存在だと言えます。

ボトムとフィンも多いに違います。


ムーンフィッシュのボトムは、シングルコンケーブがフィンのあいだを通って、月型のテールエンドまで抜けています。ブギーはフラットボトムからVEEです。凹と凸。それぞれ逆の形のボトム形状です。

フィンも違います。ムーンフィッシュのフィンは、KK FISHと同じで内側の面がフラットなシングルフォイルで、ボトムと進行方向に対して角度が付けられています。

一方のブギーは、フィンの両面が曲面に削られるダブルフォイルです。フィンの取り付け位置はテールに近く、鉛直方向に鉛直線に従い、進行方向に対しては真っすぐ向いて取り付けられます。シングルフィンが2つと思って良いと思います。

つまりフィンのセッテッィングでは、ムーンフィッシュはマニューバ、ブギーは直進スピードです。

ブギーのフィンはほんの少しだけ内側に入っていますが、そのセッティング(とボトムのVEE)のルースさがブギーの独特の動きを醸し出しています。

ここまで読んでいただいたら、もう「どう違うの?」と首をかしげるひとはいないと思います。ブギーは小波や厚めの波で最高に楽しいツインフィンですが、ムーンフィッシュは、一般的なフィッシュと同様に、小波からサイズがある波、掘れ気味の波でも問題なくこなします。

ムーンフィッシュは、名前の通りに丸いムーンテールです。これは深く切れ込んだフィッシュテールの形状よりもテールの水流をキープして、よりドライブしてくれるように作用します(これはフィッシュテールとの違いですね)

もう何本かお出ししていますが、ムーンフィッシュ好評です。KK FISHやブギーのラウンドノーズ、BONITAフィッシュのコンケーブボトム、KK FISHのフィン。それぞれのモデルの良いとこ取りだったりするかもです。

今回入荷したのは、6フィートちょうどで幅が21インチと、浮力多めでおじさま方もイージーに楽しめるように作ってもらいました。パドルや滑り出しはイージーですが、ドルフィンも楽に出来ると思います(これもブギーと違う点ですね)。

楽しそうで自分でも乗ってみたいのは山々ですが、このご時世です。これまでに作っていただいた方や、ライダーさんたちにはかなり好評のようで、(自分で乗ってはいませんが)お勧めできるツインフィンです。

MOON FISHはMENEHUNE BEACH STOREウェブサイトご覧ください。


さて、昨日のブログでやり残していた、もう一方の固定は簡単に出来てしまいました。

近所のホームセンターで買ってきた水道管を固定するときに使う金具を、ステー金具の先に取り付けて、イレクターの縦のバーを挟み込みました。(車体に付いているのは、最初にバーを取り付けるのに使っていた金具ですが、それを利用しました。)

水道管用の金具は32ミリ径用で少々大きめ(イレクターは28ミリ)。4ミリの差ですが、床に敷いたゴムシートの残りの端切れをパイプに巻き付けて挟み込んだらちょうど良い感じです。

これでもうしっかりばっちり固定されました。

あとは実際に使いながら、あったら良さそうなものをつぎ足していこうと思います。





掘れ掘れのチューブ、すぐ下はコーラルリーフだと分かる手前のヤバそうな海面。川南活さんが住んでいたグアムの、レッドブイ(文中に登場します)というポイントの波です。

活さんは1969年からグアムへ行き始めました。1969年というと国内ではまだサーフィンをやっている人は限られていた時代ですが、そんな時代にグアムの良い波の情報を得られたのは、国内の米軍基地のサーファーに友人が居たからです。ポール・ウィツィグの69年の「EVOLUTION」をリアルタイムで見ることができたのも、米軍の基地内でした。

そんな関係から、活さんは1969年に初めてグアムへ行ったのですが、その波の素晴らしさにすっかり取りつかれてしまったそうです。結局は移住してしまうのですが、60年代後期から70年代中頃にかけてのグアムのサーフィンは、ハワイのノースショアに負けないくらいの盛り上がりを見せていたそうです。

それでも、グアムがノースショアのようにならなかったのは、これから紹介するグアムのサーフィンの歴史があったからのようです。その中に川南活さんも登場してきます。

グアムペディアというWEBサイトの記事を訳したもので、ちょっと長い文章ですが、偶然に私が所有していた、1967年のサーファーマガジンが多いに関係しており、その雑誌の画像も掲載しましたので、当時のことを想像しながら、ゆっくり読んでみてください。


「Surfing: Early History on Guam」

グアム島の人たちが波乗りを始めたのは、1960年代初頭のことであった。その当時、グアムの浅く危険なサーフスポットの波にチャージしていた先駆者たちには、ハイスクールの技術家庭の教師のジョン・バイランダー、オーストラリアケーブル社のジム・キーナン、地元のビジネスマンの息子のリッチ・バリューと言ったサーファーたちが居た。
実際に、リックズリーフはグアムのサーファーたちに、特に危険なリーフスポットとして知られており、ダンカスビーチのそばのリック・バリューによって名付けられたのである。

グアムの未開発のリーフブレイクは、冒険好きなサーファーたちに新しいサーフスポットの発見という又と無い機会を提供することとなった。そして60年代の中ごろまでには、熱心な若いローカルサーファーたちによる、素晴らしいサーフスポットの発見という収穫がサーフィンにおけるグアムブランドを作り出していた。サーファーとボードをリーシュでつなぐ、1970年代初頭の技術革新によって熟練したスイマーでは無くなったサーファーがラインアップへ出てくるという、ちぐはぐな出来事よりも前の時代である。グアムのパイオニアサーファーたちはチャレンジングコンディションでは散々に泳がされた。切り傷や打撲による痣は言うまでもない。

それらのリーフブレイクとは対照的な、安全で楽しい波のスポットとして、タロフォフォ湾はグアムのサーフィンの歴史の中心的なサーフスポットだった。サンドボトムでフレンドリーな波、タロフォフォ湾はサーフィンの練習やコンテストに最適な場所だった。グアムのサーフィンを語る上で登場する多くのサーファーたちは、当時はまだハイスクールの生徒で、学校にサーフィンのスポーツクラブを作るチャンスに飛びついた。タロフォフォ湾は危険が少ないポイントではあったが、それと同時にしばしば溺れる人が出た。


写真:タロフォフォベイ

60年代の終わりになって、グアムのパワフルな波に良く合ったショートボードは新しい、より高いパーフォーマンスのサーフィンへのアプローチをもたらし、グアムのサーフィンの盛り上がりはかつてないほど高まった。

シークレットスポット

グアムのサーフィンは、アメリカメインラインドの商業主義に対しての単なる反発としてではなく、サーフスポットを公開しない秘密主義の下に、アンダーグラウンドのサーフィンへ向かう動きが著しかった。サーファーたちは、一致団結してグアムのサーフスポットを守った。

ロカールサーファーたちは、世界中のサーファーがグアムの素晴らしいスポットを虎視眈々と狙っていることに眉をひそめた。自然と彼らは波を探し求めるサーファーたちがあらゆるところから、現れてくるのを恐れた。サーフスポットのパイオニアたちは地名ではなく、彼らがどこへ行こうとしているのかを判りにくい名前を使い始めた。「ローザ」はあるメイドにちなんだと言われ、「マガンダス」はタガログ語の「ビューティフル」から来ている。「スリーズ」と「レッドブイ(最初の画像)などに至っては、彼らがどこで波に乗ったのかも判らなかった。サーファーたちは初めはそれをゲームのように言い出したが、だんだんとシリアスなものになっていった。



写真:グアムの波が紹介sれたSURFERマガジン 1967年


当時の状況に置いて、グアムのサーフィンが記事になったとしても何ら不思議は無い。1967年5月のサーファーマガジンでは複雑な気持ちになった。グアムの波が雑誌に紹介されてしまった一方で、グアムの波は世界最高の波にも匹敵するという生々しい証拠に、そこで波乗りができるという幸運に喜んだ。サーファーマガジンは、グアムでよくサーフィンされている、いくつかのポイントのグラッシーでパーフェクトな最高な波の写真を掲載した。興味深いことに、写真には古くからの(グアムのサーフスポットの)番人のジム・キーナンと一緒に、テリー・ワーナー、トム・チェンバーズ、ニール・ソーヤ、やケニー・ピアらのサーフィンが掲載され、グアムのサーフィンの成長を映し出している。


左ページ上:ボートベイスン、サーファー:トム・チェンバース、左ページ下:スリーズ、サーファー:ニール・ソーヤ、右ページ上:ボートベイスン、サーファー:ケニー・ピア ケニー・ピア氏は昨年、残念ながら亡くなられてしまいましたが、活さんととても仲が良かった方のようです。皆さんご存知の「DA KINE」の創始者でもあります。

しかし同時に、記事は最高機密をも暴露してしまった。(サーファーマガジンの)記事を書いたトム・チェンバーズは、彼のボートベイスンのレフトでのサーフィンと、グアムのサーフィンレベルを引き上げたことへの貢献で記憶されるであろう。しかしながらまた、サーファーたちはこの記事が、この時以来多くのサーファーをラインアップへ引き寄せることとなったことを忘れないだろう。チェンバーズは書いている。

「私はただの50ドルで悪魔に魂を売ってしまったかのように感じられた。新参者たちが良く近寄ってきて、記事を読んでグアムにやってきたと言う。最初はマゼランで、それからサーファーマガジンというわけさ。うーん、まあゴメンよ。」


写真:ポイント「スリーズ」サーファーマガジン1967 パイプラインのライトハンドとキャプションが付いています。サーファー:テリー・ワーナー 活さんはこの写真のある場所を指さして「ここは水深65フィートです。」と…。 

シークレットスポットを公表することへのタブーは強くなっていった。サーファーのエンジェ・ダムスは、サーファーたちの間では、波がいかに素晴らしいか、自分のおばあちゃんにさえ手紙を出したり、カリフォルニアのいとこに写真を送ったりしないという決まりになっていたことを覚えている。日本人サーファーの川南活がここの波に出入りし始めたときには、ローカルサーファーたちは他の日本から来るサーファーにここの波のことを言わないように口止めをした。彼はグアムの秘密を、飛行機でたった三時間の距離にいる100万人の人々から守った。


写真:左ページ、スリー サーファー:ジム・キーナン、右ページ上、ボートベイスン、右ページ下、スリーズへ続くジャングル、活さんはこのような場所に暮らしていたこともあるそうです。

1980年代に最初のサーフショップがグアムにオープンすると全てが変わった。それまではサーフボードならず、ワックスさえグアムで手に入れるのは大変だった。

グアムのリーフは危険だという言葉もまた漏れ聞くようになった。グアムのリーフの要求は過酷で、遅かれ早かれ全くその通りになった。肉体的に、またしばしば精神的にも、リーフでのキズ跡を持たないサーファーはほとんどいなかった。リックズとボートベイスンのライト(知る人ぞ知る、パセオ堤防以前のさらに良かった波)は、最も危険なポイントという名誉に輝いた。
1960年代のサーフシーンは、決して険悪なものではなく、サーファーたちも過激では無く、平和に共存し、サーファーとしてのライフスタイルを共有して楽しんでいた。島では、互いに競い合うこともなく友好的であり、共に歩みを進めてきた。
「街のやつら、ローカル、とにかく皆が一緒だったんだ」-- デイムズはこう振り返った。

ハイスクールには男女問わず、サーフィンチームがあった。グアムタイムズが報じた、1966年のタロフォフォ湾でのコンテストのように、サーファーたちはしばしばコンテストを開催した。マカニカイサーフクラブとフーイ オブ ハワイが開催したコンテストのエントリー名簿は、まるで当時のグアムサーフィンの紳士録のようである。当時のトップは、ジョン・ロマナックで、女性はシャロン・クランドール、そして一番年少のサーファーはロビン・エボイとなっている。スティーブ・ヴィラは、ミスター・ワイプアウトの称号を授かった。

練習に最適だった、タロフォフォ湾

タロフォフォ湾はグアムのサーフィンを語る上では、いつでも中心的なスポットである。マッキントッシュは、60年代の他の多くのサーファーたちがそうであるように、安全なタロフォフォ湾で最初の波に乗った。マッキントッシュは言う。ワーナー家の人たちと一緒にそこへ母親が連れて行って、一日中波乗りさせておくんだ。1962年から63年くらいのことで、プライウッドのベリーボードがあればそれで波に乗って、ヒッチハイクもしたし、運が良ければ借りたサーフボードで波乗りすることもできたんだ。

60年代にはたくさんの若い女性サーファーもいた。その理由のひとつとしてはおそらく、それだけサーフィンがグアムで若者たちの間ではポピュラーになっていたからだと、古いローカルサーファーは言う。リン・ビグネットとタニヤ・ジャンプは男のサーファーたちが怖気づく、リックズとボートベイスン(どちらもサーフスポット)で、彼らよりも上手に波に乗った。当時のグアムサーフィンクラブの会長はジョン・バイランダーだったが、彼らはタムニンの今はABC JETクラブになっている、ホンコンガーデンでカーウォッシュダンスをやっていた(いろいろとお楽しみだったというご理解で)。

最も盛大だった初期のサーフィンコンテストは、60年代のジョージ・ワシントンハイスクールとジョン・F・ケネディハイスクールの対戦だった。マッキントッシュはそのときを振り返る。

私はジョン・F・ケネディサーフクラブで、リックズ(サーフポイント)でジョージ・ワシントンを打ち負かした。ジャッジはノーランとテリー・ワーナーだった。波は4―6フィートで、ジョージ・ワシントンのメンバーは沖へ出るのを拒否したんだ。ジョン・F・ケネディサーフクラブのメンバーはリックズの波を乗りこなして、ジョージ・ワシントンを打ち負かしたんだ。

グアムペディアのサイトです。他の画像もあるので見てみてください。
https://www.guampedia.com/surfing-early-history-on-guam/



このグアムペディアを読んでいて思ったのは、70年代のグアムが、ハワイやバリのように世界的に有名なサーフスポットになる可能性が多いにあったということです。そうならなかったのは、グアムローカルと秘密を洩らさなった活さんたちの努力の結果です。

世界トップクラスの波がありながら、メディアから守られ、ハワイやバリのようにメジャーにはならなかったグアムという島。それから、日本のサーフィン界では広く名前を知られた存在でありながら、アンダーグランド的な雰囲気に包まれている川南 活という特別な存在感。果たしてそんな雰囲気を作り出したのはこの島があったからなのか。

昔から感じていたちょっとした謎が解けたような気がしました。(皆が活さんに惹かれる所以は、そんな所にあるんだと思います)

やっぱり、とてつもない存在なのだということも改めて思いました。



お知らせ:10月23日(土)はお休みいたします。よろしくお願いします。


カツカワミナミサーフボードのオリジナルフィンのフレックスフィンが入荷しました。全体的に細身のアウトラインで、フィンの先端にかけて柔らかくフレックスします。サイズは高さ9インチ、ベースが5 1/2インチほどです。

シングルフィンの、ミニモデル、プリモ、ダイアモンドシングルなど、どれでも使えそうです。フレックスフィンのルースさと、フレックスの戻りに反応したターンの後半の伸びなど、それぞれのモデル用のフィンとはまた違う感覚で楽しめると思います。もちろんハルにもOKです。私はシングルのニーボードか、8.4、9.0のプリモあたりで使ってみたいです。

KK FIN、その他にも品切れしていた、B52の9インチなども入荷しています。

MENEHUNE BEACH STOREウェブサイト ご覧ください。

NV200はルーフキャリアを付けて、ステッカー貼って、波乗り車っぽくなってきました。次は車内キャリアです。バンと違って、内張りされているので吊元が少ないのが悩みの種ですが、その分いろいろと考えるのも楽しかったりします。

構想は着々と出来つつあります。ご紹介していきますので、お楽しみに。

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